今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

山本直純(指揮者,作曲家『男はつらいよ』)の忌日

2007-06-18 | 記念日
今日(6月18日)は、山本直純(指揮者,作曲家『男はつらいよ』) の2002年の忌日<69歳>
山本直純(やまもと・なおずみ)本名同じ。1932(昭和7)年12月16日、東京生まれ。父は作曲家・指揮者の山本直忠。妻は作曲家の山本正美、作曲家で千葉大学助教授の山本純ノ介は長男。チェロ奏者の山本祐ノ介は次男と音楽一家であった。幼いころから、父から音楽を学び、東京芸術大学作曲科に入学し、のちに指揮科へ転じる。指揮は斎藤秀雄に師事。同時期の同門に、小澤征爾岩城宏之秋山和慶がいる。今やウィーン国立歌劇場の音楽監督を務め、世界的に有名な指揮者として活躍している小澤征爾氏は斎藤門下になった最初の1年間、山本から指揮を教えて貰いそれ以来の友人であったようだが、山本から「自分は音楽の底辺を広げるので、お前は世界を目指せ」と言われたと語っている。 同じく、芸大時代から親交のあった岩城宏之氏も”小澤も僕も目標は、直純だった。日本であれほど才能にあふれた男を知らない。小説で言えば中間小説のような方向へ行ってしまったのが残念で、「お前を目指して勉強したのに、純文学に戻れ」と小澤と朝まで口説いたこともある”と語っていた。(朝日新聞)
山本は、大学在学中からテレビや映画の分野に進出、管弦楽・吹奏楽などクラシック音楽の分野はもちろん、映画音楽、テレビ・ラジオ番組の主題曲、歌謡曲、童謡、はては政党の党歌(以下参考に記載の自民党・党歌「われら」参照)に至るまで幅広く作曲・編曲活動を行うと同時に、テレビ・ラジオ番組やCF(Commercial Film)への出演もいとわなかった。
よく知られているものに、映画音楽「男はつらいよ」がある。映画は松竹によって1969((昭和44)年から1995(平成 7)年まで、主演の渥美清が亡くなる全48作が上映されるという人気シリーズであったが、「私生まれも育ちも葛飾柴又です・・・」の名せりふで始まる(作詞:星野哲郎)歌の曲(作詞:山本直純)もいいよね~。フーテンの寅さんが飄々と旅立っていく感じが非常によく出ている。また、
♪いちねんせい)に なったら 一年生に なったら 友(とも)だち100人(ひゃくにん) できるかな・・
「一年生になったら」(作詞:まどみちお)
よく知られているこんな童謡までも作っている。なかでも最も知られているのは、1973(昭和48)年から10年間放送されたTBSのテレビ番組「オーケストラがやってきた」の企画・音楽監督・出演である。クラシック音楽普及のためのテレビ番組で、レナード・バーンスタインヤング・ピープルズ・コンサートがモデルとされているそうだ。1分間指揮者コーナーなど、視聴者を参加させたり、各地を回ったりなどいろいろな形での普及につとめた。主に、新日本フィルハーモニー交響楽団が演奏を行った。そして、多くの著名な音楽家も出演した。また、1983(昭和58)年に落成した大阪城ホールのこけら落とし事業として、毎日放送の斎藤守慶とともに「サントリー1万人の第九」を企画。これは、毎年12月の第1日曜日に大阪城ホールで行われている一般公募型による大規模な「第九」イベント。1983(昭和58)年にスタートしたもので、1998(平成10)年の第16回まで連続して構成・総監督・指揮を務めてきた。それまでのクラシック音楽のコンサートの常識では考えられなかった巨大規模の「第九」コンサートとなっただけに、クラシック音楽界はもとより世間からも注目を集めた。(第1回公演の実現まで参照)
このほか、NHKのFMラジオ放送「FMシンフォニー・コンサート」(番組そのものは2005年時点迄継続)の司会を務めたほか、1972(昭和47)年には小澤征爾とともに新日本フィルハーモニー交響楽団を結成、指揮者兼幹事となる。1979(昭和54)年、1980(昭和55)年には2度にわたり、日本人として初めてボストンポップスを指揮している。
長髪と口ひげ、黒縁眼鏡と豪快な明るい笑い声がトレードマークであった。また、クラシックという分野での実力者であるにも関わらず、その自由奔放なキャラクターからタレントとしての一面も活かし、森永製菓「エールチョコレート」のCMソング『大きいことはいいことだ!!』などCM曲も手掛けるなど幅広く活躍をしたが、普通の人にはとっつきにくいクラシック音楽の普及・大衆化に力を注いだ功績は非常に大きい。
昔は、このようなきっちりとした基礎の出来た実力のある人がその使命感のようなものから、テレビなどに出てそのタレント性を生かして目的を遂げようとしている人が見られたが、最近のテレビではそのような人は見られなくなってしまった。局側の企画力もなくなったのか、斬新な番組も少なくなったし、出演している人たちにもきっちりと基礎をつんだ人の真面目な芸を見せるといった番組というものがなくなってしまったのは残念だね~。誰かが、テレビが出現した時に「一億総白痴化」が始まったと皮肉を言ったが、その後、良い番組もあり、ある面でテレビが見直された時期もあったが、今や、いよいよ一億総白痴化が始まったといった感じがする。
(画像は、新日本フィル第1回ペンション・ファンド・コンサートのチラシ。1990年12月)
参考:
山本直純 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E7%9B%B4%E7%B4%94
渥美清 男はつらいよ - goo 音楽
http://music.goo.ne.jp/cd/528894-1/index.html
二木紘三「MIDI歌声喫茶」
http://www.duarbo.jp/songs.htm
党歌「われら」(自由民主党)
http://www.jimin.jp/jimin/jimin/touka/index.html
一億総白痴化 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%84%84%E7%B7%8F%E7%99%BD%E7%97%B4%E5%8C%96