雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

三木の金物まつり

2006-11-04 14:39:39 | みっきぃふるさとふれあい公園
今日、明日の2日間、三木の金物祭りが開催される。

もう30年も三木市に住んでいるが、金物祭りには行ったことがなかった。
今年は気が変わって、ちょっと覗いてみるかと出かけた。

15万人以上もの人が集まるという。
市役所の前の駐車場の広場で行われるのだが、三木の市民より周辺の地域や、他県からの人も多く、駐車場が大変である。

市役所の近くの空き地や、近くの森林公園や三木総合公園の駐車場などがまつりの駐車場として、準備されている。

15万人以上というと、鈴鹿の8H耐久レースの最盛期を思い出す。
鈴鹿市が車であふれ、臨時の駐車場が何千円もの有料で、ひどいところは畑も駐車場に化けていた。

三木もさぞ大変と思って出かけたが、そうでもなかった。
人出はすごかった。会場の賑わいは8耐なみであったが、滞留時間が8耐と比べて短いことと、駐車場の面積が断然広いのである。

有料は一箇所もない。すべて無料である。
開催場所とはこれも無料バスのピストン運転で連絡されている。

土地が広く、余裕があるということはいいことである。
三木で有料の駐車場を探すのは難しい。
グリーンピアも森林公園もホースランドも、すべて駐車料無料である。

意外に、三木に住む人はそんな意識すらないと思う。
いい環境である。

金物祭りでは、高枝採集バサミを買った。

金物のことより、自分の住むまちの環境のことを考えた一日だった。
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カワサキのレース場

2006-11-04 09:17:45 | M/Cレース
カワサキは、今二つのレース場を持っている。

大分県竹田市直入町のSPA直入と大分県日田市上津江町のオートポリスである。

SPA直入の建設には深く関係した。
1.43キロの短いコースだが、今は4.3キロのオフロードも併設されている。

SPA直入のコンセプトは、二輪を愛する一般のライダーたちが気軽に走れるサーキットを目指して建設された。

当時、問題となっていた峠族に、メーカーは車を提供するだけでなく、走れる場所の提供もすべきだとの発想であった。

レースマシンでない一般の市販車でサーキットランが出来たのは、SPA直入が日本で始めてのはずである。

一般の素人にサーキットを走らすのは無謀という意見が社内でも強かったが、一方通行で対向車もない、信号もない整備されたコースを走るのが、どうして危険なのか。二輪車はそんなに危険な乗り物かと、妙な理屈で強引に押し切って実現した。

これを契機として、その後各地のサーキットで、市販車でのサーキット走行が許されるようになるのである。

サーキットオープンの日には、4000人を超す一般ライダーが、ツーリングで直入を訪れ、はじめてのサーキットランを自分の車で楽しんだ。
4000台の市販車が列をなして走る様は壮観であった。

当時の町長はオープンセレモニーで,直入町にこのような多くの人が集まったのは有史以来はじめてである、と挨拶した。

先頭を走り文字通り先導の役を務めてくれたのは、清原明彦君と当時はヤマハの契約であったが、わざわざ来てくれた金谷秀夫君だった。

SPA直入の正式名称はS.S.R.F SPA直入である。
Sports&Safty.Riding.Fieldの略である。当初は全国にユーザーの走れるこのような場所を沢山造ろうという発想だった。

SPA直入のSPAは直入町の温泉のSPAと思っている人が殆どで、その意味もあるのだが、むしろ、ベルギーにある世界的に有名なサーキット スパ、フランコルシャン(SPA Francorehamps)のSPAとも掛けているのである。

SPA直入のコース設計など建設に尽力し、SPA直入の名づけ親である岩崎茂樹君も故人になられた。私のあとのカワサキのレースマネージャで博学であった。

このような、気軽に走れるコースをもっと造りたかったが、カワサキでは実現しなかったが。

この度、私も懇意にして頂いている、ミスターバイクの斉藤さんが永年の夢であったサーキットを、鈴鹿(鈴鹿ツインサーキット)に造られた。
サーキットの建設が如何に難しいものであるか、身に沁みて解っているので斉藤さんのご苦労とご努力に心から敬意を表したい。

SPA直入と同時期に建設されたオートポリスも、縁があって、今はカワサキのサーキットになっている。
昔の仲間の一人がマーネージメントにあたっている。

先日、レースの前に往年の名ライダーたちが走ったそうである
片山義美、金谷秀夫、清原明彦など私にとって懐かしい名前があった。

多分、レースマシンではなく、市販車だったはずである。
コメント (2)
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