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日本近代文学の森へ (75) 田山花袋『蒲団』 22  腐りきった大人たち

2018-12-27 12:06:25 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (75) 田山花袋『蒲団』 22  腐りきった大人たち

2018.12.27


 

 煩悶、懊悩のうちに一夜を明かした時雄だったが、芳子もまた寝られなかったのか、昼になっても二階の部屋から降りてこない。様子を見に行った細君が、芳子は手紙を書いていると言うので、田中に書いているのだと思った時雄は激高して二階へ行くが、芳子は、「先生、後生ですから、もう、少し待って下さい。手紙に書いて、さし上げますから」という。時雄に手紙を書いていたのだった。しばらくしてその手紙を下女がもってきた。


先生、
私は堕落女学生です。私は先生の御厚意を利用して、先生を欺きました。その罪はいくらお詫びしても許されませぬほど大きいと思います。先生、どうか弱いものと思ってお憐み下さい。先生に教えて頂いた新しい明治の女子としての務め、それを私は行っておりませんでした。矢張私は旧派の女、新しい思想を行う勇気を持っておりませんでした。私は田中に相談しまして、どんなことがあってもこの事ばかりは人に打明けまい。過ぎたことは為方が無いが、これからは清浄な恋を続けようと約束したのです。けれど、先生、先生の御煩悶が皆な私の至らない為であると思いますと、じっとしてはいられません。今日は終日そのことで胸を痛めました。どうか先生、この憐れなる女をお憐み下さいまし。先生にお縋り申すより他、私には道が無いので御座います。
  芳子
    先生 おもと


 「先生に教えて頂いた新しい明治の女子としての務め、それを私は行っておりませんでした。矢張私は旧派の女、新しい思想を行う勇気を持っておりませんでした。」ということの意味がよく分からない。「新しい明治の女子としての務め」とは、何を指すのか。「あくまで神聖なる霊の恋、清浄な恋を貫くこと」を時雄は教えたということだろうか。けれども自分は「旧派の女」なので、恋人に肉を許してしまった、ということなのだろうか。そして芳子は、時雄が煩悶しているのは、自分がその先生の教えを守らなかったために怒っていると思っているのだろうか。芳子はほんとうに、時雄の胸のうち、その燃える恋に気づいていないのだろうか。ここがどうにも読み取れないところだ。

 こんなに身近に接していながら、芳子が時雄の気持ちに気づかないというのは、よほど時雄が自分の気持ちを抑制し、おくびにも出さなかったからなのか、それとも、芳子が田中に夢中で時雄などまったく眼中になかったかのどちらかだろうが、やっぱり後者だろう。芳子にとっての時雄は、厳しい師以外の何者でもなかったのだろう。

 と考えてはみるが、いくら田中という恋人に夢中になっていたとはいえ、時雄の気持ちにまったく気づかないというのも、なんか不自然な感じもする。やはりこの小説は、ほとんど「私小説」のようなもので、芳子の内面については、まったくといっていいほど書かれていないのだから仕方のないことではあるのだが。

 いずれにしても、この手紙は、自分の嘘を告白し、時雄に憐れみを乞い、なんとか自分たちの恋を成就させてくださいとの切なる願いのこもった手紙である。けれども、時雄は、その芳子の真意を汲もうともしなかった。いや、その余裕がなかったというのだ。時雄の「激した心」は、ただただ田中に芳子を犯されたことへの悔しさで満たされていたのだ。


 時雄は今更に地の底にこの身を沈めらるるかと思った。手紙を持って立上った。その激した心には、芳子がこの懺悔を敢てした理由──総てを打明けて縋ろうとした態度を解釈する余裕が無かった。二階の階梯をけたたましく踏鳴らして上って、芳子の打伏している机の傍に厳然として坐った。
「こうなっては、もう為方がない。私はもうどうすることも出来ぬ。この手紙はあなたに返す、この事に就いては、誓って何人にも沈黙を守る。とにかく、あなたが師として私を信頼した態度は新しい日本の女として恥しくない。けれどこうなっては、あなたが国に帰るのが至当だ。今夜──これから直ぐ父様の処に行きましょう、そして一伍一什(いちぶしじゅう)を話して、早速、国に帰るようにした方が好い」
 で、飯を食い了るとすぐ、支度をして家を出た。芳子の胸にさまざまの不服、不平、悲哀が溢れたであろうが、しかも時雄の厳かなる命令に背くわけには行かなかった。市ヶ谷から電車に乗った。二人相並んで座を取ったが、しかも一語をも言葉を交えなかった。山下門で下りて、京橋の旅館に行くと、父親は都合よく在宅していた。一伍一什──父親は特に怒りもしなかった。唯同行して帰国するのをなるべく避けたいらしかったが、しかもそれより他に路は無かった。芳子は泣きも笑いもせず、唯、運命の奇しきに呆るるという風であった。時雄は捨てた積りで芳子を自分に任せることは出来ぬかと言ったが、父親は当人が親を捨ててもというならばいざ知らず、普通の状態に於いては無論許そうとは為なかった。芳子もまた親を捨ててまでも、帰国を拒むほどの決心が附いておらなかった。で、時雄は芳子を父親に預けて帰宅した。


 「あなたが師として私を信頼した態度は新しい日本の女として恥しくない」ってどういうことかさっぱり分からない。それじゃ、時雄が「師として芳子を我が物にしたいと熱望した態度」は、日本の男として「恥ずかしくない」のか。そんなことはないだろう。十分「恥ずかしい男」が、恥ずかしげもなくこんな御託を並べるわけだ。

 「こうなっては」っというのは、「あなたが田中と通じたことを認めたからには」ということで、その結果として「国に帰るのが至当」とはこれいかに。なんで恋人と寝たら、国に帰らなきゃならないの? って話だけど、まあ、男女で夜道を歩いていても警官にとがめられる時代ということを考えれば、親の認めない「婚外交渉」なんて、絶対あってはならないということなのだろう。(ああ、「婚外交渉」なんて言葉を使う自分の古さを痛感する。)もっとも、「親の認める婚外交渉」なんてものがあるはずもなかったわけだから、時雄の言うように、「国に帰るのが至当」ということになるのかもしれない。

 まあ、こんな理屈にもならない理屈と馬鹿馬鹿しい倫理感で、芳子は、田中と結ばれることを諦め、田舎に帰っていくことになったのである。芳子は時雄によれば「唯、運命の奇しきに呆るるという風」だったということになり、やはりここでも芳子のほんとうの気持ちは書かれていない。

 時雄は、最後のあがきのように「捨てた積りで芳子を自分に任せることは出来ぬか」と父親に言うのだが、「自分に任せる」とは、言葉上は芳子を自分に任せてこの恋を成就させてはどうかという意味だろうが、下心はみえみえである。それを知ってか知らずか、父親はすげない。娘が親を捨てるならともかく、それができないならダメだということになる。芳子は親を捨てるまでの決心がない。そこが「旧派の女」ということだろうか。今の世でも、親を捨てなければ成就しない恋はたくさんある。

 話が決まると早い。時雄は芳子を父親のもとに連れていくと、さっさと帰宅してしまう。そして翌朝、田中が芳子を訪ねてくる。


 田中は翌朝時雄を訪うた。かれは大勢の既に定まったのを知らずに、己の事情の帰国に適せぬことを縷々(るる)として説こうとした。霊肉共に許した恋人の例(ならい)として、いかようにしても離れまいとするのである。
 時雄の顔には得意の色が上った。
「いや、もうその問題は決着したです。芳子が一伍一什をすっかり話した。君等は僕を欺いていたということが解った。大変な神聖な恋でしたナ」
 田中の顔は俄かに変った。羞恥の念と激昂の情と絶望の悶とがその胸を衝いた。かれは言うところを知らなかった。
「もう、止むを得んです」と時雄は言葉を続(つ)いで、「僕はこの恋に関係することが出来ません。いや、もう厭です。芳子を父親の監督に移したです」
 男は黙って坐っていた。蒼いその顔には肉の戦慄が歴々(ありあり)と見えた。不図(ふと)、急に、辞儀をして、こうしてはいられぬという態度で、此処を出て行った。

 

 何も知らない田中が芳子に会いにやってきたのを見て、「時雄の顔には得意の色が上った」とは恐れ入る。「やったぜ、ざまあみろ!」ってことだ。なんという「正直さ」だろう。そしてなんて子どもっぽい態度なんだろう。まるで小学生レベルだ。「ざんねんでした! またどうぞ!」なんて子どものころの囃子詞も思い出される。ここが一番「衝撃的」かもしれない。この酷い展開はあまりにも意外でびっくりした。以前に2回読んだときは、まったく記憶に残らなかったところだ。


 午前十時頃、父親は芳子を伴うて来た。愈ゝ(いよいよ)今夜六時の神戸急行で帰国するので、大体の荷物は後から送って貰うとして、手廻の物だけ纒(まと)めて行こうというのであった。芳子は自分の二階に上って、そのまま荷物の整理に取懸った。
 時雄の胸は激してはおったが、以前よりは軽快であった。二百余里の山川を隔てて、もうその美しい表情をも見ることが出来なくなると思うと、言うに言われぬ侘しさを感ずるが、その恋せる女を競争者の手から父親の手に移したことは尠(すくな)くとも愉快であった。で、時雄は父親と寧ろ快活に種々なる物語に耽った。父親は田舎の紳士によく見るような書画道楽、雪舟、応挙、容斎の絵画、山陽、竹田、海屋、茶山の書を愛し、その名幅を無数に蔵していた。話は自らそれに移った。平凡なる書画物語は、この一室に一時栄えた。


 つくづく時雄というヤツはフシギな男である。あれほど恋い焦がれた芳子が田舎に帰ってしまうというのに、田中との仲を裂いてやったという快感で、むしろセイセイしてしまって、ハイになってる。で、芳子の父親と書画談義に花を咲かせるのだ。

 時雄も時雄だが、父親も父親である。娘を連れて帰りたいのだが、一緒に帰るのは嫌がったり、娘の悲嘆には同情すらせずに、書画自慢をしてみたり、まったく何を考えているのやら。芳子こそ言い面の皮である。

 そこへ、田中がやってきて、どうしても芳子に会いたいという。ところが、この男どもは、すぐ二階にいる芳子に会わせようともしないのである。


田中が来て、時雄に逢いたいと言った。八畳と六畳との中じきりを閉めて、八畳で逢った。父親は六畳に居た。芳子は二階の一室に居た。
「御帰国になるんでしょうか」
「え、どうせ、帰るんでしょう」
「芳さんも一緒に」
「それはそうでしょう」
「何時ですか、お話下されますまいか」
「どうも今の場合、お話することは出来ませんナ」
「それでは一寸でも……芳さんに逢わせて頂く訳には参りますまいか」
「それは駄目でしょう」
「では、お父様は何方へお泊りですか、一寸番地をうかがいたいですが」
「それも僕には教えて好いか悪いか解らんですから」
 取附く島がない。田中は黙って暫し坐っていたが、そのまま辞儀をして去った。


 なんという底意地の悪さだろう。恋人に一目会いたいという青年を前に、いい気味だとばかり愚弄するのだ。腐りきった大人たちだ。状況は全然違うけれど、この場面、どこか、『忠臣蔵』の「松の廊下」を思い出させる。吉良が浅野をなぶるシーンだ。

 だから、いつか田中が立派な大人になったとき、自分を愚弄したにっくき男たちを、コテンパンにやっつけるシーンを待ちわびてしまうわけだ。「てめえら人間じゃねえや、叩き斬ってやる!」って、「破れ傘刀舟」みたいにね。けれども、この小説は、そんなカタルシスを用意などしない。ただただ後味の悪い結末を用意するのである。

 

 

 

 

 

 

 


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