夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2014年11月 6日(木)「すき焼き風鍋」

2014年11月06日 18時57分32秒 | 「男の料理」
すき焼き自体が「すき焼き鍋」で鍋料理の一つなのでしょうが、今夜はこのすき焼き鍋をもっと鍋風にしてみました。
土鍋に豚肉(もちろん牛肉のほうがうまいでしょうが経費削減です)敷き詰めてだし汁を火にかけた時に肉が焦げないぐらいに入れます。その上に白滝・厚揚げの薄く切ったのもの、えのきだけそして大量の長葱を順番に重ねて入れます。長ネギは関東風ではなくて青い部分が多いネギがよいと思います。この葉っぱの部分の青いところがうまいです。
あとは火にかけて沸騰してきたら、酒、砂糖、みりん、醤油を適量かけて煮込むだけです。煮込むといってもねぎに日が通るか通らないかぐらいです。味付けの調整をしてください。
火を止めて生卵を落として蓋をしたら出来上がり。
卵はとろりとしたころが食べ時です。卵を混ぜながらお召し上がりください。
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2014年11月 5日(水)「商品の価値低下(2)」

2014年11月05日 22時40分50秒 | 「政治・経済」
先に書いた商品の価値低下の中身をもう少し見てみると、生産性の向上は同じ労働力量でより多くの商品を生産することにある。ここではどのようなことが起きるかというと、企業が支出する賃金部分は同じであるが生産設備や原材料などへの支出は増えます。これは可変資本は同じだが不変資本は増大をしているということで、可変資本に対する不変資本の割合である「資本の有機的組成」が高度化したこととなります。
この資本の有機的組成の高度化の結果は商品の価値と使用価値量の二面性において現れる。
一つは同じ労働力量でより多くの商品が生産されるので一つあたりの商品の価値は低下をする。
二つ目はより多くの商品に同じ労働力量しか必要としないわけですから価値低下をした商品の商品自身の姿である使用価値量が増大するということです。使用価値は有用性といってもよいですが、商品がその有用性において消費される商品の姿そのものです。使用価値の増大は商品量の増大として現れる。
より価値の下がった商品がより多く市場に投入されるという結果が資本の有機的組成の高度化の姿です。
では企業はより多くの商品を市場に投入したわけですから利潤が高くなるはずですが、しかし同じ可変資本量(労働力量)しか用いていないのですから商品総体の価値量には変化がない。ですから企業の利潤は増えないのです。
しかし先日の「商品価値の低下」でも書いたように資本の有機的組成の高度化(企業は生産性の向上)を利潤を高めるために行う。それは同じ産業内の競争相手が生産性の向上に後れを取っているならば、市場においてはその競争相手の商品価値と同じ価格で売ることができるという特別剰余価値の生産があるからです。少ない価値量の商品をより高い価値量の商品と同じ価格で売れるならば生産性の向上を先に行った企業の利潤は増えるでしょう。この競争が資本主義の経済成長のからくりです。
しかしここで先に書いた資本の有機的組成の高度による二つ目の結果である価値低下を起こした商品量の爆発が起きるとしたらどうなるでしょうか?それは過剰生産です。
市場に莫大な量の商品が流れて消費されなくなるとそれ以上の企業間競争は起こらずに生産性の向上も起こらなくなります。産業全体で商品価格は価値に近づく。これがその産業内での兵平均潤平均利潤の形成と利潤率の低下を引き起こす。
生産は縮小をしていく。すなわち成長が止まるわけです。このことが全産業に起こった場合はどうなるでしょうか?経済の停滞と商品価格の下落です。それが企業の利潤率のさらなる低下を引き起こす。
ここに現れるのは貨幣量の減少ではなくて貨幣(資本)の回転が鈍くなるということです。
銀行には有り余った貨幣が蓄積してそれを借りる企業が少なくなる。金融市場でも貨幣(資本)の回転が鈍くなる。それは銀行の利益を圧迫するでしょう。
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2014年11月 4日(火)「商品の価値低下」

2014年11月04日 21時33分44秒 | 「政治・経済」
古い機械で生産されていた商品がその生産に新しい機械が導入された場合、以前は10個しか生産されなかったものが30個生産されるようになった場合、その商品の一つあたりの価値は同じでしょうか?
この場合労働者の数や労働時間(可変資本)は同じとして原材料など(不変資本)の価格も同じとした場合です。
1つあたりの商品への不変資本の価値移転の量は同じですから商品の価値には不変資本は関係をしません。残るのは労働力です。たとえば1日単位の労働者の数も労働時間も変わらないと仮定していますので、一つあたりの商品を生産する労働時間が短くなっているという違いだけが残ります。
物々交換を考えてもたくさんの労働力(労働時間)をかけた物と少ない労働力しか必要のない物の交換は、同じ1個だから1個と1個で交換されるかといえばそうはならないでしょう。1つあたりにたくさんの労働時間をかけて物を作った人は交換としては損をします。ですからこの場合同じ1個単位の物でもその価値が違うから交換はできないということになる。これと同じようにより少ない労働力量しか必要なくなった商品は価値低下を起こすでしょう。
このように同じ商品でも1つあたりの商品を生産する労働時間が少なくなり価値の低下を起こすのが生産性の向上です。
この価値低下から先の商品を生産する企業はより多く生産しても利益は同じといった矛盾に陥ります。
ではなぜ企業は生産性を向上させるのでしょうか?
もちろん答えは利益が大きくなるからなのですが、そのからくりはどこにあるのでしょうか?
その商品を生産する企業は多くの同じ商品を生産する競争相手がいて一つの産業となっています。その産業全体で商品市場に商品を並べるわけです。この中で先ほどの生産性を向上させた企業の商品は価値低下を起こしているが市場の中では他の企業の商品と同じ価格で売れるなら、小さな価値しかない物でも同じ価格で売れるのですからその差額は特別な利益(特別剰余価値)を生むでしょう。
ですから企業は競争をして生産性の向上を行います。
この競争自体が資本主義の発展につながるわけです。
しかし先の商品を生産する産業内の企業がすべて同じ競争力のある生産性の向上が行われて新たな生産性を上げる材料がない場合どうなるでしょうか?
商品はその価値どおりの価格となります。
もちろん一つあたりの価値の低下は商品の価格も下げるわけですから今まで特別剰余価値を得ていた企業の利益も低下をしていきます。もちろん産業内すべての企業で利益の低下を起こします。
同時に生産性の向上は少ない労働力量でより多くの商品を生産するわけですから市場における商品量増大をしています。その商品がすべて売れたとしても企業にとっては利益の縮小と感じるでしょう。
さらに商品量の過剰が見えてきたときに産業内の企業は値下げ競争に走り出してその安売りを支える体力のない企業は淘汰をされる。あるいはその淘汰過程で市場を独占するために合弁が行われる。倒産する企業も現れればそれは労働力の過剰となり失業が発生をする。
また、企業は利益を維持するために失業という労働力の需給関係を利用して賃下げに走るでしょう。
失業と賃下げが何をもたらすか?
それは個人消費の縮小です。
この時に先の産業ばかりではなくて国内の産業すべてで同じことが起きてしまった場合、その個人消費総体が落ち込むでしょう。商品は総体的な過剰傾向を示す。するとまた企業は安売り競争とそこからの淘汰を起こしてさらに失業や低賃金を生む。このような悪循環がデフレ不況となります。
デフレの根本的な原因は貨幣量にあることではないことは明らかです。
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2014年11月 3日(月)「追加緩和・GPIF・補正予算」

2014年11月03日 22時43分26秒 | 「政治・経済」
日銀が追加緩和を決定し、GPIFが株式保有の増加を決め、政府が補正予算を言い出した。
これらはほぼ同日行われたわけですが、追加緩和は円安を促進するでしょうし、その円安も関連しながらGPIFの株式保有が決定をされたわけですから株価は上がるとみる方が増えるでしょう。そして政府が補正予算でさらに公共事業を行えば市場に金は流れる。ここから見えてくるものは三拍子そろった消費増税への経済的根拠でしょう。
同時にこの三拍子そろった経済の動きはまた国民に期待感を及ぼすでしょう。その期待感が消費増税に国民が耐えられるかの保証はないが。国民への期待感では、やはり賃上げが言われている。しかしこの賃上げについてはこれといった政策があるわけではない。賃上げが労働者全体に行き渡ったかといえばこれまでの経過を見ればわかる。むしろ悪性の物価高により実質賃金は下がり続ける。
やはり成長路線は国民生活の安定からかけ離れた株高や企業収益の拡大に現れるほかはないでしょう。そして消費増税の10%である。
株価維持・株価上昇は円が下り続けなければならない。株式市場にはGPIFの年金積立金が切れ目なく株式に廻らなければならないだろう。実体経済の伸びが鈍いなら公共事業(補正予算対面で)も切れ目なく続けなければならない。この経過の中で実体経済が伸びていくのかといえば金をつぎ込んだ割には大きな成長は見込まれないでしょう。
一方における国民生活の犠牲の割には経済成長も少なく実質賃金や雇用改悪が行われる。
経済矛盾解決の先送りと逆に経済矛盾が深まる危険が。。。
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「同じ一日」2014年秋

2014年11月02日 09時09分11秒 | 「同じ一日」



同じ一日「ハロウィンで心の仮装までやっているのかと思える日々」(11月2日)
同じ一日「O型便器の便座カバーを買ってきたのですが、尾てい骨あたりがカバーできない。これから冬に入れば絶対冷たい思いをする。。。。」(10月20日)
同じ一日「ひと夏越した超成熟豆のコーヒー豆を飲んでみる。。。。」(10月15日)
同じ一日「交差点で右折のウインカーを出しながら直進するのはやめてよ。。。。」(9月4日)
同じ一日「しばらく忙しくて落ち着きもない日々でした。体が忙しく動き回ると脳みそも急ぎ動き回る」(8月21日)
同じ一日「室温30度、湿度75%、窓を開けても無風」(8月14日)
同じ一日「パラパラと中途半端な雨。風もやんで湿度上昇中。首筋に汗が流れる。蝉の鳴き声まで蒸し暑い。」(8月8日)
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2014年11月 1日(土)「貨幣量と貨幣の回転」

2014年11月01日 08時05分02秒 | 「政治・経済」
デフレだインフレだと貨幣量を問題とする。
しかしデフレもインフレも貨幣量の問題ではなくて貨幣の回転が問題なのである。
デフレは貨幣量が足り何のではなくてだ物知多貨幣が回転しないのが問題でむしろデフレは貨幣量が多すぎるのである。経済が停滞をする中で貨幣量は多すぎとなるのである。
インフレの当初は貨幣の蓄積過程であり貨幣の回転を鈍くして市場の貨幣量が足りなくなるのである。そこでやはり貨幣量の増加を行いインフレとなる。
現在の金融政策が貨幣量だけを問題にして貨幣の回転を見ない中に経済の好循環は生まれないのである。
貨幣の回転が低下している中で貨幣量を増やせば名目上のインフレを起こすことができるがその名目上のインフレはやはり貨幣の蓄積過程であり貨幣の回転を鈍くする。名目上の好景気と実体経済の不況が同居をしてスタグフレーションとなる。
スタグフレーションは経済の成長を促さない。
デフレからの脱却は企業の持つ資本の回転が早まることである。
この企業には莫大な貨幣量がある。この貨幣を回転させることにより企業はまた資本の増殖を行える。これは生産面での経済の好循環である。
同時にこの資本の回転を早めるにはその企業が生産する商品やサービスがやはり速く回転しなければならないということでありそれは消費を意味する。そうならば消費の側の貨幣の回転の増大が必要となる。しかし資本の蓄積過程で貨幣は企業に集まりそれが賃金という形で消費を担う労働者に廻らなくなる。するとここに貨幣の回転が滞ることとなる。貨幣の回転は消費に向けられなければならない。これが消費から見た経済の好循環である。
生産の好循環と消費の好循環は貨幣量ではなくて貨幣の回転が問題であることは明白だろう。
消費の側の経済の好循環は何も賃上げで労働者の懐に入る貨幣量を増やすことだけではない。
物価が下がることによって相対的に労働者の貨幣量は増える。
この物価は円るぎー問題もあるが経済の法則性からの生産性の向上が商品価値を下げるのであるから労働者の懐にある貨幣量の相対的な増加は必然である。絶対的な貨幣量の増加が必要なのではなくてこの相対的貨幣量の増加は貨幣の回転から得られる。
企業の資本の回転も同じだろう。貨幣量を増やして名目上の物価高でコストが膨らみ貨幣量が足りなくなるといった矛盾を引き起こすのではなくて生産性の向上の中でコストも下がることにより相対的な貨幣量は少なくなる。絶対的な貨幣量が問題ではないのである。
今の経済学は自己のインフレ政策(実はスタグフレーション政策なのだが)を正当化するために貨幣量よりも貨幣の回転を言う者にデフレ派というレッテルを張るのでしょう。
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