雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

昔話のコンセプト 昔話ー1

2006-11-16 09:47:28 | カワサキ単車の昔話
つい2~3日前,カワサキワールドを訪ねたら、田中さんや吉田君など懐かしい昔話に熱中して、肝心の展示も観ずに帰ってしまったことは、ブログにも書いた。

昔話は、その輪に入れる人たちにとっては、時間も忘れる楽しさがあるものだ。

ブログを始めて2ヶ月、約70通の発信となっているが、読者の中心はどうもモーターサイクルに関心のある方が多く、カワサキと関係のあった人もいらっしゃるようなので、気楽な昔話でも始められたらいいなと思った。

おそるおそる始めたブログだが、ようやくどのようなものか、解りかけてきた。

トラックバックやコメントも実際に、どんなものか実感できた。
双方向の情報発信であるから、やろうと思えば昔の仲間を中心に、昔話を展開することも出来るのである。

今まで約70通のブログを書いたが、テーマを決めて一つ一つを書いているので、どうしてもまとも過ぎる文章にもなるし、書いている本人も気楽さがない。
私の本性とは若干ズレテいる。

今までのようなブログとともに「カワサキ昔話」というカテゴリーを新設し、「カワサキ単車の昔話」と銘打って、NOを付しスタートすることにする。



「カワサキ単車の昔話」のおおまかなコンセプトを次のようなものにした。

1.面白かった、苦しかった、喜んだなど、とにかく、雑談に類する気楽なものとする。
2.時系列に並べることにはこだわらないが、出来るかぎり年月日が解れば、明示する。
3.読者の対象はカワサキに関係のあった人たちと意識して記述する。
4.従って、登場人物も読んだ人は当然分かる昔話なので、詳しい紹介は敢えてしない。
5.カワサキに関係のあった人、ブログなどへのコメント参加など、大歓迎とする。
6.一般の人も、少しは興味が湧くような配慮も当然する。


それでは、スタートする。

何故、「単車の」としたか。
一番事業が苦しかった時代、懐かしい時代の事業部の呼び名は「単車事業部」だった。
その後、ジェットスキーやATVが入って単車が合わなくなり、コンシューマー、プロダクトの「C,P事業本部」とか、エンジンも入って「汎用機事業本部」などと変遷を重ねているが、一番想い出のある昔話に似合うのは「単車」という言葉だと思うのである。

私の記憶が正しければ、1960年ごろ「単車準備室」なるものが造られ、単車事業への本格参入が検討されはじめたと思う。三浪さんなどがおられた。

私が単車に関係したのは、1962年1月,営業部の単車係である。
この頃から、単車に関係した人は、意外に少ないはずである。まだイセキのモペットもあり、所謂単車はカワサキ自販の元メイハツやメグロの人が営業全般をやってくれていた。輸出など多分なかったから、国内が全事業であった。

その当時、「単車」という名称が使われていた。

「単車」とはオートバイ、二輪車のことだが、何故単車と言ったのか、そもそも「単車」とはなぜ「二輪車」を単車と呼ぶのか。
長い間、私の疑問であったが、あるとき「それはな。側車に対して単車、側車免許に対するものだ。」
私の中学の先輩で、山田さんとも同期の岡田さんに、教えて頂いたが、本当にそうなのか確かめたことはない。

岡田さんは、技術屋さんには、めちゃめちゃ厳しかった。特に説明での言葉の使い方には、少しの間違いも許されない厳しさがあった。
反面、事務屋にはやさしかったような気がする。

そんな岡田さんの説明だったので、信じきって確かめる気にもならなかった。

そんな懐かしい昔話もあって、「カワサキ単車の昔話」とした。
コメント
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