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大阪の所長をしていた頃、万博のあった年(1970年)、はじめて伊藤さんに出会った。
まだ伊藤モータースという名前で弟さんと二人、中古車を中心にした小さな店だった。
今は、堺の㈱忍者の社長、大成功である。
今までに店の名も何度も変えたし、経営形態も時代とともに変遷を重ねた。
時代をよむ変わり身の早さは、まさに忍者のようである。
口は悪く、河内弁というのであろう早口である。話す中味は鋭く本音以外のことは言わぬ。
私とは親しくして頂いたが、今まで話をした時間の半分は、伊藤さんの文句を聞く時間であった。然し、彼の話は、殆どが正論である。
流石に最近は私も仕事を離れたので、話の内容も至極おだやかだが、それでも時々昔のクセが出る。
普通一般の営業マンにとっては極めてヤッカイナ存在であるが、彼に認めて貰える営業マンは本物であると思う。
その伊藤さんが頭の上がらぬ営業マンも中にはいる。竹内優さんがその筆頭であろう。
先日夜遅く、突然酒場から電話があった。
「細谷君と飲んでるんです。」今のカワサキの担当者である。多分,気に入って貰っているのだと思う。
突然、電話をかけてくるところなどは、如何にも伊藤さんらしい。昔のままである。
伊藤さんの仲間は、先日も少し触れたが、船場モータースの岡田博さん、彼は仲間と言うより伊藤さんが尊敬する先輩である。
鈴鹿ツインサーキットの経営もやっている、ミスターバイクの斉藤さん、モトクロスで有名な吉村太一さん。もう故人になられたが吉永さん、野崎さん。
みんな夫々個性はあるが、誠意のある,真っ直ぐな人ばかりである。
カワサキの販売店は、伊藤さんに代表されるような「奇人、変人」が多い。
私はいいことだと思っている。
昨日「求む。奇人、変人」という高槻市の樋渡市長公室長の文章に触れたのは、「奇人、変人」を推奨する方に出会えて、その考え方を紹介しておくほうが、伊藤さんのことなども書きやすくなると思ったからである。
1971年、カワサキは特約店制度を実施しようとしていた。
大阪の600店もあった取引先の販売店を、担保、保証金などという厳しい条件ではあったが、主旨に賛同する販売店との共栄を目標に、20数店に絞るドラスチックな改革であった。
それが推進できたのは、船場モータースの岡田さんや、伊藤さんの力や協力があったからだと思う。
当時の人たちはみな仲間だと思っている。
須川さん、大本さん、吉永さんの息子さんなど、今も尚、変らぬお付き合いが続いている。
これからもずっと、仲間としての付き合いが続けばいい。
今の㈱忍者の店は、非常に立派なものだが、
「いつかもっともっと立派な店を持ちたい。」という夢を伊藤さんは持っているようだ。
気持ちはまだまだ若いのである。
若し、そんな時が来たら,「開店祝いのパーテイには必ず寄せて貰って、ご挨拶をさして頂ける」ことになっている。
そんな風になればいいなと思っている。
大阪の所長をしていた頃、万博のあった年(1970年)、はじめて伊藤さんに出会った。
まだ伊藤モータースという名前で弟さんと二人、中古車を中心にした小さな店だった。
今は、堺の㈱忍者の社長、大成功である。
今までに店の名も何度も変えたし、経営形態も時代とともに変遷を重ねた。
時代をよむ変わり身の早さは、まさに忍者のようである。
口は悪く、河内弁というのであろう早口である。話す中味は鋭く本音以外のことは言わぬ。
私とは親しくして頂いたが、今まで話をした時間の半分は、伊藤さんの文句を聞く時間であった。然し、彼の話は、殆どが正論である。
流石に最近は私も仕事を離れたので、話の内容も至極おだやかだが、それでも時々昔のクセが出る。
普通一般の営業マンにとっては極めてヤッカイナ存在であるが、彼に認めて貰える営業マンは本物であると思う。
その伊藤さんが頭の上がらぬ営業マンも中にはいる。竹内優さんがその筆頭であろう。
先日夜遅く、突然酒場から電話があった。
「細谷君と飲んでるんです。」今のカワサキの担当者である。多分,気に入って貰っているのだと思う。
突然、電話をかけてくるところなどは、如何にも伊藤さんらしい。昔のままである。
伊藤さんの仲間は、先日も少し触れたが、船場モータースの岡田博さん、彼は仲間と言うより伊藤さんが尊敬する先輩である。
鈴鹿ツインサーキットの経営もやっている、ミスターバイクの斉藤さん、モトクロスで有名な吉村太一さん。もう故人になられたが吉永さん、野崎さん。
みんな夫々個性はあるが、誠意のある,真っ直ぐな人ばかりである。
カワサキの販売店は、伊藤さんに代表されるような「奇人、変人」が多い。
私はいいことだと思っている。
昨日「求む。奇人、変人」という高槻市の樋渡市長公室長の文章に触れたのは、「奇人、変人」を推奨する方に出会えて、その考え方を紹介しておくほうが、伊藤さんのことなども書きやすくなると思ったからである。
1971年、カワサキは特約店制度を実施しようとしていた。
大阪の600店もあった取引先の販売店を、担保、保証金などという厳しい条件ではあったが、主旨に賛同する販売店との共栄を目標に、20数店に絞るドラスチックな改革であった。
それが推進できたのは、船場モータースの岡田さんや、伊藤さんの力や協力があったからだと思う。
当時の人たちはみな仲間だと思っている。
須川さん、大本さん、吉永さんの息子さんなど、今も尚、変らぬお付き合いが続いている。
これからもずっと、仲間としての付き合いが続けばいい。
今の㈱忍者の店は、非常に立派なものだが、
「いつかもっともっと立派な店を持ちたい。」という夢を伊藤さんは持っているようだ。
気持ちはまだまだ若いのである。
若し、そんな時が来たら,「開店祝いのパーテイには必ず寄せて貰って、ご挨拶をさして頂ける」ことになっている。
そんな風になればいいなと思っている。