飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

人間の生前と死後の様子を撮影した写真!!

2008-05-03 08:42:07 | 日本

諸行無常!!

形あるものは必ず朽ち果てる!!

しかし、心は、思いは、魂は永遠である。!!

【転載開始】2008年04月02日 15時28分00秒 ギガジンより

人間の生前と死後の様子を撮影した写真

ドイツの写真家Walter Schelsと相棒のBeate Lakottaによって撮影された、人間が死ぬ前後の顔写真。

生前と死後では全然違う顔に見える写真もあれば、ただ目を閉じているだけに見えたりする写真もあり、不思議な雰囲気になっています。

詳細は以下から。

Edelgard Claveyさん。若い頃はプロテスタントの一員として精力的に活動していたそうです。2003年12月5日撮影

ガンで亡くなったEdelgard Claveyさん。2004年1月4日撮影

Maria Hai-Anh Tuyet Caoさん。「私は死を受け入れる。死は永遠に続くものではなく、神に会った後は、最終的にまた地球に戻り人間となる」と述べたそうです。2003年12月5日撮影

Mariaさんが亡くなった後の写真。2004年2月15日撮影

Roswitha Pacholleckさんは「全く不条理だ。ガンになってからずっと今だけの苦しみだと言い聞かせ、生きたいと願い続けている」と述べたそうです。2002年12月31日撮影

その後、ホスピスで尊厳と温情を受けながら充実した日々を過ごしたPacholleckさんは、もし生き残れたらホスピスでボランティア活動をすると約束したそうです。2003年3月6日撮影

Rita Schofflerさん。死ぬ前に末期ガンを宣告される前に離婚した夫と会うことを望んでいました。自分が死ぬことを伝えると前夫は会いに来ることを約束したそうです。2004年2月17日撮影

Schofflerさんは「色々あったけど私はまだ彼を好きでいる。人生の最後の瞬間に愛することが出来た」と話していたそうです。2004年5月10日撮影

Peter Kellingさん。健康安全局で働く公務員でずっと健康に過ごしていたのですが、ある日腸ガンであるという診断がされました。ガンは肺や肝臓、脳まで転 移し、「私はまだ64なのに、他の同年代の人と同じようには動けない」と呟いていたとのこと。2003年11月29日撮影

考えすぎで落ち着かなくなることがあったり、夜中に大声で泣いてしまうこともあったそうです。Kellingさんは亡くなる日まで部屋のドアにサッカーチームの試合記録をつけ続けていました。2003年12月22日撮影
【転載終了】


『終わりの日の預言』の周辺情報!!⑦

2008-05-03 07:57:38 | 預言
『終わりの日の預言』の周辺情報!!

ハナンエルの よい知らせ!!⑦

幻の解釈 アポカリプス 真理の開示Ⅲ

 驚きを持って受け止めた思いを、わかる人はわかるであろう。聖書のごとく、聖書以上に平易で、具体的である。何よりも、現代的である。ただ、このことを伝えることはするが、受け取り方は人それぞれであって、よもや、宣教するがごとき言説は拒否する。この情報は、善意(事情を知らず、意図もないこと=法律用語)の第三者情報である。2443637808_c94c54fa57_o

 ここにきて、確信した。大祭司はハナンエルという方は、やっぱり女性であったなということ。きっとそうだと思っていた。まあ、それはたいした問題ではないが...。

 内容はほとんど聖書のごとくであり、一度ならず読み、聞き、馴染んだ聖句が多い。かといって、引用したとは思わない。それは、引用では味わうことのできないリズムの流れがある。これもわかる人にはわかるであろう。

 同じことを言う人は多い。片方は本物で、片方は詐欺師である。その見分け方は、一つは行動であり、一つは時系列で揺るぎがあるかないかである。さらにもう一つは、その言葉の響きである。これは証明しようがない。響きとはリズムであり波動である。だから、わかる人はそれを感じ取るべきであるし、感じ取れるであろうと思う。真理は確かにあるが、証明しきれるものではない。感じ取るものである。

 愛は確かに存在する。しかし、手に取り証明できようか。神は確かに存在するというが、証明できようか。感じ取る以外にない。感じ取るものは幸いである、と思う。   

【転載開始】
 「キリスト教会の人々は、ペテロの座に着いている。だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない。言うだけで、実行しないからである。

 彼らは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、自分ではそれを動かすために、指一本貸そうともしない。そのすることは、すべての人に見せるためで ある。聖句の入った小箱を大きくしたり、衣服の房を長くしたりする。
 宴会では上座、会堂では上席に座ることを好み、また、広場で挨拶されたり、先生と呼ば れたりすることを好む。だが、あなた方は先生と呼ばれてはならない。あなた方の師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ。また、地上の者を父と呼んではならな い。あなた方の父は天の父おひとりだけだ。牧師と呼ばれてもいけない。あなた方の牧師はキリスト一人だけである。あなた方のうちで一番偉い人は、仕える者 になりなさい。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。

 教会の人々、あなた達偽善者は不幸だ。
 人々の前で天の国を閉ざすからだ。自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない。

 教会の人々、あなた達偽善者は不幸だ。
 改宗者を一人作ろうとして、海と陸を巡り歩くが、改宗者が出来ると、自分より倍も悪い地獄の子にしてしまうからだ。

  ものの見えない案内人、あなた達は不幸だ。
 あなたたちは《会堂にかけて誓えば、その誓いは無効である。だが、会堂の偶像にかけて誓えば、それは果たさねば なない》と言う。愚かで、ものの見えない者たち。また、<祭壇にかけて誓えば、その誓いは無効である。その上の供え物にかけて誓えば、それは果たさねばな らない>と言う。

   ものの見えない者たち、供え物と、供え物を清くする祭壇と、どちらが尊いか。祭壇にかけて誓う者は祭壇とその上のすべての者にかけて誓うのだ。

   会堂にかけて誓う者は、会堂とその中に住んでおられる方にかけて誓うのだ。

 天にかけて誓う者は、神の玉座とそれに座っておられる方にかけて誓うのだ。

 教会の人々、あなた達偽善者は不幸だ。
 十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしているからだ。これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ物もないがしろにしてはならないが。ものの見えない案内人、あなた達はぶよ一匹さえも漉して除くが、らくだは飲み込んでいる。

 教会の人々、あなた達偽善者は不幸だ。
 杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。ものの見えない人々、まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる。

 教会の人々、あなた達偽善者は不幸だ。
 白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。このようにあなた達も、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている。

 教会の人々、あなた達偽善者は不幸だ。
 殉教者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりしているからだ。そして、<もしイエス様の時代に生きていてもイエスさまの血を流す側にはつかなかったであろう>などと言う。
 こうして、自分がわたしを殺した者たちの子孫である事を、自ら証明している。先祖が始めた悪事の仕上げをしたらどうだ。蛇よ、蝮の子らよ、どうしてあなた 達は地獄の罰を免れることが出来ようか。だから、わたしは預言者、大祭司、祭司、聖所監督、使徒たちをあなた達に遣わすが、あなた達はその中のある者を殺 し、十字架につけ、ある者を会堂で鞭打ち、町から町へと追い回して迫害する。こうして、正しい人アベルの血から、あなたたちが聖所と祭壇の間で殺した異端 者と呼ばれた人の血に至るまで、地上に流された正しい人の血はすべて、あなたたちにふりかかってくる。はっきり言っておく。これらの事の結果はすべて、今 の時代のあなた達に降りかかってくる。』」

   主はわたし(預言者)に言われた。
 「自分の足でしっかりと立ち、鳴り渡る声を聞きなさい。あなたの立っている場所が大きく揺れ動いて言葉が下るが、恐れてはならない。それは終末についての 言葉である。大地の基は、それが自分についての言葉である事を悟り、震えおののくであろう。大地の基は、終末に自分が変わらねばならぬ事を知っているから である。

    見よ、その日がやって来る。
 私が地に住む人々を訪れようと近づく時である。それは不義によって害を及ぼした者どもの追求を始める時であり、『主の神殿』の屈辱が終わる時である。そし て、過ぎ去っていく世が封印されるとき、わたしは次のしるしを行う。
 巻物が大空いっぱいに開かれ、すべての者が同時にこれを見るであろう。ラッパが鳴り響 き、人は皆、これを聞いて、たちまち恐怖に襲われるであろう。そのとき、友は友を敵に回していがみ合い、泉の水脈は詰り、三時間の間流れを止める。わたし があなたに予告したこれら全てを免れた人々は皆救われ、わたしの救いと、世の終わりとを見るだろう。そして、彼らは、生涯死を味わうことなく天に受け入れ られた人々を見るだろう。そして地に住む人々の心は変えられて、新しい感覚を身に付ける。悪はぬぐい去られ、欺きは消え去るからである。そして信仰が花開 き、腐敗は克服され、長い間実らなかった真理が明らかになるだろう。」

    主は言われる。
 「さあ、わたしがあなたの口に送り込む預言の言葉を、わたしの民の耳に語りなさい。そして彼らにそれを書き取らせなさい。その言葉は真実で、信頼できるだ からである。あなたに対する悪だくみを恐れてはならない。あなたに敵対する人々の不信仰に動揺してはならない。不信仰は人々は皆、不信仰のゆえに滅びるか らである。」

    「大祭司に伝えなさい。
 娘よ、あなたは地上のすべての女にまさって、いと高き神に祝福された者。天と地を造られた神なる主をほめたたえよ。主はあなたを導き、敵の大将である検察 官を討たせてくださった。あなたはその結果を見ることになるであろう。人々が神の力を思い起こすとき、あなたの抱いたその確信が、彼らの心から失われるこ とは決してあるまい。神がこれをあなたの永遠の誉れとし、数々の恵みをもって顧みてくださるように。それは、この民が卑しめられるのを見て、あなたは命を 惜しむことなく神の御前を真っ直ぐに歩み、民の破局を防いだからだ。」

    「預言者よ、あなたは板を取り、それを自分の都との間に壁とし、あなたの顔を都に向けなさい。こうして都は包囲される。あなたがそれを包囲するのだ。これは教会に対するしるしである。」

   御使いが言った。
   「幻を解釈すればこのようになる。666の獣はあの鷲、第4の国である。
    見よ、時が来て、イスラム連合が興る。それは、それまでにあったどんな国よりも、恐ろしいものである。それはかつてダニエルが見た幻の、第2のもの、バビロンが更に強大になったものである。これがエズラの見た12の翼の解釈である。
    彼らは、いと高き方が終わりの時まで取って置かれたものたちである。
    彼らの終わりの時に、獅子が森の中からほえながら、起き上がって出て来る。その獅子は鷲に話しかけ、言葉の限りを尽くして、鷲の不正な業を非難する。この獅子こそ、メシアである。メシアは彼らの不正を論証し、彼らの前に、その侮辱満ちた行いを指摘する。

 メシアはまず彼らを裁きの座に立たせ、彼らの非を論証してから滅ぼす。メシアは、残ったわたしの民を憐れみをもって解放する。彼らは世で救われた者であ り、彼らはメシアによって、裁きの日に、喜びを味わうであろう。裁きの日のことは、初めに話しておいたとおりである。これが幻とその解釈である。

 いと高き方のこの秘密を知るのにふさわしいのはあなただけであった。だから、あなたが聞いたことをみな、本に書き、隠れた場所にしまいなさい。詳しいこと は、民の中の賢い人々、すなわち、この秘密を理解し、守る心があるとあなたが思う人々に、これを教えなさい。」

   「預言して大祭司に伝えなさい。」と主は言われる。
 「死の試練は神の従う人々にも与えられ、多くの人々が滅びる。しかし、裁きの日は長くは続かない。とがめられるところのない一人の人が、速やかに代表戦士 として立ち、自分のゆだねれた大祭司の任務を武器として、祈りと、香りによる贖いを献げたからである。そして御怒りの前に身を置き、災いを終わらせ、わた しの僕(しもべ)である事を示した。彼がわたしの怒りに打ち勝ったのは、体力や、武力によってではない。言葉によってわたしを説得し、わたしがかつてその 先祖であるイスラエルの民と交わした誓いと契約を思い出させたのである。撃たれる者は多い。そのとき大祭司は間に立って罰の攻撃を押しとどめ、それが生き るいる者に及ぶ道を断ち切るであろう。

    大祭司の足まで届く衣は全宇宙を示す。『主の神殿』の主の民を滅ぼす者は、それを前にしてたじろぎ、恐れた。神を信じない者たちには、わたしは容赦のない怒りを下す。彼らが後に何をするかを、わたしはあらかじめ知っているからだ。

 わたしの民を追い出した後で、後悔して追いかけても遅い。まだ追い出した者たちの嘆きの声が聞こえるというのに、彼らは再び正気の沙汰とは思えない考えを 抱き、前には頼んで出て行ってもらった人々を、今度は逃亡者として追い始めるであろう。彼らがこの極端な行為に走り、過去を忘れるのは、当然の成り行きで ある。彼らの罰の欠けている分を、これらの苦しみで補わせるためであり、また、民が予期せぬたびを経験している間、彼らが異常な死に出会うためである。」

 「これを預言して伝えなさい。」と主は言われる。
 「わたしは主から知らせを聞いた。使者が諸国へ遣わされ、『集まれ、教会を攻めよ。戦いに出よ』と言う。見よ、わたしはお前(教会)を諸国のうちで、最も 小さいものとする。お前は人々にさげすまれる。岩の裂け目にいる者よ、丘の頂に立てこもるものらよ、お前の脅かしもうぬぼれもお前を支えはしない。お前が 鷲のように高い所に巣を作っても、わたしはお前をそこから引き降ろすと、主は言われる。

 教会は攻撃の的となり、側を通る者は皆恐れ、その破壊を見て逃げる。ソドム、ゴモラと周囲の町々が覆されたときのように、そこには、だれひとり住む者はなくなり、宿る者もいなくなる。
 見よ、新しいバビロンは教会を襲い、一瞬のうちに彼らを追い散らし、わたしが選んだ者に、そこを守らせる。誰か、わたしのような者がいるだろうか。誰が、 わたしを召喚するだろうか。羊飼いのうち誰が、わたしに挑むだろうか。それゆえ、主が教会に対して練られた計画、その住民に対して定められた企てを聞け。 羊の群れの幼い者まで引きずられてゆく。牧場は、このことのゆえに恐れおののく。彼らの倒れる音で大地は揺れ動く。叫びの声は葦の海でも聞こえる。見よ、 新しいバビロンは鷲のように舞い上がり、早く飛んで来て、教会に向かって翼を拡がる。その日には、あなたがたの心は、子を産む女の心のようにおののく。枢 機卿、司教、司祭は、悪い知らせを聞いて、うろたえる。やすらうことのない海のように彼らは不安におののく姦淫の女。バチカンは力を失い、身を翻して逃れ た。おののきが彼女に臨んだ。子を産む女のように激しい痛みが、彼女をとらえた。栄えある都、わが喜びの町は、どうして捨てられたのか。それゆえ、その日 には、バチカンの若者たちは広場で倒れ、兵士は皆、息絶えて静かになる、と万軍の主は言われる。わたしはバチカンの城壁に火をつけ、火は寺院の城郭をなめ 尽くす。彼らの天幕と羊群れは奪われる。天幕の垂れ幕と道具もひとつ残らず、らくだは奪われ、敵は大声で呼ばわる。『恐れが四方から迫る』と。

 教会の住民よ、逃げよ、落ち延びよ、深い谷に隠れよ、と主は言われる。イスラム連合が、お前たちを攻める計画を練り、お前たちを滅ぼす企てを立てているか らだ。立て、攻めあがれ。安らかに暮らしている、穏やかな国に向かって、主は言われる。この国は、ひとり離れて住んでいる。」
   「彼らはついに連れ去られる。後に残されるのは少数の民と、バチカンの支配者だけである。中には、、神の御旨を行うものもいるが、罪に罪を重ねた者もいる。」
   「かくしてなすべきことはすべてなし終える。」 【転載終 続く】