【特別エッセイ】落語のしあわせ
(2016.5.14 第13回弁天寄席パンフレット掲載)
あまりに可笑しいと、人間は立っていられなくなる。座ってもいられなくなる。それが畳の上なら、そこに倒れて、畳を叩いて、文字通り笑い転げる、というハメになる。
子どものころ、テレビを見ては畳の上で笑い転げていた。それは「てんやわんや」の漫才であったり、「コント55号」のコントであったりしたが、落語ではなかった。
落語で笑い転げたのは、近ごろでは、三遊亭遊雀の『初天神』だ。これでもかとぶち込んで来るギャグ(?)はあくどくさえあったが、港南区民センター「ひまわりの郷」の椅子からずり落ちそうになるほど、笑い転げた。
そう! 座っていると、椅子からずり落ちそうになるのである。そういう女性を見たことがある。十年ほど前、TBSの何とかスタジオで柳家花緑の落語だった。演題は忘れたが、その枕がひどく可笑しくて、ぼくは息が苦しくなるほど笑ったが、ちょっと前に座っていた若い女性がほとんど椅子からずり落ちそうになって笑い転げていた。彼女はほとんど呼吸困難状態だった。
そして直近で椅子からずり落ちそうなるどころか、実際にずり落ちたのを目撃したのが、柳家ろべえさんの栄光学園での落語教室だった。今から五年ほど前だったろうか、当時中学一年生の国語を担当していたぼくは、殊勝にも生徒に落語を聞かせようと思い立ち、ろべえさんに来ていただいたのだ。山本進先生にも解説をお願いしたあと、『のめる』と『転失気』をやっていただいた。
子どもに落語を聞かせるという経験のまったくなかったぼくは、ろべえさんには失礼ながら、受けなかったらどうしようと、かなり本気で心配していた。ところが、『のめる』で落語の可笑しさを知ってしまった生徒は、『転失気』になると、もう場内は割れんばかりの爆笑の坩堝と化し、前の方に座っていた生徒が何人も椅子からずり落ち、本当に床に転がってしまったのだった。それを見たとき、ぼくは子どもころの「しあわせ」を思い出して、とてもしあわせになった。