飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

ミャンマーのサイクロンは天気操作によるものか?

2008-05-10 19:58:16 | ニュース

どうもミャンマーのサイクロンはおかしい
と思っていたが、気象操作の可能性が.....!!


 証拠はないが、情報もほとんどない。インド洋のサイクロンについては、情報の取りようがない。と言うより、あれだけの災害があったのだから、どこかに電界磁界レーダーの記録ぐらいは、公開しているだろうと探したが、未だ見つからない。と思っていたら、ベンジャミンさんから以下の記事が出た。20080501__front02
226699main_iss017e005599_lo 20080509181  又、探したが、見つからない。が、想像するところでは、気象操作の可能性は高い。去年の東アジアの台風でも盛んにそういう形跡が見られたし、カトリーヌなど断定しても良いくらいの状況証拠がある。そういう時代である。

 何故か。? 食糧危機と人工削減計画の一環であろう。その他の政治的目的もあろうが、卑劣きわまりない、蛮行である。

【転載開始①】ミャンマーのサイクロンは天気操作によるものか?

CIAの内部告発者や関係者からなどの情報によると、ミャンマーで3万人近くの死者を出したサイクロンはアメリカの天気操作によるものだという。

ミャンマーは米の重要な産地であり、フィリピンンなど食料難に陥る国に米を送る約束をしていた。これを妨害する勢力、つまり人工的な餓死を引き起こそうとしている勢力によるもの。また、国民投票直前であったため混乱を招く狙いもあったということだ。

それからローラ・ブッシュが記者会見でミャンマーの軍事政権を非難している。このような緊急事態に大統領婦人が正式な記者会見をするのはおかしい。 最近のブッシュ大統領は顔にアザを作ったり、記者会見で卑劣な言葉の発言をしたりなど、天性にも増しますます頭がおかしくなっているという情報もある。

また、このサイクロンは形が異常であるという専門家もいる。他にも衛星写真が見つからないなど、不自然な点が沢山ある。【転載終了】

 気象操作についての探索では[裏・闇を照らす目]のごいんきょさんをおいて右に出る方はいない。過去記事から一部を転載(無断)させて頂いた。『そんなこと、まさか?!』と思う方々は、是非、訪問して詳細に検討せられるとよい。投稿者も、最初『まさか』が、『なるほど』に変わり、今は『確信』に変わった経緯がある。

      
気象操作の証拠~人工台風

      気象レーダの証拠画像(アニメ化)と、Ben Livingston さんが、映像を交えて解説してるビデオの二つを紹介します。
今回のテーマはハリケーン(台風)に関することのようで、Ben Livingston が一所懸命説明してくれてるんですが、英語のため私には何を言ってるのかさっぱりわかりません(^。^;;
まぁふんいきだけはなんとなく伝わってくるように思いますが・・・

他のページ等、いろいろ書かれてることを大雑把に見た感じからは、
ハリケーンを(勢力を)弱めたり(あるいは消滅させたり)、コースを変えたり、逆に勢力を増大させたり(あるいは発生させたり)といったことを人為的に行うことができるといったことのように思います。


↑最初の方に出てくる赤い帯は、おそらくHAARPによって電磁波を送っているのが現れてるのだろうと思われ、その直後、急速にハリケーンが発達している様子がはっきり見られる。
つまり、人工台風の様子ですね!【後略・転載終了】




『終わりの日の預言』の周辺情報!!⑬

2008-05-10 18:34:21 | 預言

『終わりの日の預言』の周辺情報!!⑬

シムトラの よい知らせ!! Ⅳ

<幕屋再建>

⑬と⑭を取り違えました。前後しましたが、お詫びします。m(_ _)m 訂正の上、掲載しました。

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 引き続き、内容については解釈は控える。ありのままにお読みいただき、それぞれの感想があってもよいと思う。

 幕屋、初歩的な神殿であろうが、と言うより集会所的なモノであろう。本来の教会は、そうしたモノであったと思う。それで十分である。大切なのは、人々の纏(まつ)わる所だからだ。祭りは、纏(まつ)わる事からきた言葉で、人々が集まり共に主をを想うことは重要で、一人でするより魔に惑わされることが少ない。祭壇は、いずれにしてもあって然るべきである。モニュメントとして必要性もあるが、演壇みたいなモノである。主の演壇、祭司の演壇として必要であろう。

 原始キリスト教時代(イエスの立志時代)、イエスは路上で、丘で、あるいは人家で説教した。その後、教会が登場した。しかし、それは単なる集会所程度のモノであった。十字架も像もなかった。今のような教会が出来たのは、遙かに後世であろう。今ではキリスト教と言えば、十字架となっているが、これは甚だおかしいと想ってきた。

 イエスは磔になったのは、ほぼ事実であろう。その時十字架であったかそうでなかったのか、定かではないが、師と仰ぐイエスをその磔の姿のままで仰ぎ見ることが適当であるのかどうか、違和感を覚える。もし、親が死んだとしたら、その思い出に病院でベッドに括りつけられた写真なり、絵なりを肖像化するであろうか。肖像化するとしたら、元気で溌剌とした親の写真を選ぶはずである。

 十字架は、意図された 偶像である。罪の贖いが、十字架によって為されたという陋習がそこから生まれた。罪の贖いは、主を通して為される。人は誰しも主を内在している。内在した主が生わすのに、何故に偶像が必要であろうか。偶像は、他力依存心の発現であり、魔のそそのかしである。

【転載開始】
<幕屋再建>

平成13年5月14日、ある祭司と私に対して御言葉がありました。

「彼女は言った。『あなたの作ったものに取っ手がない』などと。

 災いだ、なぜ子供をもうけるのか、と父親に言い、なぜ生みの苦しみをするのか、と女に問う者は。

 主の民の聖なる神、その造り主、主はこう言われる。あなたたちはしるしを求めるのか。わたしの子ら、わたしの手の業について、わたしに命ずるのか。大地を造り、その上に人間を創造したのはわたし。自分の手で天を広げ、その万象を指揮するもの。

 わたしは正義によって彼を奮い立たせ、その行く道をすべてまっすぐにする。彼はわたしの都を再建し、わたしの捕(と)らわれ人を釈放し、報酬も賄賂(わいろ)も求めない。主なる神は言われた。

 主はこう言われる。覚王院門の産物、その商品があなたのもとに送り込まれ、あなたのものになる。彼らは鎖につながれて送り込まれ、あなたに従う。彼らはあなたにひれ伏し、あなたに願って言う。『神は確かにあなたのうちにいます。ほかにはおられない。他の神々はむなしい。まことにあなたはご自分を隠される神、主の民の神よ、あなたはイエスの救いを与えられる。』と。偶像を造る者は辱めの中を行き、皆共に恥を受け、辱められる。

 主の民は主によって救われる。それはとこしえに続く救い、あなたたちは世々とこしえに、恥を受けることも、辱められることもない。神である方、天を創造し、地を形づくり、創り上げて、固く据えられた方、混沌として創造されたのではなく、人の住む所として形づくられた方、主はこう言われる。わたしが主、ほかにはいない。わたしは隠れた所で、地の闇のところで、語ったことはない。主の民に向かって、混沌の中にわたしを求めよ、と言ったことはない。わたしは主。正義を語り、公平を告知する者。

 国々から逃れてきた者は集まって、共に近づいて来るがよい。偶像が木にすぎないことも知らずに担ぎ、救う力のない神に祈る者。意見を交わし、それを述べ、示せ。だれがこの事を昔から知らせ、以前から述べていたかを。それは主であるわたしではないか。わたしをおいて神はない。正しい神、救いを与える神は、わたしのほかにはない。地の果てのすべての人々よ、わたしを仰いで、世界審判の日に、救いを得よ。わたしは神、他にはいない。

 わたしは自分にかけて誓う。わたしの口から恵みの言葉が出されたならば、その言葉は決して取り消されない。わたしの前に、すべての膝はかがみ、すべての舌は誓いを立て、恵みの御業と力は主にある、とわたしに言う。主に対して怒りをもやした者はことごとく、主に服し、恥を受ける。主の民はすべて、主によって、正しい者とされて誇る。

 竜はかがみ込み、倒れ伏す。彼らの像は獣や家畜に負わされ、おまえたちの担いでいたものは重荷となって、疲れた動物に負わされる。彼らも共にかがみ込み、倒れ伏す。その重荷を救い出すことはできず、彼ら自身も捕らわれて行く。わたしに聞け、二人の祭司よ、共に。あなたたちは覚王院門を出た時からわたしに負われ、わたしの胎である『主の聖所』で担われてきた。

 同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」

 私は「神は、なんでこんな私にここまで言ってくださるんだろう」と、この上なく嬉しいと同時に、神にこれだけ言って頂けることに傲慢にならず、もっともっと謙虚にならないといけない、と自分に言い聞かせました。そして、神が私を育ててくださっているということをあらためて知りました。

 神は、私ともう一人の祭司に幕屋を再建する事をお命じになりました。私は、喜んでそのお手伝いをさせて頂きました。主の聖所は、大阪府天王寺区生玉前町に再建されました。

 主なる神は、私を祭司としてくださいました。

私は、この少し後くらいから、「夫が会社を止めて、私と二人で生活の糧を得ることはできないものか」と考えていましたが、結局はもがいただけでした。
平成13年9月3日、「自分が願い望んだから『今』があるのに、先のことを考え不安になってしまいました。どうか、真っ直ぐに神の道を見て歩き、本来神が造ってくださった姿に戻ることができるように、そして、神に従い続ける心を与えてくださるように、神から離れることがありませんように」と主なる神に願い望みを献げました。

 平成13年9月6日、主なる神はこういわれました。

「わたしは秘儀ではなくまことを望み、秘術を排して知恵を悟らせた。わたしはあなたの罪を払った。あなたが清くなるように、あなたを洗おう。雪よりも白くなるように。それによって喜び祝う声を聞かせよう。それによって砕かれたその魂が喜び躍るように。」

私が「こんなこと神に言っていただくなんて、なんてなんて幸せ者なんだろう」と心から喜んだのは、言うまでもありません。

<平成13年の仮庵祭> 

平成13年秋、再建された主の聖所で、はじめての祭礼の準備が始まりました。

 私はこの頃「神は私を何のために造られたのか。私には何ができるのか。」といつも思っていました。神は、最初から私にはっきり言っておられたのに、です。

平成13年10月、夫に頼んで、主の聖所の仮庵祭に参詣させてもらいました。

その時、私は「私たちが神によってしか生かされない存在であることを忘れることがないように、もし、神から離れそうになった時は、その力強い御手で引き戻してくださるように、私たちが自分中心ではなく、神の御言葉を素直に聞き、どんな時もきちんと受け止め、神に喜んでいただける生活を送ることができますように」と、主なる神に願い望みを献げました。

平成13年10月11日、仮庵祭に際して、主なる神はこう言われていました。

「預言者は祭司を大祭司、二人の祭司の組に分けた。

多くの者には恵まれなかったので、一つの家系として登録された。

大祭司は、祭司らと共に選び分けられ、神聖なる者をとこしえに聖別し、主の御前で香をたき、主に仕え、主の御名によってとこしえに祝福する者である。預言者は神の人であり、彼らはレビの部族(レビテス)という名を受けた。王が二人。レビ人が二人。

 誰が気付くであろうか。いかに幸いなことか、主を畏れ、主の道に歩む人は。」

平成13年11月7日、贖罪日を終えて、主なる神は主の民にこう告げられました。

「財宝の多いことを喜びとし、財宝の力こそを強大だと思ったことは、決してないか。

 ひそかに心を迷わせたことは、決してないか。

 全能者と言い争う者よ、いつまでわたしの名誉を辱めにさらすのか。むなしさを愛し、偽りを求めるのか。

 主の慈しみに生きる人を主は見分けて、呼び求める声を聞いてくださると知れ。

 おののいて罪を離れよ。

 ふさわしい献げものをささげて、主により頼め。

 いかに幸いなことか、神に逆らう者の計らいに従って歩まず、罪あるものの道にとどまらず、傲慢な者と共に座らず、主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。

 その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。その人のする事はすべて、繁栄をもたらす。

神に逆らう者はそうではない。彼は風に吹き飛ばされるもみ殻。

神に逆らう者は裁きに堪えず、罪あるものは神に従う人の集いに堪えない。

神に従う人の道を主は知っていてくださる。神に逆らう者の道は滅びに至る。

彼を苦しめた者の子らは、彼のもとに来て、身をかがめ、彼を卑しめた者も皆、彼の足元にひれ伏し、主の僕、主の民の聖なる神の僕と、彼を呼ぶ。

かつて彼は捨てられ、憎まれ、通り過ぎる者もなかったが、今わたしは彼をとこしえの誇り、代々の楽しみとする。

 あなたたちは国々の乳に養われ、王たちを養う乳に養われる。こうしてあなたたちは知るようになる、主なるわたしはあなたたちを救い、あなたたちを贖う者、主の民の力ある者であることを。

 わたしは青銅の代わりに金を、鉄の代わりに銀をもたらし、木の代わりに青銅を、石の代わりに鉄をもたらす。わたしがあなたに与える命令をなせ。あなたを支配するのは恵みの業。

 赦しはわたしのもとにある、わたしの民であるならばあなたはわたしを畏れ敬え。

 あなたたちはわたしに望みをおき、あなたたちの魂は望みをおき、わたしの言葉を待ち望むがよい。」

私は、自分でどうしたらいいかよくわかりませんでしたが、どんな時もどんなことも祭司としてふさわしい口と心を持って行動することができるようにと願っていました。この時はまだ、どうしたらいいかわからないのなら神に尋ねればよいことを、わかっていました。

でも、もし神に尋ねて「こうせよ」と御言葉をいただいても、たとえそれがどんなことであったにしてもその通りにしていく自信がなかったので、尋ねることができませんでした。「本当は、神の言われるとおりにすれば、たとえその時に自分がどう思おうとそれが最良の道である」ということを大祭司や預言者を見て知っていたのに、「神からどんな答えをいただくのか恐い」と思っている自分がいました。

けれど「神から離れたくない」という私の思いも、自分の中では確かなものでした。

平成13年11月11日、私は「私を含め、主の民が主なる神のみを畏れ敬い、神にのみ望みをおき、御言葉を待ち望むことができるように、そして、神の言われるとおりにしていくことが当たり前にできるように」と、主なる神に願い望みを献げました。

神からどんな御言葉を頂いてもその通りにする自信がないのに、御言葉を待ち望むというのも、矛盾していることでした。でも、だからこそ、神の言われるとおりにしていくことを当たり前にできる自分になりたいと願っていました。

平成13年12月20日頃から主の聖所では『宮潔め祭(ハヌカ)』が執り行われていました。

平成13年12月30日、主なる神はこう言われました。

「あなたの手が労して得たものはすべて、あなたの食べ物となる。あなたはいかに幸いなことか、いかに恵まれていることか。

 あなたは妻として家の奥にいて、豊かな房をつけるぶどうの木。食卓を囲む子は、オリーブの若木。

 見よ、主を畏れるあなたはこのように祝福される。

 主の聖所から、わたしはあなたを祝福している。命のある限り主の聖所を見、多くの幸せを見るように。

 あなたは家系のために心に言うがよい、『わたしが若い時から、あなたたちはわたしを苦しめ続けたが、わたしを圧倒できなかった。主なる神がわたしを耕し、この家には授からないはずの子を、わたしのために授けてくださった。私の行く道を長く作ってくださった。あなたたちの先祖は、主なる神に感謝しなければなりません。』」

私は、この御言葉を頂いた時、涙が止まらず、顔がぐちゃぐちゃになったのを今でもよく覚えています。

「神は、ずっとずっと私を導いていてくださった。なにもかも、やっぱりご存知だった」と、子供がずっとできなかったときのこと、子供ができてからのこと、いろいろなことで胸がいっぱいでした。

その時から、ただ単純に「神が私に子供を授けてくださった」と思っていました。でも、神の言われた「子供を授けた」ということの意味は、そういうことではないということが、この時はまだわかりませんでした。

平成14年1月16日、私は、「どんな時も神以外のことに惑わされず、心をしっかりと神に向け、どんな時も神とイエス様を見失わずいられますように、また、どんな時も自分が祭司であることを忘れず、きちんと役割を果たしていくことができるように」と、主なる神に願い望みを献げました。

平成14年2月6日、大祭司、祭司、総督への御言葉がありました。

「わたし(イエス)はあなた方を選び、愛する主の民の誇りとした。神は歓呼の中を上られる、主は角笛の響きと共に上られる。歌え、神に向かって歌え。歌え、我らの王に向かって歌え。神は、全地の王、ほめ歌を歌って、告げ知らせよ。神は諸国の上に王として君臨される。神は聖なる王座に着いておられる。諸国の中から自由な人々が集められ、わたしの父なる神の民となる。地の盾となる人々は神のもの。神は大いにあがめられる。更に祭司は詠唱者として歌い、監督が神殿建築の総督となれ。その日、あなた方は大いなる献げものをささげ、喜び祝え。神は大いなる喜びをお与えになるであろう。主の聖所の喜びの声は遠くまで響くであろう。

総督は立ち上がって、主の神殿建築を再開せよ。神の預言者もあなたがたと共にいて助けるであろう。」

平成14年2月22日、主なる神は言われました。

「悪を行う者はすべて憎まれる。わたしは偽って語る者を滅ぼし、罪を犯す者、欺く者をいとう。しかしあなたは、深い慈しみを得て、わたしの家に入ることができる。聖なる宮に向かってひれ伏し、わたしを畏れ敬うことができる。わたしの恵みの業のうちにあなたを導き、わたしの道を歩ませよう。心配することはない。」

神は、いつも私が願い望む前に、私が何を願い望むかをすべてご存知です。私は、こうして慈しみの御言葉を頂けば頂くほど優等生になろうとしている自分に気付きませんでした。

神は一度も私に優等生でいることを求めたことなどありません。それなのに、勝手に自分で「そうあらねば」と思うようになっていました。

私は、私たちの魂が本当に満たされ、本当に生きることができるように、どうしたらいいのかよくわからないけど、喜びの歌を歌い、神を讃美していくことができるように、言葉ではなく自分自身で神を伝えることができるように、イエス様が私たちを愛してくださったように私も少しでも心から人を愛することができるようにと祈っていました。

 平成13年2月23日、総督についての御言葉がありました。この御言葉通り、総督は「主の神殿」の基を大阪府校外の羽曳野に建立することを決意され、聖所もそこに移る事になりました。【転載終了】

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勇気を持って、淡々と真実を暴く!!②

2008-05-10 07:57:53 | 国際・政治

それは、日本の政治と社会組織の拠点が

在日カルトに乗っ取られているという

おぞましい現実!!

そして、そのことを大衆は全く知っていないという

嘆かわしい現実!!-の連載②-


 ブログは独白である。だから、書くことが出来る。しかし、書くことにいささか、勇気を要することもある。それはあまりに率直な真実の暴露は、どのように受け取られるかという世間に対する懼れと、現実の危害に対する恐れがある。その意味で、表題のテーマは、触れることを多少ためらいがちになっていた。しかし、 richardkoshimizuさんの勇気と熱意、そして、このことが諸悪の根源の一つであるという事実に鑑み、淡々と暴露していくこととした。『知りて、言わざるは腹膨るる業なり、』であるからである。

 『掠め取る』という言葉がある。これは聖書によく出てくる言葉である。偽善者・悪党の手口を指している。掠めると言うことは、隙を見て盗る、と言うことである。大概の偽善者・悪党は、掠め取る』という手段を常套としている。それには理由がある。マイノリティー(少数派)であるからである。常に偽善者・悪党はマイノリティー(少数派)である。だから、掠め取る』ことしかできないからである。

 しかし、このままでは国が掠め取られてしまう。世界が掠め取られてしまう。だから、このことを暴き、少数の本当の偽善者・悪党を暴き出すことは意義がある。大多数が気づき、用心することが出来れば、掠め取られることも防げよう

 本当の偽善者・悪党はマイノリティー(少数派)であると言った。そこで、予め言っておくが、在日とか、朝鮮人とか、創価学会とか、ユダヤ人とかと言った言葉が多用されるが、それらの大多数を指すのではない。その中の少数派、即ち、その大多数を偽善によって指揮し、誘導しているところの、その中の又、マイノリティー(少数派)である。

 例えば、シオニストユダヤ人は少数である。しかし、富と権力を持っている。方や、大多数のユダヤ人は、虐げられ、勇気ある者達は、反シオニストPhoto に立ち上がっている。その構図は、その他にも言える。従って、この独白と、転載記事はいかなる差別主義に追随する性質のモノではないことを認識して、お読みいただきたい。Photo_3


 

【転載開始】

創価学会は北朝鮮宗教である
 By       richardkoshimizu <http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/sokakitacho.htm
 「まったく、どうしようもない誹謗中傷だ。平和の殿堂、創価学会が北朝鮮と関わりなんかあるわけない!本部に注進して、このふざけたサイトを告発してもらおう!」

  そう憤っている学会信者の貴方、是非そうしてみてください。学会のなるべく偉い人(できれば、副会長)に直訴してください。法的措置をとって、この馬鹿げた学会誹謗サイトを叩き潰し、管理者を血祭りに上げてください!

↓まあ、よく似合う       民族衣装だこと。当たり前だが。Chon
    
だが、貴方が訴えかけた学会最高幹部たちは、決して法的行動など起しません。狼狽を見て取られないように目を伏せて上目遣いに周りを覗います。そして、口先で誤魔化します。       「酷い中傷だ!わかった。痛い目にあわせてやろう!」貴方の前では威勢良く宣言するでしょう。しかし、何一つ行動は起こしません。そして、裏からプロバイダーに手を廻して、姑息で卑怯な手段でサイトを消そうと試みます。
普段なら、創価学会お得意の「嫌がらせ部隊」が動員される場面でしょう。集団でストーカー行為をしたり、電話攻勢をかけたりで、学会の邪魔者を黙らせて来 ました。しかし、このサイトだけはそうはいきません。「嫌がらせ部隊」に動員する一般信者の人たちにも知ってもらいたくない事柄が、ここに山ほど出てくる からです。下手に末端信者に読まれてしまっては、在日幹部が困るのです。いつもの姑息な妨害手段も使えない学会の朝鮮人幹部さんたちは、ただただ頭を抱え るだけでしょう。
      犯罪者は、犯罪を正面切って暴露されれば、告発が真実を反映していればこそ、事を荒立てることを嫌うのです。触れず障らず、穏便に済ませたいのです。       このサイトに書いてあることは、創価学会の朝鮮人支配者たちが、一般信者に一番知ってもらいたくない学会の暗部中の暗部です。事を荒立てて、末端信者の人たちの目に触れるようなことは絶対避けたいはずです。ですから......彼らは沈黙します。【転載終了】