源氏物語・若紫の巻より
半紙
日もいと長きにつれづれなれば、夕暮れのいたう霞たるにまぎれて
かの小柴垣のもとに立ち出で給ふ。
人々は返し給ひて、惟光(これみつ)の朝臣とのぞき給へば、
ただこの西面(にしおもて)にしも、持仏据ゑ奉り行ふ尼なりけり。
簾(すだれ)少し上げて、花奉るめり。
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【口語訳】
春の日も暮れがたくて、所在ないものだから、夕暮のたいそう霞んでいるのに紛れて、
例の小柴垣のあたりにお立ち出でになる。
供人たちはお帰しになって、惟光朝臣と垣の内をおのぞきになると、
すぐそこの西面の部屋に、持仏をお据え申して、お勤めをしている、それは尼であった。
簾を少し巻き上げて、花をお供えしているようである。
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マラリアにかかってしまった源氏は、北山に隠栖している有名な僧侶の治療を受けるために出かける。
その「治療」の合間に、山の上から下を見おろすと、なんかいい感じの屋敷がある。
そこにどうも女性が住んでいるらしいと考えた源氏は、友達の惟光と一緒に
夕暮れの薄暗がりの中、その家の垣根のスキマから中を覗く。
これが「垣間見(かいまみ)」です。
今なら不審者として通報されるところ。
その垣根のスキマから見える中の様子の描写がとても素晴らしいので
この部分は高校の古文の教科書には必ずといっていいほど載っています。
「覗き」のシーンなので、「教育的」ではないのですが
「世界の源氏物語」ですから、さすがの文科省も「ダメ」って言えないのでしょう。
ここに登場してくる「尼君」こそ、後の紫の上のお祖母さん。
どこか具合が悪いらしく、ぐったりしている様子がこの部分の次で語られます。
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「尼なりけり」の「けり」は、「発見のけり」といって、
「尼だったのだ!」というほどのニュアンスがあります。
たぶん、若い女性の存在を期待していた源氏たちにとっては
「なんだ、がっかり!」ってとこなのでしょうが、
その気持ちがこの「けり」で見事に表現されています。
また「花奉るめり」の「めり」は「推定の助動詞」なのですが
目に入ってくる情報によって「推定」する時に使われます。
つまり、ここでは垣根のスキマから覗いているわけですし
夕闇が迫っているのですから、はっきりとは見えないわけです。
でも、ぼんやりと、あるいはチラチラと見える。
そこで「めり」を使っているわけです。
やっぱり、日本の古典は、原文で読みたいものですね。