最後の章の釜ヶ崎へ来てから、ずっと土方をやっていた、と言う方の語りが興味深かった。
もともと終戦で大陸から引き揚げてきて、幾つかの職を経験して、溶接が上手かったので
それなりに余裕のある暮らしをしていたが、それまでになかったパチンコと言うものを経験し、
はまって借金を作って、釜ヶ崎へ来ることのなったとのこと。
それまでなかった依存性のある娯楽にはまったので、個人では対応が出来なかったのだろう。
土方と言うと、単純労働のような感じがするが、様々な事が出来る必要があるので、
不器用な人には無理な仕事との事である。
このような日本の復興を支えた人が、晩年に福祉マンションで暮らし、
最低限の暮らししか出来なかったことには、疑問が残る。