乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

昨年度版の図録 特別陳列『お水取り』 平成二十七年二月七日 編集・発行 奈良国立博物館

2018-03-11 | 読書全般(古典など以外の一般書)

 

 図録
 特別陳列『お水取り』



 平成二十七年二月七日

 編集・発行 奈良国立博物館


 


 原付バイクで奈良情報図書館に行く。

 片道、小一時間。往復二時間。

 郡山までは度々行くわタック氏だが、そこからさらに二十分。

 結構長い距離である。


 それとなく図録を手に取る。

 昨年度版の特別陳列『お水取り』

 しかしながら、陳列は今年の三月七日に楽しんだ特別展の『お水取り展』とほぼ同じであった。

『お水取り展』はこれまでにも何度となく言っている。道理で今年も馴染みの深いものが多いと思ったわけだ。


 しかしながら図録の中で、紙衣のページの説明は今年のものと異なっていた。

 今年の紙衣の説明では、紙衣(紙で造った衣)の下に、木綿が縫い合わされてあると記されていた。

 だが、平成二十七年二月七日の図録にはそれはない。


 また展示物の近くの説明では、
[修行が激しいためにすぐに敗れるので、お水取り中、何度も替える]
とあったように思う。

 ボランティアガイドの説明では、修行中、それを着続けると言われていたのと、紙衣の下には木綿が貼って縫い合わされている説明はされなかったのが印象深い。

 やはりこう言った興味深いことは、自分の目で確かめ、資料を読まねばならないと痛感した。


 昨日読んだ図録 特別陳列『お水取り』では、『二月堂縁起』二巻の多くが載せられていた。

 時間の関係上、『二月堂縁起』の詞書は図書館内で読むのは省いた。

 今年の特別展示では、「青い衣(の女?)」と「経を読み間違えた話」の部分が申し訳程度に出されていた。

 あまりにも短いので、今年の展示部分は、三度ばかり読めた。


 以前、あべのハルカスで、『東大寺展』が開催された。

 この時は、東大寺関係の絵巻物を多く展示してくださったのでもごたえがあった。


 絵巻物の好きな私は、あれこれと想像しながら、昨年度版の図録 特別陳列『お水取り』を楽しんでいた。



 

 みなさま、ご訪問くださいまして、誠にありがとうございます。


 



 
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落語家 雀○「お楽しみ」で、笑いとは何かを真に考えさせられる機会を与えられたことに感謝しているとでも言って、幕を引きまする。

2018-03-10 | 舞台・芝居



 これから書きまするは、間も口調もかったるい、眉の形だけは超一流の落語家の話。


 数少ない経験ではあるが、落語を聞いた。

 ほぼご年配の観客を前に、始終、死と隣り合わせのエンディングノートをテーマに、下手で平べったい話を続ける。

 起承転結及び落語の文法といった規則からは程遠い。

 初めから最後までネガティブな内容のセンスのない噺家のお題は「お楽しみ」というからぶったまげたものだ。

 まぁ、「お楽しみ」と云うお題目は、まだ決まってないと云う意味で実際には「エンディングノート」(?)で立ったのだが…。


 死やお葬式をテーマにしたものでも、話の展開山や口調や所作によっては真の笑いにもなりうる。

 がしかし、この噺家の話を聞き、周りをみていると、前列の若い女客は眠るふりをし、幕がおりた(話が終わった)途端に鬼の形相で帰られた。

 あまりにもひどい落語風の駄話であったので、私も周りのご年配が気にかかり、様子を伺ってみる。

 すると案の定、ご年配の紳士は、険しい顔をして、演技の途中でお帰りになられた。

 また、多くのご年配は笑いながらも、顔をひきつっておられる。

 なんと、配慮のない噺家。


 それでも力量があれば、観客の様子を見つつ、話の方向性を変えたり、ポジティブな内容も組み込んだりといったアドリブも聞くのであろう。

 だが、この落語家は、生憎そういった力に欠ける。

 噺家も、うまくいってないことに気づいているのであろう。

 顔からはナイアガラの滝といっても過言ではない、それはオーバーなら華厳の滝とでもいっておこうか、兎にも角にも、滝のような汗がひたい方頬から出るわ出るわの大明神。

 うん、華厳(けごん)の滝と言っても、決して過言(かごん)ではない。


 これでプロかと目を疑う。

 前座で出てこられた若手の方の方が、まっすぐで、実力は別としても好感が持てる。

 変な方向に走り、変な方向性の笑いを突っ走る落語家。

 野田秀樹氏も言っておられるではないか。

「全てが悲劇ではいけない。どこかに救いをおりませねば、話は成り立たない。」
と。


 演劇にしろ落語家にしろ、舞台に立つとその人の人芸生が出てしまう。

 人の痛みをKYし、ネガティブで救いようのない話を続ける落語家風男性。

 彼の話聞いて、幾人の方が喜びを覚え、幾人の方が傷ついたのであろうか。

 履歴を見れば、彼はD大学文学部の心理学科専攻だと云う。パンフレットにより、机上の学問を垣間見た一瞬であった。


 緊張の緩和(笑)のない、愚話に愚息を吐き「ぐ」の根も出ぬほどに疲れた私。

 笑いとは何かを真に考えさせられる機会を与えられたことに感謝しているとでも言って、幕を引こう。


 

 ご訪問いただきましてありがとうございます。

 心より感謝申し上げます。


 私は落語知らずですので、ご意見がございますれば、何なりとお聞かせくださり、お教え下さいますれば光栄に存じます。

 

 



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『春日大社のすべて 宮司が語る御由緒三十話』花山院弘匡 著 中央公論新社 2016年12月 春日大社でも、手に入れることができます。

2018-03-10 | 読書全般(古典など以外の一般書)


  『春日大社のすべて 宮司が語る御由緒三十話』



 花山院弘匡 著

 中央公論新社

 2016年12月

 1944円

 202P

 

 おん祭りや絵巻物の関係で、春日大社には親しみを感じる私。

 春日大社などにお参りをすると、絵巻物の中に入り込んだような錯覚を覚え、自然に手を合わせてしまう自分に気づく。

 春日大社様も好きなお寺の一つなので、今回、『春日大社のすべて 宮司が語る御由緒三十話』を楽しんでみた。

 本を開いてすぐに、「若宮様」の意味合いなども詳しく楽しく説明されており、大変有意義な一冊でした。


 本書『春日大社のすべて 宮司が語る御由緒三十話』は、春日大社のお守りなどおさづけされる場所でも購入することができる。

 


古都・奈良に、1300年におよぶ歴史を刻んできた春日大社。祭事・社殿・灯篭・御神宝・神鹿や自然にいたるまで、宮司みずから筆をとり、30のテーマですべてを解説。

 

目次
神山 御蓋山
春日社創立
平城京の守護神
春日社創建
千二百年続く勅祭春日祭
勅祭春日祭(申祭)の儀式
若宮社
春日若宮おん祭
宮中からの旬祭、節供祭、日並御供
式年造替〔ほか〕

 

 古都・奈良に、千二百有余年の歴史をに刻んできた春日大社。祭事・社殿・宝物など、宮司自らが筆をとって解説した、完全ガイド。

 

花山院 弘匡 (カサンノイン ヒロタダ)  
 昭和37年(1962)佐賀県生まれ。60年國學院大學文学部神道学科卒業。奈良県立奈良高等学校などで地理担当の教師を経て、平成20年(2008)より春日大社宮司。現在、南都楽所会長、奈良の鹿愛護会名誉会長、奈良国立博物館評議員、全国国宝重要文化財所有者連盟理事などもつとめる。

 花山院家第33代当主(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 他 『神道千年のいのり 春日大社の心』

 

 上のデーターは全て、e-honより

 



 みなさま、ご訪問くださいまして、誠にありがとうございます。


 
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東大寺修二会(お水取り)「初夜上堂お松明」の初めから終わるまで(21景)リンクあり  2015年3月分 下写真は今年

2018-03-10 | 神社仏閣・祭り


  東大寺修二会(お水取り)「初夜上堂お松明」の初めから終わるまで(21景)




 2015年3月のものですが、

      東大寺修二会(お水取り)「初夜上堂お松明」の初めから終わるまで(21景)

 を記しておりましたので、リンクしておきたいと思います。

 ご興味のある方は、見てくださいますれば幸いに存じます。

 


 尚上の写真は、今年(2018年3月7日)の写真です。




 みなさま、ご訪問に感謝いたします。

 ありがとうございます。



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東大寺のお水取り 修二会 お松明 (全8景)   2018年3月7日

2018-03-08 | 神社仏閣・祭り



      東大寺のお水取り   修二会 お松明 
  


 家族とともに、東大寺の『お水取り展』(奈良国立博物館)を見た後、大変好きな東大寺の修二会に参加することができました。

 お松明はわたくし達が見た中で、大きさも動きも、一番迫力のあるものでした。

 少し風も手伝って、十本のお松明からは火の粉が毎度飛び散り、ストールやコートに杉の葉の煤が多くつきます。

 見ながら火の粉払いで、大層忙しかったです。

 幸いにして、ビニール系の持ち物はありませんでしたので、穴はあきませんでした。


 今年もいい厄払いができました。

 良い春が迎えられそうです。

 
 人がいっぱいです。
 顔はぼかしていますので、参加された皆様、ご安心ください。

 
 お松明を階段で持ち上がり、火をつけます。
 冷たい空気と、厳かな雰囲気な、心地よいです。

 
 消防の方、警察の方、東大寺の関係者の方々が、それぞれの持ち場でお仕事をしてくださっています。
 ありがとうございます。
 
 
 ここから始まるお松明。
 この後、うんと火のついたお松明を外に出してくださったり、回したり、ただにリズムをつけて火の粉を飛ばしてくださいます。

 
 肥立から右に、移動され、また同じように火の粉を飛ばしてくださいます。

 
 右のお松明が火の粉を飛ばすと、それが合図と感じるように、左のお松明が右に向かって、走って移動されます。

 
 上に書いた様子です。左から右に向かい、走られています。

 
 右で、色々工夫してくださって、火の粉は飛び散ります。
 わたくし達夫婦は一番前で見ておりましたので、火の粉を被り、煙の匂いも伴って、大変迫力のある感覚を覚えました。
 上にも書いたように、本当に良い厄払いをしていただきました。
 これで、安心して一年が過ごせそうです。


     

     

     

     

     

     


 修二会(しゅにえ)東大寺

お水取り
 二月堂縁起に、 「実忠和尚二七ヶ日夜の行法の間、来臨影向の諸神一万三千七百余座、その名をしるして神名帳を定(さだめ)しに、若狭国(わかさのくに)に遠敷(おにう)明神と云う神います。遠敷河を領して魚を取りて遅参す。神、是をなげきいたみて、其をこたりに、道場のほとりに香水を出して奉るべきよしを、懇(ねんごろに)に和尚にしめし給ひしかば、黒白二の鵜(う)、にはかに岩の中より飛出(とびいで)て、かたはらの樹にゐる。その二の跡より、いみじくたぐひなき甘泉わき出(いで)たり。石をたたみて閼伽井とす」とあり、魚を採っていて二月堂への参集に遅れた若狭の国の遠敷明神が二月堂のほとりに清水を涌き出ださせ観音さまに奉ったという、「お水取り」の由来を伝えている。

「お水取り」は、12日後夜の五体の途中で勤行を中断してはじまる。「お水取り」の行列は灑水器と散杖を携えた咒師が先頭となり、その後に牛玉杖と法螺貝を手にした北二以下五人の練行衆が続く。13日の午前1時過ぎ、南出仕口を出ると咒師童子が抱える咒師松明が行列を先導し、篝火(かがりび)と奏楽の中、堂童子、御幣を捧げ持つ警護役の講社の人たちや、汲んだ水を入れる閼伽桶を運ぶ庄駈士(しょうのくし)も同道して、「お水取り」の行列はしずしずと石段を下り、途中興成神社で祈りを捧げ、閼伽井屋(若狭井)に至る。

「お水取り」の井戸は閼伽井屋という建物の中にあり、当役の者以外は誰も入ることもうかがうことも出来ない。行列が閼伽井屋に到着すると咒師、堂童子等が中に入り水を汲む。これが二荷ずつ、閼伽井屋と二月堂の間を三往復して、お香水が内陣に納められる。「お水取り」が終わると閼伽井屋に下っていた練行衆等は再び行列を組んで二月堂へ戻り、中断していた後夜の「時」が再開される。  東大寺公式HPより

 

お香水
 12日の「お水取り」で内陣に運ばれたお香水は、大きな桶の中でしずめられた後、13日の神名帳、大導師の祈りの間に晒の布を用いて濾され、内陣須弥壇下の石敷きに埋め込まれた甕(かめ)の中に納められる。その内一つは「根本香水」を納める甕で、「お水取り」で汲まれた水を毎年追い足ししてたくわえているものをいう。行中にこの根本香水を使用して減った分を補充するので、「お水取り」の歴史の分だけのお香水が渾然一体となったものといえる。

 史料には「根本香水之事」として、「この香水はこれ天平勝宝年中、実忠和尚兜率の内院の八功徳水を以って此宝瓶に入、此堂中に納」と記されている。

 また、これとは別に「次第香水」といって、その年「お水取り」で汲まれた水を容れる甕がある。次第香水を容れる甕は、残り少なくなったものをすべて汲み出し、更に晒で甕を掃除してその年の新しいお香水を納める。この甕の掃除は11日の日中の後、壇下の掃除の時に行なわれ、甕から汲み出されたお香水の残りは湯屋に下されて参詣者にも分け与えられる。

 た、この次第香水は、修二会満行後、毎月18日の二月堂での寺役法要の間にその年の堂司の役のものによって汲み出されるが、量に限りがあるので更にそれを二月堂の湯屋の井戸水で割ったものを小瓶に入れて二月堂受納所で一般に頒布している。  東大寺公式HPより

       

       

 みなさま、ご訪問くださいましてありがとうございます。

 心より御礼申し上げます。


     

     

     

     

     

     

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春日大社 影向の松(ようごうのまつ)

2018-03-06 | お出かけ


  影向の松(ようごうのまつ)




 能舞台の後ろに描かれている影向の松は、このブログでも何度となく取り上げさせていただいております。

 能楽だけでなく歌舞伎の舞踊の松羽目物(能狂言を元にした舞踊)の場合にも舞台の後ろには松が描かれています。

 春日大社の影向の松は、おん祭りの「松の下式」の際、影向の松に向かって一例をしてから、芸能を行います。

 この様子は『春日若宮御祭礼絵巻』にも描かれており、オリジナルが奈良国立博物館で展示されたことがあります。(『続(?)日本絵巻物大成』「春日権現験記」(縁起絵巻)にもあり)

 

 

 一説によれば、能楽は春日大社が発祥の地とも言われています。(『春日大社の全て』  花山院 弘匡氏

 春日大社の影向の松が、能舞台の後ろに描かれている松だと描かれたものが多く、そのように思っていました。

 しかし、これにも諸説ございまして、元は、松以外にも描かれていたとか、春日大社とはがギラナイトまで行った大胆発言説までございますが、わたくしは確証していません。

 

 Wikipediaを調べていますと、影向の松と呼ばれるものが春日大社以外にもありましたので、一応載せておきます。

 しかしながら、わたくしは春日大社が好きで、参道を通り、影向の松を見るたびに一礼し、心をときめかせていることも付け加えておきたいと思います。

 なのでわたくしにとっての影向の松は、春日大社の参道右上にある影向の松に他ありません。

     

  影向の松
   影向の松 - 奈良県奈良市の春日大社境内に生育しているクロマツ。春日権現験記にも記されていたが、平成に入って枯れたため現在後継樹が育成されている。
   影向のマツ - 東京都江戸川区東小岩の善養寺境内に生育しているクロマツの巨木。樹齢は600年以上、国の天然記念物。
   影向の松 - 三重県伊賀市の善福院境内に生育している松。現在三代目。
   影向の松 - 岡山県倉敷市の不洗観音寺境内に生育しているクロマツ。推定樹齢200年。天然記念物(倉敷市指定)。


 影向の松の参道を挟んだ向かい側に、夕日に垂らされた松が凛としてそびえ立っていました。背景の電柱などはご愛嬌として、お許しください。

 
 この松、もっと高くそびえておりましたが、幹がまがりくねり、自然にできた盆栽のようで美しいお姿でした。

 夕日が木肌を照らし、かなり男らしい松でございましたことを付け加えておきます。

 春日大社 一之鳥居を入って 参道左側 (影向の松 向かい側)


 

 春日大社は砂ずりのふじや植林された藤や春日山の山藤が美しく、有名です。

 そして春日大社にいつ行っても見事なのが、松。木肌には髪が宿っているように感じます。

 ここの松には、神様がお宿りになられているようにさえ感じます。

 歩いていると、心は清らかになる思いがいたします。春日大社の近くを歩くと、神聖なる神域に触れさせていただいているといった気がします。

 

     

 ご訪問くださいまして、ありがとうございます。

 感謝申し上げます。


     

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春日大社 万燈籠再現 藤浪之屋(ふじなみのや)     (春日大社 節分万燈籠「釣燈籠」(18景+1)あり)

2018-03-05 | お出かけ
   




   春日大社 万燈籠再現 藤浪之屋(ふじなみのや)


 

 
 ここを入ります。

 
 中はこんな感じです。

 
 以前、ここでは御仏様の御御足の元まで行けたのですが、万燈籠が再現されたことにより、中を回ることができません。
 奥側も仕切りがあり、また入り口側も腰掛けが四つ置かれ、仕切りがなされていました。
 上の写真には薄く、御仏様が写っております。(中央少し左上)

 二度ばかり実際に夜に見たことのある春日大社の万燈籠。


    春日大社 節分万燈籠 「釣燈籠」(18景+1)

    春日大社 本殿外の灯 (12景)

 ですが、このように由緒ある建物の中で再現されている万燈籠は、期間に限りがなく多くの方が楽しめて良いですね。

 

 

 春日大社燈籠がたくさんあることで有名で、平安時代から現在まで奉納された燈籠がおよそ三千基あります。
 春日の燈籠は数が多いだけでなく、歴史的な資料としても重要で現存する室町時代以前の燈籠の六割以上が春日大社にあると言われております。
 2月の節分、8月14日・15日の年3回、すべての燈籠に浄火をともす春日万燈籠が行われており、この万燈籠神事を感じていただこうと、江戸時代まで神職の詰所であった藤波之屋を開放しました。
 由緒ある建物の中で、万燈籠の幽玄の美を体験ください。  春日大社公式HPより

 

 拙ブログにお付き合いくださいまして、ありがとうございます。

 感謝申し上げます。


     

      
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郡山城 柳本神社 ひな祭りと、衣装やお道具で『妹背山婦女庭訓』での故芝翫丈の御姿を思い浮かべる。

2018-03-04 | お出かけ


 

 郡山城 柳本神社 ひな祭り飾りの左には、巫女が着衣されるのであろう(?)ひな祭り用の羽織やお道具が置かれていました。

 なんとなく、歌舞伎の『妹背山婦女庭訓』での故芝翫丈の御姿を思い浮かべ、寂寥感を感じてしまいました。

 

 昨日は桃の節句でした。

 ある一節、ある地方では、桃の節句には、子ども用のまな板などの調理道具が用意され、菜っ葉などを刻んだそうです。

 ひな祭りの日、女の子はお料理など女性としての第一歩を歩む日でもあったという説が、何かの民俗学関係の本に書かれていました。

 

 歌舞伎の『妹背山婦女庭訓』では女帝たちに、杓(しゃく)の持ち方を伝授され、違うだの、覚えが悪いだのといじめ倒され、馬子唄まで歌わされます。

 最後は死を遂げる、女。

 桃の節句の女の子のお遊びの中で料理を学ばせることと、ひな祭り用の羽織やお道具(柄杓 ひしゃく)を自分の中で膨らませ、展開させながら見ておりましたので、神妙な心持ちで見入っておりました。

 

 

 郡山城と柳沢神社へは、家族とともに散歩いたしました。

 この季節、郡山の商店街では、ひな祭りを飾る店が多く、その店舗数は軽く百を超えておりました。

 

 

 最後までお付き合いくださいまして、誠にありがとうございます。

     

     

     

 
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郡山城 柳本神社 石碑 昭和天皇【天地乃神にそ祈る朝なき乃 海のことく尓 波たゝぬ世を】

2018-03-04 | お出かけ


 

 奈良県 郡山城  柳本神社に、昭和天皇の平和を祈願された和歌の石碑がございました。

 

     

         昭和天皇御製

        天地乃神にそ祈る朝なき乃

        海能ことく尓 波たゝぬ世を

             梨本徳彦謹書





            昭和天皇御製

           天地の神にぞ祈る朝なきの

           海のごとくに 波たたぬ世を

                梨本徳彦謹書      


              奈良県 郡山城  柳本神社の近くにて 

 


    

 ご訪問いただき、誠にありがとうございます。

    
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奈良郡山城  柳沢神社 絵馬「川中島合戦」 奉納年代不詳(比較的新しい)とお雛様柄の絵馬

2018-03-03 | お出かけ

  奈良郡山城 
  柳沢神社 絵馬「川中島合戦」 奉納年代不詳(比較的新しい)




 


 川中島の戦い(かわなかじまのたたかい)は、日本の戦国時代に、甲斐国(現在の山梨県)の戦国大名である武田信玄(武田晴信)と越後国(現在の新潟県)の戦国大名である上杉謙信(長尾景虎)との間で、北信濃の支配権を巡って行われた数次の戦いをいう。

 最大の激戦となった第四次の戦いが千曲川と犀川が合流する三角状の平坦地である川中島(現在の長野県長野市南郊[1])を中心に行われたことから、その他の場所で行われた戦いも総称として川中島の戦いと呼ばれる。  Wikipedia引用

 
 合戦地図   Wikipedia

 川中島の戦いの主な戦闘は、計5回、12年余りに及ぶ。実際に「川中島」で戦闘が行われたのは、第二次の犀川の戦いと第四次のみであり、一般に「川中島の戦い」と言った場合、最大の激戦であった第4次合戦(永禄4年9月9日(1561年10月17日)から10日(18日))を指すことが多く、一連の戦いを甲越対決として区別する概念もある(柴辻俊六による)。
    第一次合戦:天文22年(1553年)
    第二次合戦:天文24年(1555年)
    第三次合戦:弘治3年(1557年)
    第四次合戦:永禄4年(1561年)
    第五次合戦:永禄7年(1564年)

 
 故人春亭画 応需広重模写「信州川中嶋合戦之図」  Wikipedia


 

 郡山城 柳沢神社 絵馬は「川中島合戦」とまさしく馬の「絵馬」のみであった。


   

 

 桃の節句に合わせた、二種類の可愛らしい奉納祈願絵馬(?)を見かけた。戌年にちなんだ犬の柄の絵馬も可愛い。

 いずれも柳沢神社で祈願となを書き、願をかけて吊るしておられるようだ。

    

 ご訪問いただき、ありがとうございます。

 感謝申し上げます。

    



 




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『医者が教える、知らないと怖い50の真実』 酒匂 常男  著  SB新書251

2018-03-01 | 読書全般(古典など以外の一般書)



 トップ白黒の写真は能楽『天鼓』(てんこ)  東大寺鏡池

 ここから撮っています。

 






『医者が教える、知らないと怖い50の真実』

 

 酒匂 常男  著
 東京近郊のクリニックと都内の大学病院を兼務する29年目の内科医。
 以前はある分野では関東で屈指の名医(迷医?)と言われていたが、今は居酒屋専門医と称されるようになった。
 実診療では、問診はかなりしつこく、しかしエビデンスに基づいた説明・治療をモットーにしている。座右の銘は「努力してできたことを標準と思え」。
 趣味はフライフィッシングとウォーキング(紅灯の巷の散策)。

 SB新書 251

 2014年3月25日

 ¥ 788

 目次
 第1章 あなたの健康常識はヒジョーシキです!
 第2章 あなたの知らない危険がいっぱい!
 第3章 医者は何でも知っている?
 第4章 ホンネを言わせてもらいます!


 

『医者が教える、知らないと怖い50の真実』 は少し恐ろしく感じつつ、読み進めた。

 参考になる部分もあり、読んで損はない一冊。

 もう少し早く読みたかったと後悔すること、しきりりなし。(そのようにたいそうなことでもないか…)


 著者 酒匂 常男氏の書かれた本があれば、引き続き読んでみたい。

 


 ご訪問くださいまして、誠にありがとうございます。

 

 
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『気ままに漢詩キブン』より 『春暁』孟浩然

2018-03-01 | 読書全般(古典など以外の一般書)


  『気ままに漢詩キブン』


 

 足立 幸代
 1976年兵庫県生まれ。2013年、武蔵野美術大学通信教育課程コミュニケーションデザインコース卒業。中国古代史ファン。

 筑摩プリマー新書210

 2014.2.10

 850円+TAX

 

 目次
1章 恋はいつでもウラハラ(ドタキャンのにおい―「静女」詩経
   ツンデレ?―「(けん)裳」詩経 ほか)

2章 酒をやめたら寝こんじゃう(まだかなまだかな―「待酒不至」李白
   朝酒サイコー―「卯時酒」白居易 ほか)

3章 生まれてくれて、ありがとう(どうか元気に育っておくれ―「命子」陶淵明
   うちのやんちゃ娘―「嬌女詩一首」左思 ほか)

4章 今日も一首、よませてもらおう!(嬉しくならずにいられない―「自遣」王安石
   開放感いっぱい―「登科後」孟郊 ほか)

5章 あの月はどこからきたの(静謐な梅花の庭―「山園小梅」林甫
   印象派の絵画のよう―「海棠渓」薛涛 ほか)

 

 筑摩プリマー新書という中学、高校生向きの漢詩の本を、料理をしながら台所で読んでみる。

 しかし、この本のノリが、私には馴染めない

 例えば上で書いた一章にあるような、「恋はいつでもウラハラ(ドタキャンのにおい―「静女」詩経 ツンデレ?―「(けん)裳」詩経 ほか)」と記されても、ピンとこない。

 むしろ、べったり漢詩気分を味わいたい私にとっては、漢詩キブンでは満足感を得ることができない。

 本書では、今風のノリと考えておられる著者の説明部分は読むのを省き、白文と書き下し文と多少の語句の説明のみを読み進みて楽しんだ。

 結局、普通の古典文学的な漢文を読めばよかったのだと、後悔する。

 幸い昨年、漢詩全集を購入したので、続きとしては、全集の中から好きな作者を読み進めたい。

 


 『春暁』  (春眠暁を覚えず)

    孟浩然


ここでは、中国の詩人、孟浩然がよんだ漢詩「春暁」の原文(白文)、書き下し文、現代語訳・口語訳、文法解説を記しています

原文(白文)

  白文      書き下し文

  春 眠 不 覚 暁   春眠暁を覚えず

  処 処 聞 啼 鳥   処処啼鳥を聞く

  夜 来 風 雨 声   夜来風雨の声

  花 落 知 多 少   花落つること 知る多少



 


 ご訪問くださいましてありがとうございます。

 心より感謝申し上げます。

 




 
コメント
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