雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

船場モータース岡田博さんの思い出

2006-11-24 06:45:41 | カワサキ単車の昔話
1970年ごろ、カワサキは、時代を先取りする販売網を模索していた。

カワサキが企図した特約店制度の推進でお世話になった販売店と言えば、躊躇なく「船場さん」と岡田博さんの名前を挙げるだろう。

みんな、その頃岡田さんではなく「船場さん」と呼んでいた。大阪の老舗船場モータースの社長岡田博さんのことである。

丁度、大型スポーツ車に移行しようとする時代で、カワサキではマッハやW1のブレーキ、チェンジが左右入れ替わったころである。

販売網も今までの小型実用車向けのものから、時代を先取りした大型スポーツ車の販売にマッチするものに、ドラスチックな転換を図ろうとしていた。

所謂、カワサキの特約店制度を目指していたのだが、それ以前の大阪のカワサキ共栄会を組織するころから、お世話になった。

当時の共栄会の会員は20数名であったが、若しこの会員で大阪の販売の60%を売って頂いたら、当時600店ぐらいとの取引であったが、この600店を共栄会の会員20数店に絞ると約束して、お互い頑張ったのである。

当時の、売れさえすればどこにでも売るという、メーカーの政策では、高度な技術サービスを必要とする大型車の販売に合わないし、店自体の力もつかない、ツーリングや遊びなど、実用車とは違った乗り方をするユーザーのニーズに対応出来ないと考えたのである。

事実、当時の販売網の殆どは自転車屋さんだった。
大型のスポーツ車を主力に販売しようという店は、そんなに多くはなかったのだが、600店を20数店に絞るのもまた勇気のいる決断ではあった。

社内の意思統一も大変だったが、何ヶ月も掛けてようやく近畿、中部地区の気持ちが一つになっていった。

販売店サイドも、このコンセプトに共感して集まってくれた人たちとの協力で、カワサキの特約店制度は、大阪、京都、名古屋で産声を上げたのである。

1973年1月30日、新阪急ホテルで大阪特約店の発会式があった。

近畿や中部地区は前後して、すべての地区で特約店制度に移行し、Z2の発売もあったりして、特約店自体も順調に推移したのだが、全国展開にはいろいろと苦労した。

船場さんには各地の特約店説明会に同行して頂き、特約店の立場からの説得スピーチをお願いしたが、これがカワサキの特約店制度の推進、実現の大きな要因になったと言っていい。

私には、カワサキが「船場さんと一緒に造った特約店制度」という想いが強い。

カワサキの販売網政策は、「特約店」から「ARK]そして現在の「正規取扱店」へ名前は変遷するが、

Kawasaki Let the Good Times Roll 

カワサキに出会う人たちすべてが(ユーザーも、販売店も、道行く人たちも )ハッピーにという、基本コンセプトだけは変わらず受け継がれて、現在に至っている。

特約店制度は、この基本コンセプト実現のために、当初は大きなリスクを覚悟して踏み切ったのだが、これに共感して協力して頂いた船場さんをはじめとする、販売店の仲間たちに感謝したい。

そして、当時の未だ若かったが、勇気をもって改革に立ち向かったカワサキの仲間たちにも感謝したい。

仲間は沢山いるのだが、「船場さん」の思い出は強烈に残っている。








コメント (2)
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