徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

江戸時代の都市伝説

2011-11-09 17:14:49 | 熊本
 先日放送された大河ドラマ「江 ~姫たちの戦国~」の43回は、徳川方に包囲された大坂城が炎上し、それを蔵の中から見届けた豊臣秀頼と母・淀殿が自害して果てるところまでだった。残すところいよいよあと3回となった。
 ところで、この豊臣秀頼と母・淀殿の最期については、自害現場に居あわせた者もいなければ、遺体を見た者もいないことから、脱出生存説が江戸時代から民間伝説として残っている。大坂の陣には兵を出さなかった薩摩藩に逃げ延びて匿われ、隠遁生活を送ったという。いや、実はやっぱり肥後に逃れたという説もある。それは豊臣恩顧の大名の中でも最後に頼りにするのは加藤家。加藤清正亡き後、肥後藩主となっていた加藤忠広はまだその頃14,5歳。目付役だった伊予今治藩の藤堂高虎も豊臣恩顧の大名。自ら手引きしたか、あるいは見て見ぬふりをした可能性もあるという。はては、生き延びた秀頼の落胤といわれる豊臣秀綱なる人物が後に「島原の乱」を率いた天草四郎と同一人物という風説まである。まさに信じるか信じないかはあなた次第だが、もし、肥後に逃れていたとすれば復元された熊本城本丸御殿の「昭君の間」は実際に使われたということになる。実に興味深い。