乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

奈良大学博物館「太田古朴が見た山里の文化財-高野山麓・細川八坂神社の仮面群-」 2024年5月27日(月)~2024年7月27日(土

2024-05-30 | 美術・文様・展示物

 

 「太田古朴が見た山里の文化財-高野山麓・細川八坂神社の仮面群-」(奈良大学博物館) 2024年5月27日(月)~2024年7月27日(土)

 

 初めて、ここに博物館に行く。

 東大寺学園の近くなので、ここに奈良大学があることは知ってはいたが、ご縁がなかった。

 今回は奈良大学博物館の「太田古朴が見た山里の文化財-高野山麓・細川八坂神社の仮面群-」を楽しませていただく。

 修理の様子に加え、多少なりとも伝統芸能に興味のある私は、仮面の部分に興味を持った。

 室町時代の翁面に加え 貴重な大変珍しい【延命冠者の父】である【父尉(ちちのじょう)】の面も加わり、全部で四面見られたことに対して、感謝した。

 

 そういえば毎年正月に京都の八坂神社で『翁』が演じられる。

 次回正月は行こうかな^^

 

 以下は奈良大学公式HP

      ▼

 

【入館無料】

 奈良大学博物館の令和6年度企画展。

 奈良・吉野出身の仏教研究家・太田古朴(おおたこぼく)の仏像修理の実績と研究の事例を紹介

 

 奈良県吉野町生まれの太田古朴(1914-2000)

 奈良美術院で仏像修理を学んだ後、大学や行政機関に属さず、在野の独立した立場で各地の仏像や石造物を調査し、修理や研究、仏像の魅力を発信。

 地域の埋もれた文化財に関心を向け、その価値を所蔵者や愛好家に伝えることで、文化財の継承に貢献した仏像研究家。

 昭和20~30年代にかけて行われた古朴の仏像修理の資料は、調査ノート、図面、拓本、スナップ写真などがあり、学術的に高く評価されている。

  特に図面は、現在のX線CTスキャンで像内を撮影し、像内の品々の画像を読み取る手法を思わせる方法で、調査記録の先取りともいえる。

 

     今回の企画展では、古朴の仏像修理や研究の代表的な事例資料と、昭和50~52年に調査と仏像修理を行った和歌山県高野町の文化財が紹介されている。

  古朴の仏像研究と修理の様子がわかる展示内容となっており、なかでも令和5年に発見された細川八坂神社の仮面群8面は、室町時代前期の翁系面4面など重要な面が含まれ、今回が初公開

 

 

【展示内容】

 太田古朴の代表的な仏像修理と研究の事例/資料25点  太田古朴が依頼を受けて調査と修理を行った高野山麓細川地区の文化財/資料6点、仮面9点、面箱1点、仏像1点 

 

「太田古朴が見た山里の文化財-高野山麓・細川八坂神社の仮面群-」(奈良大学博物館)

開催場所  奈良大学博物館 〒631-0803 奈良県奈良市山陵町1500     

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天理参考館  第95回企画展「器にみるアンデス世界―ペルー南部地域編」 【贋作】【部分的贋作】も多く、贋作である理由が説明されていた。

2024-05-27 | 美術・文様・展示物

 

天理参考館  第95回企画展「器にみるアンデス世界―ペルー南部地域編」 【贋作】【部分的贋作】も多く、贋作である理由が説明されていた。

 

 

 天理参考館に行き、「器にみるアンデス世界―ペルー南部地域編」を見る。

 天理参考館に行くにあたり、私自身が失敗したことが二つある。

 ひとつは、25日と26日は天理教の信者の方々が集われる日で、自然に参考館にも法被を羽織った方々がお見えになる。信仰と楽しみも相まって、おのずと心は高揚され、大声で話される。天理参考館はこじんまりとしており、音響効果抜群に館内には話し声が響き渡る。博物館というよりは、レジャーランドに早変わり。展示品を静かに見たいのであれば、25日と26日は避けるべし。

 

 もう一つは、アンデスに魅かれ、【器にみる】を見逃していたこと。これまでに京都文化博物館などで見た『ペルー展』のようにこめかみに穴をあけ医療を施し頭蓋骨や、呪術的に興味深い絵柄の皿などを想像していただけに、多少肩透かしを食わされた館は否めない。

 また、ペルーもイランのように復興技術が高いようで、復興岸の写真も具体的に展示されていた。

 しかし、【贋作】と潔く表示された展示物や、【部分的贋作】などのいわゆるオリジナル品でないものが多く展示されていて、驚いた。

 確かに展示としては、例えば【中の土色が鮮やかすぎるので贋作(要約)】とか【まつ毛が三本全て上を向いているので贋作(要約)】などと説明されており、そういった観点から見ればそれはそれで面白くも感じたのだが、、、

 

 とりあえずアンデスの部屋だけで1時間半ほどは見たので、説明も丹念に読むことができたことが良かった。

 後は別室でペルシャのガラスやラスター文様などを小一時間は見入っていた。

 ほんと、イランに行きたいやい!!

 もしくは、東京へ!!!

 

 

 以下は東博にて

   ▼

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大和文華館  富岡鉄斎 ―知の巨人の足跡― 特別企画展 没後100年   2024.05

2024-05-19 | 美術・文様・展示物

 大和文華館  富岡鉄斎 ―知の巨人の足跡― 特別企画展 没後100年   2024.05

 

 大和文華館に行く。

 富岡鉄斎の作品は、大和文華館でたびたび紹介されているが、手紙の軸などの初公開の展示品もあった。

 富岡鉄斎は筆のマメな方で、お礼の手紙などををこめてかかれていたようだ。

 またタケノコがおいしいだのとほほえましいエピソードも具体的に記されている。

 今回の展覧会で富岡鉄斎というお人柄がよく、愛妻家であったのではないかとも受け取られる作品や写真が多く掲げられていた。

 

 富岡鉄斎の絵も力強いが、字も力強い。

 そのくせ空間や行間がしっかりととられ、バランスが美しい。

 大きな屏風などは、左に文字が書かれているかと思えば、右に枝がシューッと伸び、動きがある。その屏風は、右から見れば文字のバランスが絵にはまり、左から見れば、左の文字と右端に出た枝が対称の構図を取って描かれ、見事であった。

 

 墨の色が美しく青墨の赤墨も絵に合わせて使われている。

 あまりの美しさに見とれた。そして奈良の墨屋で自分用にと、昭和47年制の古墨を購入した。

 

 さすがの鉄斎といった感じで、今回の展覧会でも朱の鍾馗さまのお軸がかかっていた。

 しかし逆さの朱鍾馗ではなく、頭が上の立像であったことを付け加えておきたい。

 

 富岡鉄斎は私としてはこれまではさほど意識してなかった。

 しかし会場を回り、改めて構図の重要性と余白大切さに気づかされた。

 

 

 

 5月17日の大和文華館の花

 

 

特別企画展 没後100年 富岡鉄斎 ―知の巨人の足跡― 

 2024年4月12日(金)~ 5月19日(日)  

 本年は、近代日本を代表する文人画家・富岡鉄斎(1836~ 1924)の没後100年にあたります。

 当館の鉄斎コレクションを中心に、豊かな学識と幅広い交友のもとに生まれた鉄斎芸術の世界をご覧いただきます。

 

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東大寺の法華堂と大仏殿の仏像と、国立博物館『空海展』の資料を見てきた。

2024-05-10 | 美術・文様・展示物

 

 東大寺の法華堂と大仏殿の仏像と、国立博物館『空海展』の資料を見てきた。

 上の写真は、貫之さま

 

 今日は頑張って、東大寺の法華堂と大仏殿の仏像と、国立博物館『空海展』の資料を見てきた。

 東大寺の法華堂の四天王と、昨日訪れた東大寺の戒壇院の四天王を思い出して比較すると、多くの点が異なったり、共通したりで面白かった。

 また、本日は三度目の訪れとなる『空海展』で、空海の書いたとされる資料を中心に楽しんできた。

 今日も良い時間を過ごすことができたと喜んでいる。

 

 最近、仏像を見る機会が増えている。

 週に何度かはどこかをお参りしたり訪れては仏像を見ている。

 なにかしら心が落ち着き、穏やかな気持ちになれる瞬間を感じる。

 なんでしょう、この感覚は。

 私も、ずいぶん遠くへ来たもんだ、、、

 

 カラー写真は、北野天神縁起絵巻

 

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東大寺 戒壇院 戒壇堂  広目天 増長天 持国天 多聞天

2024-05-09 | 美術・文様・展示物

 

 東大寺 戒壇院 戒壇堂  広目天 増長天 持国天 多聞天

 

 四天王は四方を守る護法神として、わが国では飛鳥時代から信仰があり、戒壇堂の壇上四隅に立つ四天王像は、それが最高潮に達した天平時代の傑作としてよく知られている。(東大寺公式HP)

 

 

 東大寺 戒壇院 戒壇堂の四天王を見る。

 広目天 増長天 持国天 多聞天すべてが形良く顔良く姿良く、、、

 千両役者の花道の見得のようだった。

 素敵!

 消して階段が長いので、戒壇院というわけではありません^^

 悪しからず、、、

   東大寺公式HP

      ↓

 唐僧鑑真和上が天平勝宝6年(754)に来朝して、わが国に初めて正しい戒律を伝えた。

 その折、聖武太上天皇や孝謙天皇が受戒された大仏殿前の土壇をこの地に遷して戒壇堂を築き、伽藍を造営したのが戒壇院の起こりで、やがてここから多くの僧が巣立っていった。その後、治承4年(1180)の兵火で全焼、重源上人・西迎上人が復興した鎌倉時代の戒壇院も文安3年(1446)に炎上し、現在は江戸時代に再建された千手堂・戒壇堂(県指定重要文化財)・庫裏(くり)を残すのみである。

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真言律宗 海龍王寺   ただいま、「十一面観音特別開帳」、「海龍王経」(聖武天皇直筆)、 弘法大師御筆 隅寺心経(般若心経)  (10景)

2024-05-05 | 美術・文様・展示物

 

 真言律宗 海龍王寺   ただいま、「十一面観音特別開帳」、「海龍王経」(聖武天皇直筆)、 弘法大師御筆 隅寺心経(般若心経)  (10景)

 

 真言律宗 海龍王寺をお参りする。

 ただいま海龍王寺では、「十一面観音特別開帳」、「海龍王経」(聖武天皇直筆)、 弘法大師御筆 隅寺心経(般若心経)を見ることができます。

 

 十一面観音は穏やかなお顔立ちをなされておられました。

 弘法大師御筆 隅寺心経(般若心経)は、「風流雲書」よりも大変な楷書で、書道のお手本のように一寸の狂いもない驚くばかりの経書でした。

 そして月並みですが

   これが弘法筆を選ばずか、、、

かと感心するのでした。

 

 また、「海龍王経」(聖武天皇直筆)に感動しました。

 初めて拝見する「海龍王経」が聖武天皇直筆なのかと思うと、弘法大師御筆の隅寺心経(般若心経)と同じように感動しました。

「海龍王経」もお経ですので、漢字ばかりで書かれています。

 しかし、返り読みしていると意味が取れそうなとれなさそうな、いずれにせよ難しいのですが、面白そうな内容が書かれた部分も目に入り、ずいぶん楽しませていただきました。

 

 聖武天皇直筆では嫌な話があります。

 東大寺の南大門に掲げられた いかにも新しい『大華厳経』という文字を指さして

人「しってる?あの文字は聖武天皇が書かれたんや。」

私「は?そんなわけないんじゃないですか?」

人「ほんまや!聖武天皇が書かれたんや。」

私「は?あれ、新しいですよ。」

人「本間に聖武天皇が書かれたんや。」

私「は?はそんなわけないんじゃないですか?聖武天皇が書かれた文字から集字され、造られたのでしょうか?」

人「ああ、そうやった。そやけど、あの四文字の中で一文字だけ、聖武天皇の文字と違うらしい。」

私「いずれにせよ、元の資料が分からなければ、難しいですね。」

と悶々とした。

 

 私は帰宅後調べてみた、聖武天皇が書かれたと言い伝えられているお経の文字を集字され南大門に掲げられたという。

 ただ、東京国立博物館の話では、その経は聖な天皇な天皇の文字ではないことがX線などで分かっているという。

 なおかつその経の紙には釈迦の舎利(骨)0が織り込まれ造られ、その紙に聖武天皇が経を書かれたと言い伝えられていたらしい。

 しかし東京国立博物館はX線などを用い、科学的に釈迦の舎利はぐ組まれていないことを公表した。

 

 後日私は喰ってかかってきた方に、この内容を穏やかに伝えた。

 するとその人は、

「それはあくまでも東京国立博物館の【伝】やろやろ。そや!東京国立博物館の【伝】や!!!」

と逆切れされていたので、言葉を止めた。

 周りで聞かれたいた方々は方々は肩をくすめてその肩を笑い、目配せされた。

 その方は出身高校を自慢し、東大寺学園に行った連中は変わり者が多いと侮っておられたからである。

 私はこの歳にもなって、どこの高校でもいいじゃん!と感じる。

 

 その方は、ことあるごとに近寄ってきては私の詞を否定し、暴言を吐かれる。

 挙句の果ては、だれが考えても正しい古文書の文字の読みまで、否定される始末だ。

 また、私の出身大学○○部でないことに、大激怒される。

 意味が分からない。

 自分より若い女で、後から某団体に所属したのが理由なのか、後から入って古文書が少しだけ読めるのが気に食わないのか、理由はともあれ、常に喰ってかかってこられる(笑)

 そうだ!私は頂けない老人にはならないように心がけたいと感じた。

 

 私は自分中心に地球が回っていないことを知っているし、知らないことがほとんどであることを自覚している。

 知らないことが大変多いので、ほかの方に何かを教えていただくと知識としてありがたく引き受け止め受け止め、そのうえで自分な内容をこなれさせていきたいと考えている。

 頭ごなしに相手の意見を完全否定することはしないでおこうと感じた。

 いずれにせよ、聞き苦しいお箸をお聞かせしてしまい申し訳なく感じます。0

 

 

5月1日~9日 春季特別公開(後期)開催 辰年にちなみ「海龍王経」

 

 

 以下は海龍王寺公式hpより引用

     ↓

・十一面観音特別開帳  海龍王寺の本尊で、光明皇后が自ら刻まれた十一面観音像をもとに、鎌倉時代に慶派の仏師により造立されました。  

 檜材で金泥が施され、条帛・天衣を掛け、裳・腰布をつけており、頭に天冠台・冠帯・左右垂飾、身は頸飾り・垂飾・瓔珞、手には臂釧・腕釧などの装身具をたくさん身にまとっておられます。

 衣の部分の彩色は朱・丹・緑青・群青など諸色の地に唐草・格子に十字などの諸文様を切金で表したもので、縁取りや区画の境界線に二重の切金線が多用されており頭飾および装身具は精緻を極め、すべて銅製鍍金で透彫りを多用し、垂飾には諸色のガラス小玉と瓔珞片を綴ったものを用いています。  

 像は精巧入念な作で、頭・体のプロポーション、頭部の自然な俯きに優しい手の動き、腰のひねりに巧みに応ずる右足の遊ばせ方など彫刻としての基本的なデッサンは確かなものがあり、衣の文様表現では彩色よりも切金が多く、頭飾装身具では、透彫りの技巧の細かな点が注目され、大和路を代表する秀麗な十一面観音様です。    

 

・聖武天皇御筆 海龍王経 奈良時代  この経典は四巻、二十の段落に分かれており、釈迦が海龍王をはじめとする様々な龍王や眷属たちの為に菩薩道を説いて、仏教に帰依させている様子を表したものです。(釈迦が竜宮に赴き説法をした様子や、女人成仏のことについても記されています。)  

 初代の住持となった玄昉が、唐から帰国の途中、東シナ海で暴風雨に襲われた際、海龍王経を一心に唱えたところ九死に一生を得、我が国に一切経五千余巻をもたらすことができたので、玄昉が起居した海龍王寺においてこの経典を唱え、遣唐使の航海の無事を祈ったことから、聖武天皇より寺号を「海龍王寺」と定められました。

  江戸時代の文書によると「聖武天皇直筆」と記されており、菊の御紋の箱に収められて現在まで伝えられています。    

 

・弘法大師御筆 隅寺心経(般若心経)  般若心経の写経で、隅寺心経として著名な心経です。  

 各一紙に一部書かれたものを合わせて一〇部をつなぎ、一巻の巻子装に仕立てています。

 料紙には黄麻紙を用い、淡墨界を施して書写したもので本文の筆跡は各心経同一であり、体裁は首に「心経」と内題を揚げています。  

 鎌倉時代はじめの海龍王寺文書に《弘法大師が渡唐の無事を祈り、壱千巻の般若心経を書写・納経された》との記述があり現存する心経が「大師真筆の物である」とも合わせて書かれていることから、海龍王寺文書が書かれる以前より「弘法大師真筆の心経」として伝えられていたことがわかっています。  

 この心経は本文末に功徳文三行を付しており《この心経を読誦すれば、十悪(殺生など十種の悪業)、五逆(殺人など五種の罪悪)。

 九十五種の邪道(釈尊在世中の九十五種の外道)を破る。もしもありとあらゆる仏を供養し、ありとあらゆる仏の恩に報謝しようと思えば、まさに「観世音菩薩の般若心」(原心経)を読誦すること百遍、千編にせよ。昼夜を問わず、常にこの心経を読誦すれば、願いの叶わないことはない》という般若心経を誦える事による功徳を表しているところがこの心経の特徴です。  

令和6年 春季特別公開(後期)

「十一面観音特別開帳」

  期日 5月1日(水)~9日(木)  

開門・閉門時間 9時開門~17時閉門

真言律宗 海龍王寺
〒630-8001 奈良県奈良市法華寺町897

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京都豊国神社 宝物殿  京都市東山区大和大路正面茶屋町530(京都国立博物館近く)

2024-05-01 | 美術・文様・展示物

京都豊国神社 宝物殿  京都市東山区大和大路正面茶屋町530(京都国立博物館近く)

 

豊国祭礼図屏風

豊国祭礼図屏風

豊国社禁制

 

  以下は京都市公式HP

        ↓

 豊臣秀吉公の遺宝・豊国神社の社宝を展示公開  

 豊国神社境内の奥にある桃山風造りの建物。

 大正14年(1925)12月に開館。

 豊臣秀吉の業績・遺徳を広く伝える為に、豊太閤ゆかりの品々が展示されている。

 なかでも、桃山絵画の傑作として有名な重要文化財「豊国祭礼図屏風」は、慶長9年(1604)8月、盛大に挙行された豊国大明神臨時祭の模様を描いたもので、当時の京都の町の様子や風俗を知ることができる貴重な資料。

 その他、秀吉公の遺品が収納されていた重要文化財「桐鳳凰文蒔絵唐櫃」「桐唐草文蒔絵唐櫃」や天下一辻与二郎作として有名な「鉄灯龍」なども展示されている。

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興福寺 国宝館に行く  2024年4月末

2024-04-30 | 美術・文様・展示物

 興福寺 国宝館に行く  2024年4月末

 

 興福寺の国宝館はこれまでにも何度かは行ったことがあるが、中でも八部衆を遠目に眺めるのが好きだ。

 八部衆にライトが当てられ、壁に映る彼等のシルエットと仏像たちを見ていると、美しいなと感じる。

 あっちに行ったりこっちに来たり、また立ち止まったり。

 八部衆に限らず仏像は、立ってみたり、ローアングルで眺めたりと楽しむ。

 そうすることによって、仏像は、いろいろな表情を投げかけてくれる。

 

 一時間と少々で見終えてしまったが、もう少しゆっくり見て回ればよかったと感じる。

 興福寺によれば、日本の17%の仏像が、興福寺に集まっているという。 

 また、興福寺の半分くらいの仏像(国宝)が、この国宝館に集まっているというが、あまり知らない。 

 

 国宝館を出て数日前にも訪れた中金堂にお参りする。

 その後、いつもとは違う興福寺の周りを散歩する。

 わんこと歩く散歩もよいが、一人の時間を過ごすのも、また良しとほくそえむ。

 

 

 

 

 

 前回書いたように、携帯電話の写真の送信が不可能になってしまった。

 なので、数日前にお参りした北円堂と中金堂の写真を載せた。

 

 

 

 以下は、興福寺公式HPよりお借りしました。

      ↓

 

 

 奈良時代創建当初の食堂の外観を復元

 

 僧侶が集団で食事をする食堂(じきどう)が建てられていた場所に、昭和34年(1959)に鉄筋コンクリート造りの耐火式宝物収蔵庫として建てられました。規模は正面35.3m(桁行9間)・側面31.8m(梁行8間)で、本瓦葺の建物です。地下には、旧食堂の奈良時代以降の遺構がそのままの形で保存されています。国宝館は食堂と細殿(ほそどの)を連結して内部を一堂とした建物で、興福寺の歴史を伝える仏像彫刻や絵画、工芸品、典籍・古文書、歴史資料・考古遺物などが収蔵しています。これらを一般公開するために利便性を考慮して設計された建物です。

 館内には旧食堂の本尊千手観音菩薩(せんじゅかんのんぼさつ)立像を中心に、奈良時代の阿修羅(あしゅら)像などの乾漆八部衆(はちぶしゅう)像や乾漆十大弟子(じゅうだいでし)像、華原馨(かげんけい)、平安時代の燈籠(とうろう)や板彫十二神将(いたぼりじゅうにしんしょう)像、鎌倉時代の木造金剛力士(こんごうりきし)像、木造天燈鬼(てんとうき)・龍燈鬼(りゅうとうき)像、さらに飛鳥の山田寺から運ばれた7世紀の銅造仏頭(ぶっとう)などの国宝や、重要文化財の梵天(ぼんてん)像・帝釈天(たいしゃくてん)像や厨子入り弥勒菩薩半跏像(みろくぼさつはんかぞう)なども安置します。なかでも阿修羅像は天平彫刻の傑作として、人びとから熱い視線が注がれています。

昭和34年(1959年)原設計

建築史家・大岡實

平成29年(2017年)耐震改修設計

建築家・棟尾聡

 

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『特別展 小川晴暘(おがわせいよう)と飛鳥園100年の旅』 4.3★/5  奈良県立美術館 仏像やお堂の写真と中国の雲岡石窟の図画が素晴らしい!!

2024-04-28 | 美術・文様・展示物

 

『特別展 小川晴暘(おがわせいよう)と飛鳥園100年の旅』 4.3★/5  奈良県立美術館 仏像やお堂の写真と中国の雲岡石窟の図画が素晴らしい!!

 奈良県立美術館にて特別展『小川晴暘と飛鳥園 100年の旅』を観たが、素晴らしかった。

 仏像やお堂があれほどまでに魂を込められて撮れるのか感心し、その場を動くことができない。

 近くでも見ても、写真群の全体像を観ても、心は写真たちにとらわれ、魅了された。

 わたくしは、仏像の写真でこんなに感動したのは初めてのことであった。

 同時に、写真にも魂を込められることを知り、仏像の写真も美しいことを知った。

 

 心を惹かれたのは仏像の写真だけではない。

 雲崗石窟の全体像の写真と部分の写真。

 雲崗石窟は一度行ったが、団体ツアーを利用したので、こんなにも大掛かりで横長で素晴らしい遺跡であるとは想像すらしていなかった。

 全体像の写真はそれは貴重で、右端には石窟近くの村も写され、子供たちが遊ぶ様子も映し出されていた。

 こういった貴重な遺跡に加え、周りの様子まで描く写真家は、素晴らしいと感じた。

 

 また、雲崗石窟の全体像が丹念に絵図で描き出されていた。

 何枚もに分かれた雲崗石窟の全体像の絵図は、細やかであり力強く、また忠実に描きだそうとする心意気がこちらに伝わってきた。

 この作品は、素晴らしい!

 一時間でも二時間でも見ていたいという大作であった。

 このように忠実に描こうとする絵図の対策は、いったいどれくらいの時間を要して完成されたのであろうか、、

 そのことが気になった。

 雲崗石窟に愛情を注ぎ、長期間雲崗石窟を見て回り、研究者としての姿勢も併せ持たれたと感じ、作者に憧れさえ感じた。

 

 この作品展は、私にとっては興味深く感じた。

 できるならば、期間内にもう一度訪れたいと感じた。

 

 以下は奈良県立美術館公式HPより引用

    ▼

特別展 小川晴暘と飛鳥園100年の旅 

小川晴暘

2024年4月20日(土)〜6月23日(日)

 

 奈良県立美術館にて特別展『小川晴暘と飛鳥園 100年の旅』を開催いたします。  レンズを通して見つめ続けた、人々の祈り。その100年の歩み。

  奈良を中心に各地の仏像を撮った写真家・小川晴暘(おがわせいよう)(1894-1960)。彼が創立した仏像撮影専門の写真館・「飛鳥園」は2022年に創立100年を迎えました。

 

 兵庫県姫路市に生まれた小川晴暘は、画家を志して上京しますが、奈良で仏像などの文化遺産に感銘を受けたのを機に写真に傾注するようになります。

 1922年、美術史家・書家・歌人として知られる會津八ーの勧めで奈良に「飛鳥園」を創業し、奈良の仏像や寺院を中心に文化財・文化遺産の撮影に精力を傾けました。

 撮影だけでなく東洋美術の研究にも熱中し、奈良に居を移した志賀直哉や京都大学総長も務めた濱田青陵をはじめ、文化人・知識人との交流も深めました。

 さらに日本のみならず、中国の雲岡石窟、韓国の石窟庵、仏国寺、インドネシアのボロブドゥール遺跡、カンボジアのアンコール・ワットなど、アジアの文化遺産の調査・撮影も積極的に行いました。

 

 小川晴暘の写真は、常識を覆す大胆な発想と画才にも恵まれたことでも分かる美への強いこだわりと感性によって、仏像を主題に神秘的な写真空間を生み出すことに成功し、文化財の記録・資料という枠を超えて、仏像写真を芸術の域にまで昇華させた画期的なものでした。

 

 小川晴暘は1960年に逝去しますが、写真館飛鳥園の活動は小川光三、小川光太郎へと引き継がれ、その活動は現在も奈良の地で続いています。  

 

 本展は、小川晴暘・光三親子の写真作品を中心に、文化財保護活動を支えると同時に仏像写真を芸術の域に高めた飛鳥園の活動を振り返ります。

 飛鳥園に保存されている写真に加え、小川晴暘が調査の際に遺したスケッチや拓本、晴暘が発刊した『仏教美術』などの古美術研究専門誌や文献資料もあわせ、古美術・文化遺産を愛した小川晴暘という人物の姿にも迫ります。

 また、現在も活動を続ける飛鳥園が近年撮った写真もまじえ、飛鳥園という「眼」がレンズを通して切り取った100年のまなざしを感じていただく展覧会です。  

2024年4月20日(土)〜6月23日(日)

主催:奈良県立美術館、毎日新聞社

特別協力:飛鳥園 後援:奈良テレビ放送、奈良新聞社、西日本旅客鉄道株式会社、近畿日本鉄道株式会社、奈良交通株式会社、公益社団法人奈良市観光協会

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春日大社の国宝殿 『―源氏物語の時代― 平安王朝の栄華 春日大社は王朝文化の宝石箱!』

2024-04-28 | 美術・文様・展示物

 

春日大社の国宝殿『―源氏物語の時代― 平安王朝の栄華 春日大社は王朝文化の宝石箱!』
 
 
 春日大社の国宝殿で開催されている、『―源氏物語の時代― 平安王朝の栄華 春日大社は王朝文化の宝石箱!』に行く。
 
 それほどの展示痛はなく、また、源氏物語の資料も数としてはそんなに多くはなかった。
 
 奈良県指定文化財 「競馬図屏風」は修理後初公開という。
 
 
 これまでにも個々の宝物殿でたびたび展示されていた春日本「春日権現験記」の展示は、二ヶ所。
 巻第四と巻第十の二つを観ることがあったが、今までにもなく部分が狭く、一部限定であった。
 また、詞書部分は公開されず、少し期待を裏切られた感は否めない。
 帰り際の受付には、十年以上前に購入したであろう『春日権現験記』の薄い冊子が目立つように置かれていた。
 
 
 
 
以下は春日大社 国宝殿の公式HPより引用
    ▼
 
―源氏物語の時代― 平安王朝の栄華
春日大社は王朝文化の宝石箱!
春日大社には、平安時代から連綿と続く祭礼があり、また祭礼に使用する祭器具や伝統的な装束など、あらゆるところに雅やかな王朝文化が息づいています。さらに社殿に納められていた神宝類もそのほとんどが平安時代後期(12世紀)まで遡るもので、中には藤原摂関家によって当時の最高峰の技術と贅を尽くして制作されたものが数多く伝わっています。京より遠くはなれたところにあるにもかかわらず、春日大社に王朝文化がのこっているのは、藤原摂関家をはじめ皇室から篤い信仰を受けていたことがその背景にあります。
本展覧会では当社の古神宝類を中心に王朝時代の美術工芸品と、これらを現代の優れた名工たちが復元した品々をご紹介します。神宝の制作当初の姿から当時の工人の高い技術力と意匠の表現やデザインのセンスに注目してください。また工芸品のみならず競馬(くらべうま)や舞楽などの王朝文化を描いた絵画作品なども合わせて展示します。王朝時代の春日信仰の美と王朝文化の極致をぜひご堪能ください。
奈良県指定文化財 競馬図屏風は修理後初公開です。
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2024年 興福寺 北円堂特別開扉 木造 無著・世親立像(むじゃく・せしんりゅうぞう)について   4月20日(土)~5月6日(月・祝)まで(会期中無休)

2024-04-27 | 美術・文様・展示物

2024年 興福寺 北円堂特別開扉 

木造 無著・世親立像(むじゃく・せしんりゅうぞう)について   

4月20日(土)~5月6日(月・祝)まで(会期中無休)

 2024年 興福寺 北円堂特別開扉に行く。

 今年は春のみで、秋はない。

 本尊弥勒如来坐像の修理のためだそうだ。

 

 北円堂では、

   木造弥勒如来坐像(みろくにょらいざぞう)

   木造無著・世親立像(むじゃく・せしんりゅうぞう)

   木心乾漆四天王立像(北円堂所在)(してんのうりゅうぞう)

を拝むことができる。

 

 青の中でもこの度私が一番注目したのは、

   木造 無著・世親立像(むじゃく・せしんりゅうぞう)

であった。

 

 無著と世親は正式には、無著菩薩と世親菩薩という。

 無著と世親はインドの僧で、兄弟だという。

 無著は兄、世親は弟とのことだ。

 いずれも運慶の策だったと伺っているが、自信はない。

 

 無著は大乗仏教だったかを熱心に信心して得を積んでいたとのこと。

 世親はそれほどでもなく、他の仏教を信心していたらしいが、兄の無著が弟の世親を大乗仏教だったかの世界に引き込んで、世親もその道に入ったと聞いたような気がする。

 

 実際に北円堂の無著と世親を観ていると、熱心に仏教を学びその道を進んだ兄の無著は、その徳が顔の表情に表れている。

 悟りを開き穏やかで、見ているとこち他の心までもがあらわれるような気がするのが不思議である。

 比べて弟の世親は鼻が高く鷲鼻で、表情が荒々しい。

 兄に比べると弟は仏教の修業が少ないことを仏師は表したかったのかもしれない。

 

 このようなことを教えられ実際に仏像を見ると、なんだかわかったような気がしてくるから不思議である。

 なんとまぁ!私は幸せな人だなぁとしみじみと思う、、、

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 令和6年 北円堂特別開扉

 令和6年 4月20日(土)~5月6日(月・祝)まで(会期中無休)   

 ※本年(2024年)の特別開扉は春のみの実施です。

 5月以降、0に入りますので、秋の公開は実施いたしません。

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『空海展』奈良国立博物館 今回は空海直筆の展示物を中心に見たが、空海展は濃く、内容深いので、満足が行くまで見ることはできなかった。

2024-04-24 | 美術・文様・展示物

 

『空海展』奈良国立博物館 今回は空海直筆の展示物を中心に見たが、空海展は濃く、内容深いので、満足が行くまで見ることはできなかった。

 

 

 奈良国立博物館『空海展』に行く。

 今回も前回に同じく講義の後の時間を利用したので、2時間弱の時間しか取れなかった。

 

 前回は駆け足で全体を観た。

 今回は曼荼羅と仏像と空海の直筆の資料に絞ってみたが、時間が足りない。

「風信帖」(ふうしんじょう)を眺めているだけでも、小半時間は楽しめたが、読み込むまでには至ってない。

 風格のある美しい文字だった。

 これぞまさしく、

   弘法、筆を選ばず

という言葉を思い浮かべ、ほくそ笑む。

 

 次回も空海の直筆を中心に見てきたいと思う。

 

    ああ!楽しかった^^

 

 

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『空海展 空海の生誕1250年を記念して』前期  奈良国立博物館

2024-04-17 | 美術・文様・展示物

 『空海展 空海の生誕1250年を記念して』前期  奈良国立博物館

 

 東大寺に行った帰り、『空海展』に行く。

 二時間弱という身近な時間で見る盛りだくさんの『空海展』は、見ごたえなるものであったが、決してゆっくりと見たわけではなく駆け足で消化俘虜であった。

 この展覧会は、中身が濃いので、長時間の作戦をかけて行かねばなるまい。

 

 見ごたえのあったのは、国宝の片方だけ展示された大きな曼荼羅や、空海直筆部分のお経。

 血塗りの曼荼羅。立体的に円を描いた、小さな仏像による曼荼羅。

 ずっしりとした仏像群。

 大きな絵の複数枚の掛け軸。

 貝。クジャクに乗った仏像の意味合い。

 空海公開に際しても持ち物の書かれた巻き物。

 

 駆け足でこもれらを好き勝手に説明を読む時間もなく歩き廻ったが、今一度、前期にも行ければよいなと感じる。

 

 空海は東寺の弘法さんの縁日や、四天王寺の関係でなじみがないことはないが、しかし、仏教は難しい。

 多くの知らない展示物があり、戸惑った。

        わっはっは

 

 

 

 

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「キネティックアートな3人」展 奈良図書情報館  2024.04. 佐保川の桜の季節に

2024-04-11 | 美術・文様・展示物

  

     「キネティックアートな3人」展 奈良図書情報館  2024.04. 佐保川の桜の季節に

 

「キネティックアートな3人」展をみる 

 中でも井村隆氏の展開する世界は、木村康子の世界や宮沢賢治の世界を思い起こさせ、また、ゼベット爺さんや古時計の調べをも浮かび上がり、懐かしい気がする。

 形態と構図と色感と構造にたけており、且つ芸術性をも思い起こす。

 ポンピドゥセンターで見ても不思議ではないような井村隆氏の作品は重厚性の感じられる立体絵本(木村康子など)を想像させ、楽しい時間を過ごすことができた。

 

 井村隆 作

 作品のはるか向こうに見えるのは、佐保川沿いの 桜。

 

 

 井村隆

 遠藤賢治

 千光士義和

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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国立国際美術館 特別展 古代メキシコ -マヤ、アステカ、テオティワカン  2024年   (大阪 5景)

2024-03-28 | 美術・文様・展示物

国立国際美術館 特別展 古代メキシコ -マヤ、アステカ、テオティワカン  2024年   (大阪 5景)

 

 

 国立国際美術館で特別展 古代メキシコ -マヤ、アステカ、テオティワカンを観る。

 このあたりの国はおそらく行くことがいであろうが興味があるので、メキシコ展をはじめナスカ展やペルー展には可能な限り行くことにしている。

 今回も新たな発見が多く、興味深かった。

 

 古代メキシコの碑文は思いのほか大きく、象形文字のように屈託のない形を示しており、大きすぎて一見碑文に見えなかった。

 バカほど残されたのであろう碑文の数々に、何が書かれているのかという疑問が生じたが、展覧会内には開設はない。

 詩なのか、生活に密着した内容なのか、まったくわからないのが残念であり、展示の方法そのものに首を傾げた。

 

 展示は時代を追って公開されており、会場内には日本の歴史と照らし合わせて楽しんでおられる若いカップルがいらっしゃり、ほほえましかった。

 

 メキシコは後で知ったが、死者の祭りというものがあるらしい。

 ミイラなどを展示されていたが、現在行われている死者の祭りにまでは考えはおよばなかったのが残念。

 メキシコも民俗学的に面白い風習が多くありそうだと感じる。

 

 会場は大混雑。

 だが、今回の特別展は、すべての写真をとってよいとされている

 前で手を上げる者、作品を占領するもの。

 子供や杖を持った人にあたって、横切る者。

 作品を楽しんでいる人も多いが、写真を撮ることに集中している方々も多い。

 写真を撮ることに集中して急に淵かえって場所を移動し、危険極まりない。

 会場の係員は、ほとんど中してない、というより、そういった輩が多く、注意できない状態というのが現状だった。

 

 会場が混んでいる場合でも、自由勝手に危険さえ感じる写真の足らせ方に、疑問を感じた。

 内容そのものは面白かったが、危険な中の観覧は正直つかれた。

 

 先日大和文華館に行った。

 その時の展示は写真撮影OKだったが、込み具合から考えても写真を撮っても迷惑にならない状態だった。

 また観覧者も思慮深い方が多く、文字の特別展とあって、じっくりと読んだり堪能しておられた姿が、心地よかった。

 

 メキシコ展では、私は一丸脅威とハンカチ以外のすべてのものをロッカーに入れていた。

 なので、頼んで家族に写真を撮ってもらった。

 家族の取ってくれた写真が下の数枚。

 見ていただければ幸いです^^

 

 

 

特別展「古代メキシコ」 公式サイト (exhibit.jp)

 紀元前15世紀から後16世紀のスペイン侵攻まで、3千年以上にわたって繁栄したメキシコの古代文明。

 本展では、そのうち「マヤ」、「アステカ」、「テオティワカン」を中心に、多彩な遺物約140件を紹介します。

 火山の噴火や地震、干ばつなどの厳しい自然環境の中で、これらの文明では壮大なモニュメントが築かれました。

 普遍的な神と自然への祈り、そして多様な環境から生み出された独自の世界観と造形美を通して、その奥深い魅力を今に伝えます。

 

会期
2024年2月6日(火)~5月6日(月・振休)
会場
国立国際美術館
開館時間
  • 午前10時~午後5時 毎週金・土曜日は午後8時まで
  • ※入場は閉館の30分前まで
休館日
月曜日 ※ただし、2月12日(月・振休)、4月29日(月・祝)、5月6日(月・振休)は開館し、2月13日(火)は休館
主催
国立国際美術館、NHK大阪放送局、NHKエンタープライズ近畿、朝日新聞社
協賛
NISSHA
協力
アエロメヒコ航空、ダイキン工業現代美術振興財団
後援
メキシコ大使館
企画協力
メキシコ文化省、
メキシコ国立人類学歴史研究所
 

 

Deep Purple - Made in Japan - Highway Star (video)

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