明楼前から南側を見たものです。手前は祭祀の道具です。先に見える山の形が印象的です。ちょっと自然の山とは見えません。
昭西陵について泥縄で調べると、二代目崇徳帝皇太極の皇后である孝荘文皇后の陵墓でした。崇徳帝皇太極は瀋陽北陵に陵墓がありますが、彼女は三代目順治帝の擁立に功績があり(6歳の自分の息子です)、また四代目康煕帝(自分の孫です)の擁立にも功績があり、彼女の、瀋陽の夫と合葬されたくない、息子や孫の傍がよいという希望で昭西陵に葬られたそうです。
この泥縄式の中で面白い話をみました。順治帝は皇帝になってから天然痘にかかり、病が重いので後継者を捜し、若くして天然痘に罹病したことがある、後の康煕帝が後継者になったそうです。
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昭西陵について泥縄で調べると、二代目崇徳帝皇太極の皇后である孝荘文皇后の陵墓でした。崇徳帝皇太極は瀋陽北陵に陵墓がありますが、彼女は三代目順治帝の擁立に功績があり(6歳の自分の息子です)、また四代目康煕帝(自分の孫です)の擁立にも功績があり、彼女の、瀋陽の夫と合葬されたくない、息子や孫の傍がよいという希望で昭西陵に葬られたそうです。
この泥縄式の中で面白い話をみました。順治帝は皇帝になってから天然痘にかかり、病が重いので後継者を捜し、若くして天然痘に罹病したことがある、後の康煕帝が後継者になったそうです。
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今朝の上海は晴れです。地上は少し靄っています。予報は晴れ、最高気温は6度、最低は-3度です。
昨夕、徐州から戻りました。予定通り、山東省台児荘の古城と江蘇省沛県をみることが出来ました。沛県は漢の劉邦の故郷です。11日の夜は徐州に宿泊し、徐州から日帰りの形で二つの地区を見ました。寒かったですが、天気がよく、何とか楽しめました。これらの地区のことは、大分先になりますが、後日ご報告します。
河北遵化の清東陵を続けます。昭西陵を続けます。1枚目の写真は明楼と呼ばれ、宝頂と言われる塚の前の高楼です。後ろに塚の石垣が見えます。
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河北遵化の清東陵を続けます。昭西陵を続けます。1枚目の写真は明楼と呼ばれ、宝頂と言われる塚の前の高楼です。後ろに塚の石垣が見えます。
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