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日本近代文学の森へ (77) 田山花袋『蒲団』 24  文学論争の楽しさ

2018-12-28 21:01:20 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (77) 田山花袋『蒲団』 24  文学論争の楽しさ

2018.12.28


 

 『蒲団』については、いろいろな評論家や学者がさまざまな角度から論じているので、今さらぼくが何かを論じてもしょうがないのだが、まあ、ぼくは別に研究論文を書いているわけじゃないので気楽なもので、この小説をめぐって、ああだこうだと議論されている様を眺めるのは楽しいことだ。

 『蒲団』が発表されたのは、明治40年。これが当時ものすごいショッキングな反響を呼び、毀誉褒貶の嵐にさらされた。それは花袋自身が驚くほどだったという。特に島村抱月の『早稲田文学』の合評での「この一篇は肉の人、赤裸々な人間の大胆な懺悔録である。」という発言が、この『蒲団』の読まれ方を決定づけたという。つまり、島村抱月の評は、この小説が、花袋自身の「赤裸々な懺悔」だと決めつけたわけだ。以来、多くの人が、主人公の時雄は、花袋自身だと思い込んだ。そして、この小説に書かれていることは「全部事実だ」と思い込んだのだ。

 平野謙は、正宗白鳥の論をこんなふうに紹介している。


 正宗白鳥は昭和七年に『田山花袋論』を書き、そのなかで、「龍土会会員で西洋近代文学を耽読していた者は、少なくなかったが、田山氏以前に、自己の実生活描写を小説の本道であると解釈したものは一人もなかった」とか、「西洋の自然主義文学は、客観的分子に富んだ文学で、花袋氏の独断にかゝる自己の日常生活描写とは異なっている」とか、『蒲団』における花袋の「革命態度」の影響によってみな「自分々々の『蒲団』を書きだし、自分の恋愛沙汰色欲煩悩を蔽うところなく直写するのが、文学の本道である如く思われていた」とか、「私には、田山氏があんな創作〈『蒲団』をさす〉やあんな文学観〈『露骨なる描写』以後のエッセエ類をさす〉を発表しなかったら、自伝小説や自己告白小説があれほど盛んに。明治末期から大正を通じて、あるいは今日までも、現れはしなかったであろうと思われてならない」などと書いているのである。


 要するに、明治末期から大正にかけて、自分の恥をさらすような小説が氾濫したのは、みんな花袋の『蒲団』のせいだ、というわけである。日本の自然主義文学が、西洋のそれとはまるで違ったヘンテコな方向へ行ってしまって、挙げ句の果てに、日本にしか存在しない「私小説」なんてものを生み出してしまったそもそもの原因は、『蒲団』にある。『蒲団』が諸悪の根源だと白鳥は言っているのである。

 もっとも、そういう白鳥も日本の自然主義の作家だから、その作品は色濃く『蒲団』の影響を受けているはずだと推測されるのだが、白鳥の小説はまだ読んだことがないので、その辺はなんともいえない。

 平野謙は更に続けて、この白鳥の批判を「理論的に完成」したのが、中村光夫の『風俗小説論』であったとして、その中村光夫の批判を紹介している。かつて読んだことのある『風俗小説論』だが、今読み返してみると、その舌鋒鋭い『蒲団』批判は、異様な熱っぽさにあふれていて非常におもしろい。そして、ぼくが授業中にちょろっと話した『蒲団』批判は、この中村の論の影響だったのだと改めて気づいた。

 たとえば、中村光夫はこんなふうに批判する。

 

 こうした「蒲団」の描写の欠陥は、たんなる技法の未熟さのためではなく、もっと根本的な作者の制作態度の間題なのです。「筋を通す道具」にすぎないのは細君だけではありません。女弟子の芳子もその愛人の田中も、要するに登場人物はみな主人公の主観的感慨を支える道具にすぎないのです。彼等の心理描写はこの小説には一言もないのです。
 こういう欠陥の原因は、主人公の独白という表現形式にあるのでもありません。モノローグで深い立体感をあたえる小説の例として、僕等は書簡体、日記体の小説の傑作をいくらでもあげることができます。だから「蒲団」の読後に僕等の感じる息苦しい平板性は、そうした形式のためでなく、もっと根本的な作者の主人公に対する態度から来ています。作者と主人公とが同じ平面にいて、しかも両者の距離がほとんど零に等しいからです。作者は主人公の人物を少しも批評していないし、また主人公は作者にもっとも近親な存在だという事実にいい気になって甘えているだけです。
 普通、告白は自己に対する反省を動機とします。自己批評のない告白とはそれ自体矛盾である筈なのに、我国の最初の告白小説が、まさしく作者の自己批評の喪失によって成立したのは、特異の現象として注目に価します。ゲーテの「ウェルテル」や、コンスタンの「アドルフ」のようなかけへだたった例をここに持出すまでもありません。「蒲団」の作者の主人公に対する態度は「青春」における風葉にくらべても、また「破戒」の藤村にくらべてもずっと甘いのです。風葉の場合は、作者と主人公とはいわば他人同士なのですから、「作者が残酷なまでに、最後のページまで、主人公の弱点を抉るの刀を措かなかった」のは、もとより当然かも知れませんが、「破戒」ですら、藤村が「主観的感慨を以って塗りつぶした」のはただ丑松の心理だけであり、彼の周囲にはそれとは別な作者の眼で眺められた自然と社会が拡がっています。
 ところが「蒲団」では作者の自己陶酔の傀儡である主人公が作品一杯に拡がって、そのほかにほ誰もいないのです。

 


 今まで『蒲団』を読んできた上でこれを読むと、いちいち頷けることばかりである。細君や芳子や田中の内面が書けてないなんてずいぶん言ってきたけど、「彼等の心理描写はこの小説には一言もないのです」というんじゃあ、しょうがない。

 時雄のジコチュウな言動にしても、なんともいえない「すっきりしない感じ」がいつもあったのは、この「自己告白的」な小説に、「自己に対する反省」が見られないからだったとも思える。中村によれば、それは、「作者は主人公の人物を少しも批評していないし、また主人公は作者にもっとも近親な存在だという事実にいい気になって甘えているだけです。」ということになる。

 どうしてそんな「甘え」が許されるのかといえば、それは、「文学という後ろ盾」があるからだとこの後に中村は書いている。普通の社会人には、こんな甘ったれは許されないけれど、オレは「文学」を書いているんだということが、その「甘え」を許しているというのだ。

 こうした中村の完膚なきまでの『蒲団』批判は、しかし、『蒲団』が、「主人公=作者」の設定で書かれていること、つまり、書かれていることは全部事実だということ、を前提としているわけだが、平野謙は、そこに疑問を投げかける。ほんとうに、『蒲団』に書かれていることは全部事実なのか、フィクションはないのか、というのだ。

 それというのも、実際には、この話には後日談ともいうべきものがあり、そこでは、芳子のモデルとなった岡田美知代は再び花袋の勧めで上京し、田中のモデルとなった永代静雄と結ばれて子どもを産むが、別居し、生家から勘当され、花袋の養女となり、子どもを花袋の義兄にあずけて、もう一度文学に精進するが果たせず、結局は永代と都落ちするというなんとも波乱に富んだ話なのである。

 そこで、平野は言うのだ。そもそも、この『蒲団』に書かれていることが全部事実ならば、そんな男(花袋)のもとに、『蒲団』を読んだ父親が再び娘を託すだろうかと。美千代も、その父も、静雄も、みんなこの『蒲団』という小説が「事実そのものではなく小説(フィクション)だ」ということを理解していたのではなかったか、とも言うのだ。それなのに、世間では、あの島村抱月の評を真に受けて、この小説を「事実の赤裸々な告白」として読んでしまった。その間で、花袋は悩んだに違いないと、まあ、そんなふうな意見なのである。

 そんな後日談があるなら、平野の言うことには、一理も二理もある。その上で、平野は最後の「蒲団をかぶって泣く」シーンに言及し、それは「嘘にきまってる」言うのだが、中村光夫はムキになって反論する。その応酬が面白いので紹介しておきたい。平野の文章でその応酬が再現されている。

 


 中村光夫はそこで私の説をまず紹介している。第一に「白昼、シラフのまま自宅の二階の部屋に女の蒲団を敷いて、そのなかで泣いている最中に、もし細君でもあがってくれば、なんと弁明すればいいか。そういうことに全然考慮をはたらかせないこの中年男の心理は、どんな昂奮状態にあったにしろ、はなはだ非現実といわねばなるまい」という論点、第二に「食いつめたわけではあるまいし、どんなにとりみだしていたとはいえ、良家の子女が寝具類をとり片づけもせず帰郷するなどとは、常識では考えられない。机類などの梱包こそ間に合わなかったかもしれないが、身のまわりのものも始末もしないなどとは、到底考えられもしない。そういう場合、父親というものは、普通に考えられるより、よく気がつくものである。おそらく父親は運送屋にたのんで、手廻しよくすべてを国許に送り届けるくらいの手配をしたにちがいない」という論点を紹介して、「なかなか鋭い、ユーモアにとんだ着眼であり、説得力もあります。」などと一応お土砂をかけながら(注:「お土砂(どしゃ)をかける」は、「お世辞を言う」、の意)、しかし、として、おもむろに私の論拠を反駁したのである。
 たしかに氏の言うように、横山芳子父子が蒲団を荷づくりもせずに帰郷するのは、常識では考えられないことでしょう。しかし、だからといって、主人公がここに書かれたようなことをした筈がないとは言えません。芳子がまだ家に寄寓している間に、彼女も細君も留守のときを狙えば、機会はいくらもあるわけです」と中村光夫は論じ、その証拠として、「机、本箱、罎、紅皿、依然として元の儘で、恋しい人はいつものように学校に行って居るのではないかと思われる」という描写をあげ、『蒲団』の末尾に「実景としてはあり得ない筈の描写が何故挿入されているかも〈こう考えれば〉説明がつきます」と断じている。そういわれれはたしかにそのとおりであって、竹中時雄という三十六歳になる中年男は、横山芳子がまだ二階に寝とまりしていたとき、その留守を狙って、こっそり机の抽斗をあけ、そのなかに捨てられた古いリボンの匂いを嗅いだり、押入れをあけて、女の寝具の襟に頻をあてたことくらいあったかもしれない。「東の窓を一枚明けたばかり、暗い一室には本やら、雑誌やら、着物やら、帯やら、罎やら、行李やら、支那鞄やらが足の踏み度もない程に散らばって居て、塵埃の香が夥しく鼻を衝く中に、芳子は眼を泣腫らして荷物の整理を為して居た」という描写がすぐ前にある以上、中村光夫の指摘するとおり、「机、本箱、罎、紅皿、依然として元の儘で」云々という描写はたしかにおかしい。まだ女が寄寓しているとき、ひそかにその留守を狙ってやった行為を、結末にまでずらせただけであって、必ずしも平野謙のいうあの結末全体を架空の妄想とは断言しがたいのじゃないか、というのが中村光夫の新しい言い分である。これはいままでも誰もいわなかったウマイ着眼点である。



 というようにエンエンと続くのであるが、やはり、結末の「蒲団かぶって泣いた」が、嘘だという平野謙の言い分のほうが、納得しやすい。部屋の描写は、確かに変なのだが、だからといって、これがまだ芳子が住んでいたときの出来事で、それを最後に挿入したんじゃないかという中村の言い分は、平野はいちおう感心しているけど、いくらなんでも無理がある。そんな時間をずらすなどという技巧は、この小説の他の部分には見られないことだし、たとえそういう技巧を使ったにせよ、あまりに不自然だ。

 ぼくもこの最後のシーンについては、前回、「それは一種の『オチ』であって、こうでも書かなければ収拾がつかなかったのではないかと思うのだ。今までさんざん時雄の醜態を描いてきたので、更にそれの上をいくインパクトのある『醜態』は、これでいくしかないよな、と花袋は思ったのではなかろうか。」と書いているとおり、平野説に近い。ただ、平野の言うようにフィクションというよりは、中村のいうように「留守を狙ってやった行為」を、「オチ」として使ったというわけで、時間配列からするとフィクションだが、素材からすると事実、ということになる。けれども、事実なのは、「夜着の襟の天鵞絨(びろうど)の際立って汚れているのに顔を押附けて、心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅いだ。」までで、「その蒲団を敷き、夜着をかけ、冷めたい汚れた天鵞絨の襟に顔を埋めて泣いた。」というのは、フィクションだとぼくは考える次第である。平野の言うとおり、いくら「留守を狙った」といっても、女房が帰ってきたらどうするのだ、という問題は依然としてあるからだ。

 それにしても、中年男がそんなことするわけない、っていうところの平野の言い方が、とても愉快だ。なんだか新橋の酒場で、文学談義しているような面白さがある。しかも、中村の言い分を紹介するにしても、「お土砂をかける」なんて聞いたこともない言い回し(ぼくだけか?)を使って皮肉っているあたり、論じている作品が作品だけに、おもわず笑いを誘われるし、最後のところの「これまで誰も言わなかったウマイ着眼点である。」なんて「お土砂をかけ」かえしてるあたりも笑える。

 中村が無理してでも、『蒲団』のこのラストが事実だということを押し通したいのは、もし、ここがフィクションだとしたら、これまでの『蒲団』批判がぜんぶひっくり返ってしまうからだ。ラストがフィクションなら、この小説の至るところにフィクションがあってもおかしくないということになり、最初の島村抱月の賛辞は、どこかへふっとんでしまう。そうなると、今までの「日本の自然主義」そのものの評価もまた変わってくる可能性がある、ということだろう。

 この平野vs中村の論争に割って入ったのが吉田精一で、それも平野は紹介している。


しかし元来が主観詩人であり、告白的な作風のもち主たる花袋の作中でも、『蒲団』がもっとも事実に即し、事実性が強いものであることは否定できない。小説とはいえぬ紅葉の『青葡萄』をのぞけば、この作品ほどに自己の実生活に即し、実際の事実に忠実であろうとしたものはそれ以前になかった。その意味でエポックメーキングの作品であることは否定できない。しかも『青葡萄』と違い、羞ずべき内面、自己のいわゆる「醜なる心」を赤裸々に描き、社会的体裁を捨てて、自己の真の姿をみつめようとした態度が、正直、真摯な作者の人間性の表現として、世を驚かしたのである。この意昧で若干のフィクションがあろうと、それをのちの私小説の嘆矢と見ることは、やはり間違っていない。

 吉田精一はこの前に中村光夫の「錯誤」説にも訂正を試みていて、いわば喧嘩両成敗的な論評を加えたのである。これが公正な文学史家の見解というべきかもしれぬが、いささか公正すぎて衛生無害のような気がしないでもない。


 と、何やら不満げである。吉田精一の「裁き」を、「公正な見解」としながらも、「衛生無害のような気がしないでもない」と、歯切れの悪いことを言っているが、平野としてみれば、この際「公正さ」などよりも、心強い味方が欲しかったというところだろう。別に中村と喧嘩してるわけじゃないんだろうが、ここはひとつ「勝負!」といきたいというような、遊び心が彼らにはあるのである。そこへ、国文学者の吉田精一が出てきて、まあまあ、ここはひとつこういうところで手を打ちましょうなんて言われると、思わず鼻白むというわけである。

 昨今では、このような「文学論争」めいたことにはとんとお目にかからないが、なんとも寂しいことである。「文学論争」なんて、世間からみれば、およそどうでもいいことばかりで──特にこの「論争」は、大の男が女の蒲団を被って泣くということがあるかどうか、なんだから、どうでもいいことの極地ともいえる──暇人がなにやってんだかって、冷たい目で見られそうだが、そういう暇人の居場所があってこその「文化」ではなかろうか。忙しい人が、目先の利益を求めて血眼になっている間は、文化など「お呼びでない」ってことになるし、したがって、豊かな人生も望めない、と思うのだが、さてどんなもんだろう。

 

 

 

 


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日本近代文学の森へ (76) 田山花袋『蒲団』 23  「衝撃の」ラスト?

2018-12-28 13:19:11 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (76) 田山花袋『蒲団』 23  「衝撃の」ラスト?

2018.12.28


 

 芳子は田舎へ帰ることになり、芳子は時雄の細君と涙の別れをして家を出る。時雄は駅まで送っていく。途中、田中らしき人物の影がみえるが、詳しくは語られないままだ。


 冬の日のやや薄寒き牛込の屋敷町、最先に父親、次に芳子、次に時雄という順序で車は走り出した。細君と下婢とは名残を惜んでその車の後影を見送っていた。その後に隣の細君がこの俄かの出立を何事かと思って見ていた。猶その後の小路の曲り角に、茶色の帽子を被った男が立っていた。芳子は二度、三度まで振返った。


 まだ人力車の時代だったのだと改めて思う。


 車が麹町の通を日比谷へ向う時、時雄の胸に、今の女学生ということが浮んだ。前に行く車上の芳子、高い二百三高地巻、白いリボン、やや猫背勝なる姿、こういう形をして、こういう事情の下に、荷物と共に父に伴れられて帰国する女学生はさぞ多いことであろう。芳子、あの意志の強い芳子でさえこうした運命を得た。教育家の喧しく女子問題を言うのも無理はない。時雄は父親の苦痛と芳子の涙とその身の荒涼たる生活とを思った。路行く人の中にはこの荷物を満載して、父親と中年の男子に保護されて行く花の如き女学生を意味ありげに見送るものもあった。


 いわゆる「客観的」な叙述なのだろうが、事情が事情なだけに、「他人事」のようなそっけなさを感じる。「芳子、あの意志の強い芳子でさえこうした運命を得た。教育家の喧しく女子問題を言うのも無理はない。」とは、どういうことだろう。芳子が「得た運命」とは、結局、親の許さぬ恋をして、その男に身を任せてしまった結果、親の怒りをかって田舎に連れ戻される、ということで、それが「運命」というのでは、芳子も浮かばれない。都会に出ても、恋の自由すらないのなら、田舎に埋もれて親の決めた男と結婚して子どもを産んで育てる、という道しか女にはないということになる。そんなものは「運命」でもなんでもない。ただの「社会通念」とか「世間の常識」とかでしかない。それを否定し、「新しい生き方」を指し示すのが時雄の「師」としての使命ではなかったのか。

 それなのに、芳子の一歩踏み出した恋を、自分の欲望の故に踏みにじり、まさにその「犠牲」となって田舎に埋もれていこうとする芳子を、こんなにも冷たい目で見るなんてなんとしたことか。

 それに「教育家の喧しく女子問題を言うのも無理はない。」とは何事か。「教育家」は、何と言っているのか。おそらく、「昨今の女子は自立だなんだといって自由奔放に振る舞っているが、その挙げ句に性的な放縦に陥っている。まことにゆゆしき問題である。」とか言っているのだろう。つまりはこの「教育家」は「旧派」であって、時雄のような「新派」ではないはず。その旧態依然たる「女子論」に対して、時雄は、「無理はない」と屈服しているわけだ。「申し訳なかった。私は旧派の男だったのだ。」と芳子に手をついて謝らなければならないのは時雄のほうだ。

 いよいよ新橋から汽車が出る。そのとき、時雄は妙なことを考える。


 発車の時間は刻々に迫った。時雄は二人のこの旅を思い、芳子の将来のことを思った。その身と芳子とは尽きざる縁(えにし)があるように思われる。妻が無ければ、無論自分は芳子を貰ったに相違ない。芳子もまた喜んで自分の妻になったであろう。理想の生活、文学的の生活、堪え難き創作の煩悶をも慰めてくれるだろう。今の荒涼たる胸をも救ってくれる事が出来るだろう。「何故、もう少し早く生れなかったでしょう、私も奥様時分に生れていれば面白かったでしょうに……」と妻に言った芳子の言葉を思い出した。この芳子を妻にするような運命は永久その身に来ぬであろうか。この父親を自分の舅と呼ぶような時は来ぬだろうか。人生は長い、運命は奇しき力を持っている。処女でないということが──一度節操を破ったということが、却って年多く子供ある自分の妻たることを容易ならしむる条件となるかも知れぬ。運命、人生──曽(かつ)て芳子に教えたツルゲネーフの「プニンとバブリン」が時雄の胸に上った。露西亜の卓れた作家の描いた人生の意味が今更のように胸を撲った。
 時雄の後に、一群の見送人が居た。その蔭に、柱の傍に、いつ来たか、一箇の古い中折帽を冠った男が立っていた。芳子はこれを認めて胸を轟かした。父親は不快な感を抱いた。けれど、空想に耽って立尽した時雄は、その後にその男が居るのを夢にも知らなかった。
 車掌は発車の笛を吹いた。
 汽車は動き出した。


 時雄は芳子の将来を考えるのだが、そこに自分を入り込ませる。つまり「芳子の将来」ではなくて「自分の将来」を考えるのだ。

 芳子と将来結婚できないものだろうか。この父親を舅と呼ぶ日がこないだろうか。それはありうることかもしれない。芳子が「処女じゃない」ということも、その場合、事を容易にするだろう、というのだ。子持ちの自分には、「処女じゃない芳子」の方が妻の条件にかなっている、ということか。なんだかよく分からないが、父親も自分の娘が「傷物」である以上、相手の男が子持ちであってもまあしょうがないかと許してくれるんじゃないか、ってことなんだろう。

 まあ、こんなふうな考えかたは、今だって残っているようにも思うけど、しかし、時雄の妄想から「妻」が完全に欠落している。「妻が無ければ」という条件付きでの妄想ではあるが、あまりといえば自分勝手な妄想である。

 たとえ芳子と結婚したとしても、そのとき芳子が髪を振り乱して子どもを叱る普通の妻にならない保証はどこにもない。芳子と「理想的生活・文学的生活」ができるなんて、今時の高校生だって考えないだろう。

 駅の柱の蔭ににいた中折れ帽の男とその後ろにいた男のことが、意味ありげに書かれているが、あきらかに田中と思われる「男」をめぐって、話が展開していくことなく、唐突にラストを迎えることとなる。


 さびしい生活、荒涼たる生活は再び時雄の家に音信(おとず)れた。子供を持てあまして喧しく叱る細君の声が耳について、不愉快な感を時雄に与えた。
 生活は三年前の旧(むかし)の轍(わだち)にかえったのである。
 五日目に、芳子から手紙が来た。いつもの人懐かしい言文一致でなく、礼儀正しい候文で、
「昨夜恙(つつが)なく帰宅致し候儘(まま)御安心被下度(くだされたく)、此の度はまことに御忙しき折柄種々御心配ばかり相懸け候うて申訳も無之(これなく)、幾重にも御詫(おわび)申上候、御前に御高恩をも謝し奉り、御詫も致し度候いしが、兎角は胸迫りて最後の会合すら辞(いな)み候心、お察し被下度候、新橋にての別離、硝子戸の前に立ち候毎に、茶色の帽子うつり候ようの心地致し、今猶まざまざと御姿見るのに候、山北辺より雪降り候うて、湛井(たたい)よりの山道十五里、悲しきことのみ思い出で、かの一茶が『これがまアつひの住家か雪五尺』の名句痛切に身にしみ申候、父よりいずれ御礼の文奉り度存居(ぞんじおり)候えども今日は町の市日(いちび)にて手引き難く、乍失礼(しつれいながら)私より宜敷御礼申上候、まだまだ御目汚し度きこと沢山に有之候えども激しく胸騒ぎ致し候まま今日はこれにて筆擱(お)き申候」と書いてあった。


 当時の手紙は、言文一致体のものと候文のものが混在していたことが分かる。親しみをこめた手紙は言文一致体で、堅苦しい手紙は候文で、と使い分けていたのだ。これはちょっと羨ましい。ぼくは、礼状や挨拶状などを書くことが非常に苦手で、候文のような型があれば、楽に書けるのになあと思うからだ。

 それにしても、一茶の句の引用は、なんだか笑ってしまう。まだ20歳にもならない娘の感慨としては、あまりにも枯れている。


 時雄は雪の深い十五里の山道と雪に埋れた山中の田舎町とを思い遣った。別れた後そのままにして置いた二階に上った。懐かしさ、恋しさの余り、微かに残ったその人の面影を偲ぼうと思ったのである。武蔵野の寒い風の盛に吹く日で、裏の古樹には潮の鳴るような音が凄じく聞えた。別れた日のように東の窓の雨戸を一枚明けると、光線は流るるように射し込んだ。机、本箱、罎、紅皿、依然として元のままで、恋しい人はいつもの様に学校に行っているのではないかと思われる。時雄は机の抽斗(ひきだし)を明けてみた。古い油の染みたリボンがその中に捨ててあった。時雄はそれを取って匂いを嗅いだ。暫くして立上って襖を明けてみた。大きな柳行李が三箇細引で送るばかりに絡(から)げてあって、その向うに、芳子が常に用いていた蒲団──萌黄唐草(もえぎからくさ)の敷蒲団と、線の厚く入った同じ模様の夜着とが重ねられてあった。時雄はそれを引出した。女のなつかしい油の匂いと汗のにおいとが言いも知らず時雄の胸をときめかした。夜着の襟の天鵞絨(びろうど)の際立って汚れているのに顔を押附けて、心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅いだ。
 性慾と悲哀と絶望とが忽(たちま)ち時雄の胸を襲った。時雄はその蒲団を敷き、夜着をかけ、冷めたい汚れた天鵞絨の襟に顔を埋めて泣いた。
 薄暗い一室、戸外には風が吹暴(ふきあ)れていた。

 

 まあ、これが有名な『蒲団』のラストである。芳子の部屋の場面の前の、情景描写は、なかなか鮮やかで印象的だ。しかし、その後に書かれる、女々しい、薄汚れた男の行為は、誰が読んでも不快感を催すだろう。これをもって「花袋は変態」だという人が出てきてもしょうがない。

 『蒲団』ってどういう小説? って聞かれると、妻子ある作家が女弟子を家に住まわせたんだけど、その女に恋しちゃったわけ。でも、立場は師だから告白もせずにウジウジしてると、実はその女弟子に若い恋人がいることがわかって、作家はメチャクチャ頭にくるんだけど、どうしようもない。結局、彼女の父親が田舎に連れ帰ってしまう。女が出ていったあと、その女の使っていた蒲団に染みついた匂いを嗅いで泣くって話だよ、と答えると、へえ、いやらしい小説だなあ、なんて答えが返ってきてそれで終わってしまう。その上、日本の自然主義の原点になったらしいけど、だから日本の自然主義っていうのはしょうもないものなんだよね、なんてしょうもないことを付け加えたりするに至るのである。

 これ、ほとんど、ぼくがかつての教壇で生徒に語ってきたことである。『蒲団』を授業で読んだわけではなくて、文学史で自然主義文学を説明するためにちょこっと話した程度だが、あまりにも「聞きかじり」すぎた。確かに、日本の自然主義文学が、ヨーロッパのものとは違った方面に進んでいってしまい、最後には「私小説」に至ったのは、島崎藤村の『破戒』ではなくて、田山花袋の『蒲団』が事実上の出発点になったからだ、という説が一般的だったのは間違いないとは思うけど。(誰が言ったことなのか、いずれ、確かめてみたい。)

 しかし、それはそれとして、『蒲団』という小説を、この「衝撃的なラスト」で語るというのは、正当な読みではないだろう。それは一種の「オチ」であって、こうでも書かなければ収拾がつかなかったのではないかと思うのだ。今までさんざん時雄の醜態を描いてきたので、更にそれの上をいくインパクトのある「醜態」は、これでいくしかないよな、と花袋は思ったのではなかろうか。だからまたこのラストシーンをめぐって、事実かそれともフィクションかの論争も起きたのだ。そのことはいずれ回を改めて書いてみたい。

 これまで20回以上にわたって、この小説を細かく読んできてみて思うのは、このラストなどたいしたことじゃない、ということだ。別にこれをもってして「変態」だといってもはじまらないし、それほど変態的な行為でもない。題名が「蒲団」だから、必要以上にこのシーンだけが問題視され、語られることになったのだろうが、むしろ問題なのは、ここに至る経緯にちりばめられている、時雄の目を背けたくなるような自己中心的な思考である。そのおぞましい自己中心的な思考を、それこそ赤裸々に書き切ったのが『蒲団』であり、そこに書かれた思考は、実は誰の心の中にも存在しているものだというのが、何よりも大事な点なのだ。

 時雄っていうヤツはなんてジコチュウなヤツなんだ。そんなヤツの話なんて聞きたくもないと思って読んでいるうちに、いつのまにか、あまりに自分に思い当たるフシがあるので、思わず引き込まれてしまう。この小説を読む人間は、少なくとも男は、どうしてもこの時雄を自分とは無縁なヤツとして切り捨てることができないのだ。だからこそ、100年以上たっても、この『蒲団』というヘンテコな小説は、どこかで──たとえばこんなところで──読み継がれている。花袋の「正直」な筆は、人間の心の奥底に流れる何か得体の知れないのしれないモノに触れることができたのである。




 


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