68年前のあの夏の日。兵隊で朝鮮に行っていた父はそれまでに帰還していました。その日父は、午前中松の木から航空燃料にするための油を採取し軍に供出する作業のため山へ行き、帰ってきて(敗戦の)玉音放送のことを聞いてポカンとしたのを思い出します。暑い日でした。
私には、戦争が終わるとはどういうことか、分かりませんでした。物心ついた頃には、父は不在でもう戦争が始まっていましたから。戦争が終わったのは小学校の3年生でした。
戦争中も戦争が終わったあとも、今からでは想像できない生活でした。その惨状は日本だけでなく世界に広がっていました。それ以来、もう戦争は絶対嫌だと思い続けました。それは今も変わりません。軍事力が幅をきかすところでは非人間性が横行します。憲法9条は守りたいです。
戦争を知らない人たちは、今ではもう必ずしもそうは思わないようですね。残念です。
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私には、戦争が終わるとはどういうことか、分かりませんでした。物心ついた頃には、父は不在でもう戦争が始まっていましたから。戦争が終わったのは小学校の3年生でした。
戦争中も戦争が終わったあとも、今からでは想像できない生活でした。その惨状は日本だけでなく世界に広がっていました。それ以来、もう戦争は絶対嫌だと思い続けました。それは今も変わりません。軍事力が幅をきかすところでは非人間性が横行します。憲法9条は守りたいです。
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