飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

街中で宙に浮き続けるストリートパフォーマンス!!

2008-05-04 09:03:05 | 日本

以前、写真は見たことあったが.....
こういう仕掛けだったのか。(転載)

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【転載開始】2008年05月01日 11時54分00秒 ギガジンより

街中で宙に浮き続けるストリートパフォーマンス

ドイツのストリートパフォーマーJohan Lorbeer氏による街中での空中浮遊です。超能力ではないので当然トリックがあるのですが、いろんな方向から大勢の観客に見られても大丈夫なようになっているようです。

詳細は以下から。

Secret of Johan Lorbeer Still-Life Performance Tarzan Ah Boon_Net

視線を集めるLorbeer氏。

至近距離で足元を撮影されています。

特に何も見えない。

足の下に透明な板があるわけではないようです。

屋上のクレーンから吊り下げられているわけでもない。

精巧なロボットでもないので水分補給もします。

パフォーマンス中のムービーもあります。
YouTube - Defying Gravity

トリックの手がかりとなる画像がこちら。壁からLorbeer氏のものではない手が生えています。

Lorbeer氏のサイトでは他のパフォーマンス写真がいくつか見られるようになっています。
www_johanlorbeer_com【転載終了】


『終わりの日の預言』の周辺情報!!⑧

2008-05-04 08:28:18 | 預言

『終わりの日の預言』の周辺情報!!

ハナンエルの よい知らせ!!⑧

幻の解釈 アポカリプス 真理の開示Ⅳ

 『預言など関係ない。主?、神?、世の終わり?、そんなもの俺の人生に、何の関わりもない。それよか、今の暮らしが大変なんだよ。それをどうにかしてくれねえか。Pic04

 そんな声が聞こえたような気がする。しかし、何の関わりのない俺の人生と言っても、そう思っているだけだとしたら、大変な誤解である。誤解も五階、7階も八階もの大誤解と言うべきである。

 『しゃらくせえ、俺の勝手だ。ほっといておくんなさいよ。』というのが、大概の現代人の風潮である。それが、自由というものであって、他人にどうのこうのと言われる筋合いはないと考える。リベラリズムの悪弊である。このリベラリズムを世に振りまいたのは、サタニスト(悪魔主義者)であることは分かっている。

 もしも、このまま行けば、暮らしは楽になるかい。俺の勝手は良いけれど、それで心は幸せかい。そもそも幸せって一体全体なんだい。と、問うことが出来たら、このアポカリプス(啓示)も、興味を抱くきっかけになると思う。

 しかし、それは推奨されて云々、と言う性質のものではないので、興味がない方は、どうぞ、読み飛ばしていただきたい。

【転載開始】<幻の解釈 アポカリプス 真理の開示Ⅳ

 「預言して言いなさい。知恵は彼らを、聖なる預言者の手で導いた。彼らは人の住めない荒野をさまよい、人の住み入ったことのない地に幕屋を張った。また、敵に立ち向かい、相手を打ち破った。」
  「あなたが見たことをみな、書物に書き、隠れた場所にしまいなさい。」

 御使いが言った。
 「『主の神殿』は敵によって荒野のように住む人もなくなり、そこに産まれた者たちの出入りもなくなった。聖所は踏み荒らされ、周囲には異教徒らがいて、主 の民から喜びは奪われ、笛の音も、琴の音も絶えた。一同は集まって、『主の神殿』を移動した。大祭司がそれを引き取ったからである。

  その日彼らは悲嘆に暮れた。異教徒ならば偶像に疑いを立てるところであるが、彼らは律法の巻物を開いたのである。そうして彼らは祭司服と初物、十分の一税を持って来て、天に向かって大声を上げた。
 『この者たちをどうすればよいのでしょう。どこに連れて行けばよいのでしょうか。あなたの聖所は踏み荒らされ、汚され、あなたに仕える祭司たちは悲嘆に暮 れ、辱められています。ご覧ください。異教徒たちがわたしたちを滅ぼそうと押し寄せてきます。彼らがわたしたちに何をたくらんでいるかはご存じのとおりで す。あなたのお助けなしにどうして彼らに立ち向かえましょうか。』そして彼らは音楽を鳴らし、大声で叫んだ。

   その頃、預言者は捕囚の地から民の指揮官を任命した。
すなわち、祭司、教区長、聖所監督、教区長補佐、レビ人である。家を建てているもの、婚約した男、ぶどうの植え付けをしている者、心をひるんでいる者、以 上の者たちは律法に従っておのおの家に引き返すよう彼は勧告した。それから全任命者は出立し、陣を敷いた。大祭司は言った。『勇気を出せ。明朝は、我々の 聖所を滅ぼそうと集まっているあの異教徒どもとの戦いだ。備えを怠るな。主の民と聖所に加えられる災いを目にするくらいなら、戦って死ぬ方がましではない か。すべては天の御旨のままになるであろう。』」御使いは続けて言った。

    「預言者は民と共に追撃を終えて、民に言った。『戦利品のことなど考えるな。まだ戦いは終わっていない。敵とその部隊も備えているはずだ。今は目の前の敵に立ち向かい、戦うのだ。その後で堂々と戦利品を手にするがよい。』
 預言者がこう言い終えないうちに、様子をうかがっていた敵の一部が姿を現した。彼らは、見方(味方?加筆)が遁走し、陣営に神の火が放たれたことを悟った。立ち昇る煙が その事実を明らかにしていたからである。この光景を前にして彼らは大層おじけづき、また預言者が戦いの準備をしているのを見て、ことごとく自分の家に逃げ て行った。そこで預言者は追撃をやめた。全任命者は、賛歌をうたい天を賛美した。『ほむべきかな。その憐れみはとこしえに代わることはない。』 こうし て、この日、主の民に大いなる救いがもたらされたのであった。

 命拾いをした敵の部下たちは、王のもとにたどりついて、事の次第を余すところなく報告した。自分が望んだ事が何一つ実現せず、王の命令を果たせなかったこ とを知って、敵の指揮官は動揺し、落胆した。だがその翌年、彼は、戦いを交えるため、同調者を召集した。彼らは陣を築いた。預言者は任命者を率いてこれと 相対したが、敵の強固な陣営を見て、こう祈った。『ほむべきかな。主の民の救い主、あなたの僕ダビデの手でかの剛の者の勢いを粉砕された主、サウルの子ヨ ナタンとその武具をとる若者の手にペリシテ人の陣営をひきわたされた主よ、どうかあの陣営をあなたの民、主の民の手によって封じ込め、彼らを辱めてくださ い。彼らに恐れを抱かせ、彼らの強い自信をゆるがせ、彼らを粉砕して破滅に導いてください。あなたを愛する者たちの剣で彼らをなぎ倒させてください。あな たの御名を知る者すべてが、賛美をもってあなたをたたえるようにしてください。』

   敵の指揮官は、再度戦おうと、人を多数集めた。
   大祭司と任命者たちは言った。『聖所を清め、これを新たに奉献しよう」。
   そこで主の民が終結し、『主の聖所』を目指して上って行った。彼らは荒れ果てた聖所を見、激しく嘆き、顔を伏せ、礼拝の音楽を鳴らし、天に向かって叫んだ。
 それから大祭司は民に、聖所の清めが終わるまで、戦うよう命じ、律法に忠実で、とがめられるところのない祭司たちを選んだ。祭司たちは聖所を清め、汚れの 石を不浄の場所に移した。それから汚されてしまった焼き尽くす献げ物のための祭壇の処置をめぐって協議し、それを引き倒すことが最善ということになった。 異教徒がそれを汚したので、そのことで自分たちが非難されないためである。

 こうして彼らはその祭壇を引き倒した。そしてこの石について指示を与えてくれる まで、そこに放置することにした。そして祭司たちは、律法に従って、自然のままの石を持って来て、以前のものに倣って新しい祭壇を築いた。こうして、聖所 および神殿の内部を修復し、中庭を清めた。また聖なる祭具類を新しくし、燭台、香壇、供えのパンの机を神殿に運びいれ、香壇には香をたき、燭台には火をと もして神殿内部を照らした。また机には供えのパンを置き、垂れ幕を垂らした。」

    御使いが主の御前に進み出て、言った。
    「主の御旨を悟りうる者がいるでしょうか。人間の考えは浅はかです。朽ちるべき体は重荷となり、悩む心を圧迫します。」主は答えられた。

 「わたしの子が自分の被造物を解放し、残された人々の運命を定めるであろう。あなたは、彼の口から風と火と嵐が出るのを見た。彼は、投げ槍も武器も持たず に、自分を倒そうとして来た群衆の襲撃を粉砕した。これを解き明かせばこのようになる。見よ、いと高い方が地上にいる人々を救う日が来る。そして、地に住 む人々は正気を失うであろう。町は町に、地方は地方に、民は民に、国は国に対して、互いに戦いを企てる。これらのことが起こり、わたしが先にあなたに示し たしるしが現れるとき、そのとき、わたしの子が登場する。わたしの子とは、海から昇るのをあなたが見た人のことである。すべての民は彼の声を聞くと、おの おの、自分の国を捨て、互いに闘うのすらやめて、ひとつに終結し、無数の群衆となって、あなたが見たとおり、彼に戦いを挑むであろう。しかし彼は、シオン の山の頂に立つ。
 あなたは山が手によらずに刻み出されるのを見たが、シオンは整えられ、建てられた姿で到来し、すべての人々に現れる。そこで、わたしの子は、立ち向かって 来た民に対して、その不敬虔を論証する。これが嵐にたとえられているのである。そして、彼らの前で、その邪悪な思いをとがめ、彼らをさいなむ懲らしめを与 える。これが炎にたとえられている。そして、彼らを律法によって難なく滅ぼす。これが火にたとえられているのである。」

    主はわたし(預言者)に言われた。
    「災いが襲い掛かる、その地に住む者すべてに。北の全ての民と全ての国に、わたしは今、呼びかける、と主は言われる。彼らはやって来て、神殿をとりまく城壁と、すべての町に向かって、それぞれ陣を据える。」
 わたし(預言者)は言った。「何をもって、わたしは主の御前に出て、いと高き神意にぬかずくべきでしょうか。焼き尽くす献げ物として、当歳の仔牛をもって 御前に出るべきでしょうか。主は喜ばれるでしょうか。幾千の雄羊、いく万の油の流れを。わが咎を償うために、自分の罪のために、何をささげるべきでしょう か。」
   主は答えられた。「人よ、何が善であり、主が何をお前に何を求めておられるかは、お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである。」       

 主の御声は教会に向かって呼ばれる。
 「御名を畏れ敬うことこそ賢明である。聞け、教会とその集会よ。まだ、わたしは忍ばねばならないのか、神に逆らう者の家、不正に蓄えられた富、呪われた容 量の足りない升を。わたしは認め得ようか、不正な天秤、偽りの重り石の袋を。都の金持ちは不法で道、住民は偽りを語る。彼らの口には欺く舌がある。わたし も、お前を撃って病気にかからせ、罪のゆえに滅ぼす。お前は食べても飽くことなく、空腹が取り付く。持ち物を運び出しても、それを救い得ず、救い出して も、わたしはそれを剣に渡す。お前は種を蒔いても、刈り入れることなく、オリーブの実を踏んでも、その油を塗ることはない。新しいぶどうを搾っても、その 酒を飲むことはない。お前はかつてのイスラエルの民の偶像崇拝の過ちを保ち、そのたくらみに従って歩んだ。そのため、わたしはお前を荒れるにまかせ、その 住民を嘲りの的とする。お前たちはわが民の恥を負わねばならない。
 悲しいかな、わたしは夏に果物を集める者のように、ぶどうの残りを摘むもののようになった。もはや、食べられるぶどうの実はなく、わたしの好む初なりのイ チジクもない。主の慈しみに生きるものはこの国から滅び、人々の中に正しい者はいなくなった。皆、密かに人の命をねらい、互いに網で捕らえようとする。彼 らの手は悪事にたけ、神父も司祭も報酬を目当てとし、名士も私欲をもって語る。しかも、彼らはそれを包み隠す。彼らの中の最善の者も茨のようであり、正し い者も茨の垣に劣る。お前の見張りの者が告げる日、お前の刑罰の日が来た。今や、彼らに大混乱が起こる。」

 御使いは言った。「主なる神は御民には燃える火の柱(預言の御言葉)を与えて、未知の旅の案内者とし、栄えある放浪の旅の、彼らを苦しめることのない太陽 とされました。他方敵どもは、当然なことに光を奪われ、闇に繋がれました。主なる神の子らをとりこにしたからです。彼らこそ不滅の光を、世に伝えるはずで した。
 あなたに清められた民を、彼らは滅ぼそうとしました。そのとき一人の子が捨てられて、救われました。あの夜のことは、前もって知らされており、主の民は預 言の御言葉によってそれを知り、それを信じていたので、動揺することなく安心していられました。神に従う人々の救いと、敵どもの滅びを、民は待っていまし た。
 主なる神は、反対者への罰に用いたその出来事で、主の民を招き、光栄を与えてくださいました。善い民の清い子らは、ひそかにいけにえを献げ、神聖な掟をま もることを全員一致で取り決めました。それは、聖なる民が、順境も逆境も、心を合わせて受け止めるということです。そのとき主の民は先祖たちの賛歌を歌っ ていました。その歌には、反対者どもの叫びが不調和にこだましました。」
   

 「ペテロはこう言っている。」と御使いは言った。
 「かつてあなたがたは、異邦人が好むような事を行い、好色、情欲、泥酔、酒宴、暴飲、律法で禁じられている偶像礼拝などいふけっていたのですが、もうそれ で十分です。あの者たちは、もはやあなた方がそのようなひどい乱行に加わらなくなったので、不審に思い、そしるのです。彼らは、生きているものと死んだ者 にも福音が告げ知らされたのは、彼らが、人間の見方からすれば、肉において裁かれて死んだようでも、神との関係で、霊において生きるようになるためなので す。
 万物の終わりが迫っています。だから、思慮深くふるまい、身を謹んで、よく祈りなさい。何もりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うから です。不平を言わずにもてなし合いなさい。あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生か して互いに仕えなさい。語る者は、神の言葉を語るにふさわしく語りなさい。奉仕をする人は、神がお与えになった力に応じて奉仕しなさい。それはすべてのこ とにおいて、イエスを通して、神が栄光をお受けになるためです。栄光と力とが、世々限りなく神にありますように。アーメン。

 愛する人たち、あなたがたを試みるために身に降りかかる火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。むしろ、 イエスの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい。それは、イエスの栄光が現れるときにも、喜びに満ち溢れるためです。あなた方はイエスの名のために非 難されるなら、幸いです。栄光の霊、すなわち神の霊が、あなた方の上にとどまってくださるからです。あなたがたのうちだれも、人殺し、泥棒、悪者、あるい は、他人に干渉する者として、苦しみを受けることがないようにしなさい。しかし、主の民として苦しみを受けるのなら、決して恥じてはなりません、むしろ、 主の民の名で呼ばれることで、神をあがめなさい。今こそ、神の家から裁きが始まる時です。
 わたしたちがまず裁きを受けるのだとすれば、神の福音に従わない者たちの行く末は、いったい、どんなものになるだろうか。『正しい人がやっと救われるのな ら、不信心な人や罪深い人はどうなるのか』と言われているとおりです。だから、神の御心によって苦しみを受ける人は、善い行いをし続けて、真実であられる 創造主に自分の魂をゆだねなさい。」
【転載終了 続く】