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日本近代文学の森へ (94) 徳田秋声『新所帯』 14 夫婦の危うさ

2019-02-22 10:28:45 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (94) 徳田秋声『新所帯』 14 夫婦の危うさ

2019.2.22


 

 そうこうしているうちに、葉桜の季節になった。お作は妊娠した。


 桜の繁みに毛虫がつく時分に、お作はバッタリ月経(つきのもの)を見なくなった。お作は冷え性の女であった。唇の色も悪く、肌も綺麗ではなかった。歯性も弱かった。菊が移(すが)れるころになると、新吉に嗤(わら)われながら、裾へ安火(あんか)を入れて寝た。これという病気もしないが時々食べたものが消化(こな)れずに、上げて来ることなぞもあった。空風(からかぜ)の寒い日などは、血色の悪い総毛立ったような顔をして、火鉢に縮かまっていた。少し劇しい水仕事をすると、小さい手がじきに荒れて、揉み手をすると、カサカサ音がするくらいであった。新吉は、晩に寝るとき、滋養に濃い酒を猪口に一杯ずつ飲ませなどした。伝通院前に、灸点(きゅうてん)の上手があると聞いたので、それをも試みさした。
「今からそんなこってどうするんだ。まるで婆さんのようだ。」と新吉は笑いつけた。
 お作はもうしわけのないような顔をして、そのたびごとに元気らしく働いて見せた。
 こうした弱い体で、妊娠したというのは、ちょっと不思議のようであった。
「嘘つけ。体がどうかしているんだ。」と新吉は信じなかった。
「いいえ。」とお作は赤い顔をして、「大分前(さき)からどうも変だと思ったんです。占って見たらそうなんです。」
 新吉は不安らしい目色(めつき)で、妻の顔を見込んだ。
「どうしたんでしょう、こんな弱い体で……。」といった目色で、お作もきまり悪そうに、新吉の顔を見上げた。
 それから二人の間に、コナコナした湿(しめ)やかな話が始まった。新吉は長い間、絶えず悪口(あっこう)を浴びせかけて来たことが、今さら気の毒なように思われた。てんで自分の妻という考えを持つことの出来なかったのを悔いるような心も出て来た。ついこの四、五日前に、長湯をしたと言って怒ったのが因(もと)で、アクザモクザ罵った果てに、何か厄介者でも養っていたようにくやしがって、出て行け、今出て行けと呶鳴(どな)ったことなども、我ながら浅ましく思われた。
 それに、妊娠でもしたとなると、何だか気が更(あらた)まるような気もする。多少の不安や、厭な感じは伴いながら、自分の生活を一層確実にする時期へ入って来たような心持もあった。
 お作はもう、お産の時の心配など始めた。初着や襁褓のことまで言い出した。
「私は体が弱いから、きっとお産が重いだろうと思って……。」お作は嬉しいような、心元ないような目をショボショボさせて、男の顔を眺めた。新吉はいじらしいような気がした。



 「桜の繁みに毛虫がつく時分」という表現を読んで、ハッとする。そういえば、ぼくが子どもの頃は、近くの桜並木のきれいな商店街も、葉桜の頃になると、道路が毛虫で足の踏み場もないという状態になったものだ。近頃は、毛虫はまったく見ないのはどうしてなのだろうか。

 お作の「冷え性」の様子は、実にことこまかにその「症状」が書かれている。よくこれで生きていられると思われるような、絵に描いたような「不健康さ」である。新吉は、心配はして、何かと世話を焼くのだが、一方では、婆さんのようだといって「笑いつける」。

 この「笑いつける」というのは、「相手をひどく嘲笑する。おおいにあざわらう。」(日本国語大辞典)の意味で、愛情を持って笑いかけるわけではないのだ。体の弱いのは、お作の責任ではないのに、それを嘲笑するというのは、いかにも残酷な仕打ちである。その仕打ちにも、お作は、「もうしわけのないような顔をして、そのたびごとに元気らしく働いて見せ」るのだ。

 こういうシーンは何度か小説でも映画でもお目にかかったような気がする。病気で寝込んだ妻が、夫に、「すみません。こんなに弱くて。」と謝るシーンだ。そういうシーンを読むたび、見るたび、どうして謝らなきゃいけないのかといつもその理不尽さに腹立たしい思いをしてきたのだが、結局、結婚というものが、あくまで夫を中心に成り立っており、妻は夫に仕えるべきだという道徳のようなものが根深く浸透していたのだろう。

 そう妻が謝っても、夫がそれを「ばかなことを言うんじゃない。お前が謝ることじゃないだろう。」ぐらいの優しい言葉をかけるならまだ救いがあるが、新吉はそんなことはしない。

 そればかりか、妊娠すら疑う始末だ。そんな弱い体で妊娠するわけないだろう、というわけだ。けれども、妊娠は明らかだ。そうなると、新吉の心にも変化が生じる。今までの自分のお作に対する冷たい仕打ちが悔やまれるのだ。

 子はカスガイ。どんなに冷たい間の夫婦でも、子どもが生まれれば、また違った展開があろうというものだ。新吉は、自分の気持ちに変化に驚いただろうか。お作がお産の心配をして、「嬉しいような、心元ないような目をショボショボさせて」新吉を見つめるのを、新吉は「いじらしいような気がした」のだ。

 それなら、お作の「幸せ」は約束されたのだろうか。それがなかなかそうはならないのだ。



 お作は十二時を聞いて、急に針を針さしに刺した。めずらしく顔に光沢(つや)が出て、目のうちにも美しい湿(うるお)いをもっていた。新吉はうっとりした目容で、その顔を眺めていた。
 お作は婚礼当時と変らぬ初々しさと、男に甘えるような様子を見せて、そこらに散った布屑(きれくず)や糸屑を拾う。新吉も側で読んでいた講談物を閉じて、「サアこうしちアいられねえ。」と急き立てられるような調子で、懈怠(けだる)そうな身節(みぶし)がミリミリ言うほど伸びをする。
「もう親父になるのかな。」とその腕を擦っている。
「早いものですね、まるで夢のようね。」とお作もうっとりした目をして、媚びるように言う。「私のような者でも、子が出来ると思うと不思議ね。」
 二人はそれから婚礼前後の心持などを憶い出して、つまらぬことをも意味ありそうに話し出した。こうした仲の睦まじい時、よく双方の親兄弟の噂などが出る。親戚(みうち)の話や、自分らの幼(ちいさ)い折の話なども出た。
「お産の時、阿母(おっか)さんは田舎へ来ていろと言うんですけれど、家にいたっていいでしょう。」
 時計が一時を打つと、お作は想い出したように、急いで床を延べる。新吉に寝衣(ねまき)を着せて床の中へ入れてから、自分はまたひとしきり、脱棄(ぬぎす)てを畳んだり、火鉢の火を消したりしていた。
 二、三日はこういう風の交情(なか)が続く。新吉はフイと側へ寄って、お作の頬に熱いキスをすることなどもある。ふと思いついて、近所の寄席へ連れ出すこともあった。
 が、そうした後では、じきに暴風(あらし)が来る。思いがけないことから、不意と新吉の心の平衡が破れて来る。
「……少し甘やかしておけア、もうこれだ。」と新吉は昼間火鉢の前で、お作がフラフラと居眠りをしかけているのを見つけると、その鼻の先で癪らしく舌打ちをして、ついと後へ引き返してゆく。
 お作はハッと思って、胸を騒がすのであるが、こうなるともう手の着けようがない。お作の知恵ではどうすることも出来なくなる。よくよく気が合わぬのだと思って、心の中で泣くよりほかなかった。新吉の仕向けは、まるで掌の裏を翻(かえ)したようになって、顔を見るのも胸糞が悪そうであった。

 

 新吉という人間は、いったいどういう心根の持ち主なのだろうか。子どもが出来たことで、お作への気持ちにも変化が生じ、夫婦らしい会話もできるようになったというのに、それが続かない。

 「思いがけないことから、不意と新吉の心の平衡が破れて来る。」──これはいったい何だろう。

 「思いがけないこと」は、例えばお作が昼間から火鉢の前で居眠りをしているといったことだ。それを見ると、「……少し甘やかしておけア、もうこれだ。」といって怒り出す。いったん怒り出すと、もう「手の着けようがない」がないほど新吉は荒れ狂う。お作はそれに対してなす術がない。ただ、「よくよく気が合わぬのだと思って、心の中で泣くよりほかなかった」というのだが、いくらなんでも、これではお作がかわいそうだ。

 いったいこの新吉の心の嵐は、どこから来るのだろうか。お作に対しては、最初から気に入らなかった、ということがある。新吉は、お作の器量がよくないぐらいのことは我慢ができたにせよ、「気が利かない」ということがやはりどうしても許せないことだったに違いない。新吉の頭の中は、商売でいっぱいだから、お作もその商売にどれだけ貢献できるかだけが問題だったわけで、それがダメだとなると、もうお作と暮らす意味がないばかりか、お作は重荷でしかない。

 それでも、そのお作に子どもができたとなれば、子どもへの期待から、お作への愛情も芽生えかけたわけだけれど、お作のことが「好きになった」わけじゃない。いっとき、商売を忘れただけのこと。お作が昼間から居眠りしているような愚図な姿を見せれば、あっという間にお作は「重荷」になるのだ。

 それにしても、こうした新吉の心のありさまを見ていると、夫婦というものの危うさが実感される。今でいえば、DVといってもいいこうした新吉の仕打ちは、もちろん社会問題化することもなく、また世間の同情がお作に集まることもなく、ただただ女の心の中で嘆かれるだけなのだ。お作は、誰にも相談することもできず、心の中で泣くより他はなかったのだ。当時から今に至るまで、どれだけ多くの女がこうした涙を流してきたことだろうと思うと、暗澹たる思いがする。

 

 

 

 

 

 

 


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