日本近代文学の森へ (68) 田山花袋『蒲団』 15 ハガキと手紙
2018.12.5
芳子の恋人は、とにかく故郷へ帰ったので、時雄の気持ちもだいぶおさまり、女房のほうでもすっかり安心して、平和な生活がしばらく続いたのだが、恋人たちの手紙のやりとりは頻繁である。あまりにぶ厚い手紙だったりすると、時雄は気になって、こっそり盗み読んだりする。とんでもない「師」である。
空想から空想、その空想はいつか長い手紙となって京都に行った。京都からも殆ど隔日のように厚い厚い封書が届いた。書いても書いても尽くされぬ二人の情──余りその文通の頻繁なのに時雄は芳子の不在を窺って、監督という口実の下にその良心を抑えて、こっそり机の抽出(ひきだし)やら文箱(ふばこ)やらをさがした。捜し出した二三通の男の手紙を走り読みに読んだ。
恋人のするような甘ったるい言葉は到る処に満ちていた。けれど時雄はそれ以上にある秘密を捜し出そうと苦心した。接吻の痕、性慾の痕が何処かに顕われておりはせぬか。神聖なる恋以上に二人の間は進歩しておりはせぬか、けれど手紙にも解らぬのは恋のまことの消息であった。
時雄の関心は、二人の恋の行方というよりも、二人がどこまで肉体的な交渉をもったかという、まことにゲスな好奇心であり、それは好奇心というレベルを超えて、もうそれだけは絶対に許さないという、「師としての使命感」の様相を呈するのだ。
そんなある日、衝撃的な「端書(ハガキ)」が届く。
ところが、ある日、時雄は芳子に宛てた一通の端書を受取った。英語で書いてある端書であった。何気なく読むと、一月ほどの生活費は準備して行く、あとは東京で衣食の職業が見附かるかどうかという意味、京都田中としてあった。時雄は胸を轟かした。平和は一時にして破れた。
晩餐後、芳子はその事を問われたのである。
芳子は困ったという風で、「先生、本当に困って了ったんですの。田中が東京に出て来ると云うのですもの、私は二度、三度まで止めて遣ったんですけれど、何だか、宗教に従事して、虚偽に生活してることが、今度の動機で、すっかり厭になって了ったとか何とかで、どうしても東京に出て来るッて言うんですよ」
「東京に来て、何をするつもりなんだ?」
「文学を遣りたいと──」
「文学? 文学ッて、何だ。小説を書こうと言うのか」
「え、そうでしょう……」
「馬鹿な!」
と時雄は一喝した。
「本当に困って了うんですの」
「貴嬢(あなた)はそんなことを勧めたんじゃないか」
「いいえ」と烈しく首を振って、「私はそんなこと……私は今の場合困るから、せめて同志社だけでも卒業してくれッて、この間初めに申して来た時に達(た)って止めて遣ったんですけれど……もうすっかり独断でそうして了ったんですッて。今更取かえしがつかぬようになって了ったんですッて」
「どうして?」
「神戸の信者で、神戸の教会の為めに、田中に学資を出してくれている神津という人があるのですの。その人に、田中が宗教は自分には出来ぬから、将来文学で立とうと思う。どうか東京に出してくれと言って遣ったんですの。すると大層怒って、それならもう構わぬ、勝手にしろと言われて、すっかり支度をしてしまったんですって、本当に困って了いますの」
「馬鹿な!」
と言ったが、「今一度留めて遣んなさい。小説で立とうなんて思ったッて、とても駄目だ、全く空想だ、空想の極端だ。それに、田中が此方(こっち)に出て来ていては、貴嬢の監督上、私が非常に困る。貴嬢の世話も出来んようになるから、厳しく止めて遣んなさい!」
芳子は愈ゝ(いよいよ)困ったという風で、「止めてはやりますけれど、手紙が行違いになるかも知れませんから」
「行違い? それじゃもう来るのか」
時雄は眼をみはった。
「今来た手紙に、もう手紙をよこしてくれても行違いになるからと言ってよこしたんですから」
「今来た手紙ッて、さっきの端書の又後に来たのか」
芳子は点頭(うなず)いた。
「困ったね。だから若い空想家は駄目だと言うんだ」
平和は再び攪乱(かきみだ)さるることとなった。
この時雄と芳子のやりとりを読んでいると、思わず笑ってしまう。時雄の言葉はどこまでもマジメでユーモアの欠片すらないのに、可笑しい。マジメな人が、マジメに怒ると、どこかにおかしさが生じるものだ。
時雄がなんでマジメなんだ? イヤラシさ満載のフマジメまオッサンじゃないかと思う方も多いと思うが、時雄は決してちゃらんぽらんな男ではない。妄想は「フマジメ」な方へ広がるが、その妄想に対して厳格なほどマジメなのだ。吉田精一の言葉を借りて言うなら
「あくまで自己に正直」なのだ。正直すぎて、自己矛盾に気づくいとまもないわけだ。
女弟子の恋人田中が、文学をやりたいと言っていると聞いて、時雄は、真っ向から反対する。田中がどんな文章を書き、どんな人間なのかも知らないのに、頭から反対だ。「とても駄目だ。」「全く空想だ。」「空想の極端だ。」と叫び散らす。まあ、自分の小説がまったく駄目で困っているわけだから、気持ちは分かるけれど、二人まとめて文学の方も指導してやればいいじゃんって、意地悪く思ったりもする。
時雄の本音はもちろん、芳子を独占したいということだけだ。「田中が此方に出て来ていては、貴嬢の監督上、私が非常に困る。貴嬢の世話も出来んようになる」というのも結局は建前で、田中に芳子をとられてしまうのが嫌なだけだ、ということがみえみえで、ほんとうに「自己に正直」なんだなあと感心してしまう。
それよりも、おもしろいのは、ハガキと手紙だ。田中はなぜハガキで、しかも英語で、そんなことを書いてきたのだろう。ハガキなんかに書いたら時雄の目に入ることはしれたこと。田中は時雄の気持ちはまったく知らないのだから、それはいいとしても、それならなぜ英語で書くのか。ただキザなだけなのだろうか。よく分からない。
そのハガキを見て、時雄は驚愕する。せっかく田舎に帰ったのに、また来るのか! ジャマなやろうだ。時雄は必死で芳子に、こっちへ来るを阻止せよと言うのだが、手紙を出しても、「行き違い」になるかもしれないと「言ってよこした」という。時雄はその言葉に混乱する。いつそんなことを「言ってよこした」のか。ハガキにはそんなことは書いてなかった、と思うのだ。すると、「今来た手紙」にそう書いてあったという。「今来た手紙ッて、さっきの端書の又後に来たのか」という時雄の言葉にも笑ってしまう。ハガキを出した直後にすぐに手紙を書いた田中という男も、よほど切羽詰まったのかもしれないが、そういうハガキだの手紙だのが、ランダムに届くという状況は、当時は当然のことだが、今の「通信事情」を考えると、ほんとうに隔世の感がある。ほとんど別世界だ。そしてこの「情報の混乱」が、そのまま時雄の心の混乱につながっているようで、おもしろい。
そういえば、『泡鳴五部作』でも、「お鳥」が北海道へやってくるという知らせを受けて、彼女がどこにいるのか、どうしたら連絡できるのかで、すったもんだするところがあった。そこにもいらだたしい混乱があった。やっぱり、「携帯電話」は、世界を変えたんだなあとしみじみしてしまう。