雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

平井稔男さんのこと 昔話ー7

2006-11-29 06:26:49 | カワサキ単車の昔話
「平井稔男さんのこと」

カワサキの赤タンクのことを書いたら、#142ハラさんから、いろいろタンクのこと教えて頂いた。
詳しい人がいるものである。#142ハラさん有難うございました。

そのコメントの最後に、「メイハツ~Team Greenの平井稔男さんはお元気なのでしょうか?」とあったので平井さんを思い出しながら、昔話をと思う。


平井さんとは、この1~2年お会いしたことはないが、今でも兵庫県の二輪関係の何かを手伝って居られて、お元気とお聞きしている。

私と同い年である。
メイハツにいて、その事務所が明石工場の4研にあったころからのお付き合いである。
永いカワサキの勤めではあったが、その殆どを兵庫で過ごしたと思う。

レース関係でも、カワサキの国内ジュニア以下の面倒をよくみてくれた。
モトクロスの竹沢君が名古屋から明石に来ていた頃である。
Team Greenもそのころスタートしたのかな、と思う。

竹沢君と言えば、彼の結婚式の司会を平井さんが務めていた。
仲人は百合草さんだったかと思う。
同じ会場で、私は北村君のの仲人を引き受けていたのだが、それが終わったあと、竹沢君の結婚式が始まりかけていた。

「入れ入れ」と、突如誘われて、竹沢君の結婚式に飛び入りで出席したのを思い出す。
吉村太一君も来ていて、いいスピーチをした。
平井さんの司会、抜群と当時の日記に書いている。(1973-2-11)


平井さんと言えば、勇ましいイメージが強いのだが、別の一面を二つ、ご紹介する。

安全運転を担当していた時期がある。
暴走族が華やかな時代、暴走族=大型バイク=カワサキと言われ、安全運動活動に注力した時代である。

この時期、平井さんの二輪車の運転技術は、ものすごく進歩した。
淡路でのツーリングで「こけた」というのが平井さんのレベルと思っていたから、その進歩は驚きであった。

安全運転の担当期間、彼は自分の四輪を売ってしまった。
若し持っていたら、ひょっとして酒を飲んで乗るかもしれないからと,言っていたのが印象に残っている。


もう一つ、ずっと後の話だが、「お客様相談室」を新設した。
本当に、信頼される「お客様相談室」にすべく、車も技術も営業も歴史も、カワサキのすべてをを知り尽くした、平井さんが担当した。

苦情が殆どで、その対応が仕事であったが、難しい神経をすり減らすような仕事も、彼がやると楽しそうに見えるから不思議である。

カワサキのお客様相談室は、平井さんの時代、日本一だったかも知れない。
苦情を言ってきた人たちから、感謝されて、お中元が届いたり、チケットが贈られたりした。


カワサキの名物男、平井さんの一面である。

尊敬できる、仲間であった。
コメント
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