乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

壬生狂言「炮烙割」と奈良の夜市での ほうらく灸

2024-05-19 | 神社仏閣・祭り

  壬生狂言「炮烙割」と奈良の夜市での ほうらく灸

 

 壬生狂言「炮烙割」

 薪御能の帰り、奈良の夜市があるとのことで、こにしさくら通りともちいどの通りにたちよる。

 なんだかおもしろい景色が見られたので、気になったのが、下の写真。

 

 頭に焙烙を乗せ、急を据えていらっしゃる。

 試していらっしゃったのは、いずれさまも若人であった^^

 

 そういえば今年の京都の葵祭の斎王は、壬生寺のお嬢様だという。

 

 焙烙といえば、子供の頃に慣れ親しんだ壬生狂言。

 中でも炮烙割は二階から下に落とし、下からあれを子どもが見ていると大迫力であった。

 今はそういった鑑賞の仕方はできず、対面から見るにとどまるのかもしれないが、、、

 子どもたちはみな、【どんがらがっちゃん】と呼んでいたことを思い出す。

 

 

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奈良 法華寺   光月亭や湯屋の写真あり   (14景)

2024-05-14 | 神社仏閣・祭り

奈良 法華寺  (14景)

 

 先日は花の法華寺を記録させていただきました^^

 今回は寺や光月亭や湯屋の記録です。

 一部重複しておりますが、ご了承ください。

 

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奈良 法華寺の花   2024.05.初旬 5月はカキツバタやシャクヤク、ほか、多くの花が咲いていた。(21景)

2024-05-13 | 神社仏閣・祭り

奈良 法華寺の花   2024.05.初旬 5月はカキツバタやシャクヤク、ほか、多くの花が咲いていた。(21景)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奈良 法華寺

 境内の西にある「国史跡名勝庭園」は江戸時代初期に作庭された回遊式庭園です。広さは約500坪で、京都仙洞御所(せんとうごしょ)の庭園から石や庭木などが移されたと伝えます。5月には杜若が咲き誇り見頃を迎えます。

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国宝 興福寺五重塔  2024年4月から始まった五重塔の修復は着実に少しづつ進んでいる。5/11(10景)

2024-05-12 | 神社仏閣・祭り

国宝 興福寺五重塔  2024年4月から始まった五重塔の修復は着実に少しづつ進んでいる。5/11(10景)

 

 工事が始まるまでが難航していた興福寺五重塔の修復が4月から始まり、5月11日現在、その工事は着実に進みつつある。

 完成は8年後の2030年。

 いったん五重塔が囲いで覆われると、長い年月この五重塔は見ることができない。

 

 興福寺の五重塔は国宝で、日本で二番目に高い塔だといわれている。

 人力車の案内人の方が大声で旅行者に言う、

案内人「二番目なんですよ。一番はどこだと思います?」

観光客「京都」

案内人「そうなんですよ、東寺なんですよ。嫌でしょう。悔しいでしょう、、、」

観光客「、、、、」

案内人「お客さんは◎◎から来られたので、いってもいいかとおもって、、、」

観光客「、、、、(苦笑)」

 そういった案内者がおられた(爆笑)

 周りには京都からの観光客や京都出身者もいるであろうにと、今一度 人力車(案内人)をみてしまった、、、

国宝 興福寺五重塔について

奈良県公式HP(国宝 興福寺五重塔/奈良県公式ホームページ (pref.nara.jp)

                  ↓

 興福寺は、『宝字記』によると、天智8年(669)に藤原鎌足の夫人であった鏡女王が、夫の病気の回復を祈願するために、堂舎の建立を夫に再三願い出て許しを得て建立を果たしたとされております。

 山科にあったので「山階(やましな)寺」と呼ばれておりましたが、この寺がのちに近江から飛鳥に遷都され、さらに平城遷都に際して再度平城京に移建されて興福寺と改称されたと伝えられております。

 五重塔の創建は天平2年(730)光明皇后の発願によるものとされ、創建以来、度々雷や兵火、類焼による火災に見舞われ、5度の罹災と再建を経ております。応永33年(1426)のものが現在の建物となっております。塔の高さは、50.937mで、奈良県内で1番高い建物です。

 修理は奈良県が興福寺より受託し、文化財保存事務所興福寺出張所が直営にて調査と工事を実施します。

 

 

『宝字記』(天平宝字  てんぴょうほうじ)とは (ウィキペディア)

 天平宝字てんぴょうほうじ旧字体天平󠄁寶字)は、日本元号の一つ。天平勝宝の後、天平神護の前。757年から765年までの期間を指す。

 この時代の天皇は孝謙天皇淳仁天皇称徳天皇(孝謙天皇重祚)。

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興福寺 本坊(平安時代頃から僧侶が生活し、学問にはげんだ建物)  (7景)

2024-05-11 | 神社仏閣・祭り

 

 興福寺 本坊(平安時代頃から僧侶が生活し、学問にはげんだ建物)  (7景)

 

 興福寺の本坊に行く。

 庭は丹念に整理され、植物は形良く刈られ、シランが咲いていた。

    興福寺公式HP

                 ↓

 平安時代頃から僧侶が生活し、学問にはげんだ建物

 興福寺の寺務を執り行う場所です。

 表門は天正年間(1573~1592)に建立された正面4.5m、側面2.6m、本瓦葺の四脚門(しきゃくもん)。明治40年(1907)に菩提院(ぼだいいん)の北側築地の西方に構えられていた門を移築しました。
 南客殿は同じ頃に増築された正面16.7m、側面10.0m、桟瓦葺(さんがわらぶき)の建物。北客殿は嘉永7年(1854)に再建された正面20.0m、側面11.0m、桟瓦葺の建物で、平安時代頃から僧侶が生活し、学問に励んだ東室(ひがしむろ)と呼ばれる東西に長い僧房(そうぼう)の伝統を受け継いでいます。

 また本坊北西には明治時代に建てられた大圓堂(だいえんどう)と呼ばれる持仏堂(じぶつどう)【正面7.0m(桁行3間)、側面6.0m(梁行3間)、桟瓦葺】があり、堂内には聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)像を安置しています。

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東大寺 東とうアト(古地図の表記)の周辺を歩く。

2024-05-11 | 神社仏閣・祭り

 

東大寺 東とうアト(古地図の表記)の周辺を歩く

 

 

 先日、東大寺東の五重塔跡の復元は、68m.に落ち着いたと記録した。

東大寺東塔の大きさは諸説あるが、復元案は68mに落ち着いた。

 

 

 今回は東大寺の法華堂の途中に、東とうアト(古地図の表記)を楽しむ。

 復元のために木々を伐採し、整備されていた

 

 

東塔跡は、写真の左

鳥居の向こうには、東大寺大仏殿

写真の右が、東塔跡

まっすぐ歩いて左に曲がると、修二会で有名な二月堂や法華寺

 

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興福寺 北円堂の最終公開日に北円堂と国宝館に行き阿弥陀如来、無著菩、世菩薩を見る。

2024-05-07 | 神社仏閣・祭り

 

 興福寺 北円堂の最終公開日に北円堂と国宝館に行き阿弥陀如来、無著菩、世菩薩を見る。

 

 

 

 北円堂の無著菩、世菩薩を特に見たかったので、最終日にもう一度興福寺の北円堂に行く。

 また、国宝館に行き、阿弥陀如来半跏像と逗子、資料や系図を中心に丹念に見る。

 阿弥陀如来半跏像のお逗子の扉には、無著菩、世菩薩が描かれ、また、系図にも無著菩、世菩薩の名を認めた。

 これまで知らなかった無著菩、世菩薩が何か身近なものに感じ、心がときめいた。

 

2024年 興福寺 北円堂特別開扉 木造 無著・世親立像(むじゃく・せしんりゅうぞう)について   4月20日(土)~5月6日(月・祝)まで(会期中無休)

興福寺 北円堂の最終公開日に北円堂と国宝館に行き阿弥陀如来、無著菩、世菩薩を見る。

 

 北円堂から見た興福寺の様子。

 

 

 

 

 

 

 

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海龍王寺にある日本最小の五重塔(国宝)  (国宝建造物国内最小・五重塔)

2024-05-06 | 神社仏閣・祭り

 

 海龍王寺にある日本最小の五重塔(国宝)  (国宝建造物国内最小・五重塔)

 

 先日のこと。

 海龍王寺で日本最小の五重塔(国宝)を見てまいりました。

 奈良時代前期の創建され、高さ4.01m あるそうです。

 日本で一番小さな五重塔って、すごいですね^^

 

真言律宗 海龍王寺   ただいま、「十一面観音特別開帳」、「海龍王経」(聖武天皇直筆)、 弘法大師御筆 隅寺心経(般若心経)  (10景)

 

 ここからは、海龍王寺公式HPより引用。

       ↓

  奈良時代前期 4.01m  

 創建当時から西金堂内に安置されており、細部は天平時代のかなり早い時期の手法を用いて造られていることから、天平時代の建築技法を現在に伝え、塔の建築様式の発展をたどる上にも重要であること。

建造物としての五重塔はこれ一基しか存在していないので、これらの点からこの小塔の価値が高く、昭和26年6月9日、国宝18号として指定を受けました。  

 小塔は屋内で安置することを目的とした為、近くから見たり拝んだりするので、近くから見た時の工芸的な性格を非常に重視しており、小塔の外部は組物などの細部にいたるまで忠実に作られています。

  このことは寸法取りにも表れており、上層部にいくにしたがって塔身が細く作られていることから上層部と下層部の均整を重視した寸法取りを行っていることがうかがい知れます。  

 通常、寺院には高さが数十mの大きな五重塔があるのが一般的ですが、海龍王寺は飛鳥時代から建っていた寺院をもとに創建されたことに加え、光明皇后の住居(光明皇后宮)内という限られた敷地の中に大寺院の伽藍の形式を持ち込まなければならないという困難な状況にありました。  

 この事情の中で「東西両塔」を備えた伽藍の形式を持ち込むべく五重小塔を造立し、東金堂(明治初年に喪失)と西金堂の両金堂の中にそれぞれ納めたのではないかと考えられています。  

 海龍王寺は皇后宮の内廷寺院として、聖武天皇・光明皇后を支えましたが、五重小塔および西金堂は、光明皇后宮内に残る唯一の天平時代建造物であり、内廷仏教と内廷寺院の中心伽藍を現在に伝える仏教建造物として重要な役割を果たしています。

 

 

 

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聖武天皇祭が終わった後の大仏殿  2024年5月2日

2024-05-02 | 神社仏閣・祭り

 

 聖武天皇祭が終わった後の大仏殿

 

 聖武祭の後宴能が終わり、大仏殿に向かい。

 いつもの正面からの入り口からは入ることができず、正面左から入ることとなる。

 ちょうど大仏様の左方向にあたる。

 聖武祭を終え、大仏様も微笑んでいらっしゃるように感じた。

 

 

 

 聖武祭を終え、空にもお祝いの雲が走っているように感じた。

 

 東大寺の大仏殿の桜も散り、ただいまはカキツバタ(?)が満開。

 今日の後宴能の仕舞では『杜若』が舞われた。

   らごろも 

   つつなれにし  

   ましあれば  

   るばるきぬる 

   びをしぞおもふ

 

 東下りの段である^^

   業平様ぁ~~~

 

 

 

聖武天皇祭/東大寺 お練り行列  聖武天皇の忌日に遺徳を讃える。

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聖武天皇祭/東大寺 お練り行列  聖武天皇の忌日に遺徳を讃える。

2024-05-02 | 神社仏閣・祭り

 

聖武天皇祭/東大寺 お練り行列  聖武天皇の忌日に遺徳を讃える。

 

 今年も東大寺さんの聖武祭に行ってきました。

 昨日は雨でしたのに、本日は晴れ。

 昨年は終わるころには小雨でしたのに、本年度は青空でした。

 

 

 

 

 

 

 

 舞楽が始まる前に、大仏殿に向かわれ、後宴能の前に行列は戻られました。

 誇らしげな傘持ちの学生さんたちも、かわいらしかったです。

     思えば遠くへ来たものだ。

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東大寺東塔の大きさは諸説あるが、復元案は68mに落ち着いた

2024-04-29 | 神社仏閣・祭り

 

 東大寺東塔の大きさは諸説あるが、復元案は68mに落ち着いた。

 

 先日のこと。

 東大寺東塔の大きさは諸説あるが、復元案は68mに落ち着いた。

 もう少し早く記録したいと思っていたが、某ブログの内容が本格的で詳しく、素晴らしかったので躊躇してしまった。

 

 発表されたのは4月24日。

 奈良文化財研究所(奈文研)により、東大寺東塔の高さを約68mの 七重塔の復元案を発表された。

 

  奈良時代の東大寺の大仏殿の南に東塔と、西塔の2基の七重塔は鎮座し、古地図である『和州奈良之絵図』にも、二つの塔跡が文字にて記されている。

   南(大仏殿向かって右): 東とうアト(東塔跡)

   西(大仏殿向かって下): 西とうアト(西塔跡)

 

 尚、古地図『和州奈良之絵図』は奈良市公式HPに乗せられているし、十年ほど前には奈良県立図書情報館で古地図を示したポスターが配られたことがある。

 また、奈良県立図書情報館には数枚の古地図の写真が書庫に所蔵されている。

 ここで使用させていただいた古地図は、奈良市公式HPのもの。

 

 東塔は南都焼討1180年で焼失したのち、鎌倉時代1223年に再建されたという。

 室町時代 (1362年)の雷火で再び焼失した。

 以降、再建に着手されるが完成はされなかった。 

 

 西塔も落雷で焼失。

 こちらを試みたが完成はしなかったという。

 

 両塔跡(東塔、西塔)は、近代まで礎石があったという。

 東大寺東塔の復元案は68mに落ち着き、完成は2025年度予定とのこと。

 もし再現されたらと思うと、東大寺を歩く楽しみがまた一つ増えることになりますが、その前に、塔跡の様子をしっかりとこの目に収めておきたいともいます。

 

 最後に、素晴らしいブログを展開させておられる某ブログの東塔再現の記事を楽しませていただきました。

 また、知らないことや専門的なことが多く書かれていたので、一部は参考にさせていただきましたことをここに記させていただきますとともに、御礼申し上げます。ありがとうございます。

 

 両塔跡(東塔、西塔)のあたりは二月堂や法華堂に行くときに度々通りますが、これまでは漠然と眺めて楽しんでおりました。

 これからは、少し心にとどめ、散歩したいと思います^^

 

 

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興福寺 中金堂 (中金堂は興福寺伽藍の中心になる最も重要な建物といわれています。)

2024-04-26 | 神社仏閣・祭り

興福寺 中金堂 (中金堂は興福寺伽藍の中心になる最も重要な建物といわれています。)

 

 

 興福寺 中金堂にお参りする。

 興福寺の中金堂は興福寺伽藍の中心になる最も重要な建物といわれています。

 

 以下は、興福寺公式HP引用。1

 寺伝では創建者を当時の日本の律令制度をまとめ、藤原氏の栄光の基礎を築いた藤原不比等(ふひと)とします。

 

 創建当初の中金堂の規模は当時の奈良朝寺院の中でも第1級でした。

 当時は丈六釈迦如来像を中心に、薬王(やくおう)・薬上菩薩(やくじょうぼさつ)像と十一面観音菩薩像を脇侍(わきじ)に従え、四天王像、さらに養老5年(721)に橘三千代が夫不比等の1周忌に造立した弥勒浄土変の群像も安置されていたといわれています。   

 

 以後、創建より6回の焼失・再建を繰り返し、享保2年(1717)に焼失した後は財政的な問題により再建が進まず、およそ100年経過した後に町屋の寄進により規模を縮小した「仮堂」を文政2年(1819)に再建します。

 あくまで仮設としての建立であったため、長期使用を想定しておらず、材木には不向きなマツが使われるなどしたため、急速に老朽化が進みました。

 そして、創建当時の様式で復元すべく、この仮堂は平成122年(2000)に解体しました。

 その後、発掘調査を経て、平成22年(2010)の立柱式、平成26年(2014)の上棟式を経て、平成30年(2018)に再建落慶を迎え復元されたそうです。

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興福寺の文殊会で出会った、かわいらしいお子たち  2024年4月25日

2024-04-25 | 神社仏閣・祭り

興福寺の文殊会で出会った、かわいらしいお子たち  2024年4月25日

 

 今日は興福寺の文殊会の日でした。

 浄教寺から興福寺まで、かわいらしいかわいらしいお稚児さんのお姿でお子様たちがお練りをされました。

 

 

 お練りをみることはできませんでしたが、夕刻、興福寺さんに行きました。

 かわいらしいお子たちがおられましたので、写真をお願いいたしましたら、快く引き受けてくださいました。

 愛くるしい利口そうなお子達は、お疲れになられていらっしゃるであろうに笑顔で応対してくださいました。

 お子様と親御様と関係者様、誠にありがとうございます。

 

 文殊会に参加されたお子たちは良い思い出を胸に描き、勉学にお遊びに励まれることでしょう。

 また、ご参加されなかったお子たちにも目いっぱい、充実のお時間をお過ごしになられ、未来に向かってはばかれますようお祈りいたしております。

 

 月並みな言葉ですが、

    おめでとうございます。

 

 それにしても、

 

とってもかわいらしいお子さまです!!

        

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東大寺 さくらさくらやへさくら らさくらさくらとしきひろぐ(4月21日)(5景)

2024-04-23 | 神社仏閣・祭り

東大寺 さくらさくらやへさくら らさくらさくらとしきひろぐ(4月21日)

 

 建物の向こうには立派な藤たちが背を伸ばす。

 ここもまた、東大寺

 地面一面に桜の花びら

 さくらさくらやへさくら らさくらさくらとしきひろぐ

 ここもまた、東大寺

 

 

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興福寺の桜  散った桜も多いが、八重桜が咲き誇っていた。(4月18日頃)

2024-04-23 | 神社仏閣・祭り

 

興福寺の桜  散った桜も多いが、八重桜が咲き誇っていた。(4月18日頃)

 

 先週の土曜日のこと。

 興福寺にお参りすると、ソメイヨシノに変わり、八重桜が咲き誇っていた。

 重々しいまでに多くの花をつけていた。

 

 外国人観光客は、声に出して喜んでいた。

     beautiful!

 最後の一枚は、もうすっかり花を落とした、ソメイヨシノと鹿

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