乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

昭和51年12月 時雨の炬燵 2世中村鴈治郎 中村扇雀(坂田藤十郎) 嵐璃かく 嵐三右衛門 中村松若

2023-05-31 | TVで 歌舞伎・能楽

 

 歌舞伎『時雨の炬燵』 昭和51年12月 南座  2世中村鴈治郎 中村扇雀(坂田藤十郎) 八代目中村芝翫 嵐璃かく 嵐三右衛門 中村松若

 

 

 昭和51年12月 南座の『時雨の炬燵』を見た。

 2世中村鴈治郎さん、 中村扇雀(坂田藤十郎丈) 八代目中村芝翫丈出演のこのお舞台は食い入るように拝見し、堪能させていただいた。

 中村扇雀(坂田藤十郎丈) 八代目中村芝翫丈という具合に、丈丈と、半可通猛々しいが、好きなものは仕方がない。

 筋書きもやkぅしゃもた異変興味深く、面白かった。

 

 昭和51年といえば私がまだ十代。高校生の頃である。

 このころの南座は、いい役者がてんこ盛りに出演されていた。

 会場の雰囲気といい、大向こうといい、懐かしさを感じる南座の公演であった。

 

 今回も見たという簡単な記録だけで失礼致します。

 

 

 

 

昭和51年12月 時雨の炬燵 2世中村鴈治郎 中村扇雀(坂田藤十郎) 嵐璃かく 嵐三右衛門 中村松若

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六代目 市川染五郎(九代目松本幸四郎 現 二代目松本白鸚)様、ありがとうございました。  勧進帳 ~松羽目物の成立~ 九代目松本幸四郎(現 二代目松本白鸚)     1989 国立劇場

2023-01-29 | TVで 歌舞伎・能楽

 

 

 1989年の六代目 九代目松本幸四郎( 現 二代目松本白鸚)の『勧進帳』を見た。

『勧進帳』は松羽目物なので、所作の品はよく足の運びも腰の落とし方も難しい。

 うまい役者でないと、ちぐはぐでデタラメになってしまう。

 とはいえ、松羽目物のと雖もその歴史は割合に浅く、明治以降である。

 

 松本幸四郎(現 二代目松本白鸚)『勧進帳』は市川染五郎時代から、両手両足では足りない位は見ているが、中でも本舞台は出来が良い。

 つめ寄る目力や睨みは、この役者ならではの良さがある。

 足の運び屋腰の高さも、素晴らしい。

 この役者は、力を入れた場合は、素晴らしい舞台を成立させる。

 ただし、逆もまた然り。

 私が高校生の頃、染五郎の時代から好きだったこの役者は、松竹座の白鸚襲名披露にて退屈な舞台を展開させた。

 夫と二人、一等席で昼夜よろしくない舞台を見せられたものだから、嫌いな役者へと転落した。

 どんよりした舞台に付き合わされるには、歌舞伎はあまりにもお高いと感じる。

 

 だが、今回の『勧進帳』を見て、これが彼本来の力なんだと感じさせるものがあった。

 彼がまだエネルギッシュであった頃の舞台を思い出した。

 加えて、真面目すぎる一直線のような舞台づくりも思い出した。

 彼が立つ舞台は、良いように言うなら、緊張感があった。

 また、悪いように言うならば、周りに役者が萎縮していたとも言える。

 だが、彼は実は観客に対し、人の良い役者であった。

 高校生の私を楽屋に入れてくださる。

 お弟子さんたちはお茶を出し、市川染五郎であった彼は、小娘に色々とアドバイスをしてくださる。

 座机の上にはお子達のお写真が飾られていたことが、印象深い。

 また後日徹子の部屋で、

「先日、高校生の女の子が来てくれまして、、、」

と紹介してくださった。

 十代の私が見ても、屈託のない品の良い人物であった。

 

 白鴎の襲名披露で嫌いになったと大げさに書き込んだ。

 だが、この役者が元気なうちに書いておきたいことがある。

 昭和の市川染五郎なしでは、私は歌舞伎を見ることはなかった、と。

 

 話は変わるが小学生の頃、お友達になんどもなんども、テレビ収録(京都会館 今は、ロームシアター京都)に連れていただいたことがある。

 京都は糸偏が多いので、その関係で、チケットをお持ちであった。

 確か鶴瓶やあのねのね?なのだ出演されていた人気のあるテレビだったような気がする。

 テレビ修理録前には、録画テストとして2人の観客が前に出て、クイズを受ける。

 勝った私には、EP2枚を選ばせていただいたが、いかにせん、歌謡曲など全く知らない。

 あれこれ悩み、頂戴したのが六代目 市川染五郎の『月と六ペンス(裏面は不明)』であった。

 選んだ理由は、『月と六ペンス』と云う曲名と、彼の素顔が好青年に見えたから。

 その時は、歌舞伎役者ということは知らなかった。

 

 高校一年生になった或る日のこと。

 南座の看板で、市川染五郎のか大人を認めた。

 私は次の日曜日には三階席のチケットを購入して見ていた。

 細かいことを言うと、当時は三階席は七百円。顔見世で、八百円であった。

 また、初日は昼夜通しで見ることができた。

 桟敷も二階、三階に存在し、大向こうの方やお囃子の方が幕間ではなく、出番のない時に食堂でうどんをすする。

 古き良き時代であった。

 

 初めて行った歌舞伎は、私にとって悲惨であった。

 二回目も、三回目も、そして随分回を重ねても、敗北感を味わった。

 昔はイヤホンガイドなどはない。

 書物や番付で読み確かめる方法しかなかった。

 加えて、昔の言い回しの方が歌舞伎らしく、映像を機にすることが少なく、観客初心者の私には厄介であった。

 能楽と同じで、初めの頃は歌舞伎とて、言葉を認識することができずにいた。

 それほどまでに、芝居知らずであった。

 

 呪文のような聞き取れない言葉や所作の後、待ってましたの見得や形、花道などの役者のかっこよさを見ることができた。

 ただひたすら退屈(笑)な時間を経て、見得や睨みを待ち望んでいた。

 市川染五郎も、片岡孝夫(現仁左衛門)も目を引く舞台上の男前であった。

 

 市川染五郎も、片岡孝夫(現仁左衛門)のかっこいい場面を見るためだけに南座に通った。

 そしていつ頃からか、猿之助劇団以外の役者の言葉がマスターできるようになった。

 すると面白いことに、余計に本で調べる。

 所作がいちいち気にかかり、心情の揺れ動きも気になり始める。

 今は気楽の歌舞伎を見ることができるが、その分余計に『名作歌舞伎全集』や『近松全集』をyみ調べたくなると行った趣味が加わった。

 上にも書いたが、この流れで歌舞伎を楽しみ始めた。

 これはやはり、松本幸四郎(現 二代目松本白鸚)のおかげである。

 体調を崩されていらっしゃる今、この場ではありますが、一言御礼申し上げたい。

 

       六代目 市川染五郎様、ありがとうございました。

 

 1989年の九代目松本幸四郎(現 二代目松本白鸚)の『勧進帳』を見て、素直な気持ちを取り戻すことができた。

 彼の数多くの歌舞伎と西洋の舞台を見たが、彼は役者として素晴らしい!と。

 今はそんな風に感じる。

 

 歌舞伎の筋書きや 見得、形、山場などの演じ方は、絵巻物に通じる、ひいては、アニメーションに通じるものがあると感じる。

 アニメはほとんど見ないが、私の絵巻物好きはおそらく古典が好き、美術博物館が好き、神社仏閣を歩くのが好きというのに加えて、歌舞伎が好きというのがあるとおもう。

 なので、絵巻物にたどり着いたのも、元を手繰れば 六代目 市川染五郎(九代目松本幸四郎 現 二代目松本白鸚)のおかげだと云える。

 長々とまとまりのないことを書いているが、書きたいことは一つ。

 

      六代目 市川染五郎様、ありがとうございました。

      高麗屋!

 

である。

 

 

 

勧進帳 ~松羽目物の成立~

 

 

みなさま 

拙ブログにお越しいただき、ありがとうございました。

感謝いたします。

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歌舞伎『壺阪霊験記』 4,3★/5 沢市:三津五郎 お里:福助 観世音:中村玉太郎  壺阪寺と周辺の山、磨崖仏の写真(35枚)

2022-07-01 | TVで 歌舞伎・能楽

写真は奈良 壺阪寺の「思う壺」

 

 

 

  歌舞伎『壺阪霊験記』 4,3★/5 沢市:三津五郎 お里:福助 観世音:中村玉太郎  壺阪寺と周辺の山、磨崖仏の写真(35枚)

 

 

 歌舞伎『壺阪霊験記』をみる。

 今回は、沢市:坂東三津五郎 お里:中村福助の舞台であったがこの舞台も映像で何度も見ている。

 

 私の場合は七代目の中村芝翫丈の甲斐甲斐しいお里が印象深く、表情まで割合に覚えている。

 だが、中村福助のお里も良い。

 福助が演じると、沢一の目が見えた時の初めて見たお里の顔が一層まばゆく、コミカルさをます。

 

 福助は三津五郎との『壺阪霊験記』をかなり古典的に形を重視して演じられている。

 顔の動かし方や栗の形まで、人形浄瑠璃を意識され、見ごたえがある。

 福助のお里も見ものである。

 

 今となってはもうみることができない三津五郎。

 彼の沢入も彼らしくて良い。

 壺阪山の山頂で新いちが見得を切るところがある。

 目が開かない盲人で杖をついたあん摩であるが、目を閉めたまま見得を切るのである。

 ところが、三津五郎が演じると、その見えは目を開けたように力強い。

 

 最終章、沢一の目が観世音菩薩のおかげで、目は開き見えるようになる。

 その時の喜びは短い舞で表すが、この舞踊は故三津五郎の舞である。

 身近な時間で彼の舞踊の実力を魅せてくださる。

 

『壺阪霊験記』といえばラストのお里沢一の花道。

 この場面は観客の私は安堵の笑いを何度も発しながらも、目尻がじんわりと滲んでいた。

 

 みなさま、見てくださいましてありがとうございます。

 感謝申し上げます。

 

 

以下は、壺阪寺と周辺の山、磨崖仏の写真(35枚)

 

 

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『猿之助四十八撰の内 當世流小栗判官』4,7★/5 177分 昭和58年 歌舞伎座 三代目市川猿之助(現・猿翁) 中村児太郎(現・福助)實川延若 澤村宗十郎

2022-06-08 | TVで 歌舞伎・能楽

 

 

   歌舞伎『猿之助四十八撰の内 當世流小栗判官』4,7★/5 177分 昭和58年 歌舞伎座  三代目市川猿之助(現・猿翁) 中村児太郎(現・福助)實川延若 澤村宗十郎

 

 

『當世流小栗判官』を見ました。

 實川延若が出演のこの舞台、懐かしくて見入理ました。

 澤村宗十郎でもウンウンと唸りながら、演じ方に見入ってしまいました。

 

 中村児太郎(現・福助)の立ち振る舞いが浮世絵の美人画のようで、美しかった。

 まだ若く細身でした。

 美しいだけでなく、所々に中村児太郎(現・福助)さんの個性を醸し出された舞台は、楽しく、会場は沸いておりました。

 

 東蔵、歌六、歌昇が出ておられました^^

 中村東蔵さんは少ししか出ておられませんでしたが、実に印象深い場面を展開されていました。

 

 三代目猿之助の所作は足の運びが流暢で、舞を心得た方なのだと感心しました。 

 あまり猿之助劇団に縁のなかった私ですが、素晴らしい役者さんたちを脇に固め、三代目猿之助の個性を十分に発揮されていました。

 

 馬の存在は大きかったです。

 そしてラストの白馬に乗った小栗半官と照手姫の宙吊りは会場の観客の心を虜にしたことでしょう。

 

       大当たり!

 

 この芝居は近松門左衛門原作です。

 筋書きはダイナミックですが、途中割合にドロドロとしています。

 兄の妹に対する愛の告白や行動は笑わずしてすみません。

 お駒の半官に対するねたねた感のある愛情などは切ないとしか言いようがありません。

 ラスト忠義でまとめめでたしめでたし感を近松が書き下ろすとこういったお舞台が出来上がるのだと満足しました。

 

      ブラボー

 

 


小栗判官、浪七、お駒/三代目市川猿之助(現・猿翁)
照手姫/中村児太郎(現・福助)
横山大膳/實川延若
遊行上人/市村羽左衛門
胴八、横山太郎/市川段四郎
橋蔵、お槇/澤村宗十郎
お藤、上杉憲実/七世市川門之助

東蔵、歌六、歌昇、ほか

◎昭和58年7月 歌舞伎座にて収録

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『通し狂言 雙生隅田川』昭和60年 歌舞伎座 三代目猿之助 亀治郎(子役) 片岡考夫 宗十郎 段四郎 菊五郎 右近 歌六 弥十郎 錦之助  (3時間)

2022-06-05 | TVで 歌舞伎・能楽

京大総合博物館所蔵 アンモナイト

 

 

 

 

  『通し狂言 雙生隅田川』   昭和60年 歌舞伎座  三代目猿之助 亀治郎(子役 当時) 片岡考夫(当時) 宗十郎 段四郎 菊五郎 右近 歌六 弥十郎 錦之助(3時間)

 

 

 先日のこと。

『通し狂言 雙生隅田川』を見て楽しんだ。

 あまりにも楽しそうに見ていたせいか、半時間遅れで家族もみはじめた。

 

 昭和60年という事もあり、役者が若い。

 若かりし頃の考夫様(仁左衛門丈)が出てこられた場面では、もう溶けそうにデレデレと見ていた。

 

 私は猿之助劇団にはあまり馴染みはなかったのですが、『雙生隅田川』は通し狂言で見ると、大変面白かった。

 さすが、近松門左衛門!

      あっぱれじゃ!!!

 

 上に書いたようにあまり好んで見ることのなかった猿之助劇団。

 三代目猿之助にもあまり馴染みはないのだが、この役者さんは舞踊は見事にうまかった。

 富十郎とはまた違った所作で、ご両人共に素晴らしい舞であると感じた。

 

 何度も書いて申し訳ないが、猿之助劇団をあまり好んで見ることはなかった私なので知らなかったが、亀治郎(現 四代目猿之助)の子役は震えるほどに感動した。

 お相手大人役者がセリフを話している時も、始終子役の亀治郎(現 四代目猿之助)は事細かに演技を続けていた。

 また、子供なので声こそ高いが、感情移入よろしくの台詞 および所作で、見ている私は目を離すことができなかった。

 子役:亀治郎(現 四代目猿之助)

      あっぱれじゃ!!!  

 子役の頃からこれなら、猿之助の名を襲名したのも納得がいくと感じた。

 尚、この舞台は亀治郎(現 四代目猿之助)の父である段四郎も出演されていた。

 

 ところで、最後の方で弥十郎が花道より出てこられた。

 若かりし時から、あの!弥十郎の声。

 姿を見る前から、彼の声だと一声でわかるのは当たり前かとほくそ笑む。

 

 細切れで見ていた『雙生隅田川』

 この舞台は通し狂言なので特に面白かった。

 あまりにも面白かったので、今一度近日中に見たいと感じる。

 また、子の演目の通し狂言が興行されたならば、東京くらいならば行ければいいなと感じた。

 

 今回も見たという記録だけで失礼いたします。

   

 

 

 

 昭和60年 

 歌舞伎座

 

 

 

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歌舞伎『心中天網島  河庄』 二代目:中村鴈治郎 扇雀(二代目:藤十郎)  4,9★/5 1944 南座  近松門左衛門作

2022-05-17 | TVで 歌舞伎・能楽

 

 

 

 歌舞伎『心中天網島  河庄』 二代目:中村鴈治郎 扇雀(二代目:藤十郎)  4,9★/5 1944 南座  近松門左衛門作 

 

 

 

 21944年南座の歌舞伎『心中天網島  河庄』を見た。

『河庄』は私のすこな歌舞伎演目のひとつで、和事がたまらなく魅力的。

 二代目:中村鴈治郎と扇雀(二代目:藤十郎)の『河庄』は映像でもなんども見たことがあるが、何度見ても満足がいく。

 昔の『河庄』はこんなにも大爆笑させたのかと感心する。

 全てが丁寧で、くどいくらいに演じきる。

 それでいて、扇雀(二代目:藤十郎)の若き頃からの美しさと所作と今回の芝居での切なさの表し方には見入ってしまう。

 さすがの二代目:中村鴈治郎と扇雀(二代目:藤十郎)親子である。

 

 二代目:中村鴈治郎は私も南座で見たことがある。

 後ろ姿だけでも演じきられていたという印象が強い。

 まだ歌舞伎を見始めた全く理解できない歌舞伎であったが、二代目の女の後ろ姿の肩の切なさは素晴らしいと感じていた。

 

 河庄と云えば、大阪歴史博物館の平常展で展示されていたことがある。

 さらりと描かれた河庄の掛け軸を見て、

『大阪だなぁ、、、』

『芝居が見たいなぁ、、、』

と思っていた。

 淡いみずいろとくくりハチマキ(?)の掛け軸の絵は、今も心に残っている。

 

    よ!成駒屋!

 

 

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歌舞伎『源平布引滝~義賢最期(よしかたさいご)』 1時間26分   片岡愛之助

2022-05-14 | TVで 歌舞伎・能楽

 

 

  歌舞伎『源平布引滝~義賢最期(よしかたさいご)』 1時間26分   片岡愛之助

 

 

 何度も何度も見ている愛之助版の、歌舞伎『源平布引滝~義賢最期(よしかたさいご)』を楽しむ。

 コロナが問題となり、一向に舞台を観に行ってない私は、最近動画でも歌舞伎や能楽を見ることが少なくなっていた。

 久しぶりに観た歌舞伎は、お家ということもあり、大向こうかけまくりで興奮して鑑賞。

 

『源平布引滝~義賢最期』 は前半、片岡仁左衛門丈の言い回しや所作が脳裏をかすめ、愛之助とのお二方の演じ方を比較しながら体操楽しむ。

 そして

「待ってました!」

のラスト。

 松竹座で観た懐かしい愛之助さんの畳バタン^^(戸板返し)と、階段ドドドン(仏倒れ)^^と同じ演じ方の舞台が観られた。

 畳バタンと階段ドドドンで、私は興奮しすぎながらも、涙を溢れさせているという複雑な変態的舞台鑑賞。

 仁左衛門丈の締めも良いが、若さを利用した愛之助さんの『源平布引滝~義賢最期』もまた違った意味いいものだと毎回感じる。

 

 芝居って、楽しいですね^^

 

 

 

 

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歌舞伎名作撰 『梅雨小袖昔八丈 髪結新三』2013年 136分 5★/5 最高〜〜!!

2021-07-31 | TVで 歌舞伎・能楽

 

 

  歌舞伎名作撰 『梅雨小袖昔八丈 髪結新三』2013年 136分 5★/5 最高〜〜!!

 

 

   新三/中村勘九郎(勘三郎)
   弥太五郎源七/片岡仁左衛門
   忠七/中村芝翫
   家主長兵衛/中村富十郎
   お熊/坂東玉三郎
   加賀屋藤兵衛/二世中村又五郎

といった、この上なき役者の面々が揃った、『梅雨小袖昔八丈 髪結新三』

 この舞台の『梅雨小袖昔八丈 髪結新三』を見るのは、何度目であろうか。

 今は亡き中村芝翫丈を見ると、涙が出そうになる。

 故中村勘九郎(勘三郎)や故中村富十郎もまた、しかり。

 片岡仁左衛門丈と坂東玉三郎は役所に絡みはないものの、孝玉びいきの私には嬉しい舞台である。

 中村富十郎の家主も良いが、故三津五郎の家主も思い出す。

 役者それぞれ、舞台それぞれ、時それぞれ、芝居は生き物で、面白いなぁと感じる。

 何度見ても良い芝居は見飽きることはない。

 

 それにつけても、

    芝居に行きた〜〜〜い!!

    故中村芝翫丈の芝居で見たいものが多くある。 

    片岡仁左衛門丈を見たい!

    芝居が見た〜〜〜〜い!! 

    コロナよ、去れよ去れい!

 

 今回も見たという簡単な記録のみにて失礼申し上げます。

 

 

2013年4月2日、待ちに待った第五代歌舞伎座のこけら落し公演


新三/中村勘九郎(勘三郎)
弥太五郎源七/片岡仁左衛門
忠七/中村芝翫
家主長兵衛/中村富十郎
お熊/坂東玉三郎
加賀屋藤兵衛/二世中村又五郎
勝奴/市川染五郎


◆平成12年4月 歌舞伎座にて収録


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歌舞伎『土蜘蛛』市川猿之助と尾上松緑 拍手 / 『三人吉三巴白浪 大川端庚申塚の場』

2021-06-29 | TVで 歌舞伎・能楽

写真は、綾傘鉾

 

 

 

 

大阪:天神祭 帝国ホテル 船能 『土蜘蛛』

 

 

  歌舞伎『土蜘蛛』市川猿之助と尾上松緑 拍手 / 『三人吉三巴白浪 大川端庚申塚の場』

 

 

 歌舞伎『土蜘蛛』『三人吉三巴白浪 大川端庚申塚の場』を見た。

 実は葛城山から出て来たと云う土蜘蛛に扮する尾上松緑のメイクと度肝を抜かれるど迫力度が半端ない。

 能楽とはまた違った、松羽目物の歌舞伎としての面白みを感じた。

 

 そういえばテレビで、どこぞの大御所画顔の役者(MH)が、

「能楽を見たければ、能楽に行けば良い。」

といったピントの外れた暴言を発していたことを覚えている。(爆笑)

 息子の力不足や知識不足を、客に責任転嫁していると言えよう。

 

 市川猿之助にせよ、尾上松緑にせよ、話の元を把握した上で、歌舞伎の面白さを存分に発揮され、良いお舞台をされていた。

 松羽目物の、良い、新歌舞伎であり、歌舞伎もこうして時代を経て受け継がれて行くのだと、しみじみと感じ取れた。

 

 ところでこの『土蜘蛛』、実は能楽だけではなく、絵巻物もあり、多くの書物でも取り上げられている。

 私は縁起絵巻も読んだことがある。

 また、民俗学では度々取り上げられ、葛城山の土蜘蛛云々の内容も諸学者の手によって記されているが、ここでは割愛したい。

 

 とにかく、市川猿之助と尾上松緑の『土蜘蛛』は舞台として楽しくて、興奮気味に楽しんでいた。

 ブラボ〜 ^^v 

 

 

 

『土蜘蛛』

  現:市川猿之助

  尾上松緑   他

 

『三人吉三巴白浪 大川端庚申塚の場』

  坂東巳之助

  中村 梅丸

  中村隼

  中村 錦之助

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『三社祭』 十八世中村勘三郎  十世坂東三津五郎  袴姿、面無し扇有り。  ブラボ〜!

2021-06-26 | TVで 歌舞伎・能楽

 

 

  『三社祭』

 

  十八世中村勘三郎

  十世坂東三津五郎

 

 

 袴姿、面無し扇有り、十八世中村勘三郎と十世坂東三津五郎の『三社祭』を見た。

 懐かしい〜〜。

 

 舞踊がうまいお二人なので、袴姿が余計に映える。

 素晴らしい『三社祭』であった。

 ブラボ〜!

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「蔵出し!名舞台 七世 中村芝翫」 今でも、随分多くの舞台を思い出し、お家で度々名前が出てくる役者、芝翫を見た。

2021-06-20 | TVで 歌舞伎・能楽

 

  「蔵出し!名舞台 七世 中村芝翫」

 

 

 私の大変好きな役者の一人であった、七世 中村芝翫丈の「蔵出し!名舞台 七世 中村芝翫」を見た。

 録画などで馴染みのある舞台もあり、懐かしさで胸がこみ上げてきた。

 

 渡辺保曰く

「奇跡に奇跡を重ねた役者であった(要約)」 

と。

「うりざね顔で、現在で演じるのではなく、江戸時代に戻って演じている(要約)」

だとおっしゃっていた。

 

 そんなに難しいことは私にはわからないが、七世 中村芝翫丈は

  浮世絵から飛び出してきた感が大きい

  形と止めが美しく、しっかりしている。

  七世 芝翫が舞台に出てくるだけで、心が浮き立つ。

  七世 芝翫が舞台に出てくると、オレンジっぽい茶色の空間が、彼を取り巻く。

  舞台に立つだけで、後光がさしていた。

  とにかく、うまい。

  とにかく、好きだった。

 

 今でも、随分多くの舞台を思い出し、お家で度々名前が出てくる役者、芝翫。

 丈懐かしい七世 中村芝翫丈を見て、そんなことを考えていた。

 

 

司会・高橋英樹 中條誠子

ゲスト 渡辺保(演劇評論家)

 

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仮名手本忠臣蔵〜祇園一力茶屋の場 (平右衛門=仁左衛門 お軽=玉三郎) 2019年8月28日   

2021-06-15 | TVで 歌舞伎・能楽

 

 

   歌舞伎『仮名手本忠臣蔵〜祇園一力茶屋の場』

 

 

 2019年8月28日、平右衛門=仁左衛門 お軽=玉三郎、いわゆる(孝玉)のこの舞台は何度見たか。

 台詞の言い回しも結構覚えているところがあるので、お家ということもあって、一緒に言い遊びながら見ている。

 

 それにしても、孝玉とあっては、この演目では兄弟とあっても、テンションが上がるわ 

 

 

「そうして、兄さん、、、、、寛平さんは?」

の恥じらうお軽に対して、兄の平右衛門は

「寛平はナ、寛平はナ、、、、寛平はナ、、カダァ(要約)

と困り果てる台詞がある。

 以前からどの役者が演じても、以前から思っていたことだが、あの台詞は

「カダァ

と言い回す方が良いような気がしてならない。

 なぜなら、寛平はすでに切腹しており、それを妻のお軽に、兄としていうのが辛い。

 寛平は勘弁との掛詞になっているからだ。

 

 そんな細かいことがどうでも良いが、片岡仁左衛門丈は素晴らしくうまい、舞台映えのする歌舞伎役者である。

 見得を切ろうものなら、私、TVお家見ということもあって、キャーキャーの連続である。

 

 そしてお軽。

 玉三郎のお軽は、非常に美しく、そのくせ、面白い。

 随分内容を読み込まれているとあって、九つ階段を降りる場では、艶っぽく色っぽく、台詞の言い回しといい、仕草や表情といい、階段を降りるだけで、濡場を描き出す。

 階段の場面では、断然玉三郎が良い。

 

 お軽は色々な役者で見たが、次の役者が印象深かった。

 

 玉三郎  階段を降りる場  

 秀太郎 「そこからあとは、じゃら、じゃら、じゃらじゃらじゃら(要約)

 考太郎  反りくりかえって鏡で文を盗み読み、花魁(お軽)の簪(かんざし)がポトン。

      このポトンを、考太郎は非常に強調されている。

 七之助  平右衛門「美しくなった、後ろも見せてくて」に対し、お軽は上手に立ち、

     「こうですかいなぁ」といいつつ、両袖をピンと張った姿が美しく、会場中がどよめいた。

 玉三郎  玉三郎は上の場を平右衛門より下手にに立ち、『見返り美人』的に演じた。

 

 役者が変わると、同じ演目でも芝居が随分変わる。

 同じ舞台でも、日によって随分違うし、観客や自分の様子によっても、舞台は作り上げられる。

 ビデオや録画で同じ舞台を見ていても、毎回発見があり、見飽きない。

 舞台は、面白いものだなぁ。

 

 また、こんなに面白い戯曲が創られていたり、パロディの草子が書かれていたりと、江戸時代もなかなか面白い時代だなぁと改めて感じた。

 

 ところで、歌舞伎『仮名手本忠臣蔵〜祇園一力茶屋の場』を見終えて、片岡仁左衛門の舞台を見たいと痛感した。

 また、故片岡秀太郎を思い出し、しんみりとした。

 そして、何より、、、

 この芝居には出演されてないが、片岡我當の舞台が見たいと切に思った。

 N●K大阪で見た片岡我當と故坂田藤十郎の『伊賀越道中双六』が印象深く、できることならもう一度見て見たかった、見ておいてよかったと思える舞台であった。

 片岡我當さんのお芝居も、好きですよ!!!!

 

 

 

 

 この芝居にはないが、定九郎なら^^

『仮名手本忠臣蔵』での定九郎は

   片岡仁左衛門

   市川左團次

   故實川延若(二代目)(実は、寛平役でした)

   片岡愛之助

  (十年後の)片岡千之助

『坐敷芸忠臣蔵』五段目の定九郎の顔は、おどけた化粧の

   市川左團次

   故實川延若(二代目)(実は、寛平役でした)

      故坂東三津五郎(十代目)

   片岡我當

  以上の役者で見てみたい^^

上の絵は、『坐敷芸忠臣蔵』(『坐敷藝忠臣蔵』)

 山東京傳 戯作 

 歌川豊国 戯画

 山東京傳 1761-1816

 歌川豊国 1769-1825

 小舟町(江戸) : 文亀堂, 文化7[1810]

 19cm

 和装
 印記:只誠蔵,斎藤文庫,洒竹文庫
 関根只誠,斎藤雀志,大野洒竹旧蔵

 早稲田大学図書館 (Waseda University Library)

『坐敷芸忠臣蔵』ヘ13 02377

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シネマ歌舞伎『大江戸りびんぐでっど』宮藤官九郎作・演出 中村七之助 坂東彌十郎 片岡市蔵 片岡亀蔵 現中村芝翫 中村扇雀 中村福助 坂東三津五郎 中村勘三郎

2021-05-21 | TVで 歌舞伎・能楽

龍田大社

 

 

シネマ歌舞伎『大江戸りびんぐでっど』

2009年12月/東京 歌舞伎座 中村七之助 坂東彌十郎 片岡市蔵 片岡亀蔵 現中村芝翫 中村扇雀 中村福助 坂東三津五郎 中村勘三郎

宮藤官九郎作・演出

 

 

 あらかじめ録画しておいたシネマ歌舞伎『大江戸りびんぐでっど』を早速みた。

 懐かしい面々が出演されるこの芝居は、宮藤官九郎作・演出

 

 さすが、クドカン。

 死やら肉体やら魂やら『パイドン』さながらの内容をセリフに長々と取り入れること、二回。

 クドカン重ねて、

「何やら、難しいこと言ってるぞ、こいつ(要約)」

で、乱鳥千鳥で、クドカンの壺にはまる。

「魂」と云う言葉においては、芝居中 合計5回も出てきて、大笑いした。

 

 七之助の、歌舞伎らしいうまさと美しさに感心した。

 また、障子越しのシルエットだけでもわかる扇雀に見とれ、懐かしい三津五郎の面白さに共感を覚えた。

 

 坂東彌十郎のいつもと違う演じ方に笑い、中村萬次郎、片岡市蔵、片岡亀蔵、中村福助らのこなれた存在感に共鳴した。

 強いて言うならば、中村勘三郎と現中村芝翫の出演時間をもっと伸ばしていただきたかった。

 

 全体を通して、役者が良い。

 また、多くの演目や手法を取り入れ、プラトンの『パイドン』における「魂」論議まで取り入れられていた本作品に感動し、大笑いした。

 と同時に、歌舞伎にも哲学が取り入れられていたことを知り、驚いた。

 

 ブラボ〜!

 

 

 

 歌舞伎座の花道をゾンビで埋めつくし、世間をあっといわせた宮藤官九郎作・演出の本作。松本幸四郎、中村七之助、十代目坂東三津五郎、十八代目中村勘三郎が出演。  歌舞伎座の花道をゾンビで埋め尽くす!宮藤官九郎が作・演出を手掛け、松本幸四郎、中村七之助、十代目坂東三津五郎、十八代目中村勘三郎ら人気歌舞伎役者が総出演した衝撃の新作歌舞伎「大江戸りびんぐでっど」を放送。 wowow

 

  • 松本幸四郎
  • 中村七之助
  • 中村勘九郎
  • 坂東彌十郎
  • 中村萬次郎
  • 片岡市蔵
  • 片岡亀蔵
  • 井之上隆志
  • 市川猿弥
  • 中村獅童
  • 中村芝翫
  • 中村扇雀
  • 中村福助
  • 坂東三津五郎
  • 中村勘三郎

 

 

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歌舞伎『お江戸みやげ』歌舞伎座 中村芝翫 中村富十郎 中村歌江 中村吉之亟 中村梅玉 中村福助 他

2021-04-28 | TVで 歌舞伎・能楽

 

  歌舞伎『お江戸みやげ』歌舞伎座

  中村芝翫 中村富十郎 中村歌江 中村吉之亟 中村梅玉 中村福助 他

 

  昭和三十六年(1961年)初演。

  作者は川口松太郎

 

 

 七代目中村芝翫丈の『お江戸みやげ』を見た。

 歌舞伎チャンネルやら衛星劇場やらで、中村芝翫さんと中村富十郎さんの『お江戸みやげ』を何度見たことであろう。

 面白いやら切ないやら、可愛らしいやら、熱中ぶりやら、多少の後悔やら、もう、女心が入り見られ咲の『お江戸みやげ』は、役者の片袖を胸に複雑かつ純粋な気持ちを抱く。

 これぞ一世一代の大仕事、ならず、片道実らぬ恋心。

 

 笑ってばかりはいられない。

 女の複雑でもありひたむきなる気持ちを切り取った、名作。

 故中村芝翫さんと故中村富十郎さんの『お江戸みやげ』は、絶品で、何度見ても見飽きない。

 

      あっぱれじゃ!!!

 

 今回も見たという簡単な記録のみにて、失礼致します。

 

 

感情高くムダ遣いをしないお辻(七代目芝翫丈)が行商の帰りに、ひょんなことから宮地芝居の花形役者に惚れ込んだ。

宮地芝居とは

 みやちしばい(みやじしばい)、また宮芝居ともいう。

 名称は神社境内ないし門前の地に小屋掛けする小芝居に由来。

 祭礼、勧進、開帳などの名目で臨時に認可された。

 恒常的な興行を許された大芝居との間にさまざまな格差があり,支配系統も,寺社奉行の下に統括された。

宮地芝居とは

 江戸時代の小芝居。

 江戸では官許の三座以外の芝居小屋は原則として認められず、見世物の名目で湯島天神など寺社の境内に、むしろ張りや粗末な小屋を立て、下級俳優による興行が行われた。

 これを宮地芝居といい、短期間の興行が寺社奉行に黙許されていた。

三座とは

 江戸三座(えど さんざ)は、江戸時代中期から後期にかけて江戸町奉行所によって歌舞伎興行を許された芝居小屋。

    官許三座(かんきょ さんざ)

    公許三座(こうきょ さんざ)

    三座(さんざ)

ともいう。

 江戸には当初数多くの芝居小屋があったが、次第に整理されて四座になり、最終的に三座となった。

 三座は江戸時代を通じて日本独自の伝統芸能である歌舞伎を醸成、明治以降も歌舞伎の殿堂として大正末年頃まで日本の演劇界を牽引した。

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歌舞伎『奥州安達原 袖萩祭文』

2021-03-31 | TVで 歌舞伎・能楽

 

 歌舞伎『奥州安達原 袖萩祭文』

 

 何度も見たことのある『奥州安達原 袖萩祭文』を役者を変えて見て見た。

 前半が、なかなか良い。

 七之助さんは若いながらにして、古典歌舞伎で、なかなか良かった。

 七之助さんは芝居といい、所作といい、面持ちといい、好きだな^^

 

 そういえば、松竹座(?)でお軽役をされた時のこと。

「こうでございますかいなぁ(要約)」

と、後ろ姿で袖を広げられた時には、その形の瞬間に会場中が

「わぁ!」

「ひいぇ〜!」

「綺麗ぃ〜!」

とどよめき、黄色い声で渦巻いたことがあったなぁ!

 

『奥州安達原 袖萩祭文』を見て、なんとなく、故芝翫さんを思い浮かべていた。

 故芝翫丈か、、、

 もう一度見て見たいな。

 

 東蔵さん、歌六さん、現芝翫さん

 どの方をとっても、うっとりした。

 現芝翫さんの見得では、ギャーギャー言いっ放し。

 アホだな!私。

 

『奥州安達原 袖萩祭文』を見て、涙が滲み出たのでした。

 

 そういえば、中村吉右衛門さん、いかがなさっていらっしゃるのでしょう。

 ずいぶん心配しています。

 近日中に、中村吉右衛門さんの『奥州安達原 袖萩祭文』を見てみたいと思います。

 

 

 今回も見たという記録のみにて失礼いたします。

 

 

 

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