乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

節分の豆蒔き

2009-01-31 | 民俗考・伝承・講演

 

 

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 節分といえば豆蒔きを思い浮かべる事も多い。

 この豆蒔きも地方によって姿を変える。

 元は家の中にケガレを入れない、また、ケガレを外にはき出すという意味があると、先日読んだ民俗学者の神崎宣武氏筆の『ちちんぷいぷい』や他のいろいろな民族学関係の本に記されている。

 現在では豆を蒔くことが定着していることが多いが、元は五穀豊穣や山の生活とも密接な関係があり、穀物や木の実ならば何でも良かった。

 だが、あわやひえ、米では後の処理が困る。

 そうして人間が都合の良いように、つまり拾いやすいように豆を使うようになったと書かれていた。

 

 この蒔かれた穀物は、昔から食べるのが前提であったとのこと。

 ゆえに掃除され清められた居間や生活の間を中心に 炒った穀物を蒔かれ、玄関や外に向けては最後に少量蒔いたとのこと。

 自作穀物を大切にする農耕民族の知恵が習慣となったようだ。 

 

 穀物を蒔く主は大黒柱や長寿者男性が多く、鬼になるのは息子とされていたことが多かった。

 青年部に入団する前の成人にいたらぬ男性はこせがれとされ、父親などに比べ軽視されていた事も理由の一つらしい。

 

 また一説では、炒った豆を年神に供えたあと、その豆を年男(その年の干支の生まれ)が蒔くともいわれている。

 

 上のことを考えると、蒔かれた豆を自分の年の数だけ または 年の数+1だけ拾って食べ、一年の無病息災を願う風習が一般的になって定着したといえよう。 

 

 ではこの蒔く穀物や木の実は五穀豊穣や山の生活だけに関係するのかと言えば、他にも理由が考えられる。

 穀物や木の実には『邪気を払う霊力』があると考えられており、豆などを蒔くことで浄化されると考えられていた。

 豆の霊力により邪気を払い、福を呼び込むと考えたのだ。

 この考え方が この考で初めに書いた『元は家の中にケガレを入れない、また、ケガレを外にはき出すという意味がある』という部分に共通。

 根本は同じである。

 

 節分には太巻きを食べることが日本全国で定着している。

 これは歴史的にはごく最近で、何の根拠もない。

 ただ太巻きが鬼の持つ金棒に見立てられてのこと。

 元は関西のすし屋が節分に商売気を出して太巻きを売り出し、消費者が乗っかった。

 それが日本各地に広がったとのこと。

 何だかバレンタインディに類似。

 こういった些細なきっかけが元となり習慣化して、民俗の歴史となるのかと思うと、まんざら馬鹿にできない・・・というより、そういったお祭りイベントに乗っかる平和な生活に感謝。

 節分には鰯を焼き、太巻きをつくる。

 そうして年の数だけ豆を食べるという我が家の楽しいイベントをたやしてはいけない。

 今年も楽しもうと、本日 節分豆や海苔や干瓢や乾椎茸を購入した私である。

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節分

2009-01-31 | 民俗考・伝承・講演

 

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 節分とは本来、季節を分ける意。

 つまり季節が移り変わる節日を指す。

 元は 立春・立夏・立秋・立冬の各前日に、節分は設けられていた。

 つまり、一年に四回。

 日本でも立春は年の始まりとして尊ばれ、次第に春の節分だけをそう呼ぶようになった。

 

 平安時代の宮中では、大晦日に陰陽師らによって旧年の厄や災難を厄払いしていた。

 そして室町時代にはいると豆をまいて悪鬼を追い出す行事へと発展。

 

 京都ではこの時期、表鬼門にあたる『吉田神社』と裏鬼門にあたる『壬生寺(みぶでら)』の節分祭がことに有名。

 百万遍は当たり前だが、祇園などを歩いていても『吉田神社』の豆まきのポスターが貼られている。

 また、『壬生寺(みぶでら)』では毎年壬生狂言が行われ、私などはあのデンデケデンデケの音が今も心に響き、懐かしく感じる。

 そういった意味で、節分のころになると心は京都に向かい、幼きころを思い浮かべる。

 柳田國男氏は『都市には民俗はない。従って芸能は民俗ではない。』といいきったとのことだが、節分には狂言、祇園祭が来れば夏、顔見せが来れば年の瀬で正月を迎えるといった感覚が身に付いており、これも一種の民俗であると感じるのは私だけか・・・。

 だが、宮田登氏をさかのぼり、南方熊楠氏や折口信夫氏や赤松啓介氏などの話によるとこういったものもを語らずして 民族学は語れないとのことなので、胸をなで下ろす事しきりなし。

 

 今日は一月三十一日。

 今年も早一ヶ月が過ぎ、明日は二月。

 この頃になると豆を買い、太巻きの食材の用意を始める。

 不思議なことに一月末日、我が家では毎年のように赤飯を炊く。

 これは私が作り出した新しい風習で、赤飯を炊くことにより、良き二月が迎えられると信じてのこと。

 そして 今晩赤飯を食べ終え、今ほっこりとした時間を楽しんでいる。

 もうすぐ節分。

 今年も良い風が我が家の中を流動するだろう・・・、そんな気がする。

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17: 『ちちんぷいぷい 「まじない」の民俗』   神崎宣武 著  (株)小学館

2009-01-30 | 民俗学、柳田國男、赤松啓介、宮田登
 

(写真は 奈良の矢田寺の村境で見た『道切』)

 

 

記録だけ  

 

2009年度 17冊目  

 

 『ちちんぷいぷい 「まじない」の民俗』

 

  

 神崎 宣武(かんざきのりたけ) 著

 1999年3月20日

 株 小学館

 223ページ 1500円+ 税

 

 神崎 宣武氏の本はこれで二冊目。

 一冊目は一昨年の四月の読んだ岩波新書の『江戸の旅文化』http://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/fc95c0d508c99a610e7cd9b2b0c0eee6

 今回読んだ『ちちんぷいぷい 「まじない」の民俗』葉初めは簡単。だが読み進めていく内に内容は深まり、ぐいぐいとひきつけてくれた。

 

 この本での一番の収穫は『道切(みちきり)』と『石がん当(いしがんとう)』という言葉と意味合い。

 長らく疑問に思っていたことが解決して嬉しい。

 

『ちちんぷいぷい 「まじない」の民俗』が他の民俗学のほんと異なる点は、昔ながらの伝説や意味や意義を書くのではない点かも知れない。

 まじないなどを著者なりに消化して、著者の考えでまじないとはこういった意味合いにあると断定されている。

 この断定の仕方が心地良い。

 正論であり、私の場合は納得。

 まじないなどに関連して、自称シャーマンや祈祷師や占い師の方なども世の中には多くいらっしゃるし、また信じておられる方も多いので、ここでは省かせていただく。

 しかし今回の書写のまじないに対する考えといい、前回読んだ『竹の民俗誌』の中に出てくるかぐや姫の翁の心のよりどころといい、人間は何処かによりどころを求める弱い生き物なのだと感じた。また、同時に、弱いがために、今よりも向上したいと考える素晴らしい生き物だとも感じる。

 自分の考えを書かれた本には、この手の関係本では見たことがなかっただけに、楽しく読めた。

 

 この本にはかなり興味深い写真も載せられていた。

 大阪の民族学博物館で見たようなものも多い。

 藁でつくられた道祖神や鍾馗様も見入ってしまった。

 

 主要文献の中に、宮田登氏の名を三つ見つけた。

 心ときめく。

『呪ないの原理』(『日本民俗文化大系 4)』『江戸の小さな神々』(青土社)『江戸のはやり神』(筑摩)だった。

 最後には 年末だったかに読んだ加門七海さんの『うわさの神仏 日本闇世界めぐり』の記されていた。

 加門七海さんの名は 以前宮田登氏だったかの対談でも出てきたことがある。加門七海さんも結構民族学関係の学者に注目されているんだなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

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16: 『竹の民俗誌』ー日本文化の深層を探るー  沖浦和光 著  岩波新書 新赤版

2009-01-29 | 民俗学、柳田國男、赤松啓介、宮田登

(写真は 信貴山。正月に参拝した折、竹笹のはに小判がつけられたものが二本、たてられていた。何ともはや、えべっさんや大黒さんよりもお金儲けが上手そう・・・と、ほくそ笑む私。

 ちなみに今回読んだ『竹の民俗誌』には七福神は竹に深い関連があると書かれていた。)

 

記録だけ  

 

2009年度 16冊目  

 

 『竹の民俗誌』ー日本文化の深層を探るー

 

  

 沖浦和光 著

 岩波新書 新赤版 187

 1991年9月20日

 243ページ 550円+ 税

 

 正月、信貴山に行ったとき、竹笹にまつわるいろいろなものを見た。

 同じく一月、今宮戎の笹や宝恵駕篭のかけ声なども、竹笹にまつわる。

 十二月に奈良で行われたおん祭の後宴能の入り口の竹笹の鳥居も気に掛かる。 

 家を建てる際の地鎮祭にも、四方や真ん中に竹笹をたてる。

 そんなこんなで今年十六冊目は 『竹の民俗誌』ー日本文化の深層を探るーを楽しむ。

 この本はなかなか面白い。

 知りたいことが多く書かれている。

 また、『かぐや姫』にまつわる話を柳田國男氏や川端康成氏の書かれたものを種として、詳しく描かれ、発展。

 川端康成は好きで読んでいたものだから、余計に興味深い。

 かぐや姫の翁の立場や願望、仕事の意味合いや差別などが詳しく書かれ、楽しかった。

 宮田登氏の書かれた内容もあり、読んでいてワクワクする。

 かなり面白く参考になり箇所も多く、読んで良かったと心より思える一冊であった。

 

 

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竹笹の御祓いか・・・正月 信貴山にて

2009-01-29 | 神社仏閣・祭り

 

 正月信貴山に参拝した折、お賽銭をあげ 手を合わせていると、写真のように竹笹で頭の上を御祓いのよう,にして下さった。

 私は信心深い方ではないかも知れないが、何だか嬉しかった。

 こういった生活に密着した習慣や神事などは、心が清められ、浄化されるようで、一概に迷信とは言い難い。

 なかなか良いものであると感じた。

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15: 絵と文章でわかりやすい!『図解雑学 忠臣蔵』  菊池明 著

2009-01-28 | 読書全般(古典など以外の一般書)
 

(写真は 姫路城。 )

 

記録だけ  

 

2009年度 15冊目  

 

 絵と文章でわかりやすい!『図解雑学 忠臣蔵』

 

  

 菊池 明 著

 株 ナツメ社

 2002年11月8日

 265ページ 1300円+ 税

 

 一月、姫路城に行くついでに赤穂にも行こうかと考えていた。

 芝居にも大きく関わってくるからである。

 結局青春18キップでの日帰り旅行は忙しいので断念。

 そのかわりといっては何だが、雰囲気を味わいたいと思い、本で楽しむことにした。

 近松の『碁盤太平記(ごばん)』が『仮名手本忠臣蔵』の原型になったことは有名である。

 この本には、もう少し詳しく書かれていた。

 近松から『仮名手本忠臣蔵』の作者である竹田出雲が作劇指導を受けていたらしい。

 また『仮名手本忠臣蔵』の47文字の意味はオリジナルではなく、すでに『忠臣いろは軍記』で用いられていたとのこと。

 忠臣蔵の流れだけを楽しむのではなく、『忠臣いろは軍記』情報などは、もっけの幸いといった一冊。

 また、扇切腹なども説明され、読んで良かったと感じられる一冊だった。

 

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姫路城

2009-01-28 | お出かけ

 

   姫路城  (兵庫県)

 

 

 一月、娘と姫路城に行った。

 築城から400年間、一度も戦災にあわず、天守群や櫓、門などが往時のままの姿で残る姫路城は、思いの外広い。

 いろいろな角度から眺める姫路城は、それそれの表情を私たちに投げかける。

 歩く途中、行きがちらつき、表情は一層豊かに広がりを見せてくれた。

 整った構造や均整の取れた美しさは、籐十郎丈のこなれた道成寺を見ているようだ。

 世界遺産は平成5年(1993年)に登録されたらしい。

 籐十郎襲名は少し後か・・・(笑み)

 

 石垣の積み方に特徴あり。

 角度やカーブはかなりの工夫が施され、見入ってしまう。

 姥石がきっかけとなり、姫路城の石垣が集められた経緯は、先日 ブログでも記録した。

 唐草文様 『均整唐草文軒平瓦』 姫路城 記録 ↓

http://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/57985677d13c978f8e206a1a97b37368

 

 城内を見ていると、石棺が積み上げられた部分が多いことはたいへん興味深い。

 石棺や その蓋を使用されたところのあまりの数の多さは、誰もが驚き、気に鳴るところであろう・・・。

 調べてみると、石棺の他、石灯籠なども代用されていたとのこと。 

 掘り返された石棺はたまったものではないなと思うと、ほくそ笑んでしまう。

 

 姫路城には『お菊の井戸』があった。

 何だかおかしくて、にやけてしまった。

 歌舞伎などのお菊は元の話を脚色して書き上げられ、それをまた脚色といったことは有名ではあるが、姫路城の『お菊の井戸』は直径は大きく、また深い。

 これではさぞや 幽霊お菊も皿を数える前に井戸の上に浮かび上がるまでにつかれてしまうだろう・・・。

 姫路城の井戸の深さが、

「うらめしや~~。」

なのである。(爆)

 これはおかしいぞと!と思いきや 姫路城の『お菊の井戸』は『番町更屋敷』と『播州』というつながりで、ここの井戸は『お菊の井戸』と主張されている様子。

 日本全国には『お菊の井戸』とされる者が、多く存在するらしい。

 私は確証するべく史料を持ち合わせていない事を付け加えておく。

 

 

 

 

 

 

 

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14: 『江戸 職人図聚(しょくにんずしゅう)』  三谷一馬 著  株 中央文庫

2009-01-27 | 古典全般(奈良〜江戸時代)

(写真は大阪の道頓堀。1月10日の十日戎の宝恵駕篭の日に。 )

 

記録だけ  

 

2009年度 14冊目  

 

   『江戸 職人図聚(しょくにんずしゅう)』

 

  

 三谷 一馬 著

 株 中央文庫

 1984年12月 立風書房刊

 2001年12月10日

 508ページ 1238円+ 税

 

 先日宮田 登の本を読んだ後、 『江戸 職人図聚(しょくにんずしゅう)』をずっと読み続けていたが、今日までかかってしまった。

 

 内容といい、絵といい、出典といい、面白くてたまらない。

 江戸職人の様子がわかるばかりではなく、芝居に出てくる商売や仕事や衣装や鬘(カツラ)などが鮮やかによみがえってくるから、楽しくてたまらない。

 芝居を思い浮かべながら読んでいると、かなりの時間を費やしてしまう。

 又『しげり柳』を初めいろいろな川柳も多く載せられている。

 読んでいると、夫や娘や息子がそれぞれにちょっかいを出してくる。

 本を取り上げて見入ってしまうものや、いろいろと質問してくる者。

 多分、私がよほどにやけた阿呆な顔でこの本を読んでいたのに違いない。

 電車内の移動時間ではなく、自宅で読んでいたのがせめてもの救い。

 

 いろいろ気になる事が書かれていたが、中でも疑問が一つ生じた。

 歌舞伎などで度々出てくる『紙衣』

 歌舞伎では『紙衣』のことを「かみご(かみこ・・・と発音される方も中にはおられる)」という。役者たちは声を大にして上の呼び方で統一する。

 しかしながら  『江戸 職人図聚(しょくにんずしゅう)』の中では『紙衣』のことを「かみころも」世読み仮名がふられていた。加えて、「『紙子』とも言う」と記してある。

 本来の呼び方はどちらが正しいのであろうか・・・。

 課題として、近々調べねばと思う。

 こりゃ!えらい本を選んでしまった・・・。

 

 

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歴史関係発表講演会出席で思う

2009-01-27 | 乱鳥徒然 Rancho's room.

 

(写真はイランのカスピ海)

 

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 先日 奈良県の歴史関係の集いに出席。

 雪もちらつき 小雨が降る中 出席者は思ったよりも多い。4,50人はいらっしゃったようだ。

 話は興味深く、奈良の郷土昨今に始まり 役行者、崇神天皇から卑弥呼など。

 皆さん本格的に物事をとらえ、調べ上げ、練りあげられて、自分なりの考えで立証されようとする姿勢に心打たれた。

 内容もさることながら、私もこういった歳の重ね方をしたいと感じた有意義な講演会であったことを付け加えておく。

 ぼんやりと過ごしぼんやりと読書するのではなく、たとえ趣味とて自分なりに 問題意識を持って、一つの物事のとらえる時期が来ているのかも知れない。

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『通し狂言 霊験亀山鉾』   大阪松竹座壽 初春大歌舞伎

2009-01-25 | 歌舞伎

  大阪松竹座壽 初春大歌舞伎

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 夜の部

 

 一、通し狂言 霊験亀山鉾(れいげんかめやまほこ)  

 

 序 幕 甲州石和宿棒鼻の場より      

      播州明石網町機屋の場まで  

 二幕目 駿州弥勒町丹波屋の場より      

    同 中島村焼場の場まで   

 中 幕 春寿松萬歳   

 三幕目 播州明石機屋の場  

 四幕目 江州馬渕縄手の場  

 大 詰 勢州亀山祭敵討の場   

 

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 一月二十一日、家族と 大阪松竹座壽 初春大歌舞伎夜の部の『通し狂言 霊験亀山鉾』を楽しむ。

 家族はこの日、久しぶりの休みとあって、目を輝かせて舞台を眺めていた。

 土日返上で早朝から出勤デ仕事だった彼にとっては、またとない骨休みだったことだろう。

 

 さて舞台は、格好良かった。

 これは鶴屋南北が松本幸四郎のために書き下ろした芝居と言うだけあって、仁左衛門を堪能するためにあるような芝居。

 

 この芝居を楽しむための重要ポイントは、大きく くくって二つと考えられる。

 一つは仁左衛門丈を楽しんだ上で、現在の幸四郎丈ならばどういった演じ方をするかを想像する。

 もう一つは、この芝居はいろいろな歌舞伎の芝居をつなぎ合わせたようなところがあるので、どういった芝居が土台になっているか、又 どのようにパロディかされているかを探る点にあると言えよう。

 このように大胆発言を毒舌すると、お叱りを受けるかも知れないが、私としてはこのように感じる次第である。

 

 まず一点目。

 これを妄想すると、時間はすぐに過ぎる。

 仁左衛門丈と幸四郎丈では、藤田水右衛門及び隠亡の八郎兵衛は全く違った人に写るような気がする。

 私は両役者が高校時代から好きなので、どちらがいいとはいいがたい。

 両方がそれぞれいい持ち味で、役を全うし 舞台上を跳ねると感じる。

 この芝居は 関西では七十七年目に興行されたとのこと。

 幸四郎丈で演じられていないばかりか、歌舞伎好きの見巧者とて この芝居を観ずに一生を過ごしてしまった方も多いのではないかと思われる。

 こういった役者のための芝居も、もう少し多く興行されてもいいとは思うが、案の定、今回も空席が未だあるのは残念な事だ。

 

 もう一点は何の芝居のつなぎ合わせられたかを探り、どのようにパロディかされているかを考えるのは非常に楽しい。

 夏祭りや油地獄ならいざ知らず、すし屋あり五右衛門あり鳴神あり忠臣蔵あり鈴ヶ森あり・・・・・・。

 どれだけつなぎ合わせればいいのかといった他の芝居のてんこ盛り具合には、満足。

 芝居を観ている間中、ほくそ笑むといった具合だ。

 

 南北の筋書きはしっかりしている。

 ただ難点を言えば、話が単純過ぎる。

 初めから最後までストレートでひねりが無い。

 まぁ、古典歌舞伎の筋書きは誰でもわかる単純なものが多いので、こんなものだろうとは思う。

 この芝居は心情の揺れを楽しむものではなく、あくまでも役者のかっこよさを楽しむことに徹するが良いと思う。

 見得であったり形であったり、台詞のアクセントや太刀さばきや衣装や鬘(かつら)に目を向けると非常に良い。

 見得やにらみやだんまりなどといった歌舞伎独自の醍醐味も魅力といえよう。

 

 千秋楽まで余すところあと二公演。

 もう一度いこうかと迷ってはいたが、今回はやめておこう。

 ネットで調べてみると、一人席をとると、二十六日十五列目、千秋楽は四列目どぶ席となっていた。

 まぁ、次回のお楽しみということで、無事めでたく今回の壽 初春大歌舞伎の昼夜観劇も無事楽しむことができた。

 これも家族のおかげと、心より感謝。

 日々家族のために健康を考えた食事作りに専念する私である。

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 藤田水右衛門/隠亡の八郎兵衛  仁左衛門

 丹波屋おりき/貞林尼  秀太郎           

 掛塚官兵衛  翫 雀            

 石井兵介  進之介         

 源之丞女房お松  孝太郎    

 石井源之丞/石井下部袖介  愛之助        

 轟金六/大岸主税  薪 車         

 六之進妻おなみ  吉 弥           

 芸者おつま  扇 雀        

 大岸頼母/仏作介  段四郎            

 藤田ト庵  我 當               

 

 萬歳  藤十郎

 

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 松竹株式会社より定期的に配信されている『歌舞伎美人』より 

 あらすじ ↓

 

 亀山の仇討  藤田水右衛門は石井右内との立会いに敗れた腹いせに、石井右内を闇討ちで殺し「鵜の丸」の一巻という秘書を奪います。

 そして敵討ちにやってきた石井家の人々―右内の弟兵介、養子の源之丞、家来の轟金六、源之丞と恋仲の芸者おつま等を卑怯な手を使って次々と返り討ちにしていきます。

 最後には曾我祭りの鉾が取り囲む亀山城下で大岸頼母の助けを借り、石井の一族であるお松、源次郎、下部袖介らが水右衛門を討ち、本懐を遂げます。  

 

 四世鶴屋南北の仇討物の最高傑作と言われる『霊験亀山鉾』。

 初演は文政五年(一八二二)ですが、上演はこれまでにわずか数回しかなく、関西では七十七年振りというまさに幻の復活狂言です。 

 本作の題材である「亀山の仇討」は「忠臣蔵」の元になった赤穂浪士の吉良家討ち入りの前年に起きた実際の出来事で古来、芝居に小説にと数多く脚色されていますが、なかでも名作とされているのが、この『霊験亀山鉾』です。  

 

 もともと南北の作品は悪役なのに色気もある「悪の美学」が真骨頂です。

 この作品でも主人公・藤田水右衛門の徹底した冷血漢ぶりが、かえって不思議な魅力を漂わせており、序幕から敵討ちにやってきた石井家の人々を、権謀術策の限りをつくし次々と返り討ちにしていく水右衛門の非情さがこのお芝居の大きなみどころになります。  

 

 また、今回の上演の中心となる二幕目の「丹波屋」から「中島村」には、水右衛門の行方を捜す源之丞とおつまの前に謎の男・八郎兵衛が現れます。

 この八郎兵衛と水右衛門が瓜二つという奇抜な設定、八郎兵衛の正体が顕れるどんでん返し。

 また燃え盛る火の中、棺桶を破って水右衛門が現れる衝撃的な場面など南北の芝居の特色が十分に出た一幕となっています。  

 

 ほかにも、水右衛門の実父卜庵が石井家の者に自ら進んで討たれて合敵(お互い敵同士)となりますが、この時水右衛門が初めて人間らしい感情を見せて親の死を嘆く展開など、みどころ豊富な話題作です。  

 水右衛門と八郎兵衛の二役に仁左衛門、実父・卜庵に我當、貞林尼と丹波屋おりきに秀太郎、大岸頼母に段四郎、掛塚官兵衛に翫雀、おつまに扇雀、石井兵介に進之介、お松に孝太郎、源之丞と袖介の二役に愛之助らの顔ぶれでご堪能下さい。  

 

 また、中幕では、藤十郎による『春寿松萬歳』をご高覧頂きます。

 お正月にふさわしい華やかな舞踊で、新春を賑やかに寿ぎます。

 

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笑えない!若者の奇妙な行動に 首を傾げる乱鳥

2009-01-25 | 乱鳥徒然 Rancho's room.

(写真はイランのエスファハーン)

 

 

 先日、息子と 映画『感染列島』に行った際、少し気味が悪い思いをした。

 映画の内容ではない。

 

 劇場内は封切り当日というのに、がらがらに空いていた。

 私たち親子は中央ブロックの 通路よりの中央。

 息子は通路の定位置。

 空いていたので、私は指定席(つまり息子の席のとなり)から一席ずらせて 座っていた。

 

 開演5分前頃、薄い布地のリュックを背負った若者が入ってきた。

 かなりこちらを立ったまま凝視。

 ずっと見ているので、気に掛かる。

 もしや、彼の席を私が座っているのだろうか?

 不安は高まる。

 

 かなり長い間見つめているので、席を問うてみた。

 すると 

「いえ、席は13番です。」

 若者の席は数個左だという。

 すかさず 彼はたたみ込むようにいった。

「ここに座ってもいいですか?」

 それは私の真横の席だった。

 私は不振に思いながらも、

「どうぞ。」

と、微笑む。

 

 息子はすぐに私たち親子の真ん中に置いていた荷物を膝に抱え、私は、即座に息子の横に落ち着いた。

 いくら私がスマートな体型だといっても、精神的に息子の真横は窮屈な感じがする。(笑み)

 暫くすると、若者は自分の指定席に戻られた。

 どうやら、私たち親子できていることに、気がついてくれたらしい。

 

 映画が終わるなり、彼は足早に私たちの前を通り過ぎていかれた。

 結構真面目な若者だったらしく、私の前を通る際、

「どうも、すみませんでした。」

とお頭を下げていかれた。

 その行為がかえって私たち親子は度肝を抜かれた。

 

「どうも、すみませんでした。」

って、一体どういう事なんだろう・・・。

 多分、私を移動させたことか・・・。

 

 息子は、自分より少し年上の二十代学生だという。

「どうも、すみませんでした。」

の言葉には、息子も目が点。唖然としていた。

 

 息子が言うには、例え隣の席が指定席であったとしても、劇場ががらがらの場合は 他の人から少し離したいらしい。それはおばちゃんに限らず・・・というのが本音らしい。

 健全だ。納得する。

 

 もしかして、この映画を一人で見るのが怖かったのだろうか・・・。

 それとも、母上様に先立たれたかわいそうな若者なのだろうか・・・。

 結局 あの若者の真意は、今となってはわからない。

 それにしても、あの若者の言動は 映画以上に奇妙だったことを付け加えておく。

 

 

 

 そんなこんなで、映画の記録をつける気になれなかった。

 映画『感染列島』記録 ↓

 http://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/65e0f5c8ee1d240348ccefff3349e3ee

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『感染列島』  妻夫木聡  檀れい

2009-01-25 | 映画

 

  『感染列島』

 

 日本 2009年

 

 監督・脚本 瀬々敬久

 

 キャスト

 妻夫木聡

 檀れい

 国仲涼子

 田中裕二

 池脇千鶴

 カンニング竹山

 佐藤浩市

 藤竜也

 

 

 もう随分前のことだが、1月17日土曜日。

 子どもと 映画『感染列島』を見た。

 とても怖かった・・・。

 怖くて、家に帰ってからも、目に見えないウイルスが充満しているように感じた。

 

 この映画も、アメリカの『ツイスター』のように、政府が関わっているのかもしれないと思うと、余計に恐ろしい。

 以前劇場で見た『日本沈没』よりも数倍、怖かった・・・。

 人ごとではない。

 テレビでは特集を組んで、鳥インフルエンザが広がった場合のシュミレーションを放映。

 また、最近ではタミフルが効かないインフルエンザも出現したという。

 こう考えると、人間も、一生物に過ぎない。

 本当に、先日書いた 人類奢ることなかれなのである。

 

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『奈良大和の祭り』から、奈良の暮らしを読む

2009-01-25 | 美術・文様・展示物

(写真は信貴山にて。 2009.1.2)

 

 

 『奈良大和の祭り』から、奈良の暮らしを読む

 

 

 奈良の平城京近くで開催されている『 奈良大和の祭り』を楽しむ。

 写真集出版を機して、この個展を開かれたらしい。

 

 会場に着いてみると、作品の多さと素晴らしさに圧倒。

 絵画個展などにはこどものころから慣れ親しんできたが、写真展の個展ともなると、勝手がわからない。

 初めはぼんやりと眺めていたが、これがなかなか面白い。

 奈良の歳時記と言うだけあって、奈良の祭が満載。

 私は元 奈良県生まれではないので、知らない祭がことのほか多い・・・というよりも、知らない祭だらけである。

 この写真は親切。

 祭の土地や時期、月日まで書かれており、親切にも祭の内容や意味合いなどの記されていた。

 

 写真は祭にとどまらない。

 奈良の 神社や神にお供えする『神餞(しんせん)』や寺院や仏に供える『仏供(ぶつく)』などの写真が多く展示。

 こうなれば、ぼわんと見ている場合ではない。

 私はコートとバックをコインロッカーに入れ、メモをとりながら、丹念に見始めた。

 

『神餞(しんせん)』や『仏供(ぶつく)』は、今までに読んできた宮田登氏などの話を思い浮かべながらゆっくり見る。面白くてなかなか前に進まない。

 

 饅頭や餅などの並べ方一つにしても意味合いがあるようだ。

 K大学の講師をなさっている下鴨神社神主様の講義内容の又聞きしたことを思い浮かべる。

 赤米の盛り方や数にしても、天に通じたり 五穀豊穣につながる二(2)という数で、興味深い。

 これについては 後で入り口付近の東大寺の写真を見ると、火を使った神事の背景に写っていた。

 こういった見つける楽しみも加わる。

 五穀豊穣を祈願して、○根信仰の供え物や他にも意味深いものが多い。

 米や餅などにさされた竹や棒状のものは 天(あの世)に通じるのだろう。

 これは 仏に供える白米や墓の前に置く泥饅頭やカマにも通じるものがあると思われる。

 民俗学的な写真はこれまでにも見てきたし、大阪の民族学博物館でも多く展示されているが、奈良に限定してこれだけ数多く観られたということ葉素晴らしい。

 民族学的に見ても、意味があると感じる。

 

 きれいな写真と言うだけではこんなにも楽しめなかったかも知れない。

 以前から個人的な好みとして、写真に関しては人間と密着した 伝統芸能や祭や生活に密着した内容をテーマにおいた作品が好きだ。

 そうしてこの写真展は、写真家N氏の写真作品としても、また内容を考えても、私の好奇心を充分に満たしてくれた。

 

 今回の写真展は面白かった。

 多分 写真家の方は厚みのある人なんだろうと作品の数々を見て、想像した。

 写真集『なら大和の祭り』は写真を楽しむ方にとっても 今後奈良を満喫したい方にとっても満足できるのではないかと思われる。

『神餞(しんせん)』や『仏供(ぶつく)』などは会場の一部を厳選して、載せられていた。

 これからこの本をゆっくりと見て味わい、また熟読を楽しみにしている次第。

 奈良に住み、祭などを楽しむためのバイブルとして活用したいと思える一冊に出会ったことを、非常に喜んでいる。

 

 

 写真展  『奈良大和の祭り』

 会期 2009年1月21日(水)~1月25日(日)

 時間 10:00~17:30

 会場 奈良市美術館

 

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13: 『神の民俗誌』  宮田登 著   岩波新書 黄版97

2009-01-25 | 民俗学、柳田國男、赤松啓介、宮田登
 

(写真は奈良の信貴山。正月参拝の折。丸く光って見えるのは、小銭を貼り付けられているもよう。2009.1.2 )

 

記録だけ  

 

2009年度 13冊目  

 

   『神の民俗誌』

 

  

 宮田 登 著

 株 岩波書店

 岩波新書 黄版97

 1979年9月20日

 193ページ 320円

 

 今回も私の好きな宮田 登 著の『神の民俗誌』を楽しむ。

 やはり興味深い。

 

 宮田 登氏の話の中に度々出てくる「木花開耶姫(このはなさくやひめ)」の話は、好きだ。

 これは『日本書紀』巻二に記されている。

 

「箒の神」は、はき出すとか 掃き寄せるとか。

 これはケガレとハレに関するのだろう。

 箒の丸く絞った形も、いかにも心霊が宿りそうで、こういったものを神に見立てる日本人の知恵には驚きと同時に、納得もする。

 こういった形は妊婦や出産にも見立てられている。

 妊娠中トイレを掃除するといい子が生まれるといった言い伝えは、こういったところから来ているとのこと。

 納得。

 

『江談抄』や『諸社通用神祇服忌大成(じんぎぶっきれい)』http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/wa03/wa03_06343/index.htmlの例は興味深い。

『諸社通用神祇服忌大成』での 「魚鳥、大社無憚 (魚鳥、大社にて はばかり無し) 」は、わた其の場合は 大神神社(三輪神社)の神餞(しんせん)である つるされた鯛と雉を思い浮かべる。

 

『仏説目連正教血盆教』の、「血の池地獄」

 そうだったんだと変に納得。

 

 鍛冶屋の話は以前読みかけたままになっている柳田國男氏の『一つ目小僧』に関連性があるのだろうか・・・。

 職人の技術が呪術者としての役割も含むといった説もこの本には記され、全体を通して、非常に興味深く読んだ。

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12: 『都市空間の怪異』  宮田登 著  角川選書 311

2009-01-23 | 読書全般(古典など以外の一般書)

(写真は奈良の広瀬神社で行われる、砂かけ祭。 )

 

記録だけ  

 

2009年度 12冊目  

 

   『都市空間の怪異』

 

  

 宮田 登 著

 株 角川書店

 角川選書 311

 平成1311月30日

 212ページ 1300円

 

『都市空間の怪異』を楽しむ。

 いつもより角張った文章だと思っていたが、著者が亡くなられてから企画書やメモなどを元に、本書をまとめられたとのこと。

 なるほど。

 

 内容は面白かった。

 辻占いは、現在の堺市が初めらしい。

 安倍晴明が摂津の国と和泉の国の境の辻で占いを始めたのは最初とのこと。

 それにしても 安倍晴明はあちこちに足跡を残して織るなぁと、感心する。

 

 宮田登氏や本多勝一氏に度々出てくる『エンガチョ』と出てくる言葉は、私の時代或いは故郷では『ベンショ、ベンショウ。鍵 のんだ』だったな。

 懐かしいな。

 

 祟りという言葉は、タツから来ているそうだ。

 感じに書くと、なるほど「立」に「示す」

 日本人はこの祟りにはきわめて執着が深いそうだ。

 祟りや執着といえば 私の場合はすぐに『鉄輪』を思い浮かべてしまうな(笑み)

 世の男性諸君、女性を敵に回すのは、それ相応の覚悟を。

 思いの外 怖いですぞ~、なんちゃって。(笑み)

 

 

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