変則通
35×34cm
変ずれば則(すなは)ち通ず
●
易経の言葉
窮すれば則ち変じ
変ずれば則ち通ず
何事も窮すれば必ず変化が生じ
変化が起これば必ず通じる道が生じてくるものだ。
●
要するに、「何とかなる」ということです。
そうはいっても、「何とかならない」こともあるじゃないかという人もいるかもしれませんが
「何とかならない」のは、たぶん、「変化」を恐れているから。
そんな気がします。
変則通
35×34cm
変ずれば則(すなは)ち通ず
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易経の言葉
窮すれば則ち変じ
変ずれば則ち通ず
何事も窮すれば必ず変化が生じ
変化が起これば必ず通じる道が生じてくるものだ。
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要するに、「何とかなる」ということです。
そうはいっても、「何とかならない」こともあるじゃないかという人もいるかもしれませんが
「何とかならない」のは、たぶん、「変化」を恐れているから。
そんな気がします。
日本近代文学の森へ (90) 徳田秋声『新所帯』 10 風景は涙に揺れる
2019.2.9
婚礼の翌日からセカセカと働く新吉だが、お作は、目まぐるしい境遇の変化に、ついていくのが精一杯だ。
午前のうち、新吉は二、三度外へ出てはせかせかと帰って来た。小僧と同じように塩や、木端(こっぱ)を得意先へ配って歩いた。岡持(おかもち)を肩へかけて、少しばかりの醤油や酒をも持ち廻った。店が空きそうになると、「ちょッしようがないな。」と舌打ちして奥を見込み、「オイ、店が空くから出ていてくんな。」とお作に声をかけた。お作は顔や頭髪(あたま)を気にしながら、きまり悪そうに帳場のところへ来て坐った。
新吉は昨夜(ゆうべ)来たばかりの花嫁を捉えて、醤油や酒のよし悪し、値段などを教え始めた。
「この辺は貧乏人が多いんだから、皆(みんな)細かい商いばかりだ。お客は七、八分労働者なんだから、酒の小売りが一番多いのさ。店頭(みせさき)へ来て、桝飲みをきめ込む輩(てあい)も、日に二人や三人はあるんだから、そういう奴が飛び込んだら、ここの呑口をこう捻(ひね)って、桝ごと突き出してやるんさ。彼奴(やつ)ら撮(つま)み塩か何かで、グイグイ引っかけて去(い)かア。宅(うち)は新店だから、帳面のほか貸しは一切しねえという極(き)めなんだ。」とそれから売揚げのつけ方なども、一ト通り口早に教えた。お作はただニヤニヤと笑っていた。解ったのか、解らぬのか、新吉はもどかしく思った。で、ろくすっぽう、莨も吸わず、岡持を担ぎ出して、また出て行ってしまう。
晩方少し手隙になってから、新吉は質素(じみ)な晴れ着を着て、古い鳥打帽を被り、店をお作と小僧とに托(あず)けて、和泉屋へ行くと言って宅を出た。
新吉の商売は、貧乏人相手の「細かい商い」だ。わずかばかりの醤油や酒を売って、そこからわずかな利益を得る。そのわずかな利益をコツコツためて行って身代を築く。そういう商売をしていると、生活、考え方も、みなそういう商売に沿ったものとなる。一円を稼ぐのに費やした苦労を考えると一円をおいそれとは使えない。時間も無駄にはできない。ちょっとの時間でも働いて稼がなければ気が済まない。
こうした商人の姿を新吉は一身に担っている。この人物造型は実にうまい。モデルがいたにせよ、やはり秋声の人間観察は優れていて、それが、硯友社での長い文章修行によって見事に表現されているわけだ。尾崎紅葉の弟子となって、多くの小説を書いてきた秋声だったが、なかなかヒット作が出なかった。その秋声の努力がようやく実を結んだのが、この『新所帯』だったわけである。
新婚だからといって、生活に変わりはないから、女房も新しい働き手でしかない。新吉は女房を特訓するわけだ。
ところが、お作は、どうも心許ない。「ニヤニヤ笑っている」ばかりで、もどかしい。このお作は、登場してきたときから、いい印象を新吉に与えていない。小柄で地味でぱっとしない女だ。顔も美人とは言いがたい。しかし、これで商売をテキパキとこなすような女なら、新吉にとってはなんの不満もないはずだった。それが、こんなふうにハッキリしないのでは、新吉もイライラするばかりだ。
お作は後でほっとしていた。優しい顔に似合わず、気象はなかなか烈しいように思われた。無口なようで、何でも彼でもさらけ出すところが、男らしいようにも思われた。昨夜の羽織や袴を畳んで箪笥にしまい込もうとした時、「其奴(そいつ)は小野が、余所(よそ)から借りて来てくれたんだから……。」と低声に言って風呂敷を出して、自分で叮寧に包んだ、虚栄(みえ)も人前もない様子が、何となく頼もしいような気もした。初めての自分には、胸がドキリとするほど荒い言(ことば)をかけることもあるが、心持は空竹(からたけ)を割ったような男だとも思った。この店も二、三年の中には、グッと手広くするつもりだから……と、昨夜寝てから話したことなども憶(おも)い出された。自分の宅の一ツも建てたり、千や二千の金の出来るまでは、目を瞑(つぶ)って辛抱してくれろと言った言を考え出すと、お作はただ思いがけないような切ないような気がした。この五、六日の不安と動揺とが、懈(だる)い体と一緒に熔(とろ)け合って、嬉しいような、はかないような思いが、胸一杯に漂うていた。
お作は机に肱を突いて、うっとりと広い新開の町を眺めた。淡(うす)い冬の日は折々曇って、寂しい影が一体に行き遍(わた)っていた。凍(かじか)んだような人の姿が夢のように、往来(ゆきき)している。お作の目は潤んでいた。まだはっきりした印象もない新吉の顔が、何(なん)かしらぼんやりした輪のような物の中から見えるようであった。
一方、お作は新吉をどう見ていたのか。何を言われても「ニヤニヤ笑っている」お作だが、新吉という男を案外きちんと見ている。ポンポンと厳しい言葉を投げられるのは辛いけど、新吉が悪人じゃないことはよく分かる。表裏のない、さっぱりとした男らし男だ。見栄を張らないでなんでもあけすけに言うあたりは頼もしい。そうお作は思うのだ。
床の中の睦言も、商売のことばかりだけど、それでも、もっと稼ぐからしばらくは辛抱してくれというような言葉は、甘く響く。それがお作を「思いがけないような切ないような気」にさせる。
お作は、新吉に愛されるとは思っていなかったのだろう。自分の容姿や性格へのコンプレックスは当然あったはずで、こんな私だから、ジャマにされていつか追い出されるに違いないといった投げやりな気持ちがあったかもしれない。だからこそ、婚礼の席で、別の部屋にさがってひとりボンヤリしていたのだ。自分に幸せはふさわしくない、そう思っていたのかもしれない。
それなのに、新吉は、床の中で自分に優しい言葉をかけてくれた。それがお作には「思いがけなかった」のだ。そして、それが「切ない」のだ。嬉しいのだが、手放しで喜べない。いつかそんな甘い言葉もかけてくれなくなるに決まっている、そう思うから「切ない」のだ。
「この五、六日の不安と動揺とが、懈(だる)い体と一緒に熔(とろ)け合って、嬉しいような、はかないような思いが、胸一杯に漂うていた。」──「懈い体」は、夜の行為のせいでもあろう。甘ったるい快楽を懈い体に反芻しながら、嬉しいとも思い、はかないとも思う気持ちを「胸一杯に漂」わせてうっとりするお作。
この辺の文章の見事さには目を見張るものがある。涙に潤んだお作の目に映る冬の日の町。そこにぼんやり浮かぶ新吉の顔。その顔をお作はまだはっきりと思い出せないのだ。
新吉は優しいけれど、でも、ほんとうはどういう男なのだろう。そして、自分はいつまでこの男と暮らせるだろう。きっといつか捨てられる。その不安からお作は逃れられない。風景は涙に揺れるのである。