湖東三山の内、一番南側に位置する百済寺はそれ程観光化もされておらず、三山の中では、最も古寺の趣きが感じられる寺院です。606年聖徳太子が百済人のために押立山の中腹に百済国の「龍雲時」を模して創建されたと伝えられています。鎌倉時代には、「天台別院」とされ、1000坊を擁する大寺院でした。その後何度も火災や信長の焼き討ちなどに遭い、今では、僅かに桧皮葺きの本堂や、石垣に囲まれた参道、仁王門、喜見院の庭園などに昔の面影を偲ぶばかりです。もう紅葉も散り敷いて冬の陽射しが薄く差していました。
仁王門
本堂・千年菩提樹
喜見院・書院と庭園