雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

ブログが、暖めてくれた旧交

2006-11-11 16:54:17 | M/Cレース
この2,3日久しぶりに、よく電話をかけた。

「私の仲間たち」を発信して以来、昔のレース関係者の「仲間たち」ばかりへの電話だった。

会社関係は、山田さん、高橋さん、大槻さん、田崎さん。「レースの偉い仲間たち」で、既にご紹介をした。


今回は、何故そんなことになったのか、経緯も含めて、電話した仲間たちのことを簡単に、ご紹介したい。

ブログで、「モトクロスマシン F21M」 のことを書いたら,オトキチなる方から、「三木の方ですね。三木市のモトクロス場で、ビンテージバイクのレースをやってます。観にいらして下さい。」とのコメントが入った。

そのサーキットに電話して、話をしていたら、「山本隆さんにはお世話になっています。」という。
急に昔がなつかしくなり、「昔の仲間たち」のブログを発信するはめになり、どんどん広がっていったのである。


山本隆君

カワサキのモトクロスの一つの時代を築いた、元全日本チャンピオンで、星野と一緒にMFJからご褒美にヨーロッパ旅行をプレゼントされた。

「カワサキがはじめて鈴鹿を走った日」でご紹介したように、カワサキではじめて鈴鹿を走ったのは,意外にも、モトクロスライダーの山本隆なのである。

星野がカワサキ時代、兄貴のように慕っていた。
ちなみに、私は彼の仲人をやらさせた。はじめての仲人で、未だ私も若かった。


清原明彦君
カワサキのテストライダー出身で、改めて説明の要もない人気ライダーである。
神戸で立派なモーターサイクルショップを経営している。

先日の、大槻さんが会長のZ-1会のゴルフコンペでは、清原用の特別ハンデイではあったが、確か優勝した。流石に勝負強い。

久しぶりに、OB会やりましょうという話になりそうだ。




ミスターバイク&鈴鹿ツインサーキットの社長 斉藤さん

春日井スズキという、スタートしたばかりの小さなお店時代からの、おつきあいである。
久しぶりに声が聞けて懐かしかった。
鈴鹿ツインサーキットの開発には、やはり10年の永い年月を要したとか。

どのようなことでそうなったのか解らぬが、私とも特に関係の深い、大阪の3人との仲は親密極まりない。

その3人とは。
大阪の老舗ショップ、船場モータースの岡田博さんと、今はその息子さん。

堺の(株)忍者の伊藤さん。時々、酒場から自宅に電話がある。毎年必ず、水なすを送ってくれる。面白い、男である。

もう一人は、吉村太一君。あのモトクロスで有名な、星野と同期の「太一ちゃん」

このグループは、カワサキにいた竹内優さんも入れて、集まっているようだ。
出て来いとも言われているのだが、未だ行ったことはない。

来春、太一も呼んで久しぶりに、ゴルフをしようと誘われた。



星野インパルの金子豊君昨日、電話をしたが留守だった。今朝先方から電話があった。

カワサキコンバットのone of themだったが、当時のメンバーの星野とまた出会って、今はインパルの社長である。

私はレース担当のあと、東北6県の営業を仙台で担当したが、ご縁があって、仙台時代もよく一緒に、彼のトヨタの空冷のスポーツカーで走り回った。秋田の出身である。

「今、どこに住んで居られるのですか。」「三木。」「松尾さんの居た近くですね。松尾さんお元気ですか。」「福田さんは、大西健ちゃんは。」など、レース仲間にだけ解る会話が続いた。

彼もまた、いい男である。いろいろ、昔を懐かしんだ。

星野は居なかったが、「また電話をさせます。」ということで電話を切った。


ブログがきっかけで暖められた、私の旧交であった。



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片山義美君のこと

2006-11-11 09:39:25 | M/Cレース

昨日の夕方、高橋さんに電話した。
「レースの偉い仲間たち」に勝手に名前を出したので、了承を頂くためだった。

「聞いた、聞いた。今日、会合があって、大槻さんが会うなり話をしてくれた。」
私流の仲間の解釈を,海兵出身の高橋さんに120%の賛意を示して頂いた。
同志という言葉も出た。同志は仲間より一段上のランクか。

私が、「想い出を共有する人たちを仲間という。」とはっきり認識し、外に対して発言したのは、片山義美君の引退パーテイの時だった。

ご存知の方も多いと思うが、日本を代表する世界に名を馳せた、二輪、四輪の名ライダーである。

当時、スズキ、マツダの契約レーサーで、カワサキと直接の契約はなかったのだが、彼の主宰する神戸木の実クラブのメンバーであった山本,歳森、金谷,星野がカワサキの契約ライダーであったので、いろいろ接触はあった。

この引退パーテイで、予想もしなかった開幕の主賓の挨拶を、突然頼まれた。

断ったが、どうしてもと言われて、「スズキさん、マツダさんを差し置いて、ご挨拶をすることになったのは、多分、沢山の想い出を共有する仲間として、一言喋れということだと思う。」と前置きして、挨拶をした。

司会を務めていたのは、金谷だった。

事実、片山と金谷と私の間には、忘れることの出来ない、一つの共通の思い出があった。
その時はじめて、とっさに、この言葉が出てきたのである。

私流の「仲間」という解釈は、片山と金谷がくれた言葉だと思っている。

(このパーテイには岩崎茂樹君と2人で出席した。久しぶりに小島松久君とも会い旧交を温めた。確かヘリで来たなどと言っていた記憶があったが、先日片山義美君に会ったとき確かめたら、そうだった。)



つい先日、突然清原君から電話があり、「今、片山さんのところに来ている。飯でも食いませんか。」とわざわざ家まで迎えに来てくれて、ご馳走になった。

先ごろオートポリスで、往年の名ライダーが走った時、清原が片山にお世話になったお礼に来たのだという。

片山君は今、私も住んでいる三木市に店を持っていて、住まいも聞いてみると私と同じ町である。


たまに会っても、昨日のことのように思い出を語り合える仲間がいることは、本当に幸せである。

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