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一日一書 1506 この秋は何で年寄る雲に鳥・芭蕉

2018-12-02 21:34:49 | 一日一書

芭蕉

 

この秋は何で年寄る雲に鳥

 

半紙

 

 

【句解】

今年の秋は、なぜに、自分の衰老のことが、こうも気にかかるのであろうか。

晩秋の雲にさそわれて、ああ、鳥はあのように旅を続けているのに。

(『俳句の解釈と鑑賞事典』(旺文社・1979)

 

 

秋も、知らぬ間におわり

もう、冬。

「何で年寄る」は、まことに実感ですが

まあ、しょうがない。

ボチボチいきますかね。

 

 

 

 

 

 

 

 


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日本近代文学の森へ (66) 田山花袋『蒲団』 13  「複数」の問題

2018-12-02 10:32:44 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (66) 田山花袋『蒲団』 13  「複数」の問題

2018.12.2


 

 芳子を住まわせている妻の姉の家に着いたが、芳子はまだ帰ってこない。いったい芳子はどこで何をしているのかと時雄はヤキモキする。待つこと一時間半、ようやく芳子が帰ってくる。


 下駄の音がする度に、今度こそは! 今度こそは! と待渡ったが、十一時が打って間もなく、小きざみな、軽い後歯(あとば)の音が静かな夜を遠く響いて来た。
「今度のこそ、芳子さんですよ」
 と姉は言った。
 果してその足音が家の入口の前に留って、がらがらと格子が開く。
「芳子さん?」
「ええ」
 と艶(あで)やかな声がする。
 玄関から丈の高い庇髪の美しい姿がすっと入って来たが、
「あら、まア、先生!」
 と声を立てた。その声には驚愕(おどろき)と当惑の調子が十分に籠っていた。
「大変遅くなって……」と言って、座敷と居間との間の閾の処に来て、半ば坐って、ちらりと電光のように時雄の顔色(かおつき)を窺ったが、すぐ紫の袱紗に何か包んだものを出して、黙って姉の方に押遣った。
「何ですか……お土産? いつもお気の毒ね?」
「いいえ、私も召上るんですもの」
 と芳子は快活に言った。そして次の間へ行こうとしたのを、無理に洋燈の明るい眩しい居間の一隅(かたすみ)に坐らせた。美しい姿、当世流の庇髪、派手なネルにオリイヴ色の夏帯を形よく緊(し)めて、少し斜(はす)に坐った艶やかさ。時雄はその姿と相対して、一種状(じょう)すべからざる満足を胸に感じ、今までの煩悶と苦痛とを半ば忘れて了った。有力な敵があっても、その恋人をだに占領すれば、それで心の安まるのは恋する者の常態である。


 下駄の音で帰宅がわかるってのも、いいもんだなあと思う。「後歯の音」というのがイマイチ分からないけど。小走りになると「後歯」だけが地に着くのだろうか。(と書いてアップしちゃったけど、いくらなんでも、そんな不安定な小走りはないよなあと思って、辞書を調べたら、「①下駄の後ろの歯。②前の歯と台は同じ材で作り、後ろの歯を差し入れた女性用の下駄。」(デジタル大辞泉)とあった。あきらかにこれは②の方。訂正します。)「その足音が家の入口の前に留って、がらがらと格子が開く。」ってのもいい。下駄の後歯の音(じゃなくて、後歯の下駄ね)といい、格子戸のガラガラと開く音といい、これを英語とかフランス語に訳すとしたら、どうしたらいいのだろうか。俳句や短歌の翻訳の不可能性ということはよく言われるけど、小説だって、無理だよね。どんなに内容がつまらなくても、ぼくがどうしても日本文学に魅力を感じるのは、こうした「翻訳不可能」な言葉や言葉遣いがあるからだ。

 それにしても、芳子は19歳。時雄は35、6歳。時雄にとって、芳子がどうしようもなく魅力的にうつるのは、まあ、しょうがないよなあとは思う。子育てに懸命で、亭主のことなんてジャマだぐらいにしか思わない(だって、手伝おうとすらしないんだからね)、化粧っ気のない古女房なんて、どうしたって勝ち目はない。

 芳子に自分の家に戻ってくるように説得すると、この姉の家の旧式なのがあんまり気に入っていなかったので、すぐに同意する。先生の家のほうが気が楽だというのだ。ということは、芳子は時雄にまったく気がないということだ。先生は自分たちの恋の庇護者なんだから、その先生の家に住むほうがいいというわけなのだが、時雄はそういう芳子の気持ちは分かっているけど、それはそれとして、とにかく芳子を身近においておきたい。身近において監視せねばならないという口実のもとに、ただただ芳子のそばにいたいのだ。

その晩は、そのまま姉の家に泊まった。


 今夜にもと時雄の言出したのを、だって、もう十二時だ、明日にした方が宜(よ)かろうとの姉の注意。で、時雄は一人で牛込に帰ろうとしたが、どうも不安心で為方がないような気がしたので、夜の更けたのを口実に、姉の家に泊って、明朝早く一緒に行くことにした。
 芳子は八畳に、時雄は六畳に姉と床を並べて寝た。やがて姉の小さい鼾(いびき)が聞えた。時計は一時をカンと鳴った。八畳では寝つかれぬと覚しく、おりおり高い長大息(ためいき)の気勢(けはい)がする。甲武の貨物列車が凄じい地響を立てて、この深夜を独り通る。時雄も久しく眠られなかった。

 

 「どうも不安心で為方がないような気がした」から、そのまま姉の家に泊まったというのも、田中がその晩にでも来やしないかと心配したわけだろうが、常軌を逸した心配のしかただ。何もそんなに急がなくてもと思うのだが、翌朝、さっそく引っ越しをさせる。たいした荷物もないから、あっという間に引っ越しは終わるのだが、この引っ越しの場面に、例のラストへの「伏線」が張られている。


机を南の窓の下、本箱をその左に、上に鏡やら紅皿やら罎やらを順序よく並べた。押入の一方には支那鞄、柳行李、更紗の蒲団夜具の一組を他の一方に入れようとした時、女の移香が鼻を撲ったので、時雄は変な気になった。

 

 この「変な気」が、ラストにもう一度出て来るわけである。やっぱり、嫌な感じである。
 引っ越しも一段落すると、さっそく時雄は、芳子に説教をする。


「どうです、此処も居心は悪くないでしょう」時雄は得意そうに笑って、「此処に居て、まア緩(ゆっ)くり勉強するです。本当に実際問題に触れてつまらなく苦労したって為方がないですからねえ」
「え……」と芳子は頭を垂れた。
「後で詳しく聞きましょうが、今の中は二人共じっとして勉強していなくては、為方がないですからね」
「え……」と言って、芳子は顔を挙げて、「それで先生、私達もそう思って、今はお互に勉強して、将来に希望を持って、親の許諾(ゆるし)をも得たいと存じておりますの!」
「それが好いです。今、余り騒ぐと、人にも親にも誤解されて了って、折角の真面目な希望も遂げられなくなりますから」
「ですから、ね、先生、私は一心になって勉強しようと思いますの。田中もそう申しておりました。それから、先生に是非お目にかかってお礼を申上げなければ済まないと申しておりましたけれど……よく申上げてくれッて……」
「いや……」
 時雄は芳子の言葉の中に、「私共」と複数を遣(つか)うのと、もう公然許嫁(いいなずけ)の約束でもしたかのように言うのとを不快に思った。まだ、十九か二十の妙齢の処女が、こうした言葉を口にするのを怪しんだ。時雄は時代の推移(おしうつ)ったのを今更のように感じた。当世の女学生気質のいかに自分等の恋した時代の処女気質と異っているかを思った。勿論、この女学生気質を時雄は主義の上、趣味の上から喜んで見ていたのは事実である。昔のような教育を受けては、到底今の明治の男子の妻としては立って行かれぬ。女子も立たねばならぬ、意志の力を十分に養わねばならぬとはかれの持論である。この持論をかれは芳子に向っても尠(すくな)からず鼓吹した。けれどこの新派のハイカラの実行を見てはさすがに眉を顰めずにはいられなかった。


「ゆっくり勉強するです。」とか、「それが好いです。」とかいった言い方は、今からするとちょっと変だが、当時はこういう言い方が一般的だったのだろうか。
時雄は、女の「新しい生き方」を鼓吹した。それを、芳子にも説いた。それなのに、芳子が「私達」(時雄は、「私共」と言い換えているが、「私共」の方が「正しい」言い方だろう。)という言葉を使うだけでも不快を感じるのだ。前にも、芳子が「複数」を使って自分たちのことを語ることに怒っていた時雄である。自分と恋人を「複数」で語るということが、当世の「女学生気質」だというのだが、それなら、「自分等の恋した時代の処女気質」とは、いったいどういうものだったのだろうか。

 たとえ恋人同士となったとしても、他人に対しては、けっして「私達」などという複数では語らない。「許嫁の約束」でもしないかぎり、自分たちが「一体」であることを言葉でも示すことはできなかったということだろうか。

 男女のペアは、「ペア」として、生きた有機体とは認められなかったということだろうか。生きた有機体とは、ヘンテコな言い方だが、つまり、恋する者同士は、お互いに対等な人間としてひとつの「からだ」を有するということだ。「私達」の意志は、男の意志でもあり、同時に女の意志でもある、ということだ。「恋人たち」は、世間に対して、そうした「生きた有機体」として立ち向かうことはできなかった。若い娘は、男に恋をしても、その関係を「私達」という複数で公にはしなかったということだろうか。

 それはつまり、女性が結局のところ男の付属物のようなものとしてしか考えられていないということを物語るような気がする。恋人同士でも、決して女性が「私達」などとは言えない空気。女性が「私達は」と言えば、なんか、女性が前にしゃしゃり出てきて、ナマイキな感じがする、という感覚。女性は常に、うしろに控えているべきで、たとえば夫婦のことを話すにしても、「私達」と言えるのはあくまで男性なのだ。というよりは、当時の男性は、そもそも「私達」とは言わなかったのではなかろうか。「私は」ですんだのだ、たぶん。女房の言い分なんて、最初から考慮しない男たちがほとんどだったのではなかろうか。

 時雄が言う「この新派のハイカラの実行」が何を指すかといえば、この場面では、自分たちのことを「私達」と言ったことと、「公然許嫁(いいなずけ)の約束でもしたかのように言う」ことだけだ。後者は「今はお互に勉強して、将来に希望を持って、親の許諾(ゆるし)をも得たいと存じておりますの」という言葉だけど、それらのことを、時雄は「まだ、十九か二十の妙齢の処女が、こうした言葉を口にするのを怪しんだ。」というのだ。まったく、「新派のハイカラ」が聞いて呆れる。自分では「新しい」つもりの時雄だが、その「思想」は、旧態依然たるものである。いくら頭の中が新しくても、それを現実に応用できないんじゃしょうがいない。この程度のことを「新派のハイカラ」だとして「眉を顰める」師に、弟子はいったい何を学んだらいいのだろう。

 まあ、なんだかんだとイチャモンつけている時雄だが、要するに、芳子に恋人がいるのが我慢ならないだけのこと。それを、なんやかやと理屈をこねているわけなのだ。

 東京へ来ていた田中は、結局、時雄ともあわずに帰っていき、時雄と芳子には、穏やかな日々がしばらく続く。時雄の女房も、芳子に恋人がいることがはっきりしたので、安心したわけである。まあ、それは、普通の成り行きというものだろう。





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