昨日で日本のラヂオ放送が開局91年目となった。吾が年齢に一年早く大正14年西暦では1925年に誕生したことである。町のラジオ屋さんで、学校の会議で、家庭の居間でと言う様に徐々に発展して、町民の耳目を奪った。町並みにラジオがある家は殆ど数軒しかなかった。今でこそ会議や集会でマイクを使う様になったわけで、当時から戦時中まではラジオ、は珍しい貴重な存在であった。電気が夜間しか送電されず昼間ラジオを聞こうとすれば、特別に昼間用の配電を料金を支払って特約せねばならず、特殊の接待用にしか使えなかった時代である。夏の扇風機用か、冬場の大勢の宿泊客の為にしかラジオは使えなかった。今昔の感に堪えない。今年の夏は異常気象でこれから傘を持参しての登学である。