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日本近代文学の森へ (92) 徳田秋声『新所帯』 12 案外ポジティブなお作

2019-02-17 11:49:47 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (92) 徳田秋声『新所帯』 12 案外ポジティブなお作

2019.2.17


 

 新吉の癇癪に、恐怖を感じるしかないお作は、結婚前の生活を懐かしく思い出す。お作は、それなりにめぐまれた暮らしをしてきたのだった。


 こんなことのあった後では、お作はきっと奥の六畳の箪笥の前に坐り込んで、針仕事を始める。半日でも一日でも、新吉が口を利けば、例の目尻や口元に小皺を寄せた。人のよさそうな笑顔を向けながら、素直に受答えをするほか、自分からは熟(う)んだ柿が潰れたとも言い出せなかった。
 これまで親の膝下にいた時も、三年の間西片町のある官吏の屋敷に奉公していた時も、ただ自分の出来るだけのことを正直に、真面目にと勤めていればそれでよかった。親からは女らしい娘だと讃(ほ)められ、主人からは気立てのよい、素直な女だと言って可愛がられた。この家へ片づくことになって、暇を貰う時も、お前ならばきっと亭主を粗末にしないだろう。世帯持ちもよかろう。亭主に思われるに決まっていると、旦那様から分に過ぎた御祝儀を頂いた。夫人(おくさま)からも半襟や簪などを頂いて、門の外まで見送られたくらいであった。新吉に頭から誹謗(けな)されると、お作の心はドマドマして、何が何だかさっぱり解らなくなって来る。ただ威張って見せるのであろうとも思われる。わざと喧(やかま)しく言って脅(おどか)して見るのだろうという気もする。あれくらいなことは、今日は失敗(しくじ)っても、二度三度と慣れて来れば造作なく出来そうにも思える。どちらにしても、あの人の気の短いのと、怒りっぽいのは婆やが出てゆく時、そっと注意しておいてくれたのでも解っている──と、お作はこういう心持で、深く気にも留めなかった。怒られる時は、どうなるのかとはらはらして、胸が一杯になって来るが、それもその時きりで、不安の雲はあっても、自分を悲観するほどではなかった。
 それでも針の手を休めながら、折々溜息を吐(つ)くことなぞある。独り長火鉢の横に坐って、する仕事のない静かな昼間なぞは、自然(ひとりで)に涙の零れることもあった。いっそ宅(うち)へ帰って、旧(もと)の屋敷へ奉公した方が気楽だなぞと考えることもあった。その時分から、お作はよく鏡に向った。四下(あたり)に人の影が見えぬと、そっと鏡の被(おお)いを取って、自分の姿を映して見た。髪を直して、顔へ水白粉なぞ塗って、しばらくそこにうっとりしていた。そうして昨日のように思う婚礼当時のことや、それから半年余りの楽しかった夢を繰り返していた。自分の姿や、陽気な華やかなその晩の光景も、ありあり目に浮んで来る。──今ではそうした影も漂うていない。憶い出すと泣き出したいほど情なくなって来る。


 お作は、人のいい穏やかな女だったが、商人の妻としての資質には著しく欠けるところがあったのだ。ものごとをテキパキと片付けたり、夫の要求を待たずに仕事を先回りしてやったりする才覚はなかった。言われたことをただ誠実にこなしてきたのが、お作の生活だったのだ。

 親にも大事に育てられ、管理の屋敷に奉公していたときも、大事にされ、可愛がられた。そんなお作だったから、新吉の冷たい叱責は身に応えた。お作が、針仕事をしながら涙を零したり、鏡にむかってうっとりしているシーンなどは、しみじみと切なく心にしみてくる。

 新婚生活といえば、甘く楽しい日々がイメージされるが、実際にはそうでもない。むしろ、結婚を前にした時期のほうが、なにか前途に明るい希望がみえていて心楽しいものなのだろう。結婚してしまうと、そこに広がるのは荒涼とした現実ばかり、ということにもなりかねない。

 ふたりの生活は、こんな会話のうちに続いていく。


 店で帳合いをしていた新吉が、不意に「アア。」と溜息を吐いて、これもつまらなさそうな顔をして奥を窺きに来る。お作は赤い顔をして、急いで鏡に被いをしてしまう。
「オイ、茶でも淹れないか。」と新吉はむずかしい顔をして、後へ引き返す。
 長火鉢の傍で一緒になると、二人は妙に黙り込んでしまう。長火鉢には火が消えて、鉄瓶が冷たくなっている。
 お作は妙におどついて、にわかに台所から消し炭を持って来て、星のような炭団(たどん)の火を拾いあげては、折々新吉の顔色を候(うかが)っていた。
「憤(じ)れったいな。」新吉は優しい舌鼓(したうち)をして、火箸を引っ奪(たく)るように取ると、自分でフウフウ言いながら、火を起し始めた。
「一日何をしているんだな。お前なぞ飼っておくより、猫の子飼っておく方が、どのくらい気が利いてるか知れやしねえ。」と戯談(じょうだん)のように言う。
 お作は相変らずニヤニヤと笑って、じっと火の起るのを瞶(みつ)めている。
 新吉は熱(ほて)った顔を両手で撫でて、「お前なんざ、真実(ほんとう)に苦労というものをして見ねえんだから駄目だ。己(おれ)なんざ、何(なん)しろ十四の時から新川へ奉公して、十一年間苦役(こきつか)われて来たんだ。食い物もろくに食わずに、土間に立詰めだ。指頭(ゆびさき)の千断(ちぎ)れるような寒中、炭を挽(ひ)かされる時なんざ、真実(ほんと)に泣いっちまうぜ。」
 お作は皮膚の弛(ゆる)んだ口元に皺を寄せて、ニヤリと笑う。
「これから楽すれやいいじゃありませんか。」
「戯談じゃねえ。」新吉は吐き出すように言う。「これからが苦労なんだ。今まではただ体を動(いご)かせるばかりで辛抱さえしていれア、それでよかったんだが、自分で一軒の店を張って行くことになって見るてえと、そうは行かねえ。気苦労が大したもんだ。」
「その代り楽しみもあるでしょう。」
「どういう楽しみがあるね。」と新吉は目を丸くした。
「楽しみてえところへは、まだまだ行かねえ。そこまで漕ぎつけるのが大抵のことじゃありゃしねえ。それには内儀さんもしっかりしていてくれなけアならねえ。……それア己はやる。きっとやって見せる。転んでもただは起きねえ。けど、お前はどうだ。お前は三度三度無駄飯を食って、毎日毎日モゾクサしてるばかしじゃねえか。だから俺は働くにも張合いがねえ。厭になっちまう。」と新吉はウンザリした顔をする。
「でもお金が残るわ。」
「当然(あたりまえ)じゃねえか。」新吉は嬉しそうな笑みを目元に見せたが、じきにこわいような顔をする。お作が始末屋というよりは、金を使う気働きすらないということは、新吉には一つの気休めであった。お作には、ここを切り詰めて、ここをどうしようという所思(おもわく)もないが、その代り鐚(びた)一文自分の意志で使おうという気も起らぬ。ここへ来てから新吉の勝手元は少しずつ豊かになって来た。手廻りの道具も増えた。新吉がどこからか格安に買って来た手箪笥や鼠入(ねずみい)らずがツヤツヤ光って、着物もまず一と通り揃った。保険もつければ、別に毎月の貯金もして来た。お作はただの一度も、自分の料簡(りょうけん)で買物をしたことがない。新吉は三度三度のお菜(かず)までほとんど自分で見繕(みつくろ)った。お作はただ鈍(のろ)い機械のように引き廻されていた。



 こうしたところを読むかぎり、新吉はただ短気で口が悪いだけではなく、ときどきは「嬉しそうな笑み」を見せることもある。けれどもすぐにその笑顔をしまってしまう。「仲睦まじい会話」に対する照れがあるのだろうか。お作からすれば「さっぱり分からない」ことになり、「ただ威張って見せるのであろうとも思われる。わざと喧(やかま)しく言って脅(おどか)して見るのだろうという気もする。」ということになる。

 まあ、しかし、こういう男って、昔は多かったんじゃないだろうか。どこまでも、自分の優勢を確保しようとする男。「笑ったら損」とばかり、むすっとしている男。今だって、そこらじゅうにいるなあ。こういうオジサンやジイサン。

 お作もただおびえているばかりではない。けっこう、言うよね。

 新吉は自分の苦労を得意になって話すのだが、お作はそれに対して「これから楽すれやいいじゃありませんか。」と返す。普通だったら、「ああ、それは大変でしたねえ。」との一言が入るのだが、いきなりズバッと「これから」の方へ話を転換する。新吉は、冗談じゃねえ、これからが苦労なんだと「これからの楽」を否定する。けれども、お作は、「その代り楽しみもあるでしょう。」とあくまでポジティブ。お前はちっとも役に立たないじゃねえかと言われれば「でもお金が残るわ。」とこれまたポジティブ。思わず笑ってしまう。のろまだけど、お作は、案外しっかり者なのかもしれない。

 新吉はお作の言葉を聞き流すことはせず、怒ったり、目を丸くしたり、嬉しそうに笑ったりしているわけで、案外会話が成立しているのが面白い。

 気が短くて怒りっぽいわりに、神経質で悲観的な亭主に、のろまで気が回らないけど、どこか楽観的な妻。どこにでもありそうな、庶民の生活だ。

 

 

 

 

 

 


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