乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

『夏目漱石最後の〈笑い〉『明暗』の凡常』第二章 4 細谷博 著 進典社 南山大学学術業書   メモ

2023-02-26 | 文学入門

 

 

 

 

 

『夏目漱石最後の〈笑い〉『明暗』の凡常』第二章 4 細谷博 著 進典社 南山大学学術業書   メモ

 

 

『夏目漱石最後の〈笑い〉『明暗』の凡常』

 第二章 3の続き

 

「気の能く廻る津田の頭」(80)

「技巧的な彼」(80)

「怜悧」

 小林→津田

「君という男は、非常に用意周到なようで何処か抜けているね。あんまり抜けますまい抜けますまいとするから、、、、、、、」

 

 ここまで読んではいたが、しばらく他の本を読み中断していた『夏目漱石最後の〈笑い〉『明暗』の凡常』。

 理由は簡単。

 夏目漱石著の『明暗』の読み進みが追いついていないため。

 

 とりあえず『夏目漱石最後の〈笑い〉『明暗』の凡常』を先へ進もうと端折ってはみたが、漱石の本文が私には追いついてないことが欠点となる。

 ページは、『夏目漱石最後の〈笑い〉『明暗』の凡常』の124頁まで進んだところで、一旦ストップ。

 付箋だらけで王冠をかぶったような『夏目漱石最後の〈笑い〉『明暗』の凡常』の状態には、我ながら恥ずかしさを覚える。

 

『夏目漱石最後の〈笑い〉『明暗』の凡常』を読むだけでも十分に興味深く、読む価値は十二分にある。しかしながら、私の性格としては原作を押さえておきたい。

 よって、ここしばらくは『明暗』そのものを先に進み、また『夏目漱石最後の〈笑い〉『明暗』の凡常』に戻ることにしようと思う。

 

 小林→津田

「君という男は、非常に用意周到なようで何処か抜けているね。あんまり抜けますまい抜けますまいとするから、、、、、、、」

から124頁にかけての中で次のことに興味を持った。

 吉川夫人の重要性が

 見合いの席での位置関係

 

そして興味を持った言葉は、

「良夫(おっと)というものは、ただ妻の情愛を吸い込むためのみに生存する海綿に過ぎないのだろうか」(P.111)

 原作に上の三点(青色)が出てくることを楽しみに、一旦『夏目漱石最後の〈笑い〉『明暗』の凡常』を横に置き参考にしながら、漱石作『明暗』の続きを読んでいくことにする。

 

 社会人入学か履修生になって国文を学びたいと思ってはいた。

 だが、コロナ禍に加え授業料の高さ、距離の遠さに意気消沈した私。

 今更ながらに、国文を専攻しておけば良かったという後悔は大きい。

 だが、このような良書を知り、本の力及びアドバイスを借りて、文学や古典を学ぶことができるのは嬉しい限りである。

 国文学の入門の一つとして、こう行った本を知ることができたのは、幸運というほかはない。

 

 では、古典に加えて、漱石の続きを読むことにする。

 加えて、遠野地方にも行ってみたいので、以前読んだが柳田國男の『山の人生』ほか多くを今一度読んでおこう。

 柳田國男全集の『山の人生』の載った巻は家族が持ち帰っているので、購入なり図書館でお借りしようと思う。

 やりたいことが多過ぎて、困るが、これも幸せな人生だとつくづく感じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 写真は興福寺 薪能

 

 

 みなさま

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『小林秀雄集』「徒然草」(昭和十七年八月) 筑摩現代文学大系 43  memo

2023-02-10 | 文学入門

 『小林秀雄集』「徒然草」(昭和十七年八月) 筑摩現代文学大系 43  memo

 

 

 小林秀雄の「当麻」に続き、「徒然草」を読むが非常に短い。

「徒然なる儘に、日ぐらし、硯に向ひて、、、、物狂ほしけれ」はあまりにも有名なフレーズだが、小林ひでをはその言葉の重要性から取り上げる。

 

「徒然草」は教科書にも出てきて、出だしのところは多くの方が知っていらっしゃると思う。

 実際に私も「徒然草」は岩波で何度かは読んだことがある。

 興味深いので、笠間書院刊の「徒然草」を購入していたが、情けないことに、未読。

 

 笠間書院刊「徒然草」 吉田幸一、大西善明 編

 

 笠間書院刊「徒然草」

 静喜堂文庫蔵 正轍筆

 

 永享三年三月廿七日

        非人 正轍(花押)

 

 

 さてさて、小林秀雄の「徒然草」に細々とて、戻りたい。

 

「徒然なる儘に、日ぐらし、硯に向ひて、、、、物狂ほしけれ」

 徒然草の名は、後人の思いついたもの(通例)

 どうも思いつきが、うますぎたようである。  (372)

 兼好の苦い心が、洒落た名の後に隠れた。

 一片の洒落もずゐ分色々なものを隠す。

 、、、、、、、、、、、、、、、、、

 徒然草という文章を、遠近法を謝らずに眺めるのは、思いのほかの難事である所以に留意することは良いことだと思う。(372)

 

「つれづれ」という言葉は、平安時代の詩人等が好んだ言葉の一つ。

 誰も兼好のように辛辣な意味を、この言葉に見出した者はいなかった。

 

「徒然わぶる人は、いかなる心ならむ。紛るゝ方なく、唯独り在るのみこそ良けれ」

「紛るゝ方なく、唯独り在るのみこそ良けれ」

「徒然わぶる人」は徒然を知らない、やがて何かで紛れるであろう。

 

 

 わぶるとは (ウェブ 古語辞典)

 【侘ぶる】わびしく思う。 気落ちする。

 わぶとは (古語日本語)

 わぶ【侘ぶ】

  1 辛と思う。嘆く。悲観する。

  2 困る。当惑する。

  3 心細く感じる。

  4 おちぶれる。貧乏になる。

  5 許を請う。

  6 閑寂な生活をする。 (補助動詞)~しかねる。

 

 兼好は徒然なる儘に書いたのであって、徒然わぶるままに書いたのではない。(373)

 徒然ワブルままに書いたのではないのだから、書いたところで彼の心が紛れたわけではない。紛れるどころか眼が冴えかへつて、いよいよものが見え過ぎ、物が解り過ぎる辛さを「怪う物狂ほしけれ」と言ったのである。

 

 兼好は誰にも似てゐない。よく引き合いに出される長明などは一番似てゐない。

 

   歌集(巻物)  京都国立博物館

   アカアカヤ アカアカアカヤ アカアカヤ アカアカヤ アカアカの月  長明

   仮名文字ばかりの歌が並ぶ中、鴨長明の和歌は突然カタカナで書かれていた。

   本当に真っ暗な夜空の中、赤い月が光光と眩しいくらいに照り出しているように感じた。

   この歌は今も私の心に刻まれている。

   この歌を考えると、兼好は少し違うかなとは感じる。

 

 彼には常に物が見えている、どんな思想も意見も彼を動かすに足りぬ。(373)

 

 

 

 

 

 

 筑摩現代文学大系 43『小林秀雄集』「徒然草」(昭和十七年八月)

『人と文学 小林秀雄』 細谷博著 勉誠出版

 

 

 

 みなさま、みてくださいまして、誠にありがとうございます。

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『小林秀雄集』「当麻」(昭和十七年四月) 筑摩現代文学大系 43  メモ

2023-02-09 | 文学入門

 

 

  『小林秀雄集』「当麻」(昭和十七年四月) 筑摩現代文学大系 43  メモ

 

 

 小林秀雄集の「当麻」を読了、といっても、大変短い!

「梅若の能楽堂で、万三郎の当麻を見た。」から始まる「当麻」

 僕は、星が輝き、雪が消え残ったと道を歩いてゐた。  (365)

 美しい。詩的だ。

 安部公房が使う「詩的ですね」は逆の捉え方をせざるを得ない場合もあるが、「僕は、星が輝き、雪が消え残ったと道を歩いてゐた。」は、純粋に美しい。

 能楽の「当麻」の念仏と星のきらめきが共鳴し合うような気がする。

 

 余談だが(いつも余談^^)能楽の「当麻」は何度か聴かせていただいたことがある。

 また、当麻寺も何度か訪れたことがある。

 さらに、子供の中高校と当麻寺は寺同士で深い関係にある。子供は中高のクラブで毎年当麻寺のお掃除をさせていただいていたこともあり、私にとっては親しみを感じるお寺。中将姫も割合に身近に感じる。

 

 能楽の「当麻」の中将姫はろのような薄衣に、特徴的な冠をつけ、舞う。

 阿弥陀如来の考えと尊さをといて舞うのだが、カケリでは迫力がある。

 この能楽を踏まえて、当麻寺の蓮で織られたという織物を目の当たりにすると、感動は込み上げてくるような気がする。

 

 、、、、白い袖が翻り、金色の冠がきらめき、中将姫はいまだ目の前を待ってゐる様子であった。それは会館の持続といふようなものとは、何か全く違ったものの様に思はれた。あれは一体何だったのだらうか、何と名付けたら良いのだらう、笛の音と一緒にツッツッと動き出したあの二つの真っ白な足袋は。(365)

 (写真は、「当麻」ではありません)

 

、、、、、、、、、、。世阿弥といふ人物を、世阿弥といふ詩魂と。、、、、、(365)

 

 

、、、、、、、、、、。いつ頃から僕等は。そんな面倒な情けない状態に堕落下のだらう。さう古い事でもあるまい。現に目の前の舞台は、着物を着る以上お面をかぶった方がよいといふ、さういふ人生がつい先だってまで厳存してゐた事を語ってゐる。

(ここで作者は、直面(ひためん)を表立てて、物事を追求して言っているのだろうことがわかる。)

 

 仮面を脱げ、素面を見よ、、、、、 (366)

 私は上の言葉が好き。

 小林秀雄は、あえて、直面(ひためん)とは言わず、素面と置き換え、伝えたいことを強調して書く。

 仮面を脱げ、素面を見よ、、、、、

 力強い。

 

 死に対する思想が、これほど単純な形をとり得るとは。、、、、、、、、あの慎重な工夫された仮面の内側に入り込むことはできなかったのだ。世阿弥の「花」は秘められている、確かに。(366)

 (『風姿花伝』を思い浮かべる)

 

 人間の生きる顔の表情の様なやくざなものは、お面で隠して了ふがよい。彼が、もし今日生きてゐたなら、さう言いたいかもしれぬ。

 僕は星を見たり雪を見たりして夜道を歩いた。あゝ、去年の雪何処に在りや、いや、いや、そんなところに落ち込んではいけない。僕は、再び星を眺め、雪を眺めた。(366−367)

 

 あゝ、

 いや、いや、

と、わざと間隔を置いて区切っているのが印象に残る。

 僕は、再び星を眺め、雪を眺めた。に続く。

 そして書き出しの、僕は、星が輝き、雪が消え残ったと道を歩いてゐた。に戻る。

 回想が繰り返される様に感じた。

 

 

 

 梅若万三郎(うめわか まんざぶろう)は能楽シテ方観世流梅若家の分家当主名。

 梅若万三郎 (初世) (1869年(明治元年)- 1946年(昭和21年)):梅若実 (初世)の長男。

 梅若万三郎 (2世) (1908年(明治41年)- 1991年(平成3年)):初世の子。

 梅若万三郎 (3世) (1941年(昭和16年)- ):二世の子

「当麻」が書かれた時点では、梅若万三郎 (初世) 

 

 

 

 筑摩現代文学大系 43『小林秀雄集』「当麻」(大正十三年七月)

『人と文学 小林秀雄』 細谷博著 勉誠出版

 

 

 

 みなさま、みてくださいまして、誠にありがとうございます。

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『人と文学 小林秀雄』2 「『無常といふ事』と沈黙」 細谷博著 勉誠出版    memo

2023-02-09 | 文学入門

 

  

『人と文学 小林秀雄』2 「『無常といふ事』と沈黙」 細谷博著 勉誠出版    memo

 

 前回は「一ツの脳髄」について書かれた箇所を読んだが今回は『無常といふ事』と云う言葉の響きと、『当麻』『徒然草』に惹かれ、「『無常といふ事』と沈黙」を読む。

 本書を頼りとして、小林秀雄の『当麻』或いは『徒然草』を読んで見たいと思う。

 

『無常といふ事』(小林秀雄)は『カラマアゾフの兄弟』と並行して、以下の作品を連載されたそうだ(135)

   『当麻』

   『無常といふ事』

   『徒然草』

   『西行』

   『実朝』

 

 本書で、〈「対象(もの)」を前にした「経験」〉と云う言葉の魔力に取り憑かれるが、如何にせん、難しい。(135)

 自分の無力さを、恨む。

〈「対象(もの)」を前にした「経験」〉(135)

   『オリンピア』

   『満州の印象』

 

「仮面を脱げ、素面を見よ」と喚きながら(136)

となれば、是非とも『当麻』が読みたいと感じる。

 

「いかにかすべき我心」と云う「呪文」を繰り返した『自意識人』西行は、何事かを「我慢」しているのだ、と小林は言う。「自然」は彼に「謎」をかけて苦しめ、彼より孤独にする。すなわち、孤独はここで何より「守られる」ものとしてある。(138−139)

 ここの記述、かなり好きだと感じる。

 こうなると、『西行』から読むべきか、、、

 

 実篤の孤独は、強いられたもの(139)

 

《文学者ほど言葉に対して神経質なものはない。百円の言葉で必ず百円のものが買えるやうに大事な言葉を使いたい、これが文学者の願いです。

      (「文学者の提供について)」   (141)

 

 

『人と文学 小林秀雄』の「『無常といふ事』と沈黙」には「本居宣長」を引いた小林秀雄についての記述もある。

   『一言放談抄

「充ち足りた時間」を思い出し、本居宣長の思想を「解釈を拒絶して動じない者だけが美しい」と想起し、「記憶するだけではいけないだろう。思ひ出さなくてはいけないだらう」と考える。(137)

 

 

 

『人と文学 小林秀雄』 細谷博 著 勉誠出版 

 

 さて、どれから読もうかと、嬉しい悩み。

『人と文学 小林秀雄』は小林秀雄の作品を読みたいと思い、また、読むきっかけを与えてくださる良書。

 

 みなさま、拙ブログにお越しくださいまして、誠にありがとうございます。

 

 

 

上と以下の写真はアブヤネ(アブヤーネ)

 

先日ふとアブヤネを思い出した。

いや違う。

アブヤネは良い思い出が多い。

好きな村で、度々昔話を思い出してはほくそ笑んでいる。

 

アブヤネには二回訪れた。

そのうちの一回は、2008年だったんだ。

バラの模様。スカーフ風な巻き方をしたヘジャブの女たちが印象深い。

ついこのあいだのように感じる、、、

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『夏目漱石最後の〈笑い〉『明暗』の凡常』第二章 3 細谷博 著 進典社 南山大学学術業書   メモ

2023-02-08 | 文学入門

ネムルート (トルコ)

この写真は、夕暮れ

ネムルートは翌日、朝日も見に行った。

 

 

 

『夏目漱石最後の〈笑い〉『明暗』の凡常』第二章 3 細谷博 著 進典社 南山大学学術業書   メモ

 

 

『夏目漱石最後の〈笑い〉『明暗』の凡常』

 第二章 2の続き

 

「気の能く廻る津田の頭」(80)

「技巧的な彼」(80)

「怜悧」

 小林→津田

「君という男は、非常に用意周到なようで何処か抜けているね。あんまり抜けますまい抜けますまいとするから、自然手鎌わちかnねるわけかんね。」

 (小林の語る津田像は、今現在の時点では私は好きかもしれない。夏目漱石の『明暗』そのものを読んで、話の展開によっては、この感情は変わる可能性もあるのだが、、、読み手の女性心理とは不思議なものだと、自分のことながら、思う。)

怜悧とは(goo辞書)

 頭がよく、りこうなこと。

 

 自尊の人である津田のただ中にある迂闊さは滑稽であり、親しみさえ感じさせる。(81)

 

 賢明であろうとしながら、なお人間を相手にうろたえ、驚き続ける、生身の感受する者の姿がここにある。お延はそうした津田の〈驚き〉の対象となることで、さらにヒロインとしての輝きを持って現れてくるのだ。(81)

 

 

 

 

 

   本書では 次はいよいよ、吉川夫人と津田について語られている。

   私にとっては、待ってました!の吉川夫人と津田である。

   第二章 4につゞく

  

 みなさま

 お越しくださいまして、ありがとうございます。

 

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『夏目漱石最後の〈笑い〉『明暗』の凡常』第二章 2 細谷博 著 進典社 南山大学学術業書   メモ

2023-02-08 | 文学入門

 

 写真はターケボスターン(イラン)

 

 

『夏目漱石最後の〈笑い〉『明暗』の凡常』第二章 2 細谷博 著 進典社 南山大学学術業書   メモ

 

 

『夏目漱石最後の〈笑い〉『明暗』の凡常』第二章を読んでいたが、メモが遅れる。

 

 今回は 10会話と〈講釈〉から

 

「いやよ、私。

 津田とお延の会話において、

 津田の驚きぶりとその誇張された表現に注目すべきである。(65 著者)

 

 お延はすぐに断った。(67)

   おおげさな比喩の繰り返し

   驚きが誇張されている。

 

 巧みな会話

「厭よ」(67)

 夫の冷ややかな反応。(68)

 

 夫の冷ややかな反応が、こなれた弾みのあるやりとりとなって現れている。(68)

 少々芝居がかっているが、巧みに描かれた日常の一コマとして、上出来の脚本のような生きの良さがあるだろう。

 

 実際は

「どうだ御前岡本さんへ行って一寸融通して貰って来ないか」

「厭よ、あたし(68)

 

 手術前に、吉川に挨拶に行く津田

 彼は時々こういう事実を背中に背負って見たくなた。、、、、、、、そうして彼氏真は飽くまでも用意のためにわざわざ此処へ来たものと自分を解釈していた。(78)

(この部分も、私は好き。)

 

「目をぱちつかせ」る等の津田の驚く姿が現れる。(81)

(お延はまだ、芝居に行くつもり)  

 

 

 

   外出のため、第二章 3につゞく

  

 みなさま

 お越しくださいまして、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

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 『小林秀雄集』「一ツの脳髄」(大正十三年七月) 筑摩現代文学大系 43  メモ

2023-02-04 | 文学入門

 

  『小林秀雄集』「一ツの脳髄」(大正十三年七月) 筑摩現代文学大系 43  メモ

 

 

 小林秀雄集の「一ツの脳髄」を読む。

 まずはじめに題を見て、「一つの脳髄」ではなく、「一ツの脳髄」という点に、細胞単位でまで考えられたような、そんな作者の遊び感覚に心地よさをもつ。

「一つの脳髄」ではどんよりとした感覚を受け、「一ツの脳髄」はアップテンポで、これから展開されようとする面白みに興味が、読者の心を引きずり込む。

 小林秀雄はそのようなところまで計算されている人物なのかと、薄ぼんやりと感じる。

 

「一ツの脳髄」は難しく、一度読み流しても正直私にはわからない。

 特徴的なのは、私の好きそうな比喩表現が多いこと。

「一ツの脳髄」から レトリックを抜き出し写すだけでも、相当な量になる。

 レトリックが多すぎると悪文だと云う方もいらっしゃるが、小林秀雄や安部公房は的確なところで読者が心地よくなる言葉を操る言葉の持ち主だと感じた。

 

「一ツの脳髄」を読んで  小林秀雄の文で感心したこと

 1 波、波動を詳しく書かれている。ここのレトリックも好きだ。

 2 脳髄の比喩表現が好き

 3 内容は難解で、私が小説で好む分野の一つ、分裂症(今でいう、統合失調症)気味であるように感じるが、読み間違いかもしれない。

 4 カタカナと漢字の使い方の上手さ

 5 繰り返しの上手さ

 6 あえて濁音にする上手さ 

 

 

 

 、、、馬鹿馬鹿しい善良な顔が私を悩ました。、、、、私だだツ広いおでこの内側に駝鳥の卵のような、黄色い、イヤにツルツルした脳髄が入ってゐる事を想像した。女の喋る言葉が、次々にその中で想像されてゐるなどと考えた。、、、、、  (230)

 

 、、、、、、、、

 女中は床を敷きに来ると、「おやすみなさい」と丁寧にお辞儀をして障子を閉めた。---駝鳥の卵が眠る---私は、もう滑稽な気はしなかった。 【230)

 

 友人のところへ行き、目の覚める薬をくれというと墓のような薬をくれた(要約)

 、、、医者は「そんなものはもう止めたまえ。心臓を悪くする。眠らせたり、覚ましたり、君は自分の頭を玩具にしてゐるんだね。」と云った。(231)

(さほど重要な部分ではないかもしれないが、この医者の言葉に好意を持った)

 

 、、、、、足元から見詰めて歩いて行く私の目には、脳髄から滲み出る水のように思はれた。水が浸む、と口の中に呟きながら、自分の柔らかい頭の表に、一足一束下駄の歯を差し入れた。、、、、脳髄に着いた下駄の跡と一つ一つ符号させようと苛立った。、、、、

 茫然として据ゑた眼の末に松葉杖の男の虫の様な姿が私の下駄の跡を辿ってヒヨコヒヨコと此方にやって来るのが小さく小さく見えた。 (232−233)

 

 

『人と文学 小林秀雄』(細谷博著 勉誠出版)では以下のように書かれている。

「一ツの脳髄」は、自分の脳髄が異様な物質と感じられるまでに先鋭化した自意識のありようを、滑稽味さえともなった恐怖や不安とともに描き出している。  (31)

 

 

 

 

筑摩現代文学大系 43『小林秀雄集』「一ツの脳髄」(大正十三年七月)

『人と文学 小林秀雄』 細谷博著 勉誠出版 

 

 みなさま、説ブログにお越しくださいまして、誠にありがとうございます。

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『夏目漱石最後の〈笑い〉『明暗』の凡常』第二章 1 細谷博 著 進典社 南山大学学術業書   メモ

2023-02-03 | 文学入門

 

『夏目漱石最後の〈笑い〉『明暗』の凡常』第二章 1 細谷博 著 進典社 南山大学学術業書   メモ

 

 

 『夏目漱石最後の〈笑い〉『明暗』の凡常』第二章を読む。

 

 深刻な内容にもかかわらず、医者のことばが妙に捌けていると、『明暗』(おそらく1)の感想で書いたが、本書ではそこを詳しく書かれていた。(50)

 

 小林秀雄はかつて、〈患者であること〉について、サルトルの「シチュアシオン」という言葉にふれて次のように述べたことがある。 54

  、、、、、、、、、、小林秀雄「読者 考えるヒント」1959

 

『シチュアシオン』(Situations)とは

 ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre)の評論集 10巻

 

サルトルとは

 ジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトル

 1905年6月21日 - 1980年4月15日

 フランスの哲学者、小説家、劇作家。

 内縁の妻はシモーヌ・ド・ボーヴォワール。

 右目に強度の斜視があり、1973年にはそれまで読み書きに使っていた左目を失明した。

 自分の意志でノーベル賞を拒否した最初の人物である。

 実存哲学の代表者

『存在と無』などの思想を、小説『嘔吐』、戯曲『出口なし』などで表現した。

 

 

実存哲学とは (旺文社世界史事典 三訂版)

〘名〙 (Existenzphilosophie の訳語)

 合理主義や実証主義に反対して、人間を理性や科学でとらえられない独自な存在とし、この人間の実存の構造と問題性を明らかにしようとする哲学。

 広くはキェルケゴール、ニーチェ、ハイデッガー、ヤスパース、マルセル、サルトルらの哲学を含むが、厳密にはヤスパースの哲学をさす。

 特に、第一次世界大戦以後に盛んになった。

 

ヤスパースとは(ウィキペディア)

 カール・ヤスパース(独: 1883年2月23日 - 1969年2月26日)

 ドイツの哲学者、精神科医であり、実存主義哲学の代表的論者の一人である。

 現代思想(特に大陸哲学)、現代神学、精神医学に強い影響を与えた。

『精神病理学総論』(1913年)、『哲学』(1932年)などの著書が有名。

 ヤスパースは、その生涯の時期ともあい合わさって、3つの顔を持っている。

     精神病理学者

     哲学者(神学者)

     政治評論家

 

(今思えば、安部公房氏も実存主義的だったなと思う。)

 

 

実存哲学とは (デジタル大辞泉)

 絶望と不安,虚無と不条理にさらされる人間の現実存在を追求する現代哲学 実存は本質に先だつものであり,それゆえ,人間は自己の条件と存在の意味をみきわめ,みずからの力で自己を形成しなければならないとする。

 19世紀にキェルケゴールに始まり,ニーチェをへてヤスパース・ハイデッガーが体系化し,第二次世界大戦中,サルトル・カミュらが発展させた。

 

  小林秀夫

 『明暗』の医者の小林 (津田の学友)55

     友人の小林と医者の小林

     →津田の弱点を知る

      癒す者あるいは害する者

 

「彼の子」と「彼の子」  56-58

  別の女性

 

 

『明暗』の対句的表現は、その文脈に、誇張や滑稽味を伴ったリズムの動因を与えている。67

 

 妻の拒否と夫の冷ややかな反応

 二人の会話を面白く感じ、特にお延の会話が劇中劇のようだという感想を書いていたが、本書では次のように書かれている。

  少々芝居がかっているが、会話場面から、地の文の一部のみ残してほとんど削ったもの。68

 また本書の別のページでは千木のように書かれていたことを思い出す。

  まるでテンポの良い脚本のようで、面白い(要約) (ページ忘れる)

 

 

 メレディス 喜劇作家

『エゴイスト』

メレディスとは

 1785.10.18. 〜1866.1.23.

 イギリスの小説家,詩人。 

 

 

 

 長くなりますので、『夏目漱石最後の〈笑い〉『明暗』の凡常』第二章  2に続く  

  

  

 みなさま

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『夏目漱石最後の〈笑い〉『明暗』の凡常』 1  細谷博 著 進典社 南山大学学術業書    メモ

2023-02-02 | 文学入門

二月、青蓮院(京都)にて

 

 

『夏目漱石最後の〈笑い〉『明暗』の凡常』 1  細谷博 著 進典社 南山大学学術業書   メモ

 

 

 夏目漱石の『明暗』の雰囲気がわかり始めたので、『夏目漱石最後の〈笑い〉『明暗』の凡常』を読み始める。

 というか恥ずかしい話だが、十代の頃『明暗』を読んでいた事を、〈お延〉それにも増して、〈吉川の細君〉との会話が始まったところで思い出した。

 夏目漱石の有名な小説は十代でほとんど読んだと記録しているが、『明暗』もそのうちの一冊だった。

 だが、読み方が悪く、理解はおろか覚えていないのが、本当のところ。

 夏目漱石は書生に対しての言動で、私の場合はこの作家の多くを読むことは断念したことを覚えているが、今となっては些細なことだった。

『明暗』は実に面白い。

 そして、『明暗』を取り上げられた『夏目漱石最後の〈笑い〉『明暗』の凡常』は実に丁寧に読者に語りかけ、読書の姿勢を促す。

 

 まだじゅわまでしか読めてない『明暗』だが、面白く感じたところ、奇妙だと思ったところなど興味の持った箇所を、本書は説明してくださっている。

 例えば、私の場合、

  実際に読んでみればー何度も繰り返すが『明暗』は大変面白い小説。それは一見重厚と見えて、実におかしみに満ちている。皮肉で飄々とした軽みを持ち、自在で軽快な流れと見えながら、なおかつシリアスな追いかけもはらんでいる。(31)

とある。

 まだ小説の重話までだか、上のような内容は、津田と妻のお延との会話でさえ感じ取れる。

 二人の会話と態度がかみ合っているのかいないのか、リアルなのかリアルでないのかがわからないほど面白く、読者の私はお延の言葉を〈劇中劇〉のようにさえ感じてしまった。

 

  また『明暗』は、たんに 事実のありそうなリアリティを追求しただけの小説ではなく、より意識的な〈まれた世界〉を見ることができる。(45)

とも記されている。

 

 

 吉川夫人

   津田の援護者、且つ、お延の天敵  (38)

 上にも書いたが、この〈吉川の細君〉で、読んだことを思い出した。

 

 

 

 最後に『夏目漱石最後の〈笑い〉『明暗』の凡常』第一章で筆者の書く好きな言葉があったので、記録しておきたい。

 人は誰しも自身を感受している。そして「自分」という意識をひたすらに把持し、保とうと欲する。そうした、逃れようもない自己意識の轡縛の下に置かれたものの裡に、しばしば生じるものが孤立であり、孤独である。それは、現代のわれわれにとっては、ごく当たり前の自己の感触の一部であり、生の証しとさえ感じられるものだが、ともするとそこには「恐ろしい魔の支配する」深みが口を開くというものだ。  (23)

 

 

 

 みなさま

 お越しくださいましてありがとうございます。

 みなさまのおかげで、楽しい時間を過ごさせていただいております。

      感謝合唱   乱鳥

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『明暗』4   夏目漱石全集 8 筑摩全集類聚 昭和46年  〈十話〉まで

2023-02-02 | 文学入門

 

 

 『明暗』4   夏目漱石全集 8 筑摩全集類聚 昭和46年  〈十話〉まで

 

 

「ところが癒らない。愈(いよいよ)厄介なことになっちまった」   6

といい、妻の話を聞き捨てて表へ出る。

 

「でもそれは悪いわ、貴方。せっかくああ云って呉れるものを断っちゃ」  7

と、芝居を断るのをためらう妻。

 状況が状況だけに、アクセントをつければ、喜劇にもなりうる。

 私のような一般凡人にはリアリティのない内容で、劇ちゅ劇のように感じてしまう妻。

 

 妻の名は、お延」    9

 

 お延が一概に津田の依頼を退けたのは、夫に同情がないというよりも、寧ろ岡本に対する見栄に制せられたのだという事が漸く津田の腑に落ちた。 13

 

 岡本

 お延の叔父

 芝居の券を津田、お延夫婦に進呈しようとしていた人物。

 

 吉川   14

 お延側の重役

 ここでも『夏目漱石最後の〈笑い〉 『明暗』の凡常』が役に立つ。関係性がわかりやすい。

 

 事実を言うと津田は吉川よりも却って細君の方と懇意であった。足を此処まで運んで来る途中の頭の中には、既に最初から細君に会おうという気分が大分働いていた。   15

 リアリティに欠けるシャボン玉のような妻に対して、えらくリアルな男性心理ではないかと思わせ、女性が読むと多少ハラハラさせる表現。

 

 津田と吉川の細君との一件サバサバとした会話で、〈十話〉は終了する。

 

 

 『悪夢』1857年

  フレディック・サンディーズ

  ビクトリア・アンド・アルパート博物館

  あべのハルカス美術館「アリス展」にて

  今回の美術展の中で『悪夢』と、ダリの作品(3点ほど)が好きでした。

 

 

 

 

 

 『明暗』4   夏目漱石全集 8 筑摩全集類聚 昭和46年 332ページ

 『夏目漱石最後の〈笑い〉 『明暗』の凡常』 細谷博 著 進典社 南山大学学術業書

 

 

 

 みなさま、お越しくださいましてありがとうございます。

 感謝しております^^

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太宰治全集 2 小説1から 『魚服記』(筑摩書房)   〈馬禿山〉メモ

2023-02-01 | 文学入門

何度と無く訪れたナクシェ・ロスタム

ここでは子供達と遊んだり、ノネズミ相手に、量り売りのパイ歌詞を食べていたことを思い出す。

管理人の一人とは、家族のみならず、いつしか私まで顔なじみになっていた^^

 

 

 

 

 

太宰治全集 2 小説1から 『魚服記』(筑摩書房)   〈馬禿山〉メモ

 

 

 しょっぱなから、響きのよい山の名が飛び込んでくる。

 馬禿山という形も綴りも面白い山。

 

 心地が良いので調べてみると、馬禿山の近くには、太宰ミュージアムがある。

 太宰の故郷のようだ。

 

 
 馬禿山とは (太宰ミュージアム https://dazai.or.jp/modules/spot/index.php?lid=42&cid=7)

  標高175m
 
  中腹にある赤土の部分が八の字に禿げていて樹木が無い。
 
  小山の二箇所に草木が生えていない場所(シラス地層)がある。

 
  奥州平泉で自害したといわれている源義経が、伝説では生き延びて、北へ亡命中に蝦夷地へ船で渡ろうとし、まだこの地が海だったため、船がぶつかり禿となったといわれている。

  また、弁慶の乗った馬があまりに速く走り、曲がりきれず山を蹴ったときの足跡とも言われている。
 
 
  藤の滝と同じく太宰の小説「魚服記」の舞台となった場所。

 

 太宰ミュージアム

  青森県五所川原市金木町喜良市喜良市山

 

 

馬禿山とは(青森)
 
 馬禿山のすぐ近くまでは、車で進めますが、林道のため舗装されていません。どうしても禿げている場所に登りたい人は、登山道がないため自己責任で登ってください。

 標高175mの馬禿山。中腹にある赤土の部分が八の字に禿げていて樹木が無く、小山の二箇所に草木が生えていない場所(シラス地層)があります。
 奥州平泉で自害したといわれている源義経が、伝説では生き延びて、北へ亡命中に蝦夷地へ船で渡ろうとし、まだこの地が海だったため、船がぶつかり禿となったといわれています。
 また、弁慶の乗った馬があまりに速く走り、曲がりきれず山を蹴ったときの足跡とも。藤の滝と同じく太宰の小説「魚服記」の舞台となった場所です。
 
 
 ネットで見ていると面白そうな論文に出くわした。
 
 https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/DO/0032/DO00320R083.pdf
 佛教大学
 
   「魚服記」論
      ー『山の人生』と比較を中心としてー
             青木 京子
 
 
 柳田國男も『山の人生』も好きだ。
 
 また、青木 京子氏の書かれている論文のキーワードも面白そうだ。
 
『太宰治』の著者である細谷博氏も『山の人生』について書かれていた。
 
 子供には読むようぬ進めたが、人に勧める前に、私自身がもう一度読み返さなければいけない本の一冊だと感じる。
 
 
 
 青木 京子
 https://archives.bukkyo-u.ac.jp/repository/baker/search-G0000019ronshu?q=&author=青木京子&count=20
 https://cir.nii.ac.jp/crid/1050850788622669440
 太宰治の研究者
 
 
『太宰治』細谷博 著 岩波新書560 参考により、『魚服記』の〈馬禿山〉を調べる。
 
 
 
 みなさま、とりとめもない記録にお付き合いくださいまして、誠にありがとうございます。
 
 感謝しております^^
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太宰治『魚服記に就て』  細谷博 著『太宰治』に記された『魚服記』が気になっったので、『魚服記に就て』を書き写す。

2023-02-01 | 文学入門

 

    太宰治『魚服記に就て』  細谷博 著『太宰治』に記された『魚服記』が気になっったので、『魚服記に就て』を書き写す。

 

   

太宰治全集 11 随想 (筑摩書房) 『魚服記に就て』を写す   P.5

 

 

『魚服記に就て』

 魚服記といふのは支那の古い書物にをさめられてゐる短い物語の題ださうです。それを日本の上田秋成が飜譯して、代も夢應の鯉魚と改め、雨月物語巻二に収録しました。

 私のせつない生活をしてゐた期間にこの雨月物語をよみました。夢應の鯉魚は、三井寺の興義といふ鯉の書のうまい僧の、ひととせの大病にかかつて、その魂魄が金色の鯉となって琵琶湖を心ゆくまで逍遥した、といふ話なのですが、私は之をよんで、魚になりたいと思いました。魚になって日頃私を辱しめ虐げてゐる人たちを笑つてやらうと考へました。
 私のこの企ては、どうやら失敗したやうであります。笑つてやらう、などといふのが、そもそもよくない料簡だつたのかも知れません。

 (筑摩書房 太宰治全集 11 『魚服記に就て』を写す)

 

 

「夢応の鯉魚」について  (http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nobu-nisi/kokugo/muounorugyo.htm)

 昔、三井寺に興義といふ僧がいた。 絵がうまく、湖で漁師から買い取って湖水に放した魚を描いているうちに、見事に描けるようになった。 ある時、湖水で魚と遊ぶ夢を見たのを絵に描いて「夢応の鯉魚」と名付けた。

 

魂魄(こんぱく)とは (精選版 日本国語大辞典)

〘名〙 (「こんばく」とも。「魂」は心、「魄」は心のよりどころとなる形あるもの) 心身。または、たましい。霊魂。 ※菅家文草(900頃)三・路遇白頭翁「已無二妻子一又無レ財、容体魂魄具陳述」 〔春秋左伝‐昭公七年〕 [補注]「観智院本名義抄」には「魂魄」を掲げ、「魂」に対して「ヲタマシヒ」、「魄」に対して「メタマシヒ」の訓を記すと共に、両字について「二並タマシヒ」とある。

 

逍遥(しょうしょう)とは  (とデジタル大辞泉)

[名](スル)気ままにあちこちを歩き回ること。そぞろ歩き。散歩。「郊外を逍遥する」 [類語]歩く・ぶらつく・ほっつく・散歩・散策・漫歩・漫遊・巡歴・足任せ・そぞろ歩き・遊歩・行脚あんぎゃ・跋渉ばっしょう・杖を曳ひく

 

虐げる(しえたげる)

 しいたげるに同じ。

 

 

『太宰治』細谷博 著 岩波新書560 215ページ

太宰治全集 11 随想 (筑摩書房) 『魚服記に就て』

 

 

 

 

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『太宰治』2  細谷博 著   筆名の〈軽み〉/ 『魚服記』  岩波新書560

2023-02-01 | 文学入門

キャンドバーン イラン

 

 

    『太宰治』2  細谷博 著   筆名の〈軽み〉/ 『魚服記』  岩波新書560

 

 

 詳しく親切に解説されている書、『太宰治』  乱鳥のノート

 

『たづねびと』

『津軽』 子守、たけ  17

 

 文学への目覚め  17

   芥川に影響を受ける

 

 筆名の〈軽み〉  18-

   ダ ザイン(現存在)

   ダダイズム

   太宰府(菅原道眞)

   堕罪(罪悪感から)

これらのように諸説があるが、筆者は、「筆名の〈軽み〉」と捉えられている。

 

ダ ザインとは

 Dasein (ダーザイン、ドイツ語発音: [ˈdaːzaɪn])は、ドイツ語

 文字どおりに直訳して「ここにいる」という意味である。

 哲学用語でもあり、現存在(げんそんざい)とも訳されている。

 

Dasein    『ウィキペディア(Wikipedia)

 ダーザイン、ドイツ語発音: [ˈdaːzaɪn])は、ドイツ語で文字どおりに直訳して「ここにいる」という意味である。

 哲学用語でもあり、現存在(げんそんざい)とも訳されている。

 

現存在とは

 デジタル大辞泉《(ドイツ)Dasein》ハイデッガーの実存哲学の用語。自己を現にそこ(da)にあるものとして自覚する存在。人間的実存のこと。

 

『列車』   22

 作家になろうと密かに願望する出発の象徴作品

 作家 太宰治の誕生     

 

『思い出』

『魚服記』(少女)

 

『魚服記』   23

 タイトルの漢字の並びと響きが気にかかった。

 また、本書にもこのように載っていた。

  小屋を飛び出したスワは、吹雪の中「おど!」っと一声叫んで身を投げる。気がつくと鮒に返信しており、、、、、、「くるくると木の葉のように吸い込まれた」

 

『魚服記』とは(世界大百科事典)

…そのなかで《葉》(1934)は習作の断簡によって構成された異色の作品。左翼運動からの転向後最初に書かれた《思ひ出》(1933)は幼年期から中学時代までの特異な感受性の成長をすなおに描き出した自伝的小説であり,《魚服記》(1933)は作者の内面の苦悩と民話的世界とが一体となった変身譚である。作者のユーモアやストーリー・テラーとしての才能を生かしたものに《ロマネスク》《彼は昔の彼ならず》(ともに1934)などがある。…

 

『魚服記』を見ると、多くの論文が出てきた。

 何か重要な作品らしい。

 今は本書『太宰治』を先に進み、自分なりに勉強させていただきたいとは思っているが、書いている作品はいずれ全て読もうと思っている。

 太宰治は以前は文庫本を何冊かは持っていたが、全集は持ってない。

 幸い、図書館の近日中の長期休みを理由に分厚い全集の何冊かをお借りした。

 数冊の全集に、上の作品が載っていたらと思う。

 

『魚服記』   23

 再度の投身

〈再度の投身〉をどう考えるか、多くを論じられている。

 上にも書いたが、ネット上で公開されているものだけでも多くの論文が公開されていたので、〈再度の投身〉ついて書かれたものもあるのだろうと感じた。

 

『魚服記』   24

 『雨月物語』「夢応の鯉魚(りぎょ)」

   読みたくなったが、『上田秋成集』の(日本古典文学全集 赤)には『魚服記』 は載ってない。

   緑には『雨月物語』や上田秋成がなかった、、、

 

『山の人生』柳田國男  24-

 

 本書には井伏鱒二の話が出てくる。

 太宰治全集を選んでいるときに、確か、井伏鱒二や川端康成の解説(?)が載っていたような気がする。

 こういった関係性も、重要だと今になって再確認した。

 

『思い出』

 

 中途半端だが、今は27ページまで。

 

 話はずれるが、我が学生時代には、大江健三郎が流行っていた。

 特に京都の某大学男子学生は、ジーパンの後ろポケットに大江健三郎をの文庫本を密かに(実は目立たせて)忍ばせておくのが流行っていた。

「僕は、京 大●生ですよ、、、」

って、奇妙なアプローチが流行っていたことを思い出す。

 

 

 

『太宰治』

細谷博 著

岩波新書560

215ページ

 

 

 

 

コメント (2)
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『明暗』3   夏目漱石全集 8 筑摩全集類聚 昭和46年

2023-01-28 | 文学入門

 

 

 『明暗』3   夏目漱石全集 8 筑摩全集類聚 昭和46年

 

 筑摩全集類聚『明暗』 5頁の三 を読むと、〈津田〉 登場。

『夏目漱石最後の〈笑い〉 『明暗』の凡常』の登場人物関係図で確かめると、大変わかりやすい。

 

『明暗』の〈人物関係図〉を一目見て思い浮かべたのが『●氏●●』の人物関係図の縮図(1/2〜1/3)(もちろん、私の理解の間違いかもしれない。)

 インパクトのある人物関係で、物語の文法に則った気がした(が、上にも書いたが、感じ間違いなのかもしれない。私は『明暗』の全体の展開を知らない。)

 

 何れにしても、〈人物関係図〉に津田という名を認めたのは、舞台で好きな役者が出てきたように眩い思いがした。

 

           アホやなぁ〜、私って。

 

 

 

 ここから先は、ほとんど書き留めず、先に読み進む予定です。

 

 『悪夢』1857年

  フレディック・サンディーズ

  ビクトリア・アンド・アルパート博物館

  あべのハルカス美術館「アリス展」にて

  今回の美術展の中で『悪夢』と、ダリの作品(3点ほど)が好きでした。

 

 

 

 

 

 『明暗』3   夏目漱石全集 8 筑摩全集類聚 昭和46年 332ページ

 『夏目漱石最後の〈笑い〉 『明暗』の凡常』 細谷博 著 進典社 南山大学学術業書

 

 

 

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『明暗』2   夏目漱石全集 8 筑摩全集類聚 昭和46年

2023-01-27 | 文学入門

 

 

 

 『明暗』2   夏目漱石全集 8 筑摩全集類聚 昭和46年

 

 筑摩全集類聚『明暗』で、好きな部分を抜き出す。

 

 、、、、、突然彼は心の中で叫んだ。

「精神界も同じだ。精神界も全く同じことだ。何時どう変るか分からない。そうして其変る所を己(おれ)は見たのだ」  5

 

 彼の頭は彼の載っている電車のように、自分自身の軌道(レール)の上に走って前に進む丈(だけ)であった。  5

 

「どうして彼の女(あのおんな)は彼所(あすこ)へ嫁に行ったのだろう。それは自分で行こうと思ったから行ったに違いない。然し何(どう)しても彼所(あすこ)に嫁に行くはずではなかったのに。そうして此己(おれ)は又何(どう)してあの女と結婚したのだろう。それも己(おれ)が貰おうと思ったからこそ結婚したに違いない。然し己(おれ)は未だかって彼の女(あのおんな)をもらおうとはおもっていなかったのに。偶然ポアンカレーの所謂複雑の極致?何だか解らない」  5

 ポアンカレ(Poincaré)とは

 フランス語圏の姓。

 ポアンカレ (小惑星) - アンリ・ポアンカレに因んで名付けられた小惑星。

 レイモン・ポアンカレ(1860年 - 1934年) - フランス第三共和政期の大統領。アンリの従弟。

 アンリ・ポアンカレ(1854年 - 1912年) - フランスの数学者。

 ここでは、数学者。

 

 

 ここから先は、ほとんど書き留めず、先に読み進む予定です。

 

 『悪夢』1857年

  フレディック・サンディーズ

  ビクトリア・アンド・アルパート博物館

  あべのハルカス美術館「アリス展」にて

  今回の美術展の中で『悪夢』と、ダリの作品(3点ほど)が好きでした。

 

 

 

 

 

 『明暗』1   夏目漱石全集 8 筑摩全集類聚 昭和46年 332ページ

 『夏目漱石最後の〈笑い〉 『明暗』の凡常』 細谷博 著 進典社 南山大学学術業書

 

 

 

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