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日本近代文学の森へ (71) 田山花袋『蒲団』 18  芳子の父親

2018-12-15 14:33:01 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (71) 田山花袋『蒲団』 18  芳子の父親

2018.12.15


 

 芳子の手紙に衝撃をうけた時雄は、芳子の父と会って話そうと思う。芳子の手紙を自分の手紙に添えて送りつけ、近況を知らせ、とにかく二人を引き離そうとしたのである。


 真面目なる解決を施さなければならぬという気になった。今までの自分の行為(おこない)の甚だ不自然で不真面目であるのに思いついた。時雄はその夜、備中の山中にある芳子の父母に寄する手紙を熱心に書いた。芳子の手紙をその中に巻込んで、二人の近況を詳しく記し、最後に、
 父たる貴下と師たる小生と当事者たる二人と相対して、此の問題を真面目に議すべき時節到来せりと存候(ぞんじそうろう)、貴下は父としての主張あるべく、芳子は芳子としての自由あるべく、小生また師としての意見有之(これあり)候、御多忙の際には有之候えども、是非々々御出京下され度(たく)、幾重にも希望仕(つかまつり)候。
 と書いて筆を結んだ。封筒に収めて備中国新見町横山兵蔵様と書いて、傍に置いて、じっとそれを見入った。この一通が運命の手だと思った。思いきって婢(おんな)を呼んで渡した。
 一日二日、時雄はその手紙の備中の山中に運ばれて行くさまを想像した。四面山で囲まれた小さな田舎町、その中央にある大きな白壁造、そこに郵便脚夫が配達すると、店に居た男がそれを奥へ持って行く。丈の高い、髯のある主人がそれを読む──運命の力は一刻毎に迫って来た。


 また「真面目」が出て来る。「真面目なる解決」とはいったい何か。「今までの自分の行為(おこない)の甚だ不自然で不真面目であるのに思いついた。」とは何か。まるで分からない。自分の行為の「不自然で不真面目」だったというのは、芳子の恋を目の当たりにしながら、親にも知らせず、指をくわえて見ていたということを言うのか。それとも、芳子に恋をしているのに、その気持ちを欺き、芳子の「庇護者」然としてふるまっていたということか。後者なら、意味は通るけれど、実際には前者なのだから、「真面目」が聞いて呆れるわけである。この際の「真面目なる解決」とは、自分にとって望ましい解決以外のなにものでもないのだ。

 父には「父としての主張」があり、芳子には「芳子としての自由」があり、自分には「師としての意見」があるとしながらも、「芳子の自由」はまるで考慮するつもりはないのだから、これ以上「不真面目」な手紙はないわけである。

 最後の段落が、まるで大小説のクライマックスみたいな書き方で、吹き出してしまう。いったい何が「運命の力」だというのか。そこにあるのは、時雄の、エゴでしかないではないか。

 時雄が東京へ帰った翌日に芳子の父からの返事が届き、父はすぐにやってきて、娘と対面する。芳子は少し風邪気味。時雄も同席した。


「芳子、暫くじゃッたのう……体は丈夫かの?」
「お父さま……」芳子は後を言い得なかった。
「今度来ます時に……」と父親は傍に坐っている時雄に語った。「佐野と御殿場でしたかナ、汽車に故障がありましてナ、二時間ほど待ちました。機関が破裂しましてナ」
「それは……」
「全速力で進行している中に、凄じい音がしたと思いましたけえ、汽車が夥(おびただ)しく傾斜してだらだらと逆行しましてナ、何事かと思いました。機関が破裂して火夫が二人とか即死した……」
「それは危険でしたナ」
「沼津から機関車を持って来てつけるまで二時間も待ちましたけえ、その間もナ、思いまして……これの為めにこうして東京に来ている途中、もしもの事があったら、芳(と今度は娘の方を見て)お前も兄弟に申訳が無かろうと思ったじゃわ」
 芳子は頭を垂れて黙っていた。
「それは危険でした。それでも別にお怪我もなくって結構でした」
「え、まア」
 父親と時雄は暫くその機関破裂のことに就いて語り合った。不図(ふと)、芳子は、
「お父様、家では皆な変ることは御座いません?」
「うむ、皆な達者じゃ」
「母さんも……」
「うむ、今度も私が忙しいけえナ、母に来て貰うように言うてじゃったが、矢張、私の方が好いじゃろうと思って……」
「兄さんも御達者?」
「うむ、あれもこの頃は少し落附いている」


 読んで目を疑うほどの、ものすごい事故である。蒸気機関車の機関が爆発して、列車は坂道を逆走し、火夫が二人も死んだのに、二時間待って機関車をつけかえて運転続行とはびっくりだ。それほどの事故が起きたら、今なら一日ぐらいは運行見合わせになるところ。昔は、鉄道の上を列車が走っているだけで、コンピュータを使って列車の運行管理なんかしてなかったわけだから、かえって復旧も早かったということだろうか。それほどの事故でも誰も知らない。明治末期のこととて、ラジオもなかったのだからしょうがないけど。ちなみに、日本最初のラジオ放送は大正14年だとのこと。

 まあ、それはそれとして、父親としては、娘に会って、そんな話でもするしかなかったのだろう。いきなり芳子の恋愛について文句を言うわけにもいかない。そのうち、昼飯となって、芳子は自分の部屋に行ってしまう。時雄は、例の話を持ち出さずにはいられない。


「で、貴方はどうしても不賛成?」
「賛成しようにもしまいにも、まだ問題になりおりませんけえ。今、仮に許して、二人一緒にするに致しても、男が二十二で、同志社の三年生では……」
「それは、そうですが、人物を御覧の上、将来の約束でも……」
「いや、約束などと、そんなことは致しますまい。私は人物を見たわけでありませんけえ、よく知りませんけどナ、女学生の上京の途次を要して途中に泊らせたり、年来の恩ある神戸教会の恩人を一朝にして捨て去ったりするような男ですけえ、とても話にはならぬと思いますじゃ。この間、芳から母へよこした手紙に、その男が苦しんでおるじゃで、どうか御察し下すって、私の学費を少くしても好いから、早稲田に通う位の金を出してくれと書いてありましたげな、何かそういう計画で芳がだまされておるんではないですかな」
「そんなことは無いでしょうと思うですが……」
「どうも怪しいことがあるです。芳子と約束が出来て、すぐ宗教が厭になって文学が好きになったと言うのも可笑しし、その後をすぐ追って出て来て、貴方などの御説諭も聞かずに、衣食に苦しんでまでもこの東京に居るなども意味がありそうですわい」
「それは恋の惑溺であるかも知れませんから善意に解釈することも出来ますが」
「それにしても許可するのせぬのとは問題になりませんけえ、結婚の約束は大きなことでして……。それにはその者の身分も調べて、此方(こっち)の身分との釣合も考えなければなりませんし、血統を調べなければなりません。それに人物が第一です。貴方の御覧になるところでは、秀才だとか仰しゃってですが……」
「いや、そう言うわけでも無かったです」
「一体、人物はどういう……」
「それは却って母さんなどが御存じだと言うことですが」
「何アに、須磨の日曜学校で一二度会ったことがある位、妻もよく知らんそうですけえ。何でも神戸では多少秀才とか何とか言われた男で、芳は女学院に居る頃から知っておるのでしょうがナ。説教や祈祷などを遣らせると、大人も及ばぬような巧いことを遣りおったそうですけえ」
「それで話が演説調になるのだ、形式的になるのだ、あの厭な上目を使うのは、祈祷をする時の表情だ」と時雄は心の中に合点した。あの厭な表情で若い女を迷わせるのだなと続いて思って厭な気がした。
「それにしても、結局はどうしましょう? 芳子さんを伴れてお帰りになりますか」
「されば……なるたけは連れて帰りたくないと思いますがナ。村に娘を伴れて突然帰ると、どうも際立って面白くありません。私も妻も種々村の慈善事業や名誉職などを遣っておりますけえ、今度のことなどがぱっとしますと、非常に困る場合もあるです……。で、私は、貴方の仰しゃる通り、出来得べくば、男を元の京都に帰して、此処一二年、娘は猶お世話になりたいと存じておりますじゃが……」
「それが好いですな」
 と時雄は言った。

 

 時雄は、父親の言うことに対して、いちいち、「そんなことはないでしょう」とか、「善意に解釈することもできますが」と反論ふうなことを口に出すわけだが、その言葉の裏に自分の思うように穏便に話を進めようとする魂胆が見え透いていてイヤラシイ。

 で、結局は、時雄の思い通りのところに落ちついた。つまり、田中を京都に帰し、芳子は一二年預かるという、まさに時雄の思う壺だったわけである。

 最後の「それが好いですな。」に、時雄の「やった!」という気持ちが手に取るように表れている。ここではもう、「そうはおっしゃっても、少しは二人の気持ちを考えてやってはどうでしょう?」と心にもないことを一応持ちかけてみる余裕もない。この父の言葉を得たからには、あとはこの線で突っ走るしかない。時雄はそう思ったのだ。





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