日本近代文学の森へ (88) 徳田秋声『新所帯』 8 下品でしたたかな人たち
2019.2.3
「サア、お役は済んだ。これから飲むんだ。」という和泉屋の声に、座も盛り上がり、新吉も挨拶にまわる。
新吉も席を離れて、「私(あっし)のとこもまだ真(ほん)の取着き身上で、御馳走と言っちゃ何もありませんが、酒だけアたくさんありますから、どうかマア御ゆっくり。」
「イヤなかなか御丁重な御馳走で……。」と兄貴は大きい掌に猪口を載せて、莫迦叮寧なお辞儀をして、新吉に差した。「私(わたし)は田舎者で、何にも知らねえもんでござえますが、何分どうぞよろしく。」
「イヤ私(あっし)こそ。」と新吉は押し戴いて、「何(なん)しろまだ世帯を持ったばかりでして……それに私アこっちには親戚(みより)と言っては一人もねえもんですから、これでなかなか心細いです。マア一つ皆さんのお心添えで、一人前の商人になるまでは、真黒になって稼ぐつもりです。」
「とんでもないこって……。」と兄貴は返盃を両手に受け取って、「こちとらと違えまして、伎倆(はたらき)がおありなさるから……。」
「オイ新さん、そう銭儲けの話ばかりしていねえで、ちょっとお飲(や)りよ。」と小野は向う側から高調子で声かけた。
新吉は罰が悪そうに振り顧(む)いて、淋しい顔に笑みを浮べた。「笑談(じょうだん)じゃねえ。明日から頭数が一人殖えるんだ。うっかりしちゃいらんねえ。」と低声(こごえ)で言った。
「イヤ、世帯持ちはその心がけが肝腎です。」と和泉屋は、叔母とシミジミ何やら、談(はな)していたが、この時口を容れた。「ここの家へ来た嫁さんは何しろ幸せですよ。男ッぷりはよし、伎倆はあるしね。」
「そうでございますとも。」と叔母は楊枝で金歯を弄(せせ)りながら、愛想笑いをした。
「これでお内儀さんを可愛がれア申し分なしだ。」と誰やらが混ぜッ交した。
銚子が後から後からと運ばれた。話し声がいよいよ高調子になって、狭い座敷には、酒の香と莨の煙とが、一杯に漂うた。
「花嫁さんはどうしたどうした。」と誰やらが不平そうに喚(わめ)いた。
和泉屋が次の間へ行って見た。お作は何やら糸織りの小袖に着換えて、派手な花簪を挿し、長火鉢の前に、灯影に背いて、うつむいたままぽつねんと坐っていた。
「サアお作さん、あすこへ出てお酌しなけアいけない。」
お作は顔を赧(あか)らめ、締りのない口元に皺を寄せて笑った。
小野が少し食べ酔って管を捲いたくらいで、九時過ぎに一同無事に引き揚げた。叔母と兄貴とは、紛擾(ごたごた)のなかで、長たらしく挨拶していたが、出る時兄貴の足はふらついていた。新吉側の友人は、ひとしきり飲み直してから暇を告げた。
お作の兄や叔母は、とにかく新吉の「伎倆(はたらき)」があることが気に入っていることが露骨に分かる。新吉も、ひたすら自分がまだ「取着き身上」に過ぎないから、とにかく「真黒になって稼ぐ」ことを約束するのだが、そんな新吉と親戚のやりとりを耳にした小野は、「オイ新さん、そう銭儲けの話ばかりしていねえで、ちょっとお飲(や)りよ。」と「高調子」で声をかける。新吉はムッとして、「笑談(じょうだん)じゃねえ。」と呟く。
この辺のやりとりは、真に迫っている。新吉は、別に「銭儲け」の話をしているつもりはない。新しい世帯を持ったのだから、これまで以上に働かねばならないと思っているだけだ。それを小野は「銭儲けの話」だという。カチンときた新吉が、「低声(こごえ)」で呟くあたりに、新吉の短気な気性があらわれている。胸のあたりにキラリと刃物が光るような危険な感じがある。新吉の「男っぷり」がいいだけに余計にその危険度が鋭く感じられる。映画でいえば、この新吉は、若いころの中村錦之助にやらせたい。ちょっと男っぷりがよすぎるけど。
このままでは一触即発、喧嘩になりかねない。そこで、和泉屋が割って入る。叔母も応じる。この叔母も「楊枝で金歯を弄(せせ)りながら、愛想笑い」をするあたり、なんとも、下品なしたたかさを感じさせる女である。(やっぱり杉村春子だね。)
ぼくは昔からこの「楊枝で歯をせせる」という所作が嫌いでならない。ぼくだって、歯にものが挟まったときは、楊枝を使うこともあるけれど、ランチなんぞを食べたサラリーマンのオヤジが、店から楊枝をくわえて出てくるのを見ると、なんとも嫌な気分になる。ほとんど嫌悪を感じる。それはそういう所作が汚らしいと感じるためでもあるが、「ああオレは今ものを食って満足だ」という自足の気分に浸っているオヤジが、どうにも我慢がならないゆえでもある。どうしてそういう風に感じるのか、自分でも分からない。何か、過去にあったのだろうか。
そう思って幼いころを思い出すと、ぼくの育った横浜の下町には、こういう下品でしたたかなオバサンやらオジサンやらがあふれかえっていたなあと思い当たる。自分の家だって上品からはほど遠い職人の家だったけれど、それでも、そうした周囲の人たちとはどこかが違っていたように思う。どこが違っていたのかはっきりとは分からないのだが。
「これでお内儀さんを可愛がれア申し分なしだ。」なんていう下卑たセリフに座が乱れ、「花嫁さんはどうしたどうした。」と花嫁にお酌を迫る者もいる。猥雑な庶民の婚礼の風景だ。
そんな宴席の喧噪を避けて、「何やら糸織りの小袖に着換えて、派手な花簪を挿し、長火鉢の前に、灯影に背いて、うつむいたままぽつねんと坐ってい」るお作の姿は印象的だ。花嫁こそ主人公のはずなのに、誰もそんなふうには思っていない。親戚は、お作が「稼ぎのある」男に嫁いだことが嬉しくてならない。できれば、自分たちもお相伴にあずかりたいといった魂胆がみえみえだ。小野やら、和泉屋らは、飲むことしか考えていない。あげくに、花嫁の「酌」を要求する始末だ。
要するに私利私欲だけがここにはあって、誰一人、お作の幸せを、心から祝福する人間はいないのだ。