日本近代文学の森へ (77) 田山花袋『蒲団』 24 文学論争の楽しさ
2018.12.28
『蒲団』については、いろいろな評論家や学者がさまざまな角度から論じているので、今さらぼくが何かを論じてもしょうがないのだが、まあ、ぼくは別に研究論文を書いているわけじゃないので気楽なもので、この小説をめぐって、ああだこうだと議論されている様を眺めるのは楽しいことだ。
『蒲団』が発表されたのは、明治40年。これが当時ものすごいショッキングな反響を呼び、毀誉褒貶の嵐にさらされた。それは花袋自身が驚くほどだったという。特に島村抱月の『早稲田文学』の合評での「この一篇は肉の人、赤裸々な人間の大胆な懺悔録である。」という発言が、この『蒲団』の読まれ方を決定づけたという。つまり、島村抱月の評は、この小説が、花袋自身の「赤裸々な懺悔」だと決めつけたわけだ。以来、多くの人が、主人公の時雄は、花袋自身だと思い込んだ。そして、この小説に書かれていることは「全部事実だ」と思い込んだのだ。
平野謙は、正宗白鳥の論をこんなふうに紹介している。
正宗白鳥は昭和七年に『田山花袋論』を書き、そのなかで、「龍土会会員で西洋近代文学を耽読していた者は、少なくなかったが、田山氏以前に、自己の実生活描写を小説の本道であると解釈したものは一人もなかった」とか、「西洋の自然主義文学は、客観的分子に富んだ文学で、花袋氏の独断にかゝる自己の日常生活描写とは異なっている」とか、『蒲団』における花袋の「革命態度」の影響によってみな「自分々々の『蒲団』を書きだし、自分の恋愛沙汰色欲煩悩を蔽うところなく直写するのが、文学の本道である如く思われていた」とか、「私には、田山氏があんな創作〈『蒲団』をさす〉やあんな文学観〈『露骨なる描写』以後のエッセエ類をさす〉を発表しなかったら、自伝小説や自己告白小説があれほど盛んに。明治末期から大正を通じて、あるいは今日までも、現れはしなかったであろうと思われてならない」などと書いているのである。
要するに、明治末期から大正にかけて、自分の恥をさらすような小説が氾濫したのは、みんな花袋の『蒲団』のせいだ、というわけである。日本の自然主義文学が、西洋のそれとはまるで違ったヘンテコな方向へ行ってしまって、挙げ句の果てに、日本にしか存在しない「私小説」なんてものを生み出してしまったそもそもの原因は、『蒲団』にある。『蒲団』が諸悪の根源だと白鳥は言っているのである。
もっとも、そういう白鳥も日本の自然主義の作家だから、その作品は色濃く『蒲団』の影響を受けているはずだと推測されるのだが、白鳥の小説はまだ読んだことがないので、その辺はなんともいえない。
平野謙は更に続けて、この白鳥の批判を「理論的に完成」したのが、中村光夫の『風俗小説論』であったとして、その中村光夫の批判を紹介している。かつて読んだことのある『風俗小説論』だが、今読み返してみると、その舌鋒鋭い『蒲団』批判は、異様な熱っぽさにあふれていて非常におもしろい。そして、ぼくが授業中にちょろっと話した『蒲団』批判は、この中村の論の影響だったのだと改めて気づいた。
たとえば、中村光夫はこんなふうに批判する。
こうした「蒲団」の描写の欠陥は、たんなる技法の未熟さのためではなく、もっと根本的な作者の制作態度の間題なのです。「筋を通す道具」にすぎないのは細君だけではありません。女弟子の芳子もその愛人の田中も、要するに登場人物はみな主人公の主観的感慨を支える道具にすぎないのです。彼等の心理描写はこの小説には一言もないのです。
こういう欠陥の原因は、主人公の独白という表現形式にあるのでもありません。モノローグで深い立体感をあたえる小説の例として、僕等は書簡体、日記体の小説の傑作をいくらでもあげることができます。だから「蒲団」の読後に僕等の感じる息苦しい平板性は、そうした形式のためでなく、もっと根本的な作者の主人公に対する態度から来ています。作者と主人公とが同じ平面にいて、しかも両者の距離がほとんど零に等しいからです。作者は主人公の人物を少しも批評していないし、また主人公は作者にもっとも近親な存在だという事実にいい気になって甘えているだけです。
普通、告白は自己に対する反省を動機とします。自己批評のない告白とはそれ自体矛盾である筈なのに、我国の最初の告白小説が、まさしく作者の自己批評の喪失によって成立したのは、特異の現象として注目に価します。ゲーテの「ウェルテル」や、コンスタンの「アドルフ」のようなかけへだたった例をここに持出すまでもありません。「蒲団」の作者の主人公に対する態度は「青春」における風葉にくらべても、また「破戒」の藤村にくらべてもずっと甘いのです。風葉の場合は、作者と主人公とはいわば他人同士なのですから、「作者が残酷なまでに、最後のページまで、主人公の弱点を抉るの刀を措かなかった」のは、もとより当然かも知れませんが、「破戒」ですら、藤村が「主観的感慨を以って塗りつぶした」のはただ丑松の心理だけであり、彼の周囲にはそれとは別な作者の眼で眺められた自然と社会が拡がっています。
ところが「蒲団」では作者の自己陶酔の傀儡である主人公が作品一杯に拡がって、そのほかにほ誰もいないのです。
今まで『蒲団』を読んできた上でこれを読むと、いちいち頷けることばかりである。細君や芳子や田中の内面が書けてないなんてずいぶん言ってきたけど、「彼等の心理描写はこの小説には一言もないのです」というんじゃあ、しょうがない。
時雄のジコチュウな言動にしても、なんともいえない「すっきりしない感じ」がいつもあったのは、この「自己告白的」な小説に、「自己に対する反省」が見られないからだったとも思える。中村によれば、それは、「作者は主人公の人物を少しも批評していないし、また主人公は作者にもっとも近親な存在だという事実にいい気になって甘えているだけです。」ということになる。
どうしてそんな「甘え」が許されるのかといえば、それは、「文学という後ろ盾」があるからだとこの後に中村は書いている。普通の社会人には、こんな甘ったれは許されないけれど、オレは「文学」を書いているんだということが、その「甘え」を許しているというのだ。
こうした中村の完膚なきまでの『蒲団』批判は、しかし、『蒲団』が、「主人公=作者」の設定で書かれていること、つまり、書かれていることは全部事実だということ、を前提としているわけだが、平野謙は、そこに疑問を投げかける。ほんとうに、『蒲団』に書かれていることは全部事実なのか、フィクションはないのか、というのだ。
それというのも、実際には、この話には後日談ともいうべきものがあり、そこでは、芳子のモデルとなった岡田美知代は再び花袋の勧めで上京し、田中のモデルとなった永代静雄と結ばれて子どもを産むが、別居し、生家から勘当され、花袋の養女となり、子どもを花袋の義兄にあずけて、もう一度文学に精進するが果たせず、結局は永代と都落ちするというなんとも波乱に富んだ話なのである。
そこで、平野は言うのだ。そもそも、この『蒲団』に書かれていることが全部事実ならば、そんな男(花袋)のもとに、『蒲団』を読んだ父親が再び娘を託すだろうかと。美千代も、その父も、静雄も、みんなこの『蒲団』という小説が「事実そのものではなく小説(フィクション)だ」ということを理解していたのではなかったか、とも言うのだ。それなのに、世間では、あの島村抱月の評を真に受けて、この小説を「事実の赤裸々な告白」として読んでしまった。その間で、花袋は悩んだに違いないと、まあ、そんなふうな意見なのである。
そんな後日談があるなら、平野の言うことには、一理も二理もある。その上で、平野は最後の「蒲団をかぶって泣く」シーンに言及し、それは「嘘にきまってる」言うのだが、中村光夫はムキになって反論する。その応酬が面白いので紹介しておきたい。平野の文章でその応酬が再現されている。
中村光夫はそこで私の説をまず紹介している。第一に「白昼、シラフのまま自宅の二階の部屋に女の蒲団を敷いて、そのなかで泣いている最中に、もし細君でもあがってくれば、なんと弁明すればいいか。そういうことに全然考慮をはたらかせないこの中年男の心理は、どんな昂奮状態にあったにしろ、はなはだ非現実といわねばなるまい」という論点、第二に「食いつめたわけではあるまいし、どんなにとりみだしていたとはいえ、良家の子女が寝具類をとり片づけもせず帰郷するなどとは、常識では考えられない。机類などの梱包こそ間に合わなかったかもしれないが、身のまわりのものも始末もしないなどとは、到底考えられもしない。そういう場合、父親というものは、普通に考えられるより、よく気がつくものである。おそらく父親は運送屋にたのんで、手廻しよくすべてを国許に送り届けるくらいの手配をしたにちがいない」という論点を紹介して、「なかなか鋭い、ユーモアにとんだ着眼であり、説得力もあります。」などと一応お土砂をかけながら(注:「お土砂(どしゃ)をかける」は、「お世辞を言う」、の意)、しかし、として、おもむろに私の論拠を反駁したのである。
たしかに氏の言うように、横山芳子父子が蒲団を荷づくりもせずに帰郷するのは、常識では考えられないことでしょう。しかし、だからといって、主人公がここに書かれたようなことをした筈がないとは言えません。芳子がまだ家に寄寓している間に、彼女も細君も留守のときを狙えば、機会はいくらもあるわけです」と中村光夫は論じ、その証拠として、「机、本箱、罎、紅皿、依然として元の儘で、恋しい人はいつものように学校に行って居るのではないかと思われる」という描写をあげ、『蒲団』の末尾に「実景としてはあり得ない筈の描写が何故挿入されているかも〈こう考えれば〉説明がつきます」と断じている。そういわれれはたしかにそのとおりであって、竹中時雄という三十六歳になる中年男は、横山芳子がまだ二階に寝とまりしていたとき、その留守を狙って、こっそり机の抽斗をあけ、そのなかに捨てられた古いリボンの匂いを嗅いだり、押入れをあけて、女の寝具の襟に頻をあてたことくらいあったかもしれない。「東の窓を一枚明けたばかり、暗い一室には本やら、雑誌やら、着物やら、帯やら、罎やら、行李やら、支那鞄やらが足の踏み度もない程に散らばって居て、塵埃の香が夥しく鼻を衝く中に、芳子は眼を泣腫らして荷物の整理を為して居た」という描写がすぐ前にある以上、中村光夫の指摘するとおり、「机、本箱、罎、紅皿、依然として元の儘で」云々という描写はたしかにおかしい。まだ女が寄寓しているとき、ひそかにその留守を狙ってやった行為を、結末にまでずらせただけであって、必ずしも平野謙のいうあの結末全体を架空の妄想とは断言しがたいのじゃないか、というのが中村光夫の新しい言い分である。これはいままでも誰もいわなかったウマイ着眼点である。
というようにエンエンと続くのであるが、やはり、結末の「蒲団かぶって泣いた」が、嘘だという平野謙の言い分のほうが、納得しやすい。部屋の描写は、確かに変なのだが、だからといって、これがまだ芳子が住んでいたときの出来事で、それを最後に挿入したんじゃないかという中村の言い分は、平野はいちおう感心しているけど、いくらなんでも無理がある。そんな時間をずらすなどという技巧は、この小説の他の部分には見られないことだし、たとえそういう技巧を使ったにせよ、あまりに不自然だ。
ぼくもこの最後のシーンについては、前回、「それは一種の『オチ』であって、こうでも書かなければ収拾がつかなかったのではないかと思うのだ。今までさんざん時雄の醜態を描いてきたので、更にそれの上をいくインパクトのある『醜態』は、これでいくしかないよな、と花袋は思ったのではなかろうか。」と書いているとおり、平野説に近い。ただ、平野の言うようにフィクションというよりは、中村のいうように「留守を狙ってやった行為」を、「オチ」として使ったというわけで、時間配列からするとフィクションだが、素材からすると事実、ということになる。けれども、事実なのは、「夜着の襟の天鵞絨(びろうど)の際立って汚れているのに顔を押附けて、心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅いだ。」までで、「その蒲団を敷き、夜着をかけ、冷めたい汚れた天鵞絨の襟に顔を埋めて泣いた。」というのは、フィクションだとぼくは考える次第である。平野の言うとおり、いくら「留守を狙った」といっても、女房が帰ってきたらどうするのだ、という問題は依然としてあるからだ。
それにしても、中年男がそんなことするわけない、っていうところの平野の言い方が、とても愉快だ。なんだか新橋の酒場で、文学談義しているような面白さがある。しかも、中村の言い分を紹介するにしても、「お土砂をかける」なんて聞いたこともない言い回し(ぼくだけか?)を使って皮肉っているあたり、論じている作品が作品だけに、おもわず笑いを誘われるし、最後のところの「これまで誰も言わなかったウマイ着眼点である。」なんて「お土砂をかけ」かえしてるあたりも笑える。
中村が無理してでも、『蒲団』のこのラストが事実だということを押し通したいのは、もし、ここがフィクションだとしたら、これまでの『蒲団』批判がぜんぶひっくり返ってしまうからだ。ラストがフィクションなら、この小説の至るところにフィクションがあってもおかしくないということになり、最初の島村抱月の賛辞は、どこかへふっとんでしまう。そうなると、今までの「日本の自然主義」そのものの評価もまた変わってくる可能性がある、ということだろう。
この平野vs中村の論争に割って入ったのが吉田精一で、それも平野は紹介している。
しかし元来が主観詩人であり、告白的な作風のもち主たる花袋の作中でも、『蒲団』がもっとも事実に即し、事実性が強いものであることは否定できない。小説とはいえぬ紅葉の『青葡萄』をのぞけば、この作品ほどに自己の実生活に即し、実際の事実に忠実であろうとしたものはそれ以前になかった。その意味でエポックメーキングの作品であることは否定できない。しかも『青葡萄』と違い、羞ずべき内面、自己のいわゆる「醜なる心」を赤裸々に描き、社会的体裁を捨てて、自己の真の姿をみつめようとした態度が、正直、真摯な作者の人間性の表現として、世を驚かしたのである。この意昧で若干のフィクションがあろうと、それをのちの私小説の嘆矢と見ることは、やはり間違っていない。
吉田精一はこの前に中村光夫の「錯誤」説にも訂正を試みていて、いわば喧嘩両成敗的な論評を加えたのである。これが公正な文学史家の見解というべきかもしれぬが、いささか公正すぎて衛生無害のような気がしないでもない。
と、何やら不満げである。吉田精一の「裁き」を、「公正な見解」としながらも、「衛生無害のような気がしないでもない」と、歯切れの悪いことを言っているが、平野としてみれば、この際「公正さ」などよりも、心強い味方が欲しかったというところだろう。別に中村と喧嘩してるわけじゃないんだろうが、ここはひとつ「勝負!」といきたいというような、遊び心が彼らにはあるのである。そこへ、国文学者の吉田精一が出てきて、まあまあ、ここはひとつこういうところで手を打ちましょうなんて言われると、思わず鼻白むというわけである。
昨今では、このような「文学論争」めいたことにはとんとお目にかからないが、なんとも寂しいことである。「文学論争」なんて、世間からみれば、およそどうでもいいことばかりで──特にこの「論争」は、大の男が女の蒲団を被って泣くということがあるかどうか、なんだから、どうでもいいことの極地ともいえる──暇人がなにやってんだかって、冷たい目で見られそうだが、そういう暇人の居場所があってこその「文化」ではなかろうか。忙しい人が、目先の利益を求めて血眼になっている間は、文化など「お呼びでない」ってことになるし、したがって、豊かな人生も望めない、と思うのだが、さてどんなもんだろう。