雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

新人営業マン 昔話ー2

2006-11-17 09:48:38 | カワサキ単車の昔話
1962年1月営業の単車係に配属された。30才まだ、独身の頃である。

単車のスタート以来の総生産台数が1万台に達するかどうかという、まさに創生期のころである。

配属された営業で、単車を担当していたのは、次長小野助さん、壱岐係長、女子も入れて全部で5人しかいなかった。

「君、物品税を担当してくれ。」小野さんに最初に言われた。

物品税は今はもうないが、贅沢品に掛けられる税金である。
何のことか始めは解らなかったが、毎日、毎日物品税との格闘が始まった。

税金を払うのは簡単だが、戻してもらうのは大変なのである。
物品税の戻入手続きをするのが、私の仕事であった。

ニューエースという、名前はすごくいいB-7の前に出した車のフレームの欠陥で、毎日、毎日返品が続いていた。

1月16日にあった、単車連絡会議で議長の土崎専務が前月の生産台数がマイナスになっているのを見て、「君らは、1ヶ月かかって単車を壊したのか?」
本気か冗談か解らなかったが、生産台数より返却台数のほうが多かったのである。

そんな状況であったから、私の仕事も無茶苦茶忙しかった。生産サイドの秋原君と毎日、税務署の人の立会い検査に付き合った。


加えて、1月13日から国税局の物品税の監査があり、ここでも悪戦苦闘した。
管理が悪く台数が合わないのである。

更に、物品税は、売上時点の計上ではなく、工場を出荷した時点、工場に戻った時点での計上が正しいのだが、当時売上先のカワサキ自販の事務所が工場内にあったことも原因して、一部は売上時点での間違った計上になっており、ひどく怒られた。

着任2週間目の新人には説明のしようもなく、ウロがくる始末で、「知りませんでした。」と言ったら「君が知らなくても、会社が知らんと言うことは通らない.申告税だから罰則はきつい。体刑もある。」とおどかされた。


新人営業マンの営業とは程遠い1ヶ月目の経験であった。




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