日本近代文学の森へ (67) 田山花袋『蒲団』 14 「考えない人」
2018.12.3
ここで、ちょっと本文を外れて、吉田精一の文章を紹介しておきたい。『田舎教師』のときも、この一部を引用したが、実に正確に花袋の文学の本質をついている。
ルソオはその「懺悔録」の冒頭に云ふ。
私のやらうとしてゐるのは、嘗て先例のないことで、これからも恐らく真似手があるまい。それは人間ひとり素裸にして世間の人達の目の前に晒者にしようといふのだ。さうしてその人間が私自身なのである。(略)いつの日、最後の審判の喇叭が鳴り渡るとも、私はこの一冊を携へて、審判者なる神の前に出で、高らかに声を挙げて云はうと思ふ。──斯く予は為しき、斯く予はありき。……虚妄と知りしものを、真実となしたることは断じてあらず、時には低劣下賤なる人間として、時には善良なる、寛大なる人間として、ありまゝに自らを曝露せり。……
ルソオはわが国の文学にも強い影響を及ぼした。ことに藤村や花袋にそれが強い。自我の告白と懺悔、そこにひそむ倫理的要求は、他の誰よりもこの二人のものであった。藤村は「藤村詩集」の一巻に、その主観の跳梁と、感傷を流し棄てて散文に立ち向かひ、やや客観的な姿勢をとったが、花袋は空想と感傷のうちに溺れつつ、自己と個性に執着しつづけた。彼は自我を客観的に形象化し得ぬロマンチックな詩人的小説家として出発した。しかし誰はばからぬその感傷の露出は、紅葉等硯友社になく、二葉亭になく、風葉、天外等にないものであった。時代の波に動かされながら、外国文学通と呼ばれながら、常に彼は自我の観照と詠歎から離れ得なかった。彼の自我は貧しく、常に肥え太らなかった。想像力は貧弱で、情熱も強くない。文学的才能として凡ての点でルソオに劣りながら、自然に対する親しみと愛のみは近いものがあった。むしろ彼はロマンチックな風景詩人だった。この花袋の本然の傾向は、硯友社文学のアンチテーゼであった。不自然と作為を脱して、素朴と自然なものを求める彼の本来の志向は、必然的に有限な世相や社会を越えて、永遠なるもの、無限なるものにあこがれた。それらは冷酷な現実には見出されず、つねに期待のうちにしか存在しないところから、結果として、憂鬱と感傷の中にかきくれざるをえない。花袋初期の作風の基調は、一言でいへばここに存するのである。
彼は「考へるより先ず感じ」る作家であり、感じなければ考へない人だった。このことが彼を、あくまで自己に正直な、自己の問題しか興味をもち得ない、主観的詩人的作家にした。それは彼のスケールを小さくし、又彼を千篇一律な主観詩人とした。たまたま外国作家や作品からフィクションをかりると、それはとってつけたやうな主題とはなればなれのものとなり、その不器用さを現したのである。にも係はらず、この自我に執する個人主観的態度は、その中につくりものの客観的描写にない、誠実さと主観的真実を含んでいたのである。それはロマンチック・レアリズムともいふべきものだった。自我をつきはなしそれを分析しえない彼に批判は弱く、告白があるばかりだった。
(吉田精一『自然主義の研究』)
これを簡単にいえば、花袋は、才能も想像力もない凡庸な作家で、そのうえ、思考能力にも欠ける人だったが、自分が感じたことだけは無類の正直さで書いた。そしてそこになかなか他の文学作品にはない真実があったのだ、ということになろう。
「感じなければ考えない」というのは、言い得て妙で、つまりは、「ほとんど考えない」ということだ。だって「考えるよりは先ず感じる」人なんだから、「感じる」ことが常に「考える」ことに優先する。とすれば、「考える」ひまなんてないわけである。
もちろん、まったく考えないなどということはないだろうけど、「考え」は、「感じ」にいつも負けるし、その結果いつのまにか、考えることを忘れている、というわけだ。
これを『蒲団』にあてはめてみれば、心ゆくまで納得される。時雄にとっては、すべての場面で「感じる」ことが優先されてしまう。自分が「感じたこと」、それを時雄は「事実」と呼び、「事実なんだからしょうがない」として「考える」ことを放棄してしまうのある。
吉田精一もいうように、「自己の問題にしか興味をもち得ない」から、妻の嘆きとか、弟子の芳子の困惑とか、芳子の恋人の苦悩など、「描写」はするけれど、その中に入り込むことはできない。「想像力が貧弱」だからである。
それが自分のこととなると、もうやたらに精密だ。微に入り細に入り、重箱の隅をつつくような執拗さで、自分の「感じたこと」を書き尽くしている。
前回の、引っ越しの場面で、芳子の蒲団をしまうとき、そこに「女の移り香」を嗅いで、「変な気になった」なんてところは、普通は書かない。「変な気になる」ことは、誰にもあってもおかしくないし、それほど「変態的」なことでもない。ただ、そのときの「感じ」を、しつこく覚えていて、それがラストになって、思い出され、具体的な行為に及ぶとなると、その「感じ方」は尋常なものではない。自分の「感じたこと」への執着がやはり異常に強く、「そんな恥ずかしいことは、やっぱり隠しておこう。」と「考える」ことがない。
仮にも弟子としてとった女に、若い恋人ができたからといって、狂ったように酒に溺れて暴れ、弟子を執拗に問い詰めるなどという「大人げない」始末になってしまうことの「恥ずかしさ」「面目なさ」を、時雄は「考える」ことができない。恥ずかしい、面目ないと思ってはいるのだろうが、いつも、「感じたこと=事実」に負けてしまうのだ。
吉田のいう「ロマンチック・レアリズム」というのは、「涙に濡れたレアリズム」ってことだろうか。レアリズムというからには、冷静に現実を見つめ、その本質をえぐり出さなければならない。けれども、そうしようと思いつつ、いつも泣いているから──つまり感傷から自由になれないから──現実がちゃんと見えない。ちゃんと見えないから分析もできない。つまりは、そんなのはぜんぜんレアリズムじゃないのだ。時雄の叫ぶ「事実」が、「事実」でもなんでもないのと同じように、「ロマンチック」じゃ、リアルになれない、ってことだ。それをあえて「ロマンチック・レアリズム」と言ってみせる吉田精一も、お茶目な人だ。
それにしても、吉田精一のいうとおり、花袋が「考えない人」だったとしても、それを難詰したり嘲笑したりすることはどうもぼくにはできない。それというのも、ぼくもまた「考えるへるより先ず感じる」人間であり、「感じなければ考えない」人間であるからだ。そればかりか、自我が弱いとか、想像力が貧困だとか、文学的才能に劣るとか、なんだか全部ぼくのことを言われているような気になる。自然に対する愛と親しみはルソオに近い(まあ、ぼくの場合はそれすら中途半端だが)というところまで似ている。だから、花袋のことを考えることは、必然的に己を反省することにもなるのである。