Yoz Art Space

エッセイ・書・写真・水彩画などのワンダーランド
更新終了となった「Yoz Home Page」の後継サイトです

一日一書 1528 「将進酒」より・李白

2019-02-11 21:34:33 | 一日一書

 

李白「将進酒」より

 

人生得意須盡歓

 

人生意を得なば須(すべか)らく歓を盡(つく)すべし

 

中国製の紙(95×17cm)

 

 

人としてこの世に生まれ、何か心にかなったことがあれば

その時こそ、必ずその喜びを味わい尽くすことが必要なのだ。

 

 

この後に、

莫使金樽空対月

金樽をして空しく月に対せしむる莫かれ


と、続きます。

 

その意味は

黄金の酒樽に満ちた美酒、それを飲もうともせず

空しく月光のもとに放っておいてはならない。

ということ。

 

 

楽しむべき時には

全力で楽しまねばならないということでしょう。

李白は希代の酒好きですが

この詩は、単に、酒を飲もうよ、というだけのものではなく

人の生き方そのものへの洞察があるようです。

 

 


 

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本近代文学の森へ (91) 徳田秋声『新所帯』 11 お作の恐怖

2019-02-11 09:31:44 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (91) 徳田秋声『新所帯』 11 お作の恐怖

2019.2.11


 

 根は優しい新吉だったが、お作の愚鈍さがあきらかになるにつれ、苛立ちは募るばかりだった。お作の幸せは、あっという間に淡雪のように溶けていく。


 幸福な月日は、滑るように過ぎ去った。新吉は結婚後一層家業に精が出た。その働きぶりには以前に比して、いくらか用意とか思慮とかいう余裕(ゆとり)が出来て来た。小僧を使うこと、仕入や得意を作ることも巧みになった。体を動かすことが、比較的少くなった代りに、多く頭脳(あたま)を使うような傾きもあった。
 けれど、お作は何の役にも立たなかった。気立てが優しいのと、起居(たちい)がしとやかなのと、物質上の欲望が少いのと、ただそれだけがこの女の長所(とりえ)だということが、いよいよ明らかになって来た。新吉が出てしまうと、お作は良人(おっと)にいいつかったことのほか、何の気働きも機転も利かすことが出来なかった。酒の割法(わりかた)が間違ったり、高い醤油(したじ)を安く売ることなどはめずらしくなかった。帳面の調べや、得意先の様子なども、一向に呑み込めなかった。呑み込もうとする気合いも見えなかった。


 新婚ということもあって、新吉はますます仕事に精を出す。体も動かすが、頭も使う。商人として成長してゆくのだ。けれども、それとは対照的に、お作の愚鈍さがあらわになる。


 そんなことがいくたびも重なると、新吉はぷりぷりして怒った。
「此奴(こいつ)はよっぽど間抜けだな。商人の内儀(かみ)さんが、そんなこッてどうするんだ。三度三度の飯をどこへ食ってやがんだ。」
 優しい新吉の口からこういう言葉が出るようになった。
 お作は赤い顔をして、ただニヤニヤと笑っている。
「ちょッ、しようがねえな。」と新吉は憤(じ)れったそうに、顔中を曇らせる。「己(おら)ア飛んだ者を背負い込んじゃったい。全体和泉屋も和泉屋じゃねえか。友達がいに、少しは何とか目口の明いた女房を世話しるがいいや。媒人口(なこうどぐち)ばかり利きあがって……これじゃ人の足元を見て、押附(おっつ)けものをしたようなもんだ。」とブツブツ零(こぼ)している。
 お作は、泣面(べそ)かきそうな顔をして、術なげにうつむいてしまう。
「明日から引っ込んでるがいい。店へなんぞ出られると、かえって家業の邪魔になる。奥でおん襤褸(ぼろ)でも綴(つづ)くッてる方がまだしも優(まし)だ。このくらいのことが勤まらねえようじゃ、どこへ行ったって勤まりそうなわけがない。それでよくお屋敷の奉公が勤まったもんだ。」
 罵る新吉の舌には、毒と熱とがあった。
 お作の目からはポロポロと熱い涙が零れた。
「私は莫迦ですから……。」とおどおどする。
 新吉は急に黙ってしまう。そうしてフカフカと莨を喫(ふか)す。筋張ったような顔が蒼くなって、目が酔漢(よっぱらい)のように据わっている。口を利く張合いも抜けてしまうのだが、胸の中はやっぱり煮えている。
 こう黙られると、お作の心はますますおどおどする。
「これから精々気をつけますから……。」と顫(ふる)え声で詫びるのであるが、その言(ことば)には自信も決心もなかった。ただ恐怖があるばかりであった。


 ポンポンと飛び出す新吉の叱責の言葉に対すお作の反応は、「赤い顔をして、ただニヤニヤと笑っている。」「泣面(べそ)かきそうな顔をして、術なげにうつむいてしまう。」「お作の目からはポロポロと熱い涙が零れた。」というように変化してゆく。新吉の言葉や態度も、だんだんと「毒と熱」を含んでくるから、耐えきれずに、お作は、ポロポロと涙をこぼす。こうしたお作の様子はほんとうに不憫であるが、そういうお作を見ても、新吉は同情もしない。自分の中の苛立ちをどうにもできないからだ。

 涙を流しながら、お作は「私は莫迦ですから……。」とようやく言葉を発するのだが、新吉は、その言葉にますます苛立ちを募らせる。

 「新吉は急に黙ってしまう。そうしてフカフカと莨を喫(ふか)す。筋張ったような顔が蒼くなって、目が酔漢(よっぱらい)のように据わっている。口を利く張合いも抜けてしまうのだが、胸の中はやっぱり煮えている。」──ここには、新吉の煮えくりかえる心の中が見事に描かれていて、一種の「すごみ」がある。こういう男は怖いなあとつくづく思う。

 新吉は自分に自信を持っているわけではない。むしろコンプレックスの塊だろう。けれども、新吉には「オレは努力してここまで来たんだ。」という自負がある。苦労してきただけに、その自負だけが新吉の心の支えなのだ。そういう人間は、努力しない他人に厳しいものだ。ましてそれが自分の女房ともなれば、いっそう許せない。

 他者に対して優しい人間というのは、得てして自分にも優しいものだ。「自分に厳しく、他者には優しい」というのが理想だなどと言われるが、果たしてそうだろうか。自分を許せない者が、どうして他者を許せるだろう。自分がどんなにダメな人間だろうと、まあ、これがオレだ、こんなもんだろうという諦めがない者に、他者のダメさを許せるわけがない。いや、他人様なら許せますっていうのは、たぶん、本質的に他者に無関心だからだ。

 自分に対して完璧を求め、いつも自己否定している人間が、対象が「他者」になったからといって、そうした態度をそう簡単には捨てられるものではない。そう思うのだが、違うだろうか。

 お作は、「『これから精々気をつけますから……。』と顫(ふる)え声で詫びる」けれども、お作には「自信も決心」もない。自分が一生懸命努力しても新吉の求めるような女房にはなれっこないと分かっているのだ。「私は莫迦だ」という自己認識がお作には染みついている。これを脱することは至難の業だ。それが身にしみてわかるお作にあるのは、ただ「恐怖」だけだ。

 この「恐怖」という言葉に、新吉の「すごみ」を重ねるとき、読者のぼくらも、思わず背筋が冷たくなる。そして、秋声の筆の「冴え」を感じるのだ。




 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする