乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

六月三十日   今日は、水無月を食べるよ。

2018-06-30 | 民俗考・伝承・講演
  写真は桃太郎のためにきびだんごをついているおじいさんとおばあさん  愛知県犬山市 桃太郎神社





 今日は、水無月最後の日。
 実家の一人が六月三十日生まれだったので、必ず、水無月(外郎に小豆のたんたのを散らし三角形に切り分けたもの)を食した。
 以前にも書いたが、水無月(お菓子)はういろう部分が白いものと、黒糖のものがある。
 黒糖の甘みはインパクトが大きく、夏の疲れを吹っ飛ばしてくれそうだ。
 京都の人は、この日、こぞって饅頭屋の店頭に行き、
「黒、十個」「黒、十二個」
といった具合に黒糖の水無月を買い求めることが多い。


 こういった現象は、五月の柏餅にも見られる。
「味噌餡、十個」「味噌餡、十二個」
という具合だ。
 もちろん、そういうご家庭が多く見られるというだけで、白い水無月やこしあんの柏餅が好きな京都の方もいらっしゃることも付け加えておきたい。

 
 六月三十日といえば、夏越祓(なごしのはらえ)
 夏越祓の輪くぐりによって半年間のケ(ケガレ)をはらい、無病息災を祈って水無月(お菓子)をいただく。
 程よく冷たいお菓子は喉の通りもよく、この暑い時期にはうってつけだ。
 体の熱を多少は取り去っってくれ、理にかなっていると感じる。


 そういえば、今日は春日大社さんの夏越の祓の案内を頂戴していた。行けばよかったか…。
 厄払いも兼ねて、単車に乗って隣町の神社にでもいってみようと思う。


 明日からは、七月。
 暑いぞ!
 本格的に夏突入。



 お付き合いくださいましてありがとうございます。
 心より感謝申し上げます。
  







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七月の祇園祭を前に、半端に「八坂神社」「祇園社」「木瓜紋(もっこうもん)」を思う。

2018-06-29 | 民俗考・伝承・講演
       写真は、2014年 祇園祭 鉾近くにて



 

 
  「八坂神社」「祇園社」「木瓜紋(もっこうもん)」




 
 先日思わぬ所・思わぬ形で、「八坂神社」「祇園社」「木瓜紋(もっこうもん)」を拝ませていただいた。

「八坂さん、祇園社の文字と木瓜紋」ですねとお尋ねすると、主曰く、我が家の守り神です、と。

 おそらく三桁は参拝したであろう八坂さんの文字に、目頭が暑くなる。

 京の町では、七月の一ヶ月間は、祇園祭一色である。


 八坂神社の池周辺では瓜(マクワウリ)を栽培したという。龍神に奉納したという。

 934年に祇園感神院を建立したとされている。


 伝承では、逃げてきた牛頭天王がマクワウリ畑に隠れたことで難を逃れた。なんだか、多少スサノオとの類似を思い浮かべる。

 一説では、牛頭天王は栽培人に
「瓜畑のお陰で助かった。瓜を珍重するように」
と言ったされている。

 牛頭天王は新羅から瀬戸内より備後国(広島県福山市)に渡来し、播摩の牛頭天王は京都の八坂郷の瓜生山に降臨したとされる。


 祇園祭期間は、京都人は、きゅうりを食べないとされているが、八坂神社の氏子や祇園祭の山鉾町の人びとである。

 鉾町で生まれた私は、物心がつくまでは、七月はきゅうりを食べなかったのであろうか…。引越し後は、祇園祭にきゅうりを食べなかったという記憶はない。

 ただし、上にも書いたように、八坂神社の御神紋は胡瓜ではない。

 正しくは木瓜である。

 五瓜に唐花紋と胡瓜の断面にとは少ししか似てない。

 胡瓜の断面が徳川家の葵紋に似ることから、祇園祭には胡瓜を食べないという話を度々聞いたことがあるが、真実は知らない。

 徳川光圀曰く、毒多くして能無し。植えるべからず。食べるべからず、と。

 徳川を喰うな!という言葉が聞こえてきそうだ。




 お付き合いくださいまして、誠にありがとうございます。




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愛知県犬山市 桃太郎神社〔境内で出会った順にシュール・キャラ・モニュメント等をただひたすらに写真で追ってみた。〕(20景)

2018-06-29 | お出かけ
 
 愛知県犬山市 桃太郎神社〔境内で出会った順にシュール・キャラ・モニュメント等をただひたすらに写真で追ってみた。〕(20景)


 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 愛知県犬山市栗栖字古屋敷
 主祭神 大神実命
 例祭 5月5日

 
 余談ですが、桃太郎後ろの石段の真ん中には滑り台があり、着地成功。スポーツ選手さながらです。


 みなさま
 ご訪問ありがとうございます。
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愛知県犬山市 桃太郎神社で、十八代目 中村勘三郎★と再開を果たした。

2018-06-28 | 舞台・音楽 雑感メモ

 愛知県犬山市 桃太郎神社で、十八代目勘三郎★と再開を果たした。

 今や、ご長男が、十八代目を支えようと力を注いでおられる。

 写真の桃太郎とお猿さんが十八代目とそのご子息に見え、ほくそ笑む。

 芝居好きの阿呆の私が考えることって、この様なたわいないことでございます。

 

 うまいのは七之助さん。

 彼は美しすぎて、反感を持たれる場合が多々あるが、おかるなどを演じられると、美しさのあまり会場中に悲鳴やどよめきが起こることもある。

 美しいばかりではなく、彼な、形で演じられる役者さんなので、歌舞伎を見ているといった満足感が得られる役者さんのお一人。

 

 桃太郎神社で、十八代目勘三郎さんにお会いすることができ、そんな風に感じた。

 

 上の桃太郎モニュメントは、どう考えても、俳優祭における十八代目勘三郎さんに見えますよ!ね?

 

 みなさま、ご訪問、ありがとう存じます。
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桃ちゃん、ぱっかーん♡ 日本における桃太郎伝説の地 (写真は愛知県犬山市 桃太郎神社)

2018-06-28 | 民俗考・伝承・講演


   桃ちゃん、ぱっかーん♡ 半端に、桃太郎伝説



 奈良の田原本は近鉄電車の乗り継ぎで、個性的なところ。

 電車の乗り継ぎがスムーズでなく、ブログで親しくさせていただいている電車好きの方も、ここの駅について記事にされていたことを覚えている。

 この田原本という地には、桃太郎伝説が残る。

 だが、元は奈良人ではない私たと不夫婦にとっては、詳細を知らない。

 田原本の桃太郎ゆかりの地を訪れよう訪れようと思いつつ、月日ばかりが流れる。

 そして今回、奈良の田原本における桃太郎ゆかりの地を訪れる前に、愛知県犬山市に1する桃太郎神社を訪れることと相成った。


 犬山市についたのは昼前。

 ホテルの食事予約時間には一時間ばかり余っていたので、手短に短時間タクシーをチャーターし、桃太郎神社へと向かう。

 神社について、桃太郎に登場するキャラクターたちのあまりのシュールさにまばゆさを感じる。

 あまり芸術的造形物とは言い難いが、神社全体は、桃太郎のレジャーランドのようであった。


 犬山市の桃太郎神社の写真は、次回での記録としたい。

 ここでは日本にある桃太郎ゆかりの地のごく一部をす紹介したい。

 なお桃太郎の三大伝説地は、岡山県,香川県,愛知県とされている。

 全国に伝わる桃太郎の伝承は,大和政権(大和朝廷:大和王権)による全国統一の戦いと深く関わっているとの見方もある。




 桃太郎神社の桃太郎(愛知県犬山市)
 吉備津彦神社の桃太郎(岡山県岡山市)
 桃太郎の凱旋(香川県高松市)
 桃太郎伝説発祥の地 奈良県磯城郡田原本町  他



  
 桃ちゃん、ぱっかーん ▼
 

 

 


 みなさま、ご訪問、誠にありがとうございます。
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名鉄犬山ホテル敷地内  国宝 茶室如庵、 如庵近くの弘庵でお茶をいただく。(9景)

2018-06-25 | お出かけ
   名鉄犬山ホテル 敷地内  

          国宝   茶室如庵




 四月桜の候、犬山市に行く。

 犬山市では二つの目的あり。一つは犬山城の桜、あと一つは、国宝 茶室如庵であった。

 お茶お菓子付きの有楽苑入苑券を購入して中に入ると、静寂な庭園の中、諸々の茶室がある。

 少し大きめの、如庵とは別の茶室、弘庵で、お茶をいただく。

 お菓子は有楽風邪。 渦巻き状のお菓子で、京都の和菓子、観世や雲龍を思い浮かべる。

 甘さは京都の菓子より、控えめ。

 

 お軸は漢文。「吹春風」の様な内容だったように思うが、ウル覚え。メモを取っておけばよかった。

 掛け軸で、接待いただいた女性と話が盛り上がる。

 なんでも、東大の名誉教授が書かれたお軸らしい。

 力強い文字であったことを覚えている。

 

 茶席 弘庵では、写真を一枚も撮らなかった。

 だが、ネットで見ると、茶席内の写真もアップされている。

 少し残念。撮ればよかったか…(笑み)

 

 茶席には、私たち三人の他に、三つ、四つのグループが席に着かれていた。

 そのうちの一つは、どう見ても、大学院生の男子お二人。

 彼らもまた掛け軸を眺め、私と接待女性の話を聞いておられ、お抹茶を飲んだ後の器を舐め回すように見ておられた。

 大変好感の持てる若者お二人であった。

 

 春たけなわ、茶席でいただくお菓子は旅に花を添える。



 

 

 

 

 

 

 
 茶室如庵周辺
 
 茶室如庵周辺
 
 茶室如庵周辺


 以下、ウィキペディアより引用 ▼

 如庵(じょあん)は、愛知県犬山市の有楽苑にある茶室である。
 昭和47年(1972年)に、名古屋鉄道によって現在地に移築された。

 国宝指定は昭和26年(1951年)

 この如庵という名称は、一説によれば庵主織田有楽斎のクリスチャンネーム「Joan」または「Johan」から付けられたという。

 なお、有楽斎はこれより前に如庵の名を持つ茶室を大坂天満屋敷にも好んで(造って)おり、同じ有楽苑内に「元庵」の名で復元されている。

 

 歴史

 元和4年(1618年)に、織田信長の弟・織田有楽斎によって、京都・建仁寺の塔頭・正伝院が再興された際に建造された茶室である。

 明治6年(1873年)に正伝院は永源庵跡地に移転したが、その際に、祇園町の有志に払い下げられた。


 明治41年(1908年)に東京の三井本邸に移築された。この際、解体せず原型のまま車両に積んで東海道を東京まで運搬したのは、京都の数寄屋大工平井家4代竹次郎である。

 三井の重役で、著名な茶人の益田孝がこれを愛用した。


 昭和11年(1936年)に重要文化財(旧国宝)に指定された。

 その後、昭和13年(1938年)に、三井高棟によって神奈川県中郡大磯の別荘に移築された。


 昭和47年(1972年)に、名古屋鉄道によって堀口捨己の指揮の下で現在地に移築されている。

 昭和26年(1951年)に文化財保護法による国宝に指定されている。

 

 構成

 杮葺き入母屋風の妻を正面に向け千利休の待庵とも違った瀟洒な構え、二畳半台目の向切りの茶室。

 正面左側に袖壁を持つ土間庇を設け、右躙り口、正面控えの間(扈従の間)へのアプローチとする。

 躙り口入って左側奥に四尺の出床、その右手やや奥に勝手からの入り口。茶道口と給仕口を兼ねるこの勝手口からは給仕の動線に沿って斜行する壁を立て足元には三角形の板畳「鱗板(うろこいた)」を敷く。

 ナグリの床柱はそのチョウナの目痕に武家らしい剛直さを感じさせるが決して粗野ではない。

 勝手口から入ったところの台目畳が亭主座。

 横に道庫。床の間は亭主の右手後方に位置することになるが、出床にしたため距離的には離れない。

 亭主座の風炉先に中柱を立て板壁で仕切っている。

 中柱と板壁で風炉先にある相伴席の半畳を亭主畳と区切るとともに下部は丸く切り欠いて吹き通しにして相伴者の視線への配慮もぬかりない。

 鱗板とともに異例の構成であるが不合理性は感じられず、「利休七哲とは別格」といわれる有楽斎の並々ならぬ技量を示す。


 二畳の小間と違ってゆとりがありかつ緊張感を失わない室内空間は、「二畳半、一畳半は客を苦しめるに似たり」と言い切った如庵・有楽斎の面目躍如と言うべきだろう。

 篠竹を打ち詰めた「有楽窓」、古暦を腰に貼った「暦張り」も有名。

 前庇下の室内は勾配そのままに化粧軒裏の掛け込み天井になっていて中央には突き上げ窓が穿たれている。

 壁面にはつごう5カ所の窓が設けられているが、ひとつは袖壁のある土間庇に向けられているし、南側の二箇所は通常直射日光を嫌って光量は押さえられるし、さらに東壁の二箇所は竹を詰め打ちにした有楽窓であるから、光量としては十分とは言えない。

 しかし室のほぼ中央に設けられた突き上げ窓からの光がこれを補って余りある。

 むしろ周囲の窓からの光量を絞り込むことにより天窓からの光の効果をより劇的なものにしている。

 

 現代的な視点からこの茶室を眺めてみても、そこに貫かれている合理性はほとんど完璧なものと言っていい。

 勝手の間は三畳、炉と水屋を備える。無双窓はしっかりとした造作でここにも有楽斎の武人らしい好みが反映されている。

 総じて端正で利休の草庵茶室とは一線を画しており「武家の節度」を感じさせる名席中の名席。

 

 各地に写しの茶席が残る。別名「暦張りの席」。

 


 拙ブログにご訪問いただき、誠にありがとうございます。
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名鉄犬山ホテル   日本料理 有楽(うらく)で、桜尽くし   2018年4月(6景)

2018-06-25 | お出かけ

 名鉄犬山ホテル   日本料理 有楽(うらく)で、桜尽くし




 
 名鉄 犬山ホテル の庭から見た、犬山城

 
 庭
 反対側には現代的なチャペルがある。

 
 家族三人で、桜を見ながら、桜づくしのお料理をいただく。

 
 お食事処の窓から見える桜

 
 お食事処の窓から見える桜

 
 廊下を出ると、夜桜
 こそばがゆいほどの、 
  
         桜 咲くら さくら




 みなさま、ご訪問、誠にありがとうございます。

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古典芸能への招待 「仮名手本忠臣蔵 祇園一力茶屋の場」    丈丈丈 尤尤尤 尤尤尤尤

2018-06-24 | TVで 歌舞伎・能楽


   古典芸能への招待 「仮名手本忠臣蔵 祇園一力茶屋の場」



 テレビで、白鴎襲名披露、歌舞伎座二月の「仮名手本忠臣蔵 祇園一力茶屋の場」を見たよ。

 仮名手本忠臣蔵(通し)は馴染むの演目のひとつで、「仮名手本忠臣蔵 祇園一力茶屋の場」も、台詞や仕草を覚えているくらいに親しみを覚える場だよ。


 おかるとその兄の場は、昔でいう孝玉の組み合わせで、心がワクワクするよ。

 高校生の頃に初めて見たとても好きな孝玉だが、今は随分と演じ方や化粧も変えられているよ。

 特に玉三郎さんのお化粧は随分と変わってきたし、演じ方も形に重きを置かれ、文楽を意識してだか多少の人形振りまで海魔にられ、重厚だよ。



「仮名手本忠臣蔵 祇園一力茶屋の場」でのおかるは、いろいろな役者さんで見たけれど、特に印象に残っているのは、

    藤十郎丈
    秀太郎様
    故勘三郎さん
    七之助さん
    
 他にも雀右衛門さんや考太郎さんや他多くの役者さんで、リアル舞台でも、テレビでも見たことがあるよ。

 それぞれの役者さんの演じ方や仕草が思い出されて、舞台はいろいろな思いを巡らせることができて、楽しいよ。


 今回、兄弟の再開で兄が
「少し見ない間に綺麗になったな。ちと、兄やんに見せてくれ。」
のところで向かって兄の左のまま
「こうかいなぁ。」
とすんなり仕草は展開されたが、右に回って後ろを向き両手を広げて
「こうですかいなぁ!」
 という役者さんが多いよ。

 中でも七之助さんのその場面は美しすぎて、会場中どよめきが起こったことがあるよ。
 確か、松竹座でのことだったよ。

 
 そかし、仁左衛門丈もお年を召されたな。
 年齢を重ねられて入るけれど、仁左さんは当然のことながらリアル芝居でお上手。男前でかっこよく、素敵だよ。
 少し気にかかったのは、以前に比べて、2箇所だけ、間が長い部分があったこと。
 大好きな仁左衛門丈、いつまでもいつまでもお元気で頑張って!!!


 ところで、染五郎の時から好きな、白鴎丈
 白鴎丈が出てこられると、引き締まりまする。

 彼の台詞の言い回しは、40年前の歌舞伎を思い浮かべ、嬉しくなるよ。
 こういった言い回しをされる役者さんが減ったことは、一般的にはわかりやすく身近に歌舞伎が感じられるのかもしれないけど、さみしいことだよ。
 最近歌舞伎を見はじめられた方々で、中には彼に対して下手だという方々もいらっしゃるから、サァ!大変!!!
 いや!うまいから!!!と声を大にして申し上げたい!!!
 白鴎丈は、根っからの歌舞伎を演じられているから!!!
 好き嫌いでいうのはいいけど、変なレッテルを貼らないでと、最近の歌舞伎だけに馴染んでおられる方々に申し上げたい。
 そのように、知人が申しておりました^^か?


 七月昼夜、家族とともに見る白鴎丈と仁左衛門丈と藤十郎丈
 丈丈丈と三揃。何と気の多いことでしょう。
 丈丈丈とかけな東大寺や興福寺の僧兵たちが絵巻物で、尤尤尤と左右で言い合っている場面を思い出す。

 丈丈丈 と 尤尤尤

 どことなく文字の形が似ていませんこと?

 ウンウン
 尤尤尤 尤尤尤尤






 拙ブログにお付き合いくださいまして誠にありがとうございます。

 感謝申し上げます。

 


 


 



 




 2018年6月24日(日) 午後9:00~午後11:00(120分)

「仮名手本忠臣蔵 祇園一力茶屋の場」

 平成30年2月歌舞伎座 白鴎襲名披露

 松本白鸚  市川染五郎,片岡仁左衛門,坂東玉三郎,大谷友右衛門,坂東彌十郎,中村松江,松本錦吾,
 竹本泉太夫,豊澤勝二郎,竹本愛太夫,豊澤淳一郎,

 1時間44分00秒


 詳細高麗屋三代襲名披露の歌舞伎座二月公演から「仮名手本忠臣蔵 祇園一力茶屋の場」をご覧いただきます。37年前初世白鸚が襲名披露狂言として由良之助を演じ、孫の染五郎(現幸四郎)が力弥を演じたこの演目を今度は現白鸚と孫の現染五郎が演じます。「七段目」の由良之助は廓(くるわ)で遊ぶ色気とあだ討ちを志す忠義一途な心を両輪に勤める難役。幸四郎改め二代目白鸚の「深き心」の由良之助を堪能できる見応えのある舞台です。
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桜の候、名古屋の犬山城(国宝 室町時代 天文6年 築城者 :織田信康)を訪れる。  2018.4

2018-06-24 | お出かけ


 犬山城  室町時代 天文6年(1537)


 

 桜の候、家族三人で名古屋犬山市の犬山城に行く。

 興福寺の室町時代の某日記を江戸時代に写したものに触れてからというもの、多少なりとも室町時代に関心を持った私にとっては、犬山城が楽しくてならない。

 あいにく、桜の見頃を迎えていたので、桜は楽しめたが、天守閣に登るには相当時間がかかるため断念した。

 別の機会を見つけて、もう一度訪れたい。その時は、モンキーセンターで遊ぼう。

 また、車道付近の本格的クビデがいただけるイラン料理のうまい店も訪れ、食事兼、少し多めのテイクアウトもしたい。

 



  ここからは写真を記録したいと思います。▼

 
 美しい犬山城。城下町の栄かたを見ると、かなり勢力があったと感じた。

 

 

 
 石垣は細やか。大きく切り出した石の大阪城とは対照的である。
 大阪城の石垣がペルセポリスを思い浮かべ懐かしむことができるので好きだが、犬山城の品の良い現代アートのような重厚さも好きである。
 犬山城の石にカドミウムイエローやダークグリーンやコーラルレッドをくどくならない程度に加えると、名前をつければ現代美術が出来上がりそうだ。

 

 
 確か、楠だったような? なんでも芝居(歌舞伎)に結びつける私は、この古木を見て、七代目中村芝翫の『藤娘』を思い浮かべる。
 七代目中村芝翫の『藤娘』の舞台に垂れ下がる藤は、他の役者にくら寝て花が少し大きめである。





 

犬山城は戦国合戦の舞台 (犬山城公式HPより引用  ▼)

国宝犬山城は、室町時代の天文6年(1537)に建てられ、天守は現存する日本最古の様式です。木曽川のほとりの小高い山の上に建てられた天守最上階からの眺めはまさに絶景。周辺には犬山城下町の古い町並みや、多くの観光施設があります。信長・秀吉・家康が奪い合い、歴史の荒波を生き残った、国宝犬山城をご覧ください。
名称
:国宝 犬山城
通称
:白帝城
立地
:平山城
天守構造
:望楼型・三層四階地下二階・複合式天守
天守の高さ
:約19m
築城年
:天文6年(1537)
築城者
:織田信康(織田信長の叔父)
廃城年
:明治4年(1871)
指定文化財
:国宝(天守)
主な城主
:織田氏・池田氏・石川氏・成瀬氏
所在地
:愛知県犬山市犬山北古券65-2



 みなさま

 拙ブログにご訪問くださいまして、誠にありがとうございます。
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和舞・東遊奉納目録  平成三十年四月二十九日 午後四時  春日大社大宮若宮御神前 (5枚)

2018-06-23 | 神社仏閣・祭り


              平成三十年四月二十九日 午後四時
 和舞・東遊奉納目録
              春日大社大宮若宮御神前



 

 

 

 

 


 春日大社  和舞(本社)と東遊(若宮)東遊奉納は神事の一つであり、トルコのセマー(回旋舞)を思い浮かべる。 (20景)


 家族のプリンターを使えばよかったのですが、私用のスキャンの調子が悪く、カメラで写しています。

 また画面がモアモアとしていますのは、私のメモ書きを消しているせいです。

 お見苦しいとは思いますが、春日大社の和舞・東遊奉納を目録にて想像してくださいますれば幸いです。

 みなさま、よろしくおねがいいたします。



 拙ブログにお付き合いくださいまして、誠にありがとうございます。


 心より感謝申し上げます。
        
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なんとなく、(故)七代目芝翫丈について思う。

2018-06-22 | 舞台・音楽 雑感メモ


  七代目芝翫丈

 

 七代目芝翫が亡くなられて、早七、八年が経つというのに、瞼を閉じれば未だ私の中で演じ、舞続けておられる。

 彼が出てこられると舞台の色彩は、品の良いオーレーリンの光を放たれていた。

 舞台は明るくなり、独特のイメージで演目を彩られる。

 

 江戸時代の芝翫のことだが、関西に来られるとなると、和歌山には立派な芝翫船が何槽も出たという。

 私はそれを、確か、大阪歴史博物館であったか或いは他の博物館か美術館であったかは定かではないが、浮世絵(役者絵)で見たことがある。

 浮世絵(役者絵)で見る限り、江戸時代の中村芝翫は、千両船、万両船役者であったらしい。

 和歌山といえば蜜柑船の紀伊国屋文左衛門が有名であるが、浮世絵ではそこまでは認められなかったので、蜜柑に関係するか否かは定かではない。

 

  七代目芝翫丈はリアル舞台でもかなり多く見る機会に恵まれたし、歌舞伎チャンネル(現在は無い)や衛星劇場で驚くばかりの回数を見たが、彼のオーラと演技の深さは計り知れぬものがあった。

 現在は迫力のある八代目芝翫(元中村橋之助さん)が名をついでいらっしゃるが、芸風は随分と違う。

 しかしながら彼の見得の切り方やお人柄の良さが舞台に滲み出ており、彼も好きな役者の一人である。

 彼がカッコのいい演目を演じられると、劇場中に黄色い悲鳴や感性は湧き上がる。

 

 最近、テレビ等で、どことなく七代目芝翫丈似の役者さんを見つけた。

 家族曰く、そんなわけがないでしょう、と。

 だが、私は思う。演技の細やかさ、見得のかっこよさ、品性が滲み出たお顔立ちと演技力。

 多少の受け口ですっと力を抜いて笑まれるその姿は、七代目芝翫丈の再来ではないかと。

 私は、演じ手の芝居や舞に芝翫の姿を求めて、ユーチューブに釘付けである。

 もう一つ言うならば、受け口は三白眼とともに、世界中を考えて偉人が多いとされている事でも有名である。

 

 齢を重ねても、阿呆は阿呆

 舞台が好きでよかった。

 書物が好きでよかった。

 何よりも、阿呆で良かったと歳を重ねて痛感する今日この頃である。

 


 拙ブログに最後までお付き合いくださいまして、心より感謝申し上げます。


 

 


 


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春日大社  和舞(本社)と東遊(若宮)東遊奉納は神事の一つであり、トルコのセマー(回旋舞)を思い浮かべる。 (20景)

2018-06-22 | 神社仏閣・祭り


    
  
   春日大社  和舞(本社)と東遊(若宮)東遊奉納は神事の一つであり、
   トルコのセマー(回旋舞)を思い浮かべる。







 『旋舞(セマー) 』   トルコ 国鉄シルケジ駅構内/カッパドキア・ケーブ内  他  (写真あり)
 

 和舞と東遊は修行も兼ねてくるくると回るといった内容ではないが、セマー(舞)が始まる前には、動物の毛の様なものの上に座り、神事(の様なこと)が仰々しく行われる。

 セマーは神事なので、『翁』と同様、神事及び舞が終わるまでは、酒や飲食は禁止。

 セマーが終われば、飲食は自由である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 拙ブログにお付き合いくださいまして、誠にありがとうございます。
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春日大社の本社と若宮にて 和舞、東遊奉納を拝観を楽しませていただく。[NO.2 12景]   

2018-06-22 | 舞台・芝居


   春日大社講座受講後、春日大社の本社と若宮にて 和舞、東遊奉納を拝観[NO.2 12景]




 今となってはずいぶん以前の記録となり申し訳ございません。

 4月29日、藤満開の候、春日大社の和舞の講座を受講。

 講義受講後、春日大社二箇所(本社と若宮)で、和舞と東遊を拝見させていただいた。

 伝統芸能に少なからず関心のある私は、貴重な経験をさせていただき、関係者の皆様方に感謝している。

 ここからは、写真で記録したいと思います。今回はスマホではなく、カメラを使用しています。

 かなり距離があり、フリーハンドのズームで撮っていますので、ブレなどお許しくださいます様お願い申し上げます。

 

 
 柏の葉でお神酒を飲む。

 

 

 
 春日大社の山藤

 

 

 

 
 講座のプリント(部分)奉納の舞を前にして、同じ衣装であることを確認した。

 
 講座のプリント(部分)奉納の舞を前にして、同じ衣装であることを確認した。

 
 講座のプリント(部分)奉納の舞を前にして、同じ衣装であることを確認した。

 

 
 春日大社の藤
 この藤にはマルハナバチが吸い寄せられてくる。
 マルハナバチは、人を刺さないらしい。

 国宝殿
 読売新聞社後援 ◆いのちと心の講座129◆
 平成29年4月29日(祝) 13時半 受付開始 会 場 : 春日大社 感謝共生の館
 講 師 : 秋田真吾(春日大社 国宝殿 学芸員)



 最後までお付き合いくださいましてありがとうございます
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春日大社の本社と若宮にて 和舞、東遊奉納を拝観を楽しませていただく。[NO.1 11景]   

2018-06-22 | 舞台・芝居


   春日大社講座受講後、春日大社の本社と若宮にて 和舞、東遊奉納を拝観[NO.1 11景]




 今となってはずいぶん以前の記録となり申し訳ございません。

 4月29日、藤満開の候、春日大社の和舞の講座を受講。

 講義受講後、春日大社二箇所(本社と若宮)で、和舞と東遊を拝見させていただいた。

 伝統芸能に少なからず関心のある私は、貴重な経験をさせていただき、関係者の皆様方に感謝している。

 ここからは、写真で記録したいと思います。今回はスマホではなく、カメラを使用しています。

 かなり距離があり、フリーハンドのズームで撮っていますので、ブレなどお許しくださいます様お願い申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 平成29年4月29日(祝) 春日大社講座受講後、春日大社の本社と若宮にて 和舞、東遊奉納を拝観
 日本に古くから伝承されている芸能に国風歌舞(くにぶりのうたまい)がある。

 春日祭や春日若宮おん祭など で奉納される和舞や東遊、また御神楽の人長舞がこれに相当。

 この国風歌舞や御巫が舞う神楽に欠かせな い楽器が絃楽器である琴です。

「平安の正倉院」と称せられる春日大社には、日本屈指の国宝352点、重要文化財971点を所蔵。

 その 中には国宝の蒔絵箏、和琴や銀琴など他に類を見ない特殊な楽器が神宝として伝来しているとのこと。

 本社と若宮で奉納される和舞と東遊をご拝観いただきながら、普段 聞く機会のほとんどない和琴の響きをご堪能いただきます。


 国宝殿
 読売新聞社後援 ◆いのちと心の講座129◆
 平成29年4月29日(祝) 13時半 受付開始 会 場 : 春日大社 感謝共生の館
 講 師 : 秋田真吾(春日大社 国宝殿 学芸員)



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松竹座の七月大歌舞伎の昼夜チケットが届いたよ。

2018-06-21 | 乱鳥徒然 Rancho's room.
 
 
 松竹座の七月大歌舞伎の昼夜チケットが届いたよ。

 いつもは家族は昼か夜の一階が多いんだけど、今回は、家族も昼夜一緒に見てくれるので、嬉しいな。

 白鴎丈と仁左衛門丈と藤十郎丈たちが御出演なさるのですもの^^

 そりゃ、家族だって、読書の時間を割いてでも、付き合ってくれますよね。


 十一月の南座も、昼夜家族は付き合ってくれるとのこと。

 さすが、白鴎丈!あっぱれじゃ!



 拙ブログにお付き合いくださいまして、誠にありがとうございます。


 

 

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