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乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

『説経節』(東洋文庫)より「付 信太妻」 樟の葉と恋に陥った安倍保名の本名は、安倍権太左衛門保名。子は、安倍晴明。

2019-06-17 | 説経節、幸若舞、舞の本等
長浜曳山まつり 翁山『碁太平記白石噺 新吉原揚屋の場』宮城野 2019年






     
    『説経節』(東洋文庫)より「付 信太妻」 樟の葉と恋に陥った安倍保名の本名は、安倍権太左衛門保名。子は、安倍晴明。





 

 七月、松竹座において私の好きな演目のひとつである『樟葉』が上演される。

 以前にも東洋文庫で『説経節』「付 信太妻」を楽しんだが、今回注意を払って読んで見た。

「付 信太妻」では「芦屋道満大内鑑~葛の葉」に加え「安倍晴明と石川悪右衛門の対決」と言った展開がなされ、果実十五個をネズミに帰るといった有名な話で安倍晴明が勝ち、悪右衛門の首をとるといった話で終わる。

 上は岩波の新日本古典文学大系93(緑)の『竹田出雲 並木宗輔 浄瑠璃集』「芦屋道満大内鑑」でのクエあしく展開されているので、いずれ読んでみたい。


 樟の葉
       
 安倍保名 (親子)→  安倍晴明
            ↓↑(対決)
 蘆屋道満 (兄弟) 石川五右衛門(悪右衛門)


 晴明は話の上では2枚目であるとイメージの固定化があり、歌舞伎役者でいうならば片岡仁左衛門竹などがピタリと当てはまる感が否めない。

 ところが安倍保名の本名は、安倍権太左衛門保名(あべのごんたざえもんやすな)と濁音が多く、フルネームでいうと二枚目のイメージは薄れる。

 

 好きな演目なので書きたいことはいっぱいだが、今回も簡単な記録のみにて失礼いたします。



   『説経節』「信徳丸」東洋文庫(『弱法師』『摂州合邦辻』『文楽瑠璃集 』の「摂州合邦辻」比較)
   『説経節』から 「付 信太妻」 東洋文庫 平凡社
   『古浄瑠璃 説経集』から「さんせう太夫」 岩波 新版古典大系
   『さんせう太夫考』から「説経序説」「さんせう太夫の構造」岩崎武夫著 平凡社選書
    東洋文庫『説経節』から「山椒太夫」「注」「解説:山椒太夫」昭和44年3月
   『説経節』厨子王丸& 『幸若舞』信太(平将門孫)& 『説経節』小栗判官 = 重瞳、双瞳
   『小栗判官』
   『中世の貧民―説経師と廻国芸人 』塩見鮮一郎著 説経節の名作『小栗判官』を題材に、貴族や高僧、武士ではなく、庶民の目から見た貧困、病、宗教、道行きを描く。
   『説経節』(東洋文庫)より「山椒大夫」(天下一説経与七郎)、『古浄瑠璃 説教集』(新日本古典文学大系)より「さんせう大夫」(天下一説経与七郎正本 「さんせう大夫物語」で補う)
   『説経節』(東洋文庫)より「付 信太妻」 樟の葉と恋に陥った安倍保名の本名は、安倍権太左衛門保名。子は、安倍晴明。





 以下の表記は『新日本古典文学大系 93』▼ ウィキペディアより


第1段
東宮御所の段
朱雀天皇の御代、月を白虹が貫き、暗くなるという天変が発生する。勅命により東宮である桜木親王の御所において、親王の后「御息所」の父である橘元方、もう一人の后である「六の君」の父である小野好古をはじめとした諸官を集めて評議が行われることとなる。
急死した天文博士、加茂保憲の代理で出席した娘の榊が見立てたところでは、今般の天変は凶事であり、東宮周辺の女性の嫉妬に原因があるという。この災いを避ける方法は加茂の家に伝えられている陰陽道の秘伝書『金烏玉兎集』に書かれているが、これを受け継ぐ後継者が決まっていないと言う。候補は2名、安倍保名と芦屋道満だが、いずれかを選ぶ前に保憲が亡くなったので、『金烏玉兎集』の伝承者がいないと告げた。これを聞きつけた六の君と御息所が、両人とも尼となって凶事の原因を取り除くと訴え出る。これに慌てた桜木親王はとりあえず后2人を下がらせ、評議に参加した一同に安倍保名と芦屋道満はどのような人物かと問う。それに応えて橘元方が、芦屋道満は自分の家来であり、保憲の一番弟子であると主張。一方小野好古も、安倍保名は自分の家来であり、師匠である加茂保憲から「保」の字を名乗ることを許された一番弟子であるという。后2人に出家されては困る桜木親王は、神意=くじで天文博士の後継者を決めるよう指示し、元方側は執権(補佐官)の岩倉治部に、好古側は同じく執権の左近太郎が立ち会うよう命じた。
間の町の段
東宮御所からの帰路、榊は安倍保名の使用人である与勘平から手紙を受け取る。榊と安倍保名は加茂保憲も認めた恋仲であり、手紙は逢瀬を求める内容であった。榊は返事をしたため、保名からの手紙とともに与勘平へ渡そうとするが、風に飛ばされてしまう。榊は手紙が他人に読まれることを恐れつつ、屋敷へと戻る。
加茂館の段
加茂保憲の妻、榊の養母(榊は養子)は保憲の死後に出家して「後室」様と呼ばれている。後室は、橘元方側執権である岩倉治部の妹でもある。その後室のもとに刻限より早く治部が到着し、「偶然入手した」と、榊が失くした保名の手紙を見せる。さらに加茂保憲の後継者をくじで決めることになった顛末を語り、「くじでは保名が後継者になってしまうかもしれないので、何か良い方策はないか」と、加茂家の執権乾平馬を加えて相談する。後室は、自分の持つ鍵と榊の持つ鍵の両方がなければ取り出すことができないはずの『金烏玉兎集』を治部に見せ、「こっそり作った合鍵で取り出した」と告げる。治部は狂喜し、この『金烏玉兎集』を隠して、榊と保名が『金烏玉兎集』を盗んだことにする算段を巡らせる。
そこへ何も知らない榊が帰宅、さらに逢瀬を楽しむべく保名も訪れてくる。榊と保名の仲は加茂の者以外には秘密なので、榊は保名を自室に隠す。そうこうしている間に左近太郎が到着。一同揃ったのでくじを行おうとするが、治部が「神前に『金烏玉兎集』を供えよう」と言い出し、これに同意した榊と後室がそれぞれの鍵で保管庫を開けると『金烏玉兎集』がない。治部と後室は事前の打ち合わせ通り素知らぬ顔で「榊が盗んだ」厳しく問い質し、そこへ平馬が榊の部屋に隠れていた保名を引き立ててくる。榊は「保名には罪はない」と弁明するが、保名は師匠の妻に手向かうわけにもいかず、脇差しで自害を試みる。その刀を榊が奪い取り、「身の潔白は神仏が明らかにしてくれる」と自刃して果てた。保名は榊の遺骸にすがりついて嘆いていたが、生真面目な性格が災いして正気を失い、哄笑とともにどこへともなく歩み去る。
事が済んだので、平馬は左近太郎を帰らせようとするが、左近太郎はこれを投げ飛ばす。これを見た後室が左近太郎の狼藉を咎めるが、袖から合鍵がこぼれ落ちてしまい、逃げ出そうとする。これで真相を悟った左近太郎は平馬を斬首。逃げようとした後室は、駆け付けた与勘平が注連縄で梁から吊るして成敗。左近太郎は「事の詳細知れば保名も正気に戻るだろう」と与勘平に後を追わせた。

第2段
岩倉館の段
岩倉治部は加茂館の騒動をうまく抜け出し、その際『金烏玉兎集』も持ち出していた。治部は河内の郷士である石川悪右衛門と自分の娘婿にあたる芦屋道満を呼び出し、後室成敗の真相を明かさないまま加茂館の顛末を語り、『金烏玉兎集』の利用法に関して密議を行う。
治部は『金烏玉兎集』を道満に与え、「これで陰陽道の大家となり、主人である橘元方の望みを叶えよ」と命ずる。道満は感謝してこれを受け取る。なんとか橘元方を東宮の外戚に地位に付けたいと考える治部は、道満に対して、陰陽道の術で橘元方の娘である御息所を懐妊させることが可能かを問う。道満は、御息所の懐妊については荼枳尼の法を用いればよく、そのためにはメスの白狐の生き血が必要と答えた。狐に関しては、悪右衛門の故郷石川郡で難なく手に入るという。
さらに治部は六の君の拉致を計画しており、すでに試みたが東宮御所の警備が厳しく断念したことを明かした後、道満に人を誘い出すような術が『金烏玉兎集』に書かれていないかと聞く。道満は舅の本意が単なる拉致ではなく、六の君の殺害であることを見抜き、教え渋る。しかし治部は、道満の妹が敵方の左近太郎に嫁いでいることを持ち出し、妹のために己が主の裏切るのかと厳しく詰問し、挙句の果てに娘と離縁させて、舅・婿の縁を切るとまで言い出す。これに負けて道満は人をおびき出す術式を治部たちに教え、「どこで殺すのか」と問うた。治部は「御菩薩池(みぞろがいけ)に沈める」と答え、さらに悪右衛門が実行役を買って出た。悪右衛門は、事が成った暁には、自分の伯父の所領である信太の庄と、伯父の娘「葛の葉」を貰い受けられるよう、橘元方に口添えして欲しいと治部に頼み込み、治部はこれを承知した。

親王御所北門の段
東宮御所内の六の君の住居に近い北門で、石川悪右衛門は道満の指示したとおり、神符を所定の位置に貼る。程なく、心神喪失状態の六の君が歩み出てきたので、悪右衛門は彼女を担ぎ上げ、御菩薩池へと向かう。
御菩薩池の段
御菩薩池(現在の京都市北区上賀茂にある深泥池)まで六の君を担いできた石川悪右衛門だが、そこで疲労困憊して一息つく。意識を取り戻した六の君は「なぜこのような目に合わねばならないのか」と悪右衛門に問うたところ、悪右衛門は「御息所の邪魔になるから、この池に沈めて殺す」と答える。そして、重しになる石を六の君の袖に入れて池へ投げ込もうとしたところ、突如葦原からの大男が現れ、悪右衛門を投げ飛ばし、六の君を背負ってどこかに姿を消す。
信太社の段
信太庄司(石川悪右衛門の伯父)の娘葛の葉は、毎夜身内に不幸が起きる夢を見る。この夢が、都にいる姉の榊(榊は信太庄司の娘で、加茂の家の養子に入った)の身に何かあったことを暗示しているのではないかと考えた葛の葉は、産土神である信太社に詣でる。一方、お供の腰元達は、夢は逆夢で、しつこく言い寄ってくる従兄弟の石川悪右衛門との縁が切れることを暗示した吉兆かもしれないと葛の葉をなぐさめる。そうこうして、ともに参詣する予定の父母の到着を待つ葛の葉であったが…
小袖物狂ひ(景事[注釈 7])
正気を失って加茂館から消えた安倍保名が信太社に現れる。次いで与勘平も追いついて、保名を連れ帰ろうとするが、保名はその手を振り払い、榊の形見である小袖を木の枝にかけてその面影を追い求める。
保名の狂態を幕の内に隠れて目撃した葛の葉であったが、卑しからざるその風体が気になって、保名の前に姿を現す。保名は、姉に容姿が似ている葛の葉を榊と間違え抱きつこうとするが、腰元達に押しとどめられる。与勘平は腰元達に事情を説明し、納得した腰元達が葛の葉に取りなしたところ、葛の葉も保名を哀れと思い、正気に戻るよう保名へ優しく言葉をかける。その言葉を聞いた保名は心を鎮め、葛の葉が榊とは別人であると気づき、無言のうちに正気を取り戻す。葛の葉は、保名の小袖の文様に見覚えがあり、与勘平の話にあった無実の罪で自害した女性が、自らの姉であることに気づく。葛の葉はそのことを保名に告げ、さらに姉の身に何が起こったのか聞きたがったので、保名は葛の葉を伴い幕の内に入る。
程なく葛の葉の両親が信太社に到着すると、姉の小袖を打ち掛けた葛の葉が彼らの前に現れ「この小袖を見覚えありませんか」と問う。母は「それは自分が榊に贈ったもの」と言い、「なぜその小袖をあなたが」と葛の葉に聞く。そこで葛の葉が泣き崩れたため、見かねた保名が両親に対して榊の身に起こった出来事、自分と榊の関係を語る。さらに保名は葛の葉を娶りたいと両親に申し出るが、礼儀知らずの悪党である悪右衛門からも求婚されており、これには返事をしないで放置しているので、この場で即答できないと答えた。
そこへ鐘や法螺貝の音とともに白い狐が逃げ込んでくる。「白い狐は不思議な獣で、伏見稲荷の神使でもあるから助けてやろう」と保名はかたわらの祠の扉を開けて入れてやる。そこへ勢いよく悪右衛門が駆け込んでくると、顔を合わすのはまずいと保名は幕の内に隠れる。悪右衛門は庄司一行がいるのに気づき、狐を取り逃がしてしまった腹いせに無理矢理葛の葉を連れ去ろうとする。庄司と悪右衛門は押し問答の末、もみ合いとなり、庄司がねじ伏せられる。これを見た保名と与勘平は、隠れていた幕の内から飛び出し助けに入る。保名は与勘平に庄司一行を逃がすよう命じ、一人悪右衛門とその供の者達に立ち向かうが、多勢に無勢で取り押さえられる。捕らえられた無念に保名は自刃しようとするが、そこへ突然葛の葉が現れ、これを止める。さらに庄司一行を逃して戻ってきた与勘平が保名達に加勢し、悪右衛門一味を撃退する。保名は身を隠すため、夫婦となった葛の葉ともども自分の生国である安倍野に引き籠もるべく出発した。

第3段
左大将館の段
六の君に御菩薩池で逃げられた左大将橘元方は、事が露見するのを恐れ、家臣の早船主税に行方を捜索させていた。近隣で見つからなかったため、さらに遠国に出向こうとした主税に対して、岩倉治部は「心当たりがある」と留める。その心当たりとは自分の娘である築羽根の婿、すなわち芦屋道満のところであるという。築羽根が夫婦喧嘩の末、治部の元に戻ってきたため事情を聞くと、道満は自宅に荼枳尼天を祀る祠(勧請所)を作り、そこには家の者を近寄らせないという。ところがこの祠から女の泣く声が聞こえる。築羽根は道満が女を囲っていると思い込んで喧嘩となったのだが、六の君はここに匿くまわれている、というのが治部の考えだった。
この話を聞いた橘元方は、道満の妹が小野好古の執権左近太郎の元に嫁いでいる事実に思い当たるが、道満が即座に六の君を好古側に引き渡さず、なぜ自宅に匿っているのか不審に思う。この疑問を解消するべく築羽根を呼んで尋問することとなった。築羽根をうまく誘導することで真相を質そうとする橘元方に対して、築羽根はノロケ話から始まり、道満の不振な行動を語るうちに逆上して、近くにいた治部に掴みかかる始末。これでは埒が明かないと思った橘元方は、とりあえず築羽根を奥に戻して策を練る。治部は道満を捕縛して白状させることを提案するが、橘元方は、この場に呼びつけてある道満が屋敷を留守にする隙に捜索する方がよいと言う。そこへ道満が到着し、治部への挨拶も早々に橘元方との面会に臨む。治部は道満宅の捜索に向かうべく馬の用意をするが、治部と橘元方の密議を盗み聞いていた築羽根が止めに出る。これを振り払って治部は道満宅へと急いだ。
道満屋敷の段
主人夫婦が留守にしている道満の屋敷では女中たちが噂話に興じている。そこへ道満の妹であり、左近太郎の妻である花町が帰ってくる。聞けば左近太郎に離縁されたという。父である将監にその報告をしようとした矢先、岩倉治部がやってきて横柄な態度で将監に対し捜索を行う旨を告げた。落ち着いた態度で応対する将監だが、治部が理由も告げずに荼枳尼天を祀った祠の鍵を壊そうとしたため、これを押し留める。捜索は六の君を匿っている件だと告げる治部に対し、将監はそれを否定し、鍵をもつ道満の帰宅を待って欲しいと訴える。それを無視して鍵を壊した治部だが、将監は留守を預かる立場がないと立ち塞がる。そんな将監に対して治部は「主人の命で来ている自分に刃向かうのか」とすごまれ、しぶしぶ道を開ける。治部は祠から六の君を連れ出し将監の前に引き据えるが、それを見た花町が、父の脇差しを手にして「夫(左近太郎)の探していた姫君を返せ」と迫る。治部も刀の柄に手をかけて一触即発の状態となり、将監が間に入るが果たせず乱闘が始まる。そこへ橘元方の屋敷から帰宅した道満が現れ、治部を投げ飛ばす。道満が六の君隠匿の件は橘元方のところで解決済みであることを告げると、治部は逃げ帰った。
将監は道満の一連の行為を訝しむが、道満は心ならずも六の君誘拐に手を貸すことになったこと、六の君が殺されることは見過ごせないので、御菩薩池でに扮して石川悪右衛門の手から姫を助け出したことを打ち明ける。しかし、そのまま姫を小野好古の元へ返したのでは、自分の主人である橘元方の悪事を暴いてしまい、それは忠義に反するので自宅に匿っていたと告白した。これを聞いた将監と六の君は道満の忠節に感激し、六の君は「自分を生かしてくれたことは情け深い所業だが、それでは罪作りとなる。いっそ殺してほしい」とまで言う。とりあえず道満は姫に入浴を勧め、奥へ下がってもらう。
道満の告白を聞いていた花町は、自分が離縁された原因は道満の書いた神符にあったと知り、六の君を返せば元通りになると喜ぶ。しかし将監は「姫を返せるものなら返している。道満は主命ゆえに、六の君の命を奪うつもりだ」と花町に告げる。これを聞いた花町は言葉を失う。将監に質された道満は「確かに先刻橘元方から、姫の命を奪うことを下命された」と白状した。さらに六の君の首を橘元方に差し出したら切腹すると言う。しかし将監は「それは橘元方のためにならない」とし、主命に背かず、六の君を弑することもない方策があるという。ここで花町が、自分を殺して、その首を六の君のものと偽って橘元方に差し出せばよいと訴えるが、将監が、六の君と似ても似つかない花町の首ではすぐに見破られると却下する。将監は、自分が六の君を逃し、その際に道満に討ち取られたこととし、その隙に姫には逃げられたことにすればよい、と言う。しかし、道満も花町も自分たちの父親を犠牲にして事を収めることには到底納得できず、他によい案も浮かばないまま、夜は更けていく。

奥庭の段
花町が誰かを待つかのように佇んでいると、兄嫁である筑羽根が現れる。彼女の悋気が自分と兄、父の苦境の発端であり、花町は筑羽根を罵倒する。ところが筑羽根は自分の行いを悔いており、花町の手にかかって果てるなら本望と言う。これにほだされた花町は、共に六の君を逃そうと筑羽根に提案する。もとより花町は六の君を逃がす算段で、その手助けをしてくれる夫の左近太郎を待っていたのであった。この案に意気投合した二人の元に顔を頭巾で隠した男が到着する。花町はこの男を左近太郎と思い込み、三人で道満宅に忍び込み、六の君を連れ出すが、そこに鑓を手にした道満が立ち塞がる。道満も頭巾の男を左近太郎と信じ、「命は取らないから、六の君を置いて立ち去れ」と警告するが、男は姫を奥に押しやり、道満に斬りかかる。二人の戦いは続くが、道満の鑓が男に致命傷を与え、男は倒れ伏す。それを見た花町が夫の仇と切りつけてきたが、道満は彼女をねじ伏せようとする。しかし、倒れた男がそれを止め、頭巾を脱ぐと、男は左近太郎ではなく、道満・花町兄妹の父将監であった。将監は左近太郎のふりをして、自分が犠牲になることで、道満の体面を保ち、花町の復縁を可能にしたのだった。実の父を手に掛けてしまった道満は自害しようとするが、遅れて到着した本物の左近太郎に止められる。左近太郎は、命を賭して六の君を守った将監の行動に感謝し、彼の忠義に報いるため、あえて橘元方の罪を桜木親王へ告発することはしないと誓うのだった。これを聞き安堵した将監は、家族に看取られ息を引き取る。
そこへ岩倉治部が登場し、道満に対して「左大将に約束した六の君の首級はどうなった」と詰問する。これに逆上した筑羽根が鑓で治部を突き殺す。筑羽根は手にした鑓で自害しようとするが、道満に制止される。道満は、六の君の謀殺は治部の入れ知恵であり、遅かれ早かれ治部はこのような最期を遂げたであろうと諭す。さらに、自分も筑羽根もそれぞれの父を殺した不孝者なので、ともに仏門に入り菩提を弔おうと言う。亡き将監も満足であろうと、左近太郎もこれに賛成する。道満は、出家した暁には「どうまん」を名乗ると語る。道満は、治部を討ち取ったのは将監であると検死役に報告すれば、将監の目論見どおり、道満と筑羽根に咎めはないだろから、六の君は左近太郎が小野好古の元へ連れ帰ってくれと頼む。

第4段
保名住家の段(子別れの段、狐(きつね)別れの段、狐(こ)別れの段とも)
保名と葛の葉が安倍野に隠棲して6年。二人の間には男子が生まれて穏やかな生活を送っている。ある日、保名宅で機を織っている葛の葉のところに何やら怪しげな木綿の買い付け人が現れるが、追い返される。次に安倍野に現れたのが、葛の葉の両親と葛の葉本人。葛の葉の父(信太庄司)は、6年もの間何の連絡もよこさない保名を訝しみ、母娘を待たせて一人で保名宅を訪れるが、保名は不在であった。そのとき宅内で機織りの音が聞こえたので覗いてみると、なんと娘と瓜二つ、声まで同一人物かと思える女性がいる。驚いた庄司は妻と娘の元にとって返し、今見たことを二人に話す。話の真偽を確かめるため母と娘も保名宅に入って、機織り部屋を盗み見ると、葛の葉本人が「どちらが自分かわからない」というほど似た女性がいる。とりあえずその場を離れた三人だが、事情がわからずため息をつくばかり。
そこへ保名が外出から戻ってくる。葛の葉の両親は保名に向かって「保名と添わせるために娘を連れてきた」と言う。これを「正式な婚姻のために、正装させて連れてきた」と勘違いした保名が、信太を出てから今日までの経緯を説明し、長年両親に連絡しなかった非礼を詫びる。話が噛み合わないため、庄司は「今、機を織っている女性を覗いてみなさい」と告げる。保名も葛の葉本人が眼前にいるにもかかわらず、機織りの音が聞こえてくる不思議に気づく。保名はあわてて機織り部屋を覗き見て、葛の葉が二人いることに呆然とする。庄司は、信太での騒動の後、石川悪右衛門の奸計で所領を没収され吉見の里(現在の大阪府泉南郡田尻町)で隠棲していたと言い、葛の葉は保名を慕うあまりに病床に伏していたと言う。そんな折、保名の消息を聞き及ぶや、たちまち葛の葉の体調が回復したので訪ねてきたものの、そこで自分の娘そっくりの女性を見つけたことを話す。ようやく事態を把握した保名は、機を織っているのは人外の物であると察して、葛の葉一行を物置に隠し、何食わぬ顔で機織り部屋に入っていく。
保名は葛の葉似の女に、庄司夫婦と四天王寺で偶然出会って、日暮れまでにここを訪れることとなったと伝える。それを聞く女の様子を観察する保名だが、女は別に驚いた様子もない。あまりの普通さに、庄司一行の方が怪しく思える程であったが、保名は奥に潜んで様子を伺うことにする。すると身支度を整えてきた女が、抱いた我が子に対して、縁を切って別れなければならないと涙ながらに告げる。自分は悪右衛門に追われていたところを助けてもらった狐であること、自分のために傷まで負った保名の恩に報いるため葛の葉の姿に化けて保名の自害を止めたこと、夫婦の語らいをしているうちに情愛が深まったことを告白する。さらに、葛の葉とその両親に預けるので、狐の子と後ろ指を差されないよう精進して生きよと言い聞かせ、泣き崩れる。この言葉を聞いた保名は走り出て、思いとどまるように声をかける。その声を聞いた庄司夫妻と葛の葉も出てくるが、女は童子を置いて消え去る。葛の葉と両親は、この子を我が子として育てる決心をするが、童子は母を慕って泣きじゃくり、保名も「狐の女房であっても何も恥ずかしいことはない」と嘆き悲しむ。さらに保名は一首の歌「恋しくは 尋ねきてみよいづみなる しのだの森のうらみくずのは」が障子に書きつけられているのを見つけ、悲しみを深くする。庄司は、歌には「恋しくなったら信太の森に訪ねて来て」とあるではないかと、保名を慰める。
そこへ今朝追い返した木綿の買い付け人が仲間を引き連れて現れ、自分たちは石川悪右衛門の家来で、主人が心をかけている葛の葉を引き渡せと迫る。保名は、葛の葉に子供を抱いて両親とともに隠れているように命じ、機織り道具や機織り機の部品を投げつけたり、振り回したりして激しく抗戦し、撃退する。隠れていた一同が出てきて保名を褒めそやすが、葛の葉は浮かない様子で、童子のために乳が欲しいという。庄司は「そうでなくても一度は信太の森を尋ねて義理を果たさなければならない。夜が明けたら保名、童子とともに信太の森へ行くといい」と言う。

道行信太の二人妻(景事)
(前半は狐の葛の葉が安倍野から信太へ帰る道行きを、後半はそれを追う本物の葛の葉、保名、童子の道行きが演じられる。前半は「乱菊の段」とも呼ばれる。)
草別れの段(後の別れの段とも)
ようやく信太の森に到着した保名一行は、菊が乱れ咲く中、狐を探して回る。葛の葉が「どうかこの子に会ってやって欲しい」と懇願すると、ふたたび葛の葉そっくりに化けた狐が現れる。保名は狐の葛の葉に走り寄って「物の怪だろうが構わない。せめてこの子の物心が付くまで育てて欲しい」と訴えかける。本物の葛の葉も、保名の面倒を見、童子を産み育ててくれたことを感謝し、自分のせいで親と別れなければならなくなったこの子が、自分を母と思い込んで乳を求めるのが悲しいと泣き伏す。それを聞いた狐は「正体を知られてしまっては1日たりとも人に混じって暮らすことができない。後のことは葛の葉に頼む」と童子に乳を含ませながら答える。それでも保名は戻ってくるように懇願するが、狐は「この姿だから引き留めるのだろう」と白狐の姿に戻って、我が子の身を案じるように草むらに姿を消す。保名は「どんな姿だろうが構わない」と後を追おうとするが、深い草むらに阻まれる。
信太の森の段(前半を童子問答の段あるいは童子物語の段、後半を二人奴の段ともいう)
保名たちの元に芦屋道満が駕籠に乗って現れる。葛の葉は刀を手に「姉の仇」と声をかけるが、道満は「落ち着くように」と言いながら悠然と駕籠から出てくる。僧形の道満を見た保名は、それが罪を逃れるための偽装だと思い「僧籍に入ったとはいえ、仇は仇」と勝負を挑む。しかし道満は、剃髪したのは自分の父将監の菩提を弔うためであること、榊が自らの命を絶つことになったのは後室と岩倉治部の企みであったこと、『金烏玉兎集』を奪い取ったという保名の疑いはもっともだが事実とは異なることを告げる。そして、難儀な目に会った兄弟弟子のことはこれまでも気をかけており、後継者としてふさわしい保名に『金烏玉兎集』を譲るため、故郷の芦屋の庄へ赴く途中に立ち寄ったのだと言う。そして『金烏玉兎集』を取り出し、「この書で陰陽の道を拓き、都へ帰ってきなさい」と言うのだった。これを聞いた保名は平伏し道満への邪推を詫びた後、「もはや出世の見込みがない自分にではなく、跡を継がせる息子に『金烏玉兎集』を譲って欲しい」と頼み込む。道満はこころよく『金烏玉兎集』を童子に手渡す。
受け取った童子は表紙の「金烏玉兎」の文字を見て、「金烏は太陽の中の3本足の烏、玉兎は月で餅をつく兎。よってこの本を読めば、天地の間のすべてが明らかになる」と言う。道満はこれを聞き、保名の教育を褒め称えるが、保名は何も教えていないという。そして、この子の生みの母は長い年月を生きてきた白狐であり、この子はその才を受け継いだのだろうと言う。道満は、中国にも妖狐と人の間にできた子供が成長して高官にまで昇りつめた例があるので、保名の子を試してみることにした。道満の出す質問の数々に、童子は姿を隠した母狐の力を借りて次々と正答していく。童子の才に感じ入った道満は、童子の烏帽子親となるので「晴明」と名乗るように言う。道満は、保名との再会も果たしたことでもあるし、信太社を参拝したいと申し出る。保名は自分も同行しようと言って、葛の葉は晴明とともにここで待つように言い残して去る。
(ここから後半)そこに石川悪右衛門が葛の葉を奪取しようと手下を引き連れて現れる。葛の葉を見つけた悪右衛門は親子を拉致しようとするが、突然与勘平が現れ、孤軍奮闘して悪右衛門らを阻止し、逃げる一味を追撃した。と、そこへまた状箱(書状を収めるための箱)を携えた与勘平が現れる。葛の葉は先程の奮戦を労うが、与勘平は自分は保名の用事で都へ使いに出た帰りで、戦いなど身に覚えがないという。与勘平と葛の葉が噛み合わない話を続けていると、悪右衛門一味が戻ってきて、後から現れた与勘平と争いになる。これを撃退し追撃する与勘平に「深い追いするな」と叫ぶ葛の葉だが、悪右衛門の家来に捕まる。そこにまた与勘平が現れ、応戦する。前後を敵に囲まれ駕籠に逃げ込んだ葛の葉親子だが、その駕籠を二人の与勘平が担いで逃走する。晴明が駕籠から顔を出して「与勘平が二人いる」とうれしそうに葛の葉に報告すると、駕籠を担いでいた与勘平本人もその事実にようやく気づき、自分が本物だと言い争いを始める。見かねた葛の葉が与勘平の生い立ちなどを尋ねて本物の与勘平を明らかにする。すると一方の与勘平が、自分は白狐の仲間の野干平で、助太刀に来たと明かす。そして悪右衛門一味の相手は自分(野干平)に任せて、本物の与勘平は葛の葉親子を連れて草むらに隠れていろと指図する。悪右衛門一味は妖狐の通力に翻弄され、命からがら逃げ帰った。
信太社から戻った保名と道満は一部始終を聞き、これも信太明神の加護と信太社に向かい遥拝する。そして「帰り道に伏兵が残っているかもしれない」と与勘平に提灯を持たせようとしたところ、あたり一帯が狐火の光に満ち溢れるのだった。
第5段
京、一条の橋の段
3年の月日が経ち、晴明は8歳となっていた。小野好古の元を尋ねようと、保名、葛の葉、晴明は京に上る。一行が一条の橋にさしかかったところで、左近太郎と出会う。好古は、左近太郎の労により保名の帰参を認め、利発なことで評判の晴明を明朝参内させるつもりだと言う。その前に一度晴明を好古に会わせるために、左近太郎が保名一行が泊まる宿に迎えにいくところだった。左近太郎は保名一行を小野好古の屋敷へと誘う。保名はその厚意には感謝するが、勝手に好古の元を飛び出た不義理ゆえ、会うのは晴明と葛の葉だけにしたいと言い、二人を送り出す。
一人になった保名は、長櫃を運んでいる石川悪右衛門一味と偶然行き会う。物陰から伺う保名は、この長櫃の中に悪右衛門が六の君を呪詛するための藁人形を運んでいるのを知る。悪右衛門の家来に見つけられそうになった保名は飛び出して一味と戦うが、不覚をとって討ち取られてしまう。保名の遺体は藁人形とともに長櫃へ入れられ、川に流される。
大内の段
内裏では、桜木親王が座る傍らに、左大将橘元方、参議小野好古の両名が控える。そこに葛の葉と晴明が連れてこられる。小野好古は「この者は自分の家臣安倍保名の息子の晴明。8歳と幼いが、陰陽道に通じているので、芦屋道満ともども帝都にあれば長久の基となるでしょう」と奏上する。これを聞いた橘元方は「この者の父保名は未熟者で、先般都を逐電し、落ちぶれ果てた男。その子が才能豊かなわけがない。都には、天下に並ぶ者なしと評判の芦屋道満一人いれば十分」と、晴明を貶める。これに憤った葛の葉が「幼くても才能ある人間はいる。小さな子に対してその態度は…」と食ってかかる。これに怒った橘元方が「卑しい女め」と葛の葉を引っ立てようとしたところ、桜木親王が制止する。桜木親王は晴明と道満の術比べを提案し、近在の百姓が見つけたという長櫃の中身を当てることを命じる。橘元方はこの長櫃が六の君呪詛のための藁人形入れたものと気づいて、なんとか中身当てをやめさせようとするが、桜木親王はこれを聞かない。
中身当てが始まった。道満が晴明から占うよう勧めるが晴明は固辞して、道満が先に占うこととなる。道満の見立てでは、中には人の形をしたものが二体あるが、一方は形だけ模した人形。他方は斬られて死んだ30歳ほどの男だと言う。晴明がこっそり占ったところ、道満の見立て通りで、心の中で悔しがる。晴明はしばらく思案した末、刀傷の男は魂魄がまだ抜け切ってないので落命とは言えないと答える。道満と葛の葉は心配して晴明に再考を促す。詰め所に控えていた石川悪右衛門がここぞとばかりに占いの場に現れ、「蓋を開けて、死体が出れば許さない」と晴明にすごんでみせる。晴明はこうした脅しに臆することなく、「母様ご安心を。刀傷をたちどころに直してみせます。ご覧あれ」と秘文を唱える。
晴明蘇生の祈(節事[注釈 8])
(晴明は一心不乱に祈祷する)
祈祷の効果か、長櫃の上に無数の鳥が集まってくる。鳥たちはしばらく旋回を繰り返した後、悦びの声を上げて飛び去る。晴明は「蘇生の徴。蓋を開けて」と促す。恥をかかせてやると、悪右衛門が蓋を開けようとすると、中から保名が悪右衛門を掴んで足元に踏みつけ、悪右衛門と橘元方による六の君呪殺の悪企みを明らかにする。一部始終を聞いた左近太郎が橘元方を投げ飛ばしたところ、道満が割って入って、「これでも御息所の父なので、命ばかりはお助けください」と嘆願する。これを聞いた桜木親王は「左大将は流刑、悪右衛門は保名父子に任せる」と裁定し、保名は悪右衛門を斬る。桜木親王は晴明に官位を与え、道満ともども末の世まで語り継がれる存在となった。




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『説経節』(東洋文庫)より「山椒大夫」(天下一説経与七郎)、『古浄瑠璃 説教集』(新日本古典文学大系)より「さんせう大夫」(天下一説経与七郎正本 「さんせう大夫物語」で補う)

2019-06-14 | 説経節、幸若舞、舞の本等
 東大寺


 


 『説経節』(東洋文庫)より「山椒大夫」(天下一説経与七郎)、『古浄瑠璃 説教集』(新日本古典文学大系)より「さんせう大夫」(天下一説経与七郎正本 「さんせう大夫物語」で補う)





 『説経節』(東洋文庫)より「山椒大夫」              310
  天下一説経与七郎
  寛永十六年ごろ刊 
  さうしや長兵衛板か?


 『古浄瑠璃 説教集』(新日本古典文学大系)より「さんせう大夫」   327
  寛永末年頃刊 「さんせう大夫」
  天下一説経与七郎正本。天理大学付属天理図書館像
  丹緑中型本で十四行二十八丁(上巻末丁裏無刻)
  上中下三巻形式。
  現代最古の正本。
  破れ部分あり

  破れ部分は
  寛文後期刊 「さんせう大夫物語」
 「さんせう大夫物語」(上巻新出。中下巻、大阪大学付属図書館赤城文庫蔵)で補う



 改めてざっくりと「山椒大夫」及び「さんせう大夫」を読んでみたが、疑問は募るばかり。
 大切な部分や気にかかる部分などをメモ書きながら読むのがいいかもしれない。

『説経節』といえばその一つに「信太妻」もあるが、七月には松竹座にて『葛の葉』が上演され流ので、観劇前にこちらも今一度押さえておきたい。

 図書館で『説経節』に関連する書物を2,3冊、その他『舞の本』などをお借りした。
 スズメよりは少し大きめの鳥が
「ムククククゥ、ムククククゥ」
と喉を唸らしながら、花壇のゼラニュウムやバラの間を歩いている。
 今日も楽しい時間の始まり。
 またや六月中旬からの一ヶ月間もやりたい事や やるべき事が決まる。
 しばらくは『説経節』関連で遊べそうだ。

 今回も簡単な記録のみにて失礼いたします。



   『説経節』「信徳丸」東洋文庫(『弱法師』『摂州合邦辻』『文楽瑠璃集 』の「摂州合邦辻」比較)
   『説経節』から 「付 信太妻」 東洋文庫 平凡社
   『古浄瑠璃 説経集』から「さんせう太夫」 岩波 新版古典大系
   『さんせう太夫考』から「説経序説」「さんせう太夫の構造」岩崎武夫著 平凡社選書
    東洋文庫『説経節』から「山椒太夫」「注」「解説:山椒太夫」昭和44年3月
   『説経節』厨子王丸& 『幸若舞』信太(平将門孫)& 『説経節』小栗判官 = 重瞳、双瞳
   『小栗判官』
   『中世の貧民―説経師と廻国芸人 』塩見鮮一郎著 説経節の名作『小栗判官』を題材に、貴族や高僧、武士ではなく、庶民の目から見た貧困、病、宗教、道行きを描く。
   『説経節』(東洋文庫)より「山椒大夫」(天下一説経与七郎)、『古浄瑠璃 説教集』(新日本古典文学大系)より「さんせう大夫」(天下一説経与七郎正本 「さんせう大夫物語」で補う)









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『中世の貧民―説経師と廻国芸人 』塩見鮮一郎著 説経節の名作『小栗判官』を題材に、貴族や高僧、武士ではなく、庶民の目から見た貧困、病、宗教、道行きを描く。 

2019-06-08 | 説経節、幸若舞、舞の本等



 『中世の貧民―説経師と廻国芸人 』塩見鮮一郎著 説経節の名作『小栗判官』を題材に、貴族や高僧、武士ではなく、室町時代の庶民の目から見た貧困、病、宗教、道行きを描く。 

 文藝文庫 2012年





  
  当時の人々は、どんな暮らしをしていたのか

  説経節の名作『小栗判官』を題材に、貴族や高僧、武士ではなく、室町時代の庶民の目から見た貧困、病、宗教、そして恋の道行きを描く。

  担当編集者より
  中世の人々は、どんな暮らしをしていたのか——。説経節の名作『小栗判官』を題材に、殺された後、蘇生する主人公「をぐり」のたどった熊野への旅を改めて検証するとともに、貴族や高僧といった上流階級ではなく、庶民の目線から見た貧困、病、宗教、そして恋の道行き等々を描きます。文春新書『貧民の帝都』の著者による待望の第2弾です。(IS)
  (文藝春愁公式HPより)




 以前にも読んだ『中世の貧民―説経師と廻国芸人 』を再読する。

 興味深い内容だったので多くを覚えてはいたが、再び興味を持つ。

 著者である塩見鮮一郎氏が七十の手習いとして謙遜されていらっしゃるが、氏の辿られた道(参考になさった書物や足取り)を私も学んで見たくなった。

 もともと伝統芸能、民俗学、古典、中世などには多少ではあるが興味を持っていたので、上をたどって遊ぶのは、これから先の人生の一部を費やしてもいいのではないかと考える。

 面白そうな遊びを見つけてしまったと、ほくそ笑む。


『中世の貧民―説経師と廻国芸人 』は木曜、金曜の二日間をかけてゆっくりと読み進めたが、金曜日から岩波の新古典文学大系(緑)で東洋文庫と照らし合わせながら、これもまた二度目である『古浄瑠璃 説経集』「さんせう太夫」を読み進めている。

「山椒太夫」の中には案山子と言った言葉は出てこないのだが、『中世の貧民―説経師と廻国芸人 』の中に書かれていた箇所に至った時には、喜びを感じた。


『中世の貧民―説経師と廻国芸人 』には興味深い内容が多くあり、講義を受け、復習しているているつもりになって三度目を読もう。

 本書はノートを取りながら中身を熟読及び習得したい。


 ところで拙ブログである『乱鳥の書きなぐり』で『中世の貧民 』を検索すると、『小栗判官』のページしかヒットしなかった。

 このページには

   『中世の貧民―説経師と廻国芸人 』によれば、「をくり」の表記は「ふぉぐり」と発生するので、間違いだと指摘されていた。

と書いているので確かに記録しているはずなのだが、検索しても出てこない言葉や記録が多々あるのが残念である。(といっても、大した内容ではないのだが…)


 やりたいことが一つ増えた。『説経師 』や謡曲などを含めた、中世の文藝などをしっかりと読みたい。

 私なりの人生に小さな花の蕾が出てきた気がする。時間を大切に。楽しい時間を紡ぎたいと思う。


 今回も簡単な記録のみにて失礼申し上げます。
 

 
   『説経節』「信徳丸」東洋文庫(『弱法師』『摂州合邦辻』『文楽瑠璃集 』の「摂州合邦辻」比較)
   『説経節』から 「付 信太妻」 東洋文庫 平凡社
   『古浄瑠璃 説経集』から「さんせう太夫」 岩波 新版古典大系
   『さんせう太夫考』から「説経序説」「さんせう太夫の構造」岩崎武夫著 平凡社選書
    東洋文庫『説経節』から「山椒太夫」「注」「解説:山椒太夫」昭和44年3月
   『説経節』厨子王丸& 『幸若舞』信太(平将門孫)& 『説経節』小栗判官 = 重瞳、双瞳
   『小栗判官』
   『中世の貧民―説経師と廻国芸人 』塩見鮮一郎著 説経節の名作『小栗判官』を題材に、貴族や高僧、武士ではなく、庶民の目から見た貧困、病、宗教、道行きを描く。









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映画『山椒大夫』 5★ 監督:溝口健二 脚本:八尋不二、依田義賢  1954年 大映 田中絹代 花柳喜章 香川京子 進藤英太郎

2019-05-01 | 説経節、幸若舞、舞の本等


   映画『山椒大夫』 5★ 監督:溝口健二 脚本:八尋不二、依田義賢  1954年 大映 田中絹代 花柳喜章 香川京子 進藤英太郎






 溝口健二監督と依田義賢脚本とがタッグを組んだ映画の一つ、『山椒大夫』を観た。

 溝口健二監督の映画は、最近の私のマイブームの一つになりつつある。

 とにかく、どれを観ても、今のところ満足感が大きいい。


 今回は以前に読み比べた説経節や広義で考えると歌舞伎で見た『雙子隅田川』にも関連性のある映画『山椒大夫』であり、二時間があっという間に過ぎた。

 鴎外では描かれなかった硝煙で繰り広げられているひどい奴隷生活や拷問の場面は原作に基づいて描かれたこの映画は、素晴らしい芸術作品の一つだと感じた。






   
   『説経節』「信徳丸」東洋文庫(『弱法師』『摂州合邦辻』『文楽瑠璃集 』の「摂州合邦辻」比較)
   『説経節』から 「付 信太妻」 東洋文庫 平凡社
   『古浄瑠璃 説経集』から「さんせい太夫」 岩波 新版古典大系
   『さんせい太夫考』から「説経序説」「さんせい太夫の構造」岩崎武夫著 平凡社選書
    東洋文庫『説経節』から「山椒太夫」「注」「解説:山椒太夫」昭和44年3月
   『説経節』厨子王丸& 『幸若舞』信太(平将門孫)& 『説経節』小栗判官 = 重瞳、双瞳





    以下のデーターは全てウィキペディアより ▼

「山椒大夫」(さんしょうだゆう)は、説話「さんせう太夫」をもとにした森鴎外による小説で、鴎外の代表作の一つである。


「安寿と厨子王丸」
 この小説は中世の芸能であった説経節の「五説経」と呼ばれた有名な演目の一つ「さんせう太夫」を原話として執筆され、1915年(大正4年)、森鴎外53歳の時に「中央公論」に掲載された。


 さんせう太夫
 岩城の判官正氏の御台所、その子安寿とつし王(厨子王)が、帝から安堵の令旨を賜るべく都へと向かう途中、人買いにたぶらかされて親子離れ離れに売られ、姉弟は丹後の長者「山椒太夫(三庄太夫)」のもとで奴隷として辛酸をなめる。
 姉の安寿は弟を脱走させたため山椒太夫の息子・三郎によって凄惨な拷問を受けた末に殺されてしまう。
 つし王は神仏により救われて出世し、山椒太夫父子に苛烈な復讐を行う。

 あらすじ
 平安時代の末期、陸奥国の掾であった平正氏は、上役の罪に連座して筑紫国へ左遷された。妻と、安寿・厨子王の幼い姉弟は、正氏に会いに行く途中、越後国で人買いに騙され、離ればなれになってしまった。安寿と厨子王は、丹後国の苛烈な荘園領主・山椒大夫に売られ、奴隷としてこき使われるようになる。
 やがて、成長したふたりは、荘園から脱走することを考えるようになった。
 そしてある日、安寿は厨子王に脱走をすすめる。厨子王は都への上洛を果たし、関白藤原師実の知遇を得て丹後に国司として赴任(実際は遥任であるが)、厨子王の脱走とともに入水した姉の菩提をとむらうとともに、丹後一帯での人買いを禁止。山椒大夫はやむなく、奴隷を解放し賃金労働者として雇うようになる。
 その後、母が佐渡国にいると聞きつけた厨子王は、佐渡にむかい、盲人となった母親に再会する。

 小説化における脚色
 世に知られた安寿・厨子王伝説をいかにして小説『山椒大夫』に仕立てたかを随筆「歴史其儘と歴史離れ」で鴎外自らが具体的に語っている。それによると、伝説の筋書きを基にしながら、登場人物の年齢から実際の年号を振り当て、そのうえで辻褄が合わない、あるいは鴎外の好みに合わない部分に小説的な脚色を加えていったと述べている。
 鴎外は小説化にあたり、安寿の拷問や山椒大夫が処刑される場面など、原話で聴かせ所として具体的に描写される残酷な場面はほとんど切り捨てている。
 また、賃金を支払うよう命じられた一家が、その後むしろ一層富み栄えたというのも森鴎外のオリジナルである。
 また、原作では焼印を押されてしまうが、森鴎外の山椒大夫では、夢の中の出来事として扱われており、お守りの地蔵に焼印が有ったとしている。


   → 映画では説経節の原作に基づき、描かれていた!


 映画
山椒大夫

監督 溝口健二
脚本 八尋不二
依田義賢
製作 永田雅一
出演者 田中絹代
花柳喜章
香川京子
進藤英太郎
河野秋武
浪花千栄子
音楽 早坂文雄
撮影 宮川一夫
編集 宮田味津三
配給 大映
公開 日本の旗 1954年3月31日
上映時間 124分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
テンプレートを表示
1954年3月31日公開。大映製作・配給の溝口健二監督作品。ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を獲得するなど、海外でも高く評価され、溝口の代表作のひとつとなった。


 概要
 依田義賢と八尋不二が共同で脚色し、溝口が監督した。本作は海外でも高く評価され、ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を獲得、『西鶴一代女』『雨月物語』に次いで3年連続でヴェネツィア国際映画祭に入賞した。
 ほか、国内ではキネマ旬報ベストテン第9位にランクインされた。
 ラストの海のシーンはジャン=リュック・ゴダールが『気狂いピエロ』で再現したほどである。


 スタッフ
監督:溝口健二
製作:永田雅一
脚本:八尋不二、依田義賢
企画:辻久一
撮影:宮川一夫
録音:大谷巌
照明:岡本健一[2]
美術:伊藤熹朔
音楽:早坂文雄
編集:宮田味津三
助監督:田中徳三
進行:小澤宏


 キャスト
玉木:田中絹代
厨子王:花柳喜章
安寿:香川京子
山椒大夫:進藤英太郎(東映)
仁王:菅井一郎(第一協団)
吉次:見明凡太郎
小萩:小園蓉子(松竹)
姥竹:浪花千栄子
巫女:毛利菊江
藤原師実:三津田健(文学座)
平正氏:清水将夫(民芸)
曇猛律師:香川良介
太郎:河野秋武
内蔵介工藤:小柴幹治
左太夫:荒木忍
少年時代の厨子王:加藤雅彦 (現在の津川雅彦)
少女時代の安寿:榎並啓子
遊女中君:大美輝子
波路:橘公子
汐乃:金剛麗子
平正末:南部彰三
遊女宿の親方:東良之助
判官代則村:大邦一公
金平:伊達三郎
奴:石原須磨男
木戸の番人:天野一郎
萱野:相馬幸子
船着場の女:小松みどり

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平曲『平家物語 敦盛』(琵琶と語り)& 『幸若舞 敦盛』(鼓と特徴ある合いの手、舞)   (能楽)敦盛の予習3

2018-11-07 | 説経節、幸若舞、舞の本等
 三輪神社にて 二條流煎茶




 平曲

 平曲とは
『平家物語』を平家琵琶を伴奏として語る音曲。
『徒然草』によれば後鳥羽天皇の頃,生仏という盲人が語り始めたとされる。
 その後城方(八坂方。→八坂流),一方(いちかた。→一方流)の 2流に分かれ,一方流中興の祖,明石覚一が曲節,詞章を整えた。

 一方流は江戸時代に前田流,波多野流に分かれ,前田流のみが今日に伝えられている。
 平曲は節なしの素声(しらごえ)と,節をつけて語る引句(口説,初重,中音,三重,サシコエ,その他に細分される)の 2部分からなり,これらを組み合わせて,物語の内容にふさわしいように作曲されている。
          (ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より)



 平曲 琵琶演奏・歌
 平家物語 敦盛 ▼
 
 平曲 平家物語 敦盛 はいろいろな方で聞いてみましたが、このかたの声が私の場合は一番好きでした。




 以前東洋文庫で読んだ『幸若舞』
 ユーユーブで敦盛を見ていると『幸若舞』でも『敦盛』があることを知り、十動画以上を楽しませていただいた。
 幸若舞はリズミカルに地鎮のような明日の運ばせ方。
 小鼓も単調なリズムだが、
     パカパカ パカパカパカ ニュオ
     パカパカ パカパカパカ ニャオ


  と猫のようなアクセントの合いの手が入る。
 室町当時としては、割合に動くも早く、曲の画期的な舞であったのではないかと考える。
 小包の打ち方は、能楽のそれとは違い、パカパカと打つのが特徴。
 衣装は三河万歳や伊勢漫才を思い浮かべたが、発生の理由は全く違うのかもしれない。
 東洋文庫の解説部分に乗っていたのかもしれないが、忘れてしまっている。
 岩波文庫の古典文学大系のも『幸若舞』はあるので、今一度、読んでみたい。

 ユーチュービで幸若舞の敦盛を見ていると、謡及び舞もすり足で能楽さながらのものもあった。
 こういったものも幸若舞と呼びか稲川私にはわからないのですが、地鎮や三番叟など五穀豊穣の動きを取り入れた素朴な続きと歌と舞の幸若舞に魅力を感じたので、とりあえず何度も楽しませていただいた幸若舞の映像を紹介させていただきます。

 日本の室町時代からの『幸若舞』が今もうけつがれている。
 今はネットでもその一部を味わうことができ、幸せな時代だと感じる。

 私が何度も楽しませていただいた『幸若舞』の敦盛▼
 
 幸若舞 敦盛
 幸若舞(こうわかまい)は、室町時代に流行した語りを伴う曲舞の一種。福岡県みやま市瀬高町大江に伝わる重要無形民俗文化財(1976年指定)の民俗芸能として現存している。能や歌舞伎の原型といわれ、700年の伝統を持ち、毎年1月20日に大江天満神社で奉納される。
 人間50年 下天のうちをくらぶれば 夢幻のごとくなり
 








 京都観世会11月例会に備えて、
 そろそろ予習を… 3
 とりあえず百番集を読む。

  25日(日)11:00
 京都観世会11月例会

   (能) 敦盛  田茂井廣道
   (狂言) 千鳥  茂山千五郎
   (能)  富士太鼓 河村博重
   (能) 大会    宮本茂樹




 ご覧くださいまして、感謝いたします。
 
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小栗判官

2018-07-09 | 説経節、幸若舞、舞の本等
 写真は伊勢の夫婦岩
 ただいま楽しんでいる『中世の貧民―説経師と廻国芸人 』のしょっぱなに説経節や土車(つちぐるま)について触れられている。
 説経節にせよ万歳にせよ伊勢からこられた方が多い。
 

   『説経節』「信徳丸」東洋文庫(『弱法師』『摂州合邦辻』『文楽瑠璃集 』の「摂州合邦辻」比較)
   『説経節』から 「付 信太妻」 東洋文庫 平凡社
   『古浄瑠璃 説経集』から「さんせい太夫」 岩波 新版古典大系
   『さんせい太夫考』から「説経序説」「さんせい太夫の構造」岩崎武夫著 平凡社選書
    東洋文庫『説経節』から「山椒太夫」「注」「解説:山椒太夫」昭和44年3月
   『説経節』厨子王丸& 『幸若舞』信太(平将門孫)& 『説経節』小栗判官 = 重瞳、双瞳







 小栗判官について



 小栗判官(おぐりはんがん)は、伝説上の人物で。
 これを主人公として日本の中世以降に伝承されてきた物語。
 妻・照手姫の一門に殺された小栗が閻魔大王の計らいで蘇り、姫と再会し、一門に復讐するという話で、説経節の代表作であり、浄瑠璃や歌舞伎などになっ。
 常陸国小栗御厨(現在の茨城県筑西市)にあった小栗城の城主である常陸小栗氏の小栗満重や、その子・小栗助重がモデルとされる。

「小栗の判官」「おぐり判官」「をくりの判官」「をくり」「おくり」などの名でも伝えられる。
『中世の貧民―説経師と廻国芸人 』によれば、「をくり」の表記は「ふぉぐり」と発生するので、間違いだと指摘されていた。

 小栗判官の伝承は多く残っており、後に創作されたものもあり、それぞれにかなりの相違が見られる。
 説経節や浄瑠璃、歌舞伎など多くに脚色されている。また縁のある土地にもそれぞれの伝承が残っており、小栗の通った熊野街道は小栗街道とも呼ばれる。

 人物としての小栗判官は、藤原正清、名は助重、常陸の小栗城主。
 京の貴族藤原兼家と常陸国の源氏の母の間に生まれ、83歳で死んだとされる。
 15、16世紀頃の人物として扱われることもある。

 乗馬と和歌を得意とした。子宝に恵まれない兼家夫妻が鞍馬の毘沙門天に祈願し生まれたことから、毘沙門天の申し子とされる。

 藤沢市遊行寺(清浄光寺)長生院(小栗堂)がある。
 応永22年(1415年)、上杉禅秀が関東において乱を起こした際、満重(他の資料では小栗判官(小栗助重)の父の名であるが、この伝承においては判官自身を指す)は鎌倉公方足利持氏に攻め落とされ、落ち延びる。
 その途上、相模の国に10人の家来とともに潜伏中に、相模横山家(横山大膳・横浜市戸塚区俣野に伝説が残る)の娘・照手姫を見初め、結婚の約束を交わす。
 横山は、旅人を殺し金品を奪う盗賊であった。照手姫は本来上皇や法皇の御所をまもる武士である北面武士の子であったが、早くに父母に死に別れ、理由あって横山大膳に仕えていた。

 小栗の行為に怒った横山庄司親子は、小栗を人食い馬と言われる荒馬「鬼鹿毛(おにかげ)」に乗せ噛み殺さようと企てるなど、さまざまな計略を練るものの失敗。
 しかしついには権現堂にて酒に毒を盛り、家来もろとも殺してしまう。横山は小栗の財宝を奪い、手下に命じて小栗と家来11人の屍を上野原に捨てさせる。
 この事実を知った照手姫は密かに横山の屋敷を抜け出すが、不義の罪により相模川に沈められかける。
 危ういところを金沢六浦の漁師によって助けられるも、漁師の女房に美しさを妬まれてさまざまな虐待を受け、最後には六浦浜で人買いの手に売り飛ばされてしまう。
 姫は売られては移り、移っては売られて各地を転々とするが、最後まで小栗への貞節を守り通す。

 小栗伝説にふさわしい佇まいを残す湯の峰温泉(上流より湯筒が見えるあたり。)
 一方、小栗は地獄に堕ち、閻魔大王の前に引きずり出されるが、裁定により地上界に戻されることができた。
 しかし異形の餓鬼阿弥の姿で、癩病にかかっており、歩くこともままならない。幸いに藤沢の遊行寺(清浄光寺)の大空上人の助けを蒙り、地車に乗せられて東海道を西進する。
 小栗が殺された夜、遊行寺では大空上人の夢枕に閻魔大王が立ち、
「上野原に11人の屍が捨てられており、小栗のみ蘇生させられるので、熊野の湯に入れてもとの体に戻すために力を貸せ」
と告げていた。
 上人はそのお告げに従って上野原に行き、死んだ家来達を葬るとともにまだ息のあった小栗を寺に連れ帰ったのであった。


 説経節にみる小栗判官伝説
 正本として、延宝3年(1675年)「おぐり判官」(作者未詳)、年未詳「をくりの判官」(佐渡七太夫豊孝)その他がある。

 鞍馬の毘沙門天の申し子として生を受けた二条大納言兼家の嫡子小栗判官が、ある日鞍馬から家に戻る帰路、菩薩池の美女に化けた大蛇の美しさに抗し切れず交わり、妻としてしまう。
 大蛇は懐妊するが、子の生まれることを恐れて隠れようとした神泉苑に棲む龍女と格闘になる。
 このために7日間も暴風雨が続き、小栗は罪を着せられ常陸の国に流された。
 この場所にて小栗は武蔵・相模の郡代横山のもとにいる美貌の娘である照手姫のことを行商人から聞かされ、彼に頼んで照手に文を渡す。照手姫から返事を受け取るや、小栗は10人の家来とともに、照手姫のもとに強引に婿入りする。
 これに怒った横山によって、小栗と家来達は毒殺され、小栗は上野原で土葬に、家来は火葬にされる。照手姫は相模川に流され、村君太夫に救われるが、姥の虐待を受け、千手観音の加護により難を逃れたものの人買いに売り飛ばされ、もらわれた美濃国青墓宿の万屋でこき使われる。

 一方、死んだ小栗と家来は閻魔大王の裁きにより
「熊野の湯に入れば元の姿に戻ることができる」との藤沢の遊行上人宛の手紙とともに現世に送り返される。餓鬼阿弥が小栗の墓から現われたのを見た上人は手紙を読み、餓鬼阿弥と化した小栗を車に乗せると胸の木札に「この車を引くものは供養になるべし」と書きしたためた。

 多くの人に引かれた車は美濃の青墓に到着する。
 常陸小萩の名で働いていた照手姫は餓鬼阿弥が小栗であると知らずに5日間に渡って大津まで車を引き、ついに熊野に到着する。熊野・湯の峰温泉の薬効にて49日の湯治の末、小栗の業病は完治し元の体に戻ることができる。
 その後、小栗は京に戻り天皇により死からの帰還は珍事であると称えられ、常陸・駿河・美濃の国を賜ることになる。また、車を引いてくれた小萩を訪ね彼女が照手姫であることを知り、姫とともに都に上った。
 やがて小栗は横山を滅ぼし、死後は一度死んで蘇生する英雄として美濃墨俣の正八幡(八幡神社)に祀られ、照手姫も結びの神として祀られた。

 小栗判官伝説をつたえる熊野権現堂の碑(神奈川県藤沢市石川)がある。
 鎌倉大草紙にはやや異なる話が書かれている。
 道重は三河の国に落ち延びたが、子の小次郎助重は相模国権現堂[注釈 1]に泊まった際、盗賊に毒を盛られたが照手姫という遊女に救われて三河へと逃げた。
 後に照姫を探し出して宝を与え、盗賊を退治したという。

 御物絵巻「をくり」、奈良絵本「おくり」があり、これらは説教節から詞章を得ていると見られている。
 また瞽女歌の中にも類似の物語が残っている。

 近年では、1991年(平成3年)に初演された梅原猛作のスーパー歌舞伎『オグリ』、1994年の大野一雄による舞踏『小栗判官照手姫』、2001年の遊行舎による遊行かぶき『小栗判官と照手姫-愛の奇蹟』(説教節・政太夫)、2009年(平成21年)の宝塚歌劇団花組公演『オグリ! 〜小栗判官物語より〜』(木村信司作・演出、壮一帆主演)、1982年に初演された遠藤啄郎脚本・演出の横浜ボートシアター仮面劇『小栗判官照手姫』などがある。
 また1990年に、近藤ようこによって漫画化・発表されている。

          ウィキペディアによる。




 みなさまご訪問いただき、誠にありがとうございます。
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講演「某奈良学」    『説経節』とつながる

2012-09-19 | 説経節、幸若舞、舞の本等


 講演「某奈良学」を二時間聴く。

 中でも興味を持ったのは、近畿地方の寺前につくられたという○人宿(お話中のことば)のお話

 癩病患者などを集め住まわせたという。

 近畿地方にはこういった住居説くが五、六十。奈良には二十数宿あったとのこと。

 これで『説経節』の作品に出てくる四天王寺や他の寺の内容がわたくしの中で消化されつながった。


 予定していた某町主催の古事記の講演は時間的に断念せざるを得なかったが、変わりに意義あるお話を拝聴でき、光栄に感じた。

 今月は古文書が後ひとつ。

 今月の講座は二時間三コマを含め、五コマ(九時間)受けることにとなる。

 年を重ねてから講義を受けるのも楽しいものだ。







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123: 『幸若舞』から「築島」東洋文庫 355  なか 昔のことかとよ。…

2012-08-14 | 説経節、幸若舞、舞の本等




  2012年  本

    123: 『幸若舞』から「築島」(つきしま)


 東洋文庫 355

 『幸若舞』から「築島」   283-312 注313-333

        「解説 築島」376-379




 なか 昔のことかとよ。その頃平家の大将おば、安芸守清盛あきのかみきよもりと申しける。

 こんな美しい日本語から始まる「築島」

「人柱立てられるべき」なんど、公詮議有りしかども、「それはなかなか罪業なるべし」とて、石の面おもてに一切経を書いて、築かれたる故こそ、経の島とは名付けけれ。

『幸若舞』「築島」では、人柱は立てられなかったことになっている。 

 しかし『源平盛衰記』の記述は違うと解説にあった。



 以前読んだ『幸若舞』から「信田」東洋文庫(「さんせい太夫」「信田」関連:8 ) 
17: 『古浄瑠璃 説経集』から「さんせい太夫」 岩波 新版古典大系
18:『さんせい太夫考』から「説経序説」「さんせい太夫の構造」岩崎武夫著 平凡社選書
19: 東洋文庫『説経節』から「山椒太夫」「注」「解説:山椒太夫」昭和44年3月
20:東洋文庫『幸若舞』「解説:信太」「解説」  岩波 新版古典大系『舞の本』「解説」
『説経節』厨子王丸& 『幸若舞』信太(平将門孫)& 『説経節』小栗判官 = 重瞳、双瞳
『閑吟集』118 情けは人のためならず 119 るゝるるるるるる るるるる ルンルン
24: 『舞の本』から「信田」70-101  岩波書店 新日本古典文学大系
25: 『幸若舞』から「信田」東洋文庫(「さんせい太夫」「信田」関連:8 )
 



 記録したいことが山の様にたまっていますので、今回も簡単なメモだけで失礼いたします。

 
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85:『ミラクル絵本で楽しむ 小栗判官と照手姫』―伝岩佐又兵衛画 太田彩監修 (4枚)

2012-06-09 | 説経節、幸若舞、舞の本等













記録だけ  

    85: 『ミラクル絵本で楽しむ 小栗判官と照手姫』―伝岩佐又兵衛画



 太田彩 監修

 伝 岩佐又兵衛画

 絵巻「をぐり」  宮内庁三 丸尚蔵館所蔵

 東京美術

 1,890円







 目次

     人気の絵師と浄瑠璃操り、夢の共演──絵巻「をぐり」への誘い   太田 彩
     絵巻「をぐり」の概要と特徴
     伝説の絵師、岩佐又兵衛とは?


第一巻 鞍馬の申し子
 京の公卿、大納言兼家殿に待望のお世継ぎ誕生!!

第二巻 妻選び
 元服に伴い、「常陸小栗」と改名……
 深泥池の大蛇、小栗を見初める。

第三巻 魔性の誘惑
 鞍馬寺にて待ち受けるは憂い顔の美姫ひとり……
 小栗、流罪となるも、常陸で判官の位を得る。

ついに出逢った運命の恋人たち。
世紀のロマンスが今始まる。

第四~五巻 婿入り
 小栗が恋した、まだ見ぬ美姫は……
 美しくもきわどい言葉で、この文が……
 東国武士の掟を軽んじた強引な婿入りも……

第六~七巻 人喰い馬
 コケにされたと、怒り心頭の横山殿……
 屋根を駆け、大樹を登る。……

第八巻 小栗暗殺
 夫に迫る大事の予知夢!?……
 小栗の命運、ここに尽きたか……
 最愛の夫を殺され、悲嘆にくれる照手姫を……

第九巻 照手の危機
 ああ、おいたわしきは、照手の姫さまよ……
 すんでのところで、命長らえた照手姫……
 助かったのも、束の間のこと……

第九~十巻 照手の行方
 明日はいずこへ、売られゆく。

第十巻 青墓の宿
 遊女になれとの無体な要求。拒んだ照手に……

照手の話はいったん置いて……。
ここは冥界、黄泉の国。

第十~十一巻 小栗蘇生
 地獄の閻魔に情けをかけられ……

第十一~十二巻 餓鬼阿弥の旅
 引かれて上るは東海道。めざすは熊野……

第十二~十三巻 夫婦の奇縁
 醜い姿の餓鬼阿弥が、愛しき夫とはつゆ知らず……

第十三巻(一) 悲しき別れ
 餓鬼阿弥の旅は、いつ終わるのか。
 もしも、この身が二つあったならば……

第十三巻(二) 熊野・湯の峯へ
 人の情けが繋ぐバトンリレーのような…
 蘇りし日から数えて、四四四日目……

第十三巻(三) 小栗復活!!
 湯の峯の霊力が奇跡を起こす!

第十四巻 再びの邂逅
 「父上、母上、小栗です!!」
 何と数奇なめぐり合わせか……

第十五巻(一) 大団円
 罪を裁いて、恩には報い、一件落着……
 小栗、大往生!!……

第十五巻(二) 結びの口上
 これにて、物語はおしまい……

巻末付録  本書をより深く味わうために
〈解説その一〉絵巻のルーツ、「小栗伝説」
〈解説その二〉又兵衛工房と古浄瑠璃絵巻群
〈資料その一〉現存する、又兵衛の古浄瑠璃絵巻群(「をぐり」を除く)の概要
〈解説その三〉絵巻「をぐり」の物語ダイジェスト
〈資料その二〉絵巻「をぐり」各巻概要

絵で知る人々のくらし
 座産と鳴弦/長寿を願う蓬莱飾り/吉夢と凶夢/埋葬の方法/小栗伝説のキーパーソン、藤沢の上人/篤い信仰を集めた、熊野詣


















 絵巻「をぐり」は現在十五巻。

 三百メートル、三百十二段、本来二十六巻


 記録 『通し狂言 當世流小栗判官(後編)』2011年 /『スーパー歌舞伎 新・三国志』1999年でもふれたが、伝 岩佐又兵衛画 の『ミラクル絵本で楽しむ 小栗判官と照手姫』を楽しむ。

 この場合の再生は「因果の車」と「湯」

「湯」には霊力があると民俗学の諸先生方が書かれていた。『小栗判官と照手姫』では「湯の夆」とある。

 小栗判官は湯につかり、49日目で復活した。









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『通し狂言 當世流小栗判官(後編)』2011年 /『スーパー歌舞伎 新・三国志』1999年

2012-06-09 | 説経節、幸若舞、舞の本等


  『通し狂言 當世流小栗判官(後編)』2011年 /『スーパー歌舞伎 新・三国志』1999年





 『通し狂言 當世流小栗判官(後編)』

出演:市川亀治郎(四代目猿之助) 市川笑也 市川右近 市川猿弥 市川笑三郎 市川春猿 市川寿猿 坂東薪車 坂東竹三郎 中村獅童 
2011年
88分
カラー
【出演】片岡愛之助 猿翁・猿之助・中車襲名記念特集~市川猿之助の世界~ 衛星劇場が二ヶ月連続でお届けするスペシャル企画。 伯父三代目猿之助の当たり役三役に亀治郎(四代目猿之助)が初挑戦。 「三代猿之助四十八撰」の一つで数々の仕掛けを巧みに織り込んだ復活古典狂言。序幕は横山家の御家騒動を背景に小栗判官が馬術の腕を披露する。二幕目は漁師の浪七が照手姫の危難を救う場面。三幕目は判官、照手姫、お駒の三角関係から天馬に乗っての宙乗りが見せ場で、大詰は主要登場人物が顔を揃えての大団円となる。 伯父三代目猿之助が当たり役としてきた判官・浪七・お駒の三役に亀治郎(四代目猿之助)が初挑戦した話題の舞台をTV初放送でお届け。 (2011年/平成23年10月・新橋演舞場)



 演目が『小栗判官』とあって興味あり。

 実は図書館より『小栗判官と照手姫』をお借りしていたので、演目『小栗判官云々』に興味あり。

『通し狂言 當世流小栗判官(前編)』は見そびれたが、『通し狂言 當世流小栗判官(後編)』を見る。

 前半は見ていないが、絵巻の『小栗判官と照手姫』とは、かなり違うようだ。

 絵巻の『小栗判官と照手姫』はどちらかといえば『説経節』「信徳丸」(『弱法師』『摂州合邦辻』)を思い浮かべる箇所あり。

 説経節『小栗判官』を読んだ上で、再び『通し狂言 當世流小栗判官(前編)(後編)』を見たい。


 舞台『通し狂言 當世流小栗判官(後編)』は88分なのだが、二時間以上見たような錯覚に落ち入る。

 そのため番組編成を勘違いし、残念なことに2010年4月(歌舞伎座さよなら公演)坂田藤十郎さんの『藤娘 』を見逃す……ショックは大きい。



 



 『スーパー歌舞伎 新・三国志』

出演:市川猿之助(二代目猿翁) 市川笑也 市川猿弥 市川笑三郎 市川春猿 市川段治郎(現・月乃助) 市川右近 市川門之助 市川亀治郎(四代目猿之助) 中村歌六
1999年
215分
カラー
【出演】市川段四郎 猿翁・猿之助・中車襲名記念特集~市川猿之助の世界~ 衛星劇場が二ヶ月連続でお届けするスペシャル企画。 三代目猿之助が生み出した「スーパー歌舞伎」は、従来の歌舞伎の枠を破り“スピード・スペクタクル・ストーリー”の三本柱を掲げ、奇抜なアイデアや大掛かりな演出を取り入れた。熱狂的な支持を得たスーパー歌舞伎の一つの到達点と言える『新・三国志』がついに登場。 テーマは「夢見る力」。劉備玄徳は女だった、関羽と劉備の恋…。有名な「赤壁の戦い」の舟の沈没シーン、幻想的な宙乗り、そして関平安良が獅子奮迅の戦いを見せる30トンもの本水を使った立ち回りなどスペクタクル満載の舞台だ。 (1999年/平成11年4月、5月・新橋演舞場)




 わたしが高校生の頃の猿之助さんは南座でくるくるまわっておられた。

 そういった意味で、なつかしさを感じる。


 わたしは この舞台でも 中村歌六さん、猿之助さん(二代目猿翁)、亀治郎さん(四代目猿之助)くらいしかわからない…。

 以前松竹座で見た『ヤマトタケル』でもどなたが出ておられるのか二役なのかわからない。

 普通の歌舞伎とも演劇とも違うある「間」

 従来の歌舞伎や花組芝居のネオ歌舞伎とは違い、スーパー歌舞伎のコツをつかむのはわたくしには難しそうだ。


『スーパー歌舞伎 新・三国志』の舞台構成そのものは面白く、京劇の方が出てこられる場面になると楽しいと感じた。





 御襲名おめでとうございます。
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2月21日 9代目團十郎に小判を突き返した 根付師 尾崎 谷斎(おざきこくさい)

2012-02-21 | 説経節、幸若舞、舞の本等


 2月21日

 尾崎 谷斎(おざき こくさい) 武田谷斎とも名乗る 

 本名 尾崎惣蔵

 1835年(天保6年)- 1894年(明治27年)2月21日)

 根付師

 

 ウィキによれば、谷斎は象牙よりも鹿角を好んで使用。具材の安い鹿角に芸術的価値を持たせることが谷斎の本領

 仏具・蝙蝠・霊芝(茸)の作品が多い。

「谷斎彫り」といわれる)で時代の人気を得、当代人気番付にも頻繁に登場
 谷斎ものを持たない芸者は本物ではないとまで言われた。


 9代目市川團十郎が、注文してからなかなか届かないことに痺れを切らして、金に困っているのだろうと、金十両を送りつけると、谷斎は、馬鹿にするなと怒ってその小判に「金十両確かに受領せり」と彫って送り返したという逸話が残る。
 
 

 江戸時代、 團十郎他人気歌舞伎役者、芸者が身につける櫛や根付けは一般の庶民の憧れでもあり、大きな宣伝効果があった…

 大和文化館学芸員さんが講演「江戸の人気蒔絵師・原羊遊斉」そんなお話をなさっていたことを思い出す。


 ところでわたくし 尾崎 谷斎(おざき こくさい)のねつけを知らない…

 という訳で調べてみると、なんだかどこかで見たことがある。

 嶌谷コレクション「幕末、明治の彫刻師 尾崎谷斎」

 私にはあまりわからない世界だが、鯔背な役者や勝ち気な芸者や祭の男衆が何気なくこれをつけていると、美しいだろうと思う。


 

 


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29:『さんせい太夫考』から「しんとく丸」と母子神信仰の世界 岩崎武夫著 平凡社選書23

2012-02-10 | 説経節、幸若舞、舞の本等




2012年  本

    29:  『さんせい太夫考』から「しんとく丸」と母子神信仰の世界    96-136




 
『さんせい太夫考』から「しんとく丸」と母子神信仰の世界    96-136


 岩崎武夫著

 平凡社選書23


 以前 2011 14; 『説経節』「信徳丸」東洋文庫(『弱法師』『摂州合邦辻』『文楽瑠璃集 』の「摂州合邦辻」比較)が楽しかった、

 なのでその流れに任せ、8日。京都往復の時間を利用して『さんせい太夫考』から「しんとく丸」と母子神信仰の世界 を読む。



 気になった点は二つ。

 1
 しんとく丸がや舞になったのは、継母の呪いと行った単純な者ではなく、観音様のお怒りにふれたというのが直悦的理由。

「親の因果が子に報い」…で、重くのしかかってくる。

 本書には詳しく載せられていたが、ここでは割愛させていただきたい

 2
『さんせい太夫考』「さんせい太夫」では 浜辺の風呂船と「しんとく丸」の四天王寺の軒下という『境界』についてのべられていた。

『さんせい太夫考』 「しんとく丸」では、四天王寺の軒下という『境界』と歌舞伎『曾根崎心中』天満屋(遊郭)の縁の下

『曾根崎心中』の縁の下でお初のことばに促され、心中を決意   132-133



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25: 『幸若舞』から「信田」東洋文庫(「さんせい太夫」「信田」関連:8 )

2012-02-07 | 説経節、幸若舞、舞の本等



 2012年  本

    25: 『幸若舞』から「信田」


 東洋文庫 855

 『幸若舞』から「信田」   169-237

        「解説 信田」369-372




17: 『古浄瑠璃 説経集』から「さんせい太夫」 岩波 新版古典大系


18:『さんせい太夫考』から「説経序説」「さんせい太夫の構造」岩崎武夫著 平凡社選書



19: 東洋文庫『説経節』から「山椒太夫」「注」「解説:山椒太夫」昭和44年3月



20:東洋文庫『幸若舞』「解説:信太」「解説」  岩波 新版古典大系『舞の本』「解説」



『説経節』厨子王丸& 『幸若舞』信太(平将門孫)& 『説経節』小栗判官 = 重瞳、双瞳


『閑吟集』118 情けは人のためならず 119 るゝるるるるるる るるるる ルンルン

24: 『舞の本』から「信田」70-101  岩波書店 新日本古典文学大系


25: 『幸若舞』から「信田」東洋文庫(「さんせい太夫」「信田」関連:8 )
 (←今回の記録)



 今回は題名などの記録だけで失礼いたします。














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24: 『舞の本』から「信田」70-101  岩波書店 新日本古典文学大系

2012-02-07 | 説経節、幸若舞、舞の本等
   (写真は 信田   『入門 奈良絵本・絵巻』石川透著から)



 2012年  本

    24: 『舞の本』から「信田」


 岩波書店

 新日本古典文学大系

 『舞の本』から「信田」  70-101



 岩波古典文学大系『説経節』「さんせい太夫」、 『説経節』「さんせいだゆふ」、 『さんせい太夫考』から「説経序説」「さんせい太夫の構造」を読み、『舞の本』や『幸若舞』の中に納められた「信田」が「さんせい太夫」徒に建てんが多いことを知る。

 確かに類似する部分が多い。

『舞の本』では「信田」を二度読む。

「さんせい太夫」「信田」ともに復讐物語だが、その内容は海の外の諸国に負けずといった残酷さだ。

 映画『切腹』をみたことがあるが、それどころではなかろう…。

 ヨーロッパの首切りも刃が厚く、上手くしに切れなかったと言うが、浜歩く民に木ののこを引かすとは…

「信田」では残酷な記述は短かったものの、指20本云々から始まる拷問には震えが生じた。


 ところで、「信田」を読んだあと、小松和彦氏の『異界を覗く』を読み終えた。

『異界を覗く』の異人を受け入れる宿のことが取り上げられていた。

 タイミングのせいだかなんだか、「さんせい太夫」「信田」の人身売買の宿を思い浮かべた。

『異界を覗く』では旅人を殺し金品を奪って豊かになるが、その因果が子に何らかの影響を与えたといった芝居のような言い伝えが書かれていた。












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『説経節』厨子王丸& 『幸若舞』信太(平将門孫)& 『説経節』小栗判官 = 重瞳、双瞳

2012-02-06 | 説経節、幸若舞、舞の本等




『幸若舞』「信太 しだ」 を読み、英雄伝説のひとつのパターンに出会った。

 厨子王丸& 信太& 小栗判官 = 重瞳、双瞳

 『説経節』小栗判官葉今のところ未読。

「信太 しだ」を一通り読了したところなので、次は東洋文庫でもう一度味わいたい。

   「説経さんせい太夫」と森鴎外「山椒太夫」  
 
   「説経さんせい太夫」と『幸若舞』「信太 しだ

 上二点の類似点と相違点を充分に味わいたい。

 

 

 

       重瞳(ちょうどう)、双瞳(そうとう)

 

 『説経節』「さんせい太夫」  厨子王

 『幸若舞』「信太 しだ」      平将門の孫   平将門(彼も重瞳)

 『説経節』「小栗判官」(未読)小栗判官も?   (『幸若舞』「信太」による)


 

 双瞳(そうとう)
 〔補説〕 「そうどう」とも
 [1] 一眼の中に二つのひとみがあること。奇人の人相。
 [2] 左右両方の目。両眼。


 重瞳(ちょうどう)
 厨子王が選ばれた理由は額の米三つと重瞳(ちょうどう)
 (19: 東洋文庫『説経節』から「山椒太夫」「注」「解説:山椒太夫」昭和44年3月)

    

 

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