乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

『インド教』読了  ルイ・ルヌー 渡辺照宏 美田稔 共訳  1991 白水社

2024-04-05 | 哲学

上の写真はトルコで

 

『インド教』読了  ルイ・ルヌー 渡辺照宏 美田稔 共訳  1991 白水社

 

 二期にわたりインドの講義を受けてきたが、名刺が多くてわかりずらい。

 講義で出てきた名刺が多いというのに、、、

 自分の無能さに、寂しい心地がする。

 

 イン哲の講義、初めて出席したときには拒否反応が起こり、二、三度欠席した。

 理由は一つ。

 意味が分からない名刺が多すぎた、、、

 

 気分を取り直していま一度挑戦とばかりに抗議に出ると、、、面白かった。

 その後一度たりとも欠席してない。

 だが、本性は難しかった。

 

 講義で聞いていた名刺は番号札のように意味をなさず、空白の紙面が次々と現れる。

 ひとつづつ意味を調べればいいのだが、そんなに凝り性でもない。

 まぁ、気楽に、、、好きという気持ちだけをもってインドを楽しんでいこう。

 

本書より引用(P.5)

ヴェーダの宗教はインドにおけるすべての宗教形態がそこにうかがえる最古の姿の宗教である。

 

ヴェーダ(梵: वेद、Veda)とは(ウィキペディアより)

 紀元前1000年頃から紀元前500年頃にかけてインドで編纂された一連の宗教文書の総称

「ヴェーダ」は「知識」の意。  

 バラモン教とヒンドゥー教の聖典である。

 長い時間をかけて口述や議論を受けて来たものが後世になって書き留められ、記録されたものである。  

「ヴェーダ詠唱の伝統」は、ユネスコ無形文化遺産保護条約の発効以前の2003年に「傑作の宣言」がなされ、「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に掲載され、無形文化遺産に登録されることが事実上確定しており、2009年9月の第1回登録で正式に登録された。

 

 

『インド教』

ルイ・ルヌー 

渡辺照宏 美田稔 共訳  

1991 

白水社

139頁

980+

 

 

上の写真はイランで

 

上の写真はトルコ、ガイヤテップで

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イン哲 1  ヴェーダ (ヴェーダの分類)

2024-04-02 | 哲学

 イン哲 1  ヴェーダ (ヴェーダの分類)

 

 

 ここ半年余、イン哲の講義を週一で受けている。

 古代インドにおける考え方の一つとして、分類があるが、これがなかなか厄介である。

 多くの物事に対し分類が行われ整理される。

 その中には納得のいくものもあれは、笑い転げそうになる内容もある。

 インド哲学は、ずいぶんと興味深い分野である。

 

 イン哲は高校世界史では袖をかすったが未知の世界であったので、とまどった。

 先日読んだヴェーダに関連する本も、その関係で手に取ったものである。

 今は白水社の『インド教』(ルー・ルター著)を読んでいるが、冒頭に関連しているヴェーダの分類の項をウィキペディアから安直にお借りして取り上げてみた。

 

 以下、ウィキペディア

    ▼

 ヴェーダの分類

 

 広義でのヴェーダは、分野として以下の4部に分類される。  

 

 

サンヒター

 中心的な部分で、マントラ(讃歌、歌詞、祭詞、呪詞)により構成される。

 

ブラーフマナ(祭儀書、梵書)

 紀元前800年頃を中心に成立。

 散文形式で書かれている。

 祭式の手順や神学的意味を説明。

 

アーラニヤカ(森林書)

 人里離れた森林で語られる秘技。祭式の説明と哲学的な説明。

 内容としてブラーフマナとウパニシャッドの中間的な位置。

 最新層は最古のウパニシャッドの散文につながる。

 

ウパニシャッド(奥義書)

 哲学的な部分。

 インド哲学の源流でもある。

 紀元前500年頃を中心に成立。

 1つのヴェーダに複数のウパニシャッドが含まれ、それぞれに名前が付いている。

 

 

 他にヴェーダに含まれていないウパニシャッドも存在する。

 ヴェーダーンタとも呼ばれるが、これは「ヴェーダの最後」の意味。

 ヴェーダ語よりも古典サンスクリット語に近い。

 

 更に、各々4部門が祭官毎に

   『リグ・ヴェーダ』、

   『サーマ・ヴェーダ』、

   『ヤジュル・ヴェーダ』

などに分かれる。

 

 

 都合4X4の16種類となるが、実際には各ヴェーダは更に多くの部分に分かれ、それぞれに名称がついている。

 

 ヴェーダは一大叢書  ともいうべきものである。

 

 現存ヴェーダ著作だけでもかなりの多さになるが、古代に失われた多くの学派の文献をあわせると更に膨大なものになると考えられている。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『二十四孝』 1  『二十四孝』と話の内容(24話) 『生と死の図像学―アジアにおける生と死のコスモロジー』至文堂

2022-07-01 | 哲学

写真は、矢田寺

 

 

 

 

 

  『二十四孝』 1  『二十四孝』と話の内容(24話) 『生と死の図像学―アジアにおける生と死のコスモロジー』至文堂

 

 

 

『二十四孝』(にじゅうしこう)は

 中国において後世の範として、孝行が特に優れた人物24人を取り上げた書物。

 元代の郭居敬が編纂した。

 ここに紹介された中には、四字熟語や、関連する物品の名前として一般化した物もある。

 日本にも伝来し、仏閣等の建築物に人物図などが描かれている。

 また、御伽草子や寺子屋の教材にも採られている。

 孝行譚自体は数多く、ここに採られたものだけが賞されたわけではない。

  登場人物を、ここでは二十四孝の代表的な人物とその内容を記す

 陸績

 陸績は6歳の時に袁術の所に居た。

 袁術は陸績のために、おやつとして蜜柑を与えた。

 陸績はそれを3つ取って帰ろうとすると、袖から蜜柑がこぼれてしまった。

 袁術は

「陸績君は幼いのに泥棒のようなことをするのかね」

と言ったところ、陸績は

「あまりに見事な蜜柑なので、家に持ち帰って母に食べさせ、恩に報いようと思いました」

と言った。

 袁術はこれを聞いて

「幼いのに何という親孝行な子供であろうか、過去現在において稀な心がけである」

と褒め称えた。

 

田真兄弟

 田真(でんしん)・田慶(でんけい)・田広(でんこう)の3兄弟は、親亡き後に財産を3等分したが、庭に大きく繁り花を咲かせた木があった。

 兄弟はこれも3等分しようと徹夜で考えた。

 夜が明けたので、木を切ろうと庭に出てみると、昨日まで繁っていた木が急に枯れていた。

 田真はこれを見て

「草木にまで心があって、切られようとして枯れたのであれば、人間ではなおさらである。なんと至らないことであっただろうか」

と言い、切らずにおくと、木はまた元のように見事に繁った。

 

郯子

 郯子(たんし)には年老いた両親がおり、眼を患っていた。

 鹿の乳が眼の薬になると聞いた両親は、郯子に欲しいと願った。

 郯子は鹿の皮を身にまとい、鹿の群れに紛れて入った。

 そこへ猟師が本物の鹿と間違えて郯子を射ようとしたが、郯子が

「私は本物の鹿ではありません。郯子と言いまして、親の願いを叶えたいと思い、こうやって鹿の格好をしているのです」

と言うと、猟師は驚いてその訳を聞いた。

 孝行の志が篤いので射られずに帰り、親孝行をすることが出来た。

 

 この話でも、皮かむりの魔力に準じた話が展開されている。

 

蔡順

 王莽の時代に天下は乱れ、また飢饉が訪れ、食べる物もなかった。

 蔡順(さいじゅん)は母のために桑の実を採り、熟していない物と熟した物に分けていた。

 その時、盗賊(赤眉の乱の盗賊と思われる)が現れ

「何故桑の実を2つに分けるのか」

と尋ねたところ、蔡順は

「私には一人の母親がおりますが、熟した物は母親に、熟していない物は自分にと思っていたのです」

と言った。

 盗賊も蔡順の孝行の心を知り、米と牛の足を与えて去って行った。

 蔡順はその米と牛の足も母親に与えた。

 

閔子騫

 孔子の弟子の閔子騫(びんしけん、子騫は字。諱は損)は幼い時に母を亡くし、父が再婚して異母弟2人ができた。

 継母は実子2人を愛したが継子の閔子騫を憎んで、冬になると実子には綿入りの着物を与えたが、閔子騫には蘆の穂を入れた着物を与えた。

 閔子騫が寒さに凍えているのを見て、父が継母と離縁しようと言うと、閔子騫は

「母上が去られては、3人の子供は凍えます。私1人が凍えていれば、弟2人は暖かいのでどうか離縁しないで下さい」

と言った。

 継母はこれに感激し、以後は実母のように閔子騫を可愛がったという。

 

黄香

 黄香(こうこう)は母を亡くし、残された父によく仕えた。

 夏の暑い時には枕や椅子を団扇で扇いで冷やし、冬の寒い時には布団が冷たいのを心配し、自分の身体で暖めた。

 これを知った江夏郡の太守劉護は、高札を立てて黄香の孝行を褒め称えた。

 

呉猛

 呉猛(ごもう)は8歳であったが、家は貧しく、蚊帳を買う金もなかった。

 呉猛は考え、自分の着物を親に着せ、自分は裸になって蚊に刺された。

 それを毎日続けると、蚊も呉猛だけを刺し、親を刺すことはなくなったと言う。

 

楊香

 楊香(ようこう)には一人の父がいた。

 ある時父と山に行った際に虎が躍り出て、今にも2人を食べようとした。

 楊香は虎が去るように願ったが叶わないと知ると、父が食べられないように

「天の神よ、どうか私だけを食べて、父は助けて下さいませ」

と懸命に願ったところ、それまで猛り狂っていた虎が尻尾を巻いて逃げてしまい、父子共に命が助かった。

 

張孝兄弟

 張孝(ちょうこう)と張礼(ちょうれい)の兄弟は、飢饉の時に80歳を超えた母を養っていた。

 木の実を拾いに行ったところ、盗賊が現れて張礼を食おうとした。

 張礼は

「私には一人の年老いた母親がいます。今日はまだ母が食事をしていないので、少しだけ時間を下さい。母に食事をさせればすぐに戻って来ます。もしこの約束を破れば、家に来て一家もろとも殺して下さい」

と言って、母親の食事を済ませて盗賊の所に戻って来た。

 張孝はこれを聞き、走って盗賊の所に行って

「私の方が弟より太っています。私を食べて、弟を助けて下さい」

と言う。

 張礼は

「これは最初の約束なので、私が食べられます」

と言って死を争った。

 それを見た非道な盗賊も兄弟の孝行心に打たれ、このような兄弟は見たことがないと2人の命を助け、さらに沢山の米と塩を与えた。

 兄弟はそれらを持って帰り、さらに孝行を尽くした。

 

丁蘭

 丁蘭(ていらん)の母が亡くなると、丁蘭は母の死を悲しみ、母の木像を作って生きている時のように尽くした。

 丁蘭の妻がある夜、母の木像の顔を火で焦がしてしまうと、木像は腫れて血が流れ、2日経つと妻の髪の毛が全てなくなってしまった。

 妻は何度も詫びをするが一向に変わらないので、丁蘭は驚いて木像を大通りに移し、妻に3年間詫びをさせた。

 すると、一夜のうちに風雨の音がして、木像は元の場所に戻ったと言う。

 

 この話は『生と死の図像学―アジアにおける生と死のコスモロジー』でも多くのか一説があり、資料も多く取り上げられていた。

 

王裒

 王裒(zh)(おうほう)の父の王儀(王修の子)が時の皇帝の怒りに触れて、罪も無いのに亡くなった。

 王裒はこれを恨み、皇帝の居る方角には決して向かないで座った。

 王裒は父の墓の前で礼拝し、傍らにあった柏の木にすがって泣き続けたために、柏の木は枯れてしまうほどであった。

 母は雷が怖い人であったが、その死後も雷が鳴ると、王裒は母の墓に急ぎ行った。

 

姜詩

 姜詩(きょうし)の母は、いつも綺麗な川の水を飲みたいと思い、魚を食べたいと言っていた。

 姜詩と妻は、いつも長い距離を歩き、母に水と魚を与えてよく仕えた。

 するとある時、姜詩の家のすぐ傍に綺麗な川の水が湧き出て、毎朝その水の中に鯉がいた。

 

孟宗

 孟宗(もうそう)は、幼い時に父を亡くし年老いた母を養っていた。

 病気になった母は、あれやこれやと食べ物を欲しがった。

 ある冬に筍が食べたいと言った。

 孟宗は竹林に行ったが、冬に筍があるはずもない。

 孟宗は涙ながらに天に祈りながら雪を掘っていた。

 すると、あっと言う間に雪が融け、土の中から筍が沢山出て来た。

 孟宗は大変喜び、筍を採って帰り、熱い汁物を作って母に与えると、たちまち病も癒えて天寿を全うした。

 

 孟宗竹、、、

 

王祥

 王祥(おうしょう)は母を亡くした。

 父の王融は後妻をもらい、王祥は継母の朱氏からひどい扱いを受けたが恨みに思わず、継母にも大変孝行をした。

 継母が健在の折、冬の極寒の際に魚が食べたいと言い、王祥は河に行った。

 しかし、河は氷に覆われ魚はどこにも見えなかった。

 悲しみのあまり、衣服を脱ぎ氷の上に伏していると、氷が少し融けて魚が2匹出て来た。

 早速獲って帰って母に与えた。

 この孝行のためか、王祥が伏した所には毎年、人が伏せた形の氷が出るという。

 

姜詩

 姜詩(きょうし)の母は、いつも綺麗な川の水を飲みたいと思い、魚を食べたいと言っていた。

 姜詩と妻は、いつも長い距離を歩き、母に水と魚を与えてよく仕えた。

 するとある時、姜詩の家のすぐ傍に綺麗な川の水が湧き出て、毎朝その水の中に鯉がいた。

 

郭巨

 郭巨(かくきょ)の家は貧しかったが、母と妻を養っていた。

 妻に子供が産まれ、3歳になった。

 郭巨の母は孫を可愛がり、自分の少ない食事を分け与えていた。

 郭巨が妻に言うには

「我が家は貧しく母の食事さえも足りないのに、孫に分けていてはとても無理だ。夫婦であれば子供はまた授かるだろうが、母親は二度と授からない。ここはこの子を埋めて母を養おう」

と。

 妻は悲嘆に暮れたが、夫の命には従う他なく、3歳の子を連れて埋めに行く。

 郭巨が涙を流しながら地面を少し掘ると、黄金の釜が出て、その釜に文字が書いてあった。

「孝行な郭巨に天からこれを与える。他人は盗ってはいけない」

と。

 郭巨と妻は黄金の釜を頂き喜び、子供と一緒に家に帰って、さらに母に孝行を尽くした。

 

董永

 董永(とうえい)は幼い時に母と別れ、家は貧しく、いつも雇われ仕事の小銭で日々暮らしていた。

 父も足が悪かったので、小さな車を作って父を乗せ、田んぼのあぜまで連れて行き、農作業をしていた。

 父が亡くなると葬式をしたいと思ったが、貧しいのでお金がない。

 そこで、身売りをしてその金で葬式をした。

 身請け主の所へ行こうとすると、途中で一人の美女がいた。美女が言うには

「私は董永の妻となるべく、絹を織って身請け主に届け許されました」

と。

 そして董永の妻となり、最後に

「私は天の織姫ですが、貴方の孝行な心に感じて天が私にお命じになりました」

と言うと、天に帰って行った。

 

 舜(しゅん)は大変孝行な人であった。

 父の名前は瞽叟と言い頑固者で、母はひねくれ者、弟は奢った能無しであったが、舜はひたすら孝行を続けた。

 舜が田を耕しに行くと、象が現れて田を耕し、鳥が来て田の草を取り、耕すのを助けた。

 その時の天子を堯と言った。

 堯は舜の孝行な心に感心し、娘を娶らせ天子の座を舜に譲った。

 

漢文帝

 漢の文帝は高祖の子である。諱を恒(こう)と言った。

 母の薄太后に孝行を尽くし、食事の際は自ら毒見をするほどであった。

 兄弟も沢山いたが、文帝ほど仁義・孝行な皇子はいなかった。

 そのため、陳平・周勃などの重臣が皇帝に推戴した。

 孝行とは誰もが知っているが、実際に行うことは難しい。

 だが、高貴な身分で孝行を行ったことは神の如き志である。

 

山谷(黄庭堅)

 黄庭堅(歌川国芳『唐土二十四孝』) 山谷(さんこく)黄庭堅(こうていけん)は、宋の詩人であり、現在でも詩人の祖といわれている。

 使用人も多く、妻もいたが、自ら母の大小便の便器を取り、汚れている時は素手で洗って母に返し、朝から夕方まで母に仕えて怠けたことはなかった。

 

庾黔婁

 庾黔婁(ゆけんろう)は南朝斉の人で、孱陵(せんりょう)県令になっていたが、着任して10日も経たないうちに、胸騒ぎがしてならなくなった。

 父の庾易の病気かと思い、県令を辞めて家に帰ると、案の定大病を患っていた。

 庾黔婁が医師に病状を尋ねると、病人の便を舐めて、甘く苦ければ良かろうと言う。

 庾黔婁は簡単なことだと言って舐めてみると、味が違ったので父の死を悟り、北斗七星(北極星)に身代わりになることを祈り続けた。

 

朱寿昌

 朱寿昌(しゅじゅしょう)は、7歳の時に母が蒸発してしまったので母をよく知らないことを嘆き、50年が経った。ある時、朱寿昌は知州であったが職も妻子も捨て、自らの血でお経を書いて天に祈っていると、同州に母がいると告げられ、遂に母に会うことができた。

 

曾参

 孔子の弟子の曾参(そうしん)は、ある時薪を取りに山に行った。

 母が留守番をしている所に曾参の親友が訪ねて来た。

 母はもてなしたいと思ったが、曾参は家におらず、元々家が貧しいのでもてなしもできず、

「曾参、急いで帰って来てくれ」

と指を噛んで願った。

 曾参は山で薪を拾っていたが、急に胸騒ぎがするので急いで家に帰ってみると、母が事のいきさつを話してくれた。

 

唐夫人

 唐夫人(とうふじん)は、姑(夫の母)の長孫夫人に歯がないのでいつも乳を与え、毎朝姑の髪を梳いて、その他様々なことで仕え、数年が経った。

 ある時、長孫夫人が患い、もう長くないと思って一族を集めて言うには

「私の嫁の唐夫人の、これまでの恩に報いたいが、今死のうとしているのが心残りである。私の子孫たちよ、唐夫人の孝行を真似るならば、必ず将来繁栄するであろう」

と言った。

 このように姑に孝行なのは過去現在珍しいとして、皆褒め称えたと言う。

 

老萊子

 老萊子(ろうらいし)は、両親に仕えた人である。

 老萊子が70歳になっても、身体に派手な着物を着て、子供の格好になって遊び、子供のように愚かな振る舞いをし、また親のために食事を運ぶ時もわざと転んで子供が泣くように泣いた。

 

  以上全てウィキペディア参考

 

  • 至文堂 (2003/5/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2003/5/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 426ページ

 

 明治大学公開文化講座 27 『声なきことば・文字なきことば』 風間書房 2008年

 明治大学公開文化講座 XIV『文化における「異」と「同」』 風間書房

 明治大学公開文化講座 XⅦ  『歴史の中の民衆文化』

『明治大学公開文化講座 31孤立と社会』櫻井泰 長谷川澄男 河合正弘 上西紀夫   平成24年 風間書房

『言語的な、余りに言語的な―現代社会とことば』3,3★/5  (明治大学公開文化講座) 新書 – 2004年 明治大学人文科学研究所、 明大人文科学研究所 風間書房

『人はなぜたびに出るのか』30 4,6★/5  (明治大学公開文化講座) 新書 – 2007年 明治大学人文科学研究所、 明大人文科学研究所 風間書房

 

『廓庵 十牛図 騎牛帰家』  『生と死の図像学―アジアにおける生と死のコスモロジー』 (明治大学人文科学研究所叢書)  至文堂ハードカバー より

『廓庵 十牛図 入鄽垂手(にってんすいしゅ)』   『生と死の図像学―アジアにおける生と死のコスモロジー』至文堂ハードカバー より

『もくれんのさうし』とは   『生と死の図像学―アジアにおける生と死のコスモロジー』第四章一 至文堂 より

『もくれんのさうし』『目連尊者地獄めぐり』『謡曲 目連』『目連の讃』他  『生と死の図像学―アジアにおける生と死のコスモロジー』

『二十四孝』 1  『二十四孝』と話の内容(24話) 『生と死の図像学―アジアにおける生と死のコスモロジー』至文堂

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『廓庵 十牛図 入鄽垂手(にってんすいしゅ)』   『生と死の図像学―アジアにおける生と死のコスモロジー』至文堂ハードカバー より

2022-06-25 | 哲学

 

  『廓庵 十牛図 入鄽垂手』

 

 入鄽垂手(にってんすいしゅ)= 入鄽垂手(町に出て生活する) 

『廓庵 十牛図 入鄽垂手』

手ハそれて是ハ

 空なるおとこ山

かれたる枝に

 鳥やすむらん

 

身をおもふ 身をハ

 心そくるしむる

あるにまかせて

 有にあるへき

 

  座禅儀

般若菩薩起大悲心弘誓精修三昧

 

(『生と死の図像学―アジアにおける生と死のコスモロジー』より『廓庵 十牛図 入鄽垂手』を写す。)

 

   『廓庵 十牛図 騎牛帰家』

 

騎牛帰家

 善もなく悪もない。

 対立を排除してしまったところに、新しい自分(=本性)が存在する。

「入鄽垂手」に描かれた牧人(=本性)に出会うには、、、

 

 『生と死の図像学―アジアにおける生と死のコスモロジー』 (明治大学人文科学研究所叢書)  至文堂ハードカバー より

  

  • 至文堂 (2003/5/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2003/5/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 426ページ

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『廓庵 十牛図 騎牛帰家』  『生と死の図像学―アジアにおける生と死のコスモロジー』 (明治大学人文科学研究所叢書)  至文堂ハードカバー より

2022-06-25 | 哲学

 

  『廓庵 十牛図 騎牛帰家』

 

すみのふる心の

 空にうそ

  ふきて

 立ふり行

  みねの白雲

かへり見むとを山

 道の雪きゝて

心のうしに

 のりてこに せき

 

(『生と死の図像学―アジアにおける生と死のコスモロジー』より『廓庵 十牛図 騎牛帰家』を写す。)

 

 

『十牛図』とは

『十牛図』は、中国の宋の時代の禅の入門書

 絵には、それぞれ漢文の「序(じょ)」と漢詩の「頌(じゅ)」がつけられている。

 禅の考えや絵の説明が書かれてる。

 漢詩(頌)は廓庵師遠(かくあんしおん)禅師が作り、序は弟子の慈遠(じおん)禅師がのちに付けた。

『十牛図』の絵はさまざまな種類のものが残されているとのこと。

 

『十牛図』は、一頭の牛が登場。

 牛は普段はおとなしく、物静かでだが、あばれると非常に強く、手がつけられない。

 その姿はまるで、人間の心の様子に似ているとされ、こういった話が生まれたのかもしれない。

 

   『廓庵 十牛図 騎牛帰家』

 

騎牛帰家: 騎(旅人)は牛に乗って、家へ帰る。

 旅人は、なぜ楽しそうに歌を歌ったり、笛を吹いたりしながら、のんびりと家に帰って行くのか。

『十牛図』の説くところでは、旅人も牛も、もともと同じもの。

 やっとの思いで牛をつかまえ、手なずけても、「元に戻った」にすぎないのだ。

 

 それでも旅人が満足しているのは、誰に言われるでもなく、自からが牛を探しはじめたから。

 自分の足で歩きまわって、いろいろ大変な思いをしてきたことは自分だけの財産であり、満足に値する。

「元に戻った」ことと、「何もしなかった」ことは同じではないという教えである。

 

 

 

 『生と死の図像学―アジアにおける生と死のコスモロジー』 (明治大学人文科学研究所叢書)  至文堂ハードカバー より

  

  • 至文堂 (2003/5/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2003/5/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 426ページ

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実存主義(じつぞんしゅぎ、フランス語: existentialisme、英語: existentialism)

2021-08-26 | 哲学

 実存主義(じつぞんしゅぎ、フランス語: existentialisme、英語: existentialism)

 

 

 

 実存主義(じつぞんしゅぎ、フランス語: existentialisme、英語: existentialism)とは、人間の実存を哲学の中心におく思想的立場。

 あるいは本質存在(essentia)に対する現実存在(existentia)の優位を説く思想。

 実存(existenz)の当初の日本語訳は「現実存在」であったが、九鬼周造がそれ(正確には「現実的存在」)を短縮して「実存」とした(1933年(昭和8年)の雑誌『哲学』内の論文「実存哲学」においてのことであり、可能的存在に対置してのものである)。

 語源はex-sistere(続けて外に立つの意)。

 何の外にかといえば、存在視/存在化されたものの外に、ということである。

「実存」についての語りで習慣的にまず言及されるキルケゴールが、デンマーク語で主張した「実存」は、やはりラテン語出自でExistentsである。

 ドイツ語では、ラテン語からの外来語としてExistenzがあり、一方、土着の語としてはDaseinが相当する。しかし、前者のほうが日常的頽落性にもある後者よりももっと、実存の持つ、自由へ向かった本来性という様態に特化して使われている。(ウィキペディア)

 

 

 

 実存主義は、サルトルによると普遍的・必然的な本質存在に相対する、個別的・偶然的な現実存在の優越を本来性として主張、もしくは優越となっている現実の世界を肯定してそれとのかかわりについて考察する思想である、とされる(「実存は本質に先立つ」)。

 本質をないがしろにするような思想のものから、本質はこうだが現実はこうであり、本質優位を積極的に肯定せずに、現在の現実をもってそれをどう解決していくべきなのかを思索的に考えたものまで幅が広い。

 本質を積極的に認めない傾向があるため、唯物的、もしくは即物的になり、本質がみえなくなってしまう極端な思想も生まれる土壌にもなる。

 

 また悲観的な発想にもなりがちとなっている。

 問題としているのは人間の実存であり、スプーンなど、モノの実存ではない。(ウィキペディア)

 

 

 

 思想史

 古代哲学では、ヘラクレイトスのロゴスの思想の影響下に、イデア論を構想したプラトンを批判的に継承したアリストテレスが、第二実体 (普遍者) と第一実体 (個物に対応) との区別を提唱した。

 ここに、プラトンの普遍者実体観に対するアリストテレスの実存を見ることができる。

 このとき、アリストテレスからはプラトンの普遍者実体が自分にとって実存につながらない存在論性だとして見えている。これが継承される形で、中世哲学で、可能態と現実態との区別が説かれるようになった。

 近代哲学では、ヘーゲルが、理念と現実との不可分性(理念的・必然的、あるいは合目的的ではない、一回的な、あるいは偶発的な個物は永続性や普遍性を欠く、という意味で現実性を欠く、という意合い)を説いて「理性的なものは現実的となり、現実的なものが理性的となる。(Was vernünftig ist, wird wirklich, und das Wirkliche wird vernünftig.)」(法の哲学序文)であるとした。

 

 これに対抗して、神の前に教会を経ずに立つ単独者としての、自己自身の「実存」(existenz )を価値としたキルケゴールは、実存哲学の嚆矢ともいわれる。

 その場合に、信仰者を前提とした制約された姿勢がキルケゴールの実存にはあるということを、正しい実存理解のためには見据えておかなくてはならない。(ウィキペディア)

 

 

 批判

 梅田寛によれば、ヘーゲルの唱えた「絶対説、人類進歩についての三体説及び『実在するものは全て合理である』という結果に対する効果は盛んに論議され」て当時の皇帝制度も含めその合理性が主張されていたが、次第に青年ヘーゲル派などヘーゲル崇拝者の中からも批判が生じる結果となった。

 

 プロイセン(ドイツ)では、ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ、カール・マルクス(フォイエルバッハに関するテーゼ)、フリードリヒ・エンゲルス(フォイエルバッハ論)、ロシアではヴィッサリオン・ベリンスキー、アレクサンドル・ゲルツェン、ニコライ・チェルヌイシェフスキー、デンマークではキルケゴールなどがヘーゲルに批判的な立場から活動を行った。(ウィキペディア)

 

 

アルベール・カミュ(Albert Camus、フランス語: [albɛʁ kamy]) (1913年11月7日 - 1960年1月4日)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『パイドン』 39 プラトン著 (パイドン「我々は打ち負かされた逃走する敗兵の様でしたが、その戦列へと呼び戻し、自分の後にづづいて言論をともに考察する様に促してくださいました。」)

2021-05-29 | 哲学

四天王寺 本坊

 

 

 

 

『パイドン』 39 プラトン著 (パイドン「我々は打ち負かされた逃走する敗兵の様でしたが、その戦列へと呼び戻し、自分の後にづづいて言論をともに考察する様に促してくださいました。」

 

プラトン著『パイドン』 P.99-100 (要約)

(八)協奏曲2。言論争い(ミソロギアー)への戒め

 

 エケラクラテスとパイドンの会話

 

エケラクラテス

 ソクラテスはあなたはどんな風に言論を追跡されたのですか。

 平静にご自分の言論を防衛されましたか。

パイドン

 はい、エケラクラテス。

 ・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・

 彼らの論議によって、我々がどんな精神状態におと行ったかを、なんと鋭く見抜かれたかということを。

 さらには、そういう我々を、いかに癒してくださったか・・・・・・・・・・・

 我々は打ち負かされた逃走する敗兵の様でしたが、その戦列へと呼び戻し、自分の後にづづいて言論をともに考察する様に促してくださいました。

エケラクラテス

 一体、どの様にしてですか。

パイドン

 お話ししましょう。

 ・

 ・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・ 

 ・

                    

『パイドン』魂の不死について

 プラトン著 

 岩田靖夫訳

 岩波文庫 青602-2

 他 Wikipediaなど

 

 

                    

『パイドン』 1〜30 プラトン著 (1〜30のまとめ。)

『パイドン』 31 プラトン著 (シミアスがソクラテスに対し「今私は、恥じることなく質問致しましょう。後になって今言わなかったと自分自身を攻めることがないように。」)

『パイドン』 32 プラトン著 (シミアスの反論。「魂が肉体の調和ならば、肉体の壊滅と同時に魂も消滅する。」)

『パイドン』 33 プラトン著 シミアス「魂が何らかのハルモニアーなら、肉体が病気や他の災いの為に度外れに緊張させられたりする時、魂は精神的な物でも直ちに滅亡せざるを得ない。」

『パイドン』 34 プラトン著  (七)ケベスの反論。魂が肉体より長寿たとしても、幾度も肉体を着潰すうちに披露して衰弱して、ついに滅亡しない。という保証はない。

『パイドン』 35 プラトン著  ケベス「先程から、議論が停滞していると思うのです。」

『パイドン』 36 プラトン著 S「もし証明できないのであれば・・恐れなければならない。この肉体からの分離において、自分自身の魂は完全に滅びてしまうのではなかろうか、と。」

『パイドン』 37 プラトン著 (二人(ケベスと、シミアスの質問および反論)がこう言い終えた時。皆は憂鬱な気分に落ち込んでいました。【魂の不滅という】この事柄自体が疑わしいものではなかろうか、と。)

『パイドン』 38 プラトン著 (エケラクラテス「どんな言論をこれから信じたら良いのか、ソクラテスの言動はなんと力強い説得力に満ちていたことか。今や、不振の中に陥ってしまったのだから。」)

『パイドン』 39 プラトン著 (パイドン「我々は打ち負かされた逃走する敗兵の様でしたが、その戦列へと呼び戻し、自分の後にづづいて言論をともに考察する様に促してくださいました。」)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『パイドン』 38 プラトン著 (エケラクラテス「どんな言論をこれから信じたら良いのか、ソクラテスの言動はなんと力強い説得力に満ちていたことか。今や、不振の中に陥ってしまったのだから。」)

2021-05-29 | 哲学

エジプト 

 ピラミッドを背に、スフィンクススフィンクスの逆光。

 個人で行ったので、ギザのピラミッドは滞在中に、三度訪れた。

 止まったのはピラミッドホテル(?)だったので、屋上からもピラミッドを見ることができた。

 

 

 

『パイドン』 38 プラトン著 (エケラクラテスどんな言論をこれから信じたら良いのか、ソクラテスの言動はなんと力強い説得力に満ちていたことか。今や、不振の中に陥ってしまったのだから。

 

プラトン著『パイドン』 P.99 (要約)

(八)協奏曲2。言論争い(ミソロギアー)への戒め

 

 エケラクラテスとパイドンの会話

 

エケラクラテス

 神にかけてパイドン、あなたの気持ちはよくわかります。

 ・

「それでは一体、どんな言論をこれから信じたら良いうのか、ソクラテスの言動は、なんと力強い説得力に満ちていたことでしょうか。

 それが今や、不振の中に陥ってしまったのだから。」と。

 というのは、ある種のハルモニー(調和)である【シミアスの語ったあの言論】は、不思議な魅力で私を捉えるのです。

 私も今そう【シミアスの語ったあの言論】考えていたことを思い出すのです。

エケラクラテス、続けて

 いわば最初からやり直す様にして、人間の死とともにその魂もまた死滅するわけではない、という様な言論です。

 ですから、ゼウスにかけて行ってくだし。

 ソクラテスに、あなたはどんな風に言論を追跡されたのですか。

 平静にご自分の言論を防衛されましたか。

パイドン

 はい、エケラクラテス。・・・・・

 ・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・ 

 ・

 ・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・ 

 ・

                    

『パイドン』魂の不死について

 プラトン著 

 岩田靖夫訳

 岩波文庫 青602-2

 他 Wikipediaなど

 

 

                    

『パイドン』 1〜30 プラトン著 (1〜30のまとめ。)

『パイドン』 31 プラトン著 (シミアスがソクラテスに対し「今私は、恥じることなく質問致しましょう。後になって今言わなかったと自分自身を攻めることがないように。」)

『パイドン』 32 プラトン著 (シミアスの反論。「魂が肉体の調和ならば、肉体の壊滅と同時に魂も消滅する。」)

『パイドン』 33 プラトン著 シミアス「魂が何らかのハルモニアーなら、肉体が病気や他の災いの為に度外れに緊張させられたりする時、魂は精神的な物でも直ちに滅亡せざるを得ない。」

『パイドン』 34 プラトン著  (七)ケベスの反論。魂が肉体より長寿たとしても、幾度も肉体を着潰すうちに披露して衰弱して、ついに滅亡しない。という保証はない。

『パイドン』 35 プラトン著  ケベス「先程から、議論が停滞していると思うのです。」

『パイドン』 36 プラトン著 S「もし証明できないのであれば・・恐れなければならない。この肉体からの分離において、自分自身の魂は完全に滅びてしまうのではなかろうか、と。」

『パイドン』 37 プラトン著 (二人(ケベスと、シミアスの質問および反論)がこう言い終えた時。皆は憂鬱な気分に落ち込んでいました。【魂の不滅という】この事柄自体が疑わしいものではなかろうか、と。)

『パイドン』 38 プラトン著 (エケラクラテス「どんな言論をこれから信じたら良いのか、ソクラテスの言動はなんと力強い説得力に満ちていたことか。今や、不振の中に陥ってしまったのだから。」)

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『パイドン』 37 プラトン著 (二人(ケベスと、シミアスの質問および反論)がこう言い終えた時。皆は憂鬱な気分に落ち込んでいました。【魂の不滅という】この事柄自体が疑わしいものではなかろうか、と。)

2021-05-27 | 哲学

ヤズド(イラン)

 

『パイドン』 37 プラトン著 (二人(ケベスと、シミアスの質問および反論)がこう言い終えた時。皆は憂鬱な気分に落ち込んでいました。【魂の不滅という】この事柄自体が疑わしいものではなかろうか、と。)

 

プラトン著『パイドン』 P.99-107 (要約)

(八)協奏曲2。言論争い(ミソロギアー)への戒め

 二人(ケベスと、シミアスの質問および反論)がこう言い終えた時。皆は憂鬱な気分に落ち込んでいました。

 

 そもそも、われわれは何事を判断する力はないのではないだろうか。

【魂の不滅という】この事柄自体が疑わしいものではなかろうか、と。

 

                    

『パイドン』魂の不死について

 プラトン著 

 岩田靖夫訳

 岩波文庫 青602-2

 他 Wikipediaなど

 

 

                    

『パイドン』 1〜30 プラトン著 (1〜30のまとめ。)

『パイドン』 31 プラトン著 (シミアスがソクラテスに対し「今私は、恥じることなく質問致しましょう。後になって今言わなかったと自分自身を攻めることがないように。」)

『パイドン』 32 プラトン著 (シミアスの反論。「魂が肉体の調和ならば、肉体の壊滅と同時に魂も消滅する。」)

『パイドン』 33 プラトン著 シミアス「魂が何らかのハルモニアーなら、肉体が病気や他の災いの為に度外れに緊張させられたりする時、魂は精神的な物でも直ちに滅亡せざるを得ない。」

『パイドン』 34 プラトン著  (七)ケベスの反論。魂が肉体より長寿たとしても、幾度も肉体を着潰すうちに披露して衰弱して、ついに滅亡しない。という保証はない。

『パイドン』 35 プラトン著  ケベス「先程から、議論が停滞していると思うのです。」

『パイドン』 36 プラトン著 S「もし証明できないのであれば・・恐れなければならない。この肉体からの分離において、自分自身の魂は完全に滅びてしまうのではなかろうか、と。」

『パイドン』 37 プラトン著 (二人(ケベスと、シミアスの質問および反論)がこう言い終えた時。皆は憂鬱な気分に落ち込んでいました。【魂の不滅という】この事柄自体が疑わしいものではなかろうか、と。)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『パイドン』 36 プラトン著 S「もし証明できないのであれば・・恐れなければならない。この肉体からの分離において、自分自身の魂は完全に滅びてしまうのではなかろうか、と。」

2021-05-21 | 哲学

祇園祭  白楽天山

 

 

 

『パイドン』 36 プラトン著 Sもし証明できないのであれば・・恐れなければならない。この肉体からの分離において、自分自身の魂は完全に滅びてしまうのではなかろうか、と。

 

プラトン著『パイドン』 P.95-98 (要約)

(七)ケベスの反論。魂が肉体より長寿たとしても、幾度も肉体を着潰すうちに披露して衰弱して、ついに滅亡しない。という保証はない。

ケベス

 では申し上げましょう。

 先程から、議論が停滞していると思うのです。(要約)

 ・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・・

 我々が死んでも、魂がなおどこかに存在すると言う点は、同じように証明されたとは、私には思えないのです。

 シミアスの反論に同意しているわけではない。

 魂はこれら全ての点においてはるかに凌駕(りょうが)していると私は思われるのです。

 ・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・・

 どうやら私もシミアスも同様に何か比喩を必要とするのです。

 ・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・・

ソクラテス

 だがシミアス。そうはならないのだ。

 ・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・・

 人間がまだ生きている間にも、肉体は流れ去って滅びゆくのだが、魂は常に着潰されたの躯体を新しく降り直しているから・

 この最後の衣服だけを残して、魂は滅びさらねばならないだろう。

 ・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・・

ソクラテス

 僕は、魂の不滅を語る人に対して、君(ケベス)が先に容認した以上のことを容認しても良い。

 ・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・・

 魂に破滅をもたらす肉体からのこの分離を、誰も知ることはできない。

 ・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・・

ソクラテス

 もし証明できないのであれば・・・・・・・・・・・・・

 まさに死なんとするものはいつも自分自身の魂について恐れなければならないのだ。

 今回のこの肉体からの分離において、自分自身の魂は完全に滅びてしまうのではなかろうか、と。

 

 

凌駕(りょうが)

[名](スル)他をしのいでその上に出ること。

「前作を―する売れ行き」

                    

『パイドン』魂の不死について

 プラトン著 

 岩田靖夫訳

 岩波文庫 青602-2

 他 Wikipediaなど

 

 

                    

『パイドン』 1〜30 プラトン著 (1〜30のまとめ。)

『パイドン』 31 プラトン著 (シミアスがソクラテスに対し「今私は、恥じることなく質問致しましょう。後になって今言わなかったと自分自身を攻めることがないように。」)

『パイドン』 32 プラトン著 (シミアスの反論。「魂が肉体の調和ならば、肉体の壊滅と同時に魂も消滅する。」)

『パイドン』 33 プラトン著 シミアス「魂が何らかのハルモニアーなら、肉体が病気や他の災いの為に度外れに緊張させられたりする時、魂は精神的な物でも直ちに滅亡せざるを得ない。」

『パイドン』 34 プラトン著  (七)ケベスの反論。魂が肉体より長寿たとしても、幾度も肉体を着潰すうちに披露して衰弱して、ついに滅亡しない。という保証はない。

『パイドン』 35 プラトン著  ケベス「先程から、議論が停滞していると思うのです。」

『パイドン』 36 プラトン著 S「もし証明できないのであれば・・恐れなければならない。この肉体からの分離において、自分自身の魂は完全に滅びてしまうのではなかろうか、と。」

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『パイドン』 35 プラトン著  ケベス「先程から、議論が停滞していると思うのです。」

2021-05-21 | 哲学

ご贔屓勧進帳(いもあらい勧進帳^^v  切られた頭を掃きながら「お掃除お掃除〜」「お掃除お掃除〜」 コロナのバカヤロウ!!歌舞伎が見た〜〜い。)

 

 

 

『パイドン』 35 プラトン著  ケベス「先程から、議論が停滞していると思うのです。」

 

 

                    

プラトン著『パイドン』 P.95-98 (要約)

 

前回で ソクラテスは、ケミアスの意見も聞いてみて、それから考察しようと、もちかける。^^・・・・・・・・・・・

ソクラテス

 さあ言いたまえ、ケベス。

 先ほどから君を困らせていた問題なのかね。

   上の言葉を受けて、

    ケベスの反論が始まる。

(七)ケベスの反論。魂が肉体より長寿たとしても、幾度も肉体を着潰すうちに披露して衰弱して、ついに滅亡しない。という保証はない。

ケベス

 では申し上げましょう。

 先程から、議論が停滞していると思うのです。(要約)

 ・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・・

 

 ケベス

「先程から、議論が停滞していると思うのです。」

 あぁあ^^言っちゃったぁ〜^^

 

                    

『パイドン』魂の不死について

 プラトン著 

 岩田靖夫訳

 岩波文庫 青602-2

 他 Wikipediaなど

 

 

                    

『パイドン』 1〜30 プラトン著 (1〜30のまとめ。)

                      

『パイドン』 31 プラトン著 (シミアスがソクラテスに対し「今私は、恥じることなく質問致しましょう。後になって今言わなかったと自分自身を攻めることがないように。」)

『パイドン』 32 プラトン著 (シミアスの反論。「魂が肉体の調和ならば、肉体の壊滅と同時に魂も消滅する。」)

『パイドン』 33 プラトン著 シミアス「魂が何らかのハルモニアーなら、肉体が病気や他の災いの為に度外れに緊張させられたりする時、魂は精神的な物でも直ちに滅亡せざるを得ない。」

『パイドン』 34 プラトン著  (七)ケベスの反論。魂が肉体より長寿たとしても、幾度も肉体を着潰すうちに披露して衰弱して、ついに滅亡しない。という保証はない。

『パイドン』 35 プラトン著  ケベス「先程から、議論が停滞していると思うのです。」

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『パイドン』 34 プラトン著  (七)ケベスの反論。魂が肉体より長寿だとしても、幾度も肉体を着潰すうちに披露して衰弱して、ついに滅亡しない。という保証はない。

2021-05-21 | 哲学

四天王寺

 

 

 

『パイドン』 34 プラトン著  (七)ケベスの反論。魂が肉体より長寿だとしても、幾度も肉体を着潰すうちに披露して衰弱して、ついに滅亡しない。という保証はない。

 

 

                    

プラトン著『パイドン』 P.95-98 (要約)

 

前回で ソクラテスは、ケミアスの意見も聞いてみて、それから考察しようと、もちかける。^^・・・・・・・・・・・

ソクラテス

 さあ言いたまえ、ケベス。

 先ほどから君を困らせていた問題なのかね。

   上の言葉を受けて、

    ケベスの反論が始まる。

(七)ケベスの反論。魂が肉体より長寿たとしても、幾度も肉体を着潰すうちに披露して衰弱して、ついに滅亡しない。という保証はない。

 

 

                    

『パイドン』魂の不死について

 プラトン著 

 岩田靖夫訳

 岩波文庫 青602-2

 他 Wikipediaなど

 

 

                    

『パイドン』 1〜30 プラトン著 (1〜30のまとめ。)

                      

『パイドン』 31 プラトン著 (シミアスがソクラテスに対し「今私は、恥じることなく質問致しましょう。後になって今言わなかったと自分自身を攻めることがないように。」)

『パイドン』 32 プラトン著 (シミアスの反論。「魂が肉体の調和ならば、肉体の壊滅と同時に魂も消滅する。」)

『パイドン』 33 プラトン著 シミアス「魂が何らかのハルモニアーなら、肉体が病気や他の災いの為に度外れに緊張させられたりする時、魂は精神的な物でも直ちに滅亡せざるを得ない。」

『パイドン』 34 プラトン著  (七)ケベスの反論。魂が肉体より長寿たとしても、幾度も肉体を着潰すうちに披露して衰弱して、ついに滅亡しない。という保証はない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『パイドン』 33 プラトン著 シミアス「魂が何らかのハルモニアーなら、肉体が病気や他の災いの為に度外れに緊張させられたりする時、魂は精神的な物でも直ちに滅亡せざるを得ない。」

2021-05-21 | 哲学

 

 

 

『パイドン』 33 プラトン著 シミアス「魂が何らかのハルモニアーなら、肉体が病気や他の災いの為に度外れに緊張させられたりする時、魂は精神的な物でも直ちに滅亡せざるを得ない。

 

 

                    

プラトン著『パイドン』 P.92-95 (要約)

(六)シミアスの反論。魂が肉体の調和ならば、肉体の壊滅と同時に魂も消滅する。

ソクラテス

 どういう点で一体充分でないのか言ってくれ。 

シミアス

 ・・・・・・・・・・・

 竪琴や弦ともそれらから生み出される和音「調和、ハーモニー」についても、今のと同じことがいえるでしょう。

   和音   目に見えないもの

   竪琴や弦 目に見えるもの

 ・・・・・・・・・・・

 あなたの論方を用いて、『かのハーモニーは滅びたのではなく、依然として、存在しているのでなければならない。』と強く主張することにしましょう。

 ・・・・・・・・・・・

 ハルモニアーは、神的にしてフィシナルものと生まれを同じくして親族関係にあるように、滅びてしまう。

 ・・・・・・・・・・・

 我々は魂を優れて何かそのようなものを「ハルモニアー的なもの」と考えている。

 すなわち我々の体内は、熱、冷、乾、湿、その他のこのような相反するしょ性質によって緊張状態のうちに置かれながら統一。

 これらの諸要素の金剛とハルモニアーが、我々の魂である。

 ・・・・・・・・・・・

 魂が何らかのハルモニアーであるとすれば、我々の肉体が病気やその他の災いのために度外れにしかんさせられたる緊張させられたりするときは、魂は精神的なものにもかかわらず、直ちに滅亡せざるを得ない。

 ・・・・・・・・・・・

 魂は肉体のうちのづお要素の金剛だから、いわゆる死に際して真っ先に滅亡するとしたら・・・・・・・・・・・

 

ソクラテス 大きくを見開いて笑いながらおっしゃった^^

 君は確かに正しいことを言っている。

 ・・・・・・・・・・・

 ソクラテスは、ケベスの意見も聞いてみて、それから考察しようともちかける。^^

 ・・・・・・・・・・・

ソクラテス

 さあ言いたまえ、ケベス。

 先ほどから君を困らせていた問題なのかね。

 

ハルモニアー

 調和

 

                    

『パイドン』魂の不死について

 プラトン著 

 岩田靖夫訳

 岩波文庫 青602-2

 他 Wikipediaなど

                    

『パイドン』 1〜30 プラトン著 (長くなりますので、「1〜30」を一旦まとめてみることにしました。)

                      

『パイドン』 31 プラトン著 (シミアスがソクラテスに対し「今私は、恥じることなく質問致しましょう。後になって今言わなかったと自分自身を攻めることがないように。」)

『パイドン』 32 プラトン著 (シミアスの反論。「魂が肉体の調和ならば、肉体の壊滅と同時に魂も消滅する。」)

『パイドン』 33 プラトン著 シミアス「魂が何らかのハルモニアーなら、肉体が病気や他の災いの為に度外れに緊張させられたりする時、魂は精神的な物でも直ちに滅亡せざるを得ない。」

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『パイドン』 32 プラトン著 (シミアスの反論。「魂が肉体の調和ならば、肉体の壊滅と同時に魂も消滅する。」)

2021-05-21 | 哲学

天神祭 船能 『三番叟』 帝国ホテル前

 

 

 

 

 

『パイドン』 32 プラトン著 (シミアスの反論。「魂が肉体の調和ならば、肉体の壊滅と同時に魂も消滅する。」

 

 

                    

プラトン著『パイドン』 P.92-95 

イミアスがソクラテスに対しての反論は、「30」「31」に続き、さらに続く。

(六)

 シミアスの反論。

 魂が肉体の調和ならば、肉体の壊滅と同時に魂も消滅する。

 ・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・

 

 確かに、シミアスがいうことも、一理あるような、、、(*^v^*)

 

                    

『パイドン』魂の不死について

 プラトン著 

 岩田靖夫訳

 岩波文庫 青602-2

 他 Wikipediaなど

                    

『パイドン』 1〜30 プラトン著 (長くなりますので、「1〜30」を一旦まとめてみることにしました。)

                      

『パイドン』 31 プラトン著 (シミアスがソクラテスに対し「今私は、恥じることなく質問致しましょう。後になって今言わなかったと自分自身を攻めることがないように。」)

『パイドン』 32 プラトン著 (シミアスの反論。「魂が肉体の調和ならば、肉体の壊滅と同時に魂も消滅する。」)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『パイドン』 31 プラトン著 (シミアスがソクラテスに対し「今私は、恥じることなく質問致しましょう。後になって今言わなかったと自分自身を攻めることがないように。」)

2021-05-20 | 哲学

熊野権現縁起絵巻 和歌山県立博物館蔵

 

 

 

 

『パイドン』 31 プラトン著 (シミアスがソクラテスに対して「今、私は、恥じることなく質問致しましょう。後になって今言わなかったと、自分自身を攻めることがないように。」)

 

 

                    

プラトン著『パイドン』 P.88-92 

(五)間奏曲1。白鳥の歌 

ソクラテスの長い沈黙の後、シミアスとケベスの反論が起こる。

 

シミアス

 よくわかりました、ソクラテス。

 では真実を、お話ししましょう。

 ・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・

 一方ではお答えいただきたいと思いながら、一方ではこんなご不幸な時、・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・

ソクラテス

 静かに笑い、そうしてこう言われました。

ソクラテス

 おやおや、シリアス。

 不幸とみなしてないことを他の人々に説得するのは、きっと難しいだろうね。

 ・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・

 (前回30で書いたように、ソクラテス自身が死を受け入れ恐怖の状態ではないということを言うため、次のように話す。)

 僕は予言の点では。かの 白鳥よりも劣ると考えられているようだ。

 白鳥は、死ななければならないと気づくと、それ以前にも歌っていた歌を、特に力いっぱい、また極めて美しく歌うのである。

 この鳥は、アポロンの使いなのだが、その神に近づくのを喜ぶのである。

 ・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・

シミアス

 よく言ってくださいました。

 ではどう言う点であなたが困難を感じているか、言いましょう。

 ・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・

 明確な知識をこの世で得ることは不可能である。

 ・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・

 事柄の事実がどうであるかを他人から学ぶか、自分自身で発見するか、あるいは、もしこれら二つの方途が不可能であれば、人間の言論のうちからとにかく最善で最も反駁(はんばく)され難いものを自分の身に引き受けて、あたかも筏に乗るようにこの言論の上にのろ危険を冒しつつ人生を渡り切らねばならないのです。

 ・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・

 今、私は、恥じることなく質問致しましょう。

 後になって、今言わなかったと、自分自身を攻めることがないように。

 ソクラテス・・・・・・・・・・・

 (後になって)

 このケベスを相手に考察しても、十分に語られるとは思えないからです。

 (ケベスを下に見ているのではなく、ソクラテスに対しての言っておきたいシミアスの弁論)

 

反駁(はんばく)

 [名](スル)他人の主張や批判に対して論じ返すこと。反論。

 「例をあげて反駁する」

 

                    

『パイドン』魂の不死について

 プラトン著 

 岩田靖夫訳

 岩波文庫 青602-2

 他 Wikipediaなど

                    

『パイドン』 1〜30 プラトン著 (長くなりますので、「1〜30」を一旦まとめてみることにしました。)

『パイドン』 31 プラトン著 (イリアスがソクラテスに対し「今私は、恥じることなく質問致しましょう。後になって今言わなかったと自分自身を攻めることがないように。」)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする