乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

暫くブログをお休みさせていただきます。帰りましたら、これまでと同様、よろしくおねがいいたします。

2019-11-29 | 乱鳥徒然 Rancho's room.

 多くのみなさま

 拙ブログにお越しくださいましてありがとうございます。

 また、応援やコメントを頂戴し、感謝申し上げます。



 数日間、ブログを休ませていただきます^^

 北京空港で子供と合流後、万里の長城くらいしか行き先を決めていません。

 おそらく、毎日、舞台やライブハウスに行くのではないかと思います。

 蘇州で訪れた伝統芸能である評弾があまりにも面白かったのですが、北京であるかどうかは知りません。


 評弾は、胡弓や二胡のような楽器を持った男女二人が、客の流クエストに合わせて演奏し歌ってくださいます。

 一曲さん安値曲でも800円くらいはいたします。

 目が飛び出るほどのお高い曲の無乳に、驚きを隠せませんでした^^


 高級ライブハウスといっても過言ではなく、評弾ならず商談や会社接待に使用されていました。

 ほぼほぼ常連客の中国人が来られていましたので、旅行者の私たしは異質でしたが^^

 この中国伝統芸能の形式も私は好きでした。


 私、日本では何度か見ている京劇ですが、中国ではまだ一度も見たことがありません。

 京劇よりも早くに生まれた川劇は見たことがあるのですが^^

 なので相当京劇を楽しみにしているのです^^

                   ハオ!



 今回は自由気ままに、のんびりと歩いてきます。

 帰りましたら、これまでと同様、よろしくおねがいいたします。

 
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映画『 座頭市 THE LAST』監督:阪本順治 脚本:山岸きくみ  香取慎吾 石原さとみ 反町隆史 倍賞千恵子 仲代達矢 岩城滉一 原田芳雄

2019-11-29 | 映画

 先日、撮り貯めていた『座頭  THE LAST』をようやく見ることができた。

 座頭市は勝新太郎のイメージが強う年代の家族と見たが、二人とも、以前の座頭市とは違った観点からとらwられている本作品に満足した。

 何より、香取慎吾といういわば一アイドルだった彼が、座頭市という強烈なイメージの座頭市に抜擢され、また正面から受け答えたという姿勢に感動をした。

 これは嫌味ではなく、正直、好意を持った言葉である。


 ただいま、ネットを検索すると、案の定評価は低かったが、私たち夫婦は新鮮んあ捉え方の座頭市に好感を持った。

 ただもっったいないのは、あの時代の座頭や市といった意味合いは果たして理解されて演じられているかという観点から見れば、多少首を傾げたくなる場面もあったのだが。

 全体を通して爽やかな映画に仕上がっていた。


 十ほど年上の兄は、勝新の座頭市のモノマネを私に見せてくれるといった場に身を置くことが何度かあった。

 まだ幼かった私は、
「果たしてこれは、かっこいいのか悪いのか?。味があるのか、下品なのか?」
といったこましゃくれた幼稚園、今日学生時代を送る。

 幼い子の私は、戦争物や暴力・ヤクザ物といった映画やドラマが大の苦手で、全く見ようとしなかった。なので、勝新太郎の座頭市もほとんど見たことがないので、有名な台詞ぐらいしか知らない。

 そのせいか、香取慎吾の座頭市も、あまり違和感はなかったと言えそうだ。


 この映画では日本的映像み、色彩美を味わうことができた。

 特に賠償美智子が雪の中を追いかけてきて、市に雪合羽を羽織らせる場面。

 雪の中の影絵絵のような設定のモノクロームなコントラストだが、色彩色豊かで美しかった。


 この監督はモノクロ(雪)の使い方が上手なようで、晩秋の紅葉から雪景色になり、少し雪が溶けて屋根が見える。

 そんな三場が一体となり流れるような時間を作ったシーンがあったが、この色使いもうまかった。

 モノクロにトーンを抑えたように見えるその色彩は、色彩が豊かで心地が良かった。

 京都でいうコートな表現であった、(ただし京都ではコートは、衣服の褒め言葉であるのだが。


 香取慎吾を取り巻く役者軍が素晴らしく、仲代達矢さんと原田芳雄さんの台詞は真似て楽しんでいた。

 お二方の台詞に言い回しは舞台を見ているようで、とても楽しかった。


 この映画では、仲代達矢さんの似顔絵が壁に描かれた場面があった。

 一軒にして、安倍晋三さんと判別できるその絵に驚きを感じたが、すぐに仲代達矢さんの顔が絵と交互に映り、これは仲代達矢さんですよと念押しをされているように感じた。


 この映画が創られたのは、 2010年

  2010年前後といえば、
2010年
3月10日 - 平城京遷都1300周年。これを記念し、平城遷都1300年記念事業を展開。
1月19日 - 日米安全保障条約の署名50周年。
2月17日 - 中部国際空港開港5周年。
4月25日 - JR福知山線脱線事故から5年。
5月14日 - 日英博覧会開催100周年
8月12日 - 日本航空123便墜落事故から25年。
8月29日 - 大日本帝国による韓国併合100周年。
9月10日 - 日本におけるカラーテレビ放送50周年

 2008年頃からの日本の動きを見て見たが、よくわからなかった。

 安倍晋三さんに見えたのはうがった見方であり、意図的な狙いはなかったのかもしれないと反省した。

 
 全体を通して満足のできるのではないかと思える作品であった。 

 


座頭市 THE LAST
Zatoichi The Last
監督 阪本順治
脚本 山岸きくみ
製作 亀山千広
出演者
香取慎吾
石原さとみ
反町隆史
倍賞千恵子
加藤清史郎
工藤夕貴
仲代達矢
岩城滉一
原田芳雄
音楽 プロジェクト和豪
撮影 笠松則通
編集 蛭田智子
製作会社 セディックインターナショナル
配給 東宝
公開 日本の旗 2010年5月29日
上映時間 132分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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『近松全集 第四巻』より、「堀川波鼓」1   三オ 近松門左衛門作

2019-11-29 | 読書全般(古典など以外の一般書)



 『近松全集 第四巻』より、「堀川波鼓」1   三オ 近松門左衛門作




 
 
 姉さんならしなさんせう、人が聞たら、思ひましよ。アレおくに鼓の系

 こがある高ひ声さつしやるな。しゐし/\をはり物にかいまミ/\、「のぞく。

 鼓の手にひものつてつれあひを上の空、恋衣松に打かけほす

 内に。曲もおハりのかけ声、ヤァ、かたミこそ今ハあたなれ是なくハわす

 るゝ隙も有ならんと、よミしもことハりや楢おもひこそハふるけれ、あら嬉し

 やあれつれあひのお帰りぞや。いで/\むかひに奉らふとはしり

 よれば是様、エェ、しやうだいないあれハ庭の松の木よ。彦九郎様ハ

 江戸にじやかいの氣がちがうたかと恥ぢしむれば。おろかなおふじ

 


  「堀川波鼓」 近松門左衛門作 1  一オ

  「堀川波鼓」 近松門左衛門作 2  一ウ 二オ

  「堀川波鼓」 近松門左衛門作 3  三ウ よんオ
 

 

  

 
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近松門左衛門作『堀川波鼓』 とは 

2019-11-29 | 近松門左衛門
 写真は2019年12月顔見世の招き上げ。
 招き上げの季節になると信念を迎えることができ流、芝居好きの京都人にとっては馴染み深い光景…でした。
 片岡仁左衛門丈の真似技が上げられるととこ^^
 今年は夜の部で、『堀川波鼓』が演じられまする
 

【堀川波鼓】 とは          (Wikipedia)


 ほりかわなみのつづみ〔ほりかはなみのつづみ〕【堀川波鼓】 の解説
浄瑠璃。世話物。3巻。近松門左衛門作。宝永4年(1707)大坂竹本座初演というが未詳。不義を犯したお種を、夫小倉彦九郎はやむなく自害させ、京都の堀川で女敵 (めがたき) を討つ。近松三姦通物の一。



 堀川波鼓(ほりかわなみのつづみ)は、近松門左衛門作の浄瑠璃。
 1707年2月15日、大坂竹本座で初演。
 3段の世話物。

 概要   前年に起きた、鳥取藩士が妻敵を討った事件を脚色したもの。
 大経師昔暦』『鑓の権三重帷子』とともに、近松三大姦通物といわれる。

 初演以来上演が途絶えていたが、1964年にNHKで復活。
 これを映画化したものに『夜の鼓』(今井正監督)があり、新劇では俳優座が『つづみの女』(田中澄江脚本)として上演。

 鳥取藩士小倉彦九郎の妻・たねは、夫の江戸勤番の折、酒乱のためにふとしたことから過ちを犯し、鼓師宮地源右衛門の子を身ごもる。
 彦九郎は広がった悪い噂を一喝し、たねの妹ふぢも一計を案じて事を穏便に済まそうとするが、嫁ぎに出た彦九郎の妹ゆらが不義者の身内として離縁されたため、ついにたねに詮議が及ぶ。
 隠しきれなくなったたねは、夫への忠節を示すため陰腹を割り、非を詫びながら夫の手で絶命する。
 たねの妻仇を討つべく、彦九郎は復讐に燃える妹らを連れて宮地宅へ討ち入り、本懐を果たすのであった。



深いドラマを描く『堀川波の鼓』
  彦九郎演じられる、 片岡仁左衛門丈が語る     (歌舞伎美人引用)

 夜の部の『堀川波の鼓』は、仁左衛門が上演を提案したといいます。中村時蔵が初役で彦九郎の妻お種を、中村梅玉が恋敵の宮地源右衛門を演じます。「作品自体が好きです。かわいそうだけど、現代にもありうる話」。不義密通を犯し自害したお種のことを思って嘆く、彦九郎の最後のせりふが、「一人の男としての彦九郎の心が凝縮されていて、一番いい」と語りました。
「彦九郎は、過ちを犯した女房に対して、怒りはない。同情もして、憐みもして、しかし侍として成敗しなければいけない。本当に怒って成敗するのではないところ。これがこのドラマの深さです」と、言葉に熱がこもります。「ある意味で、非常につらいお芝居だけれども、きれいなお芝居。そういうところが好きですね」。


 

 

 


 
 『近松全集 第四巻』より、「堀川波鼓」
  「堀川波鼓」 近松門左衛門作 1  一オ

  「堀川波鼓」 近松門左衛門作 2  一ウ 二オ
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『近松全集 第四巻』より、「堀川波鼓」1   一ウ 二オ 近松門左衛門作

2019-11-29 | 近松門左衛門



 『近松全集 第四巻』より、「堀川波鼓」1   一ウ 二オ 近松門左衛門作





 
 
 をりよくも。さいはひの里帰り。サァ手つたいちゆふだすき。

 のりづけ兄弟のしずくだるふうぞくハ。国に名
 
 とりのぬれものと、聞こへも去りことぞかし。いやなう、おふぢ。

 必お主の氣にいていつまで奉公しや。男やなんど、もち

 やんなや、身にとミてよてしられたれ。彦九郎とハやうす

 ありやうふゆへ。よめの時嬉しさハたとへんかたもなかりしが。

 小身人のかなしさハお江戸づめ。お国に居てハ毎日

 の御城づめ。月に十日のとまり番ふうらしう、しつほりと。いつ P.448

 

 かたらひし、夜ハもなし。され共ぬしハ侍氣。かうつとめねば、侍の立身がな

 らぬとて。心づようハいひながら、去年(こぞ)六月の江戸立にハ。又来年の五

 月にお供して。下る迄ハあハレぬぞや、無事でいよよふ留守せよとの

 思つきが。目にちか/\と見るやうで、ほんにわするる暇もない。ふだん

 無してゐかやうでいつか/\とまつの木に。きぬばりむすび細引の

 ゆふて思ひやはらすらん、妹のおふぢ打笑ひ、姉さまハゑよふじや。

 わしがやふにねから男のない身でさへ。ミんごとかんにんしますかぞや。殊 

 お屋敷行儀づよく。此やうな親ざとでも、一夜どまりも法度なり。       P.448



 立身 =りっ‐しん [名]
      1世に認められて、一人前になること。社会的に高い地位につくこと。「官界で立身する」
     2 律令制の初位 (しょい) の別称。

 ゑよふ = (えいよう)栄耀
   栄耀=  1 大いに栄えて、はぶりのよいこと。えよう。「栄耀におごる」「栄耀を図る」
 殊 = しゅ
     1別々になる。ことなる。ちがう。「殊別・殊異」
     2.普通とちがって特別に。特にすぐれている。すぐれて。ことに。
     「殊勝・殊珍・殊功・殊勲・殊遇・殊恩・特殊」

 


 
 松竹株式会社 歌舞伎美人より
 2019年二月 南座顔見世 夜の部で、片岡仁左衛門丈の「堀川波鼓」は披露される^^


  「堀川波鼓」 近松門左衛門作 1  一オ

  「堀川波鼓」 近松門左衛門作 2  一ウ 二オ


 

 
 

 
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「堀川波鼓」 近松門左衛門作  一オ

2019-11-29 | 近松門左衛門

 『近松全集 第四巻』より、「堀川波鼓」1   一オ 近松門左衛門作




 
 上の写真は、松竹株式会社様「歌舞伎美人(かぶきびと)」よりお借りしました。

 先日のこと。今日の風物詩の一つといっても過言ではない、南座の顔見世の招きが掲げられた。
 今年は、片岡仁左衛門丈の「堀川波鼓」に注目しており、わたくしたち夫婦も夜の部を楽しむ予定をしている。
 案の定、今年の招きの写真は片岡仁左衛門の札を掲げる瞬間であった。


 
 
   「堀川波鼓」   近松門左衛門作

 扨も行平みとせがほど、御つれ/″\の御舟遊び。

 月に心はすまの浦尓よしほをえらぶめまをとめにを

 とゝいゑらハれ参らせつゝ。をのにふれたる名なれや
 
 とて。松風むらさめとめされしより。月にもなるゝ

 すまのあま。しほやきころも色かへて。かとりの衣の

 そらだきなり。それハしほゆくあま衣。是はおつとの江

 戸のはるづめの。留守のしごとのはり物や、お元のおふじハ   1オ   p.498



 

 

  「堀川波鼓」 近松門左衛門作 1  一オ
 

 
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『絵入 好色一代男 一』の一丁オには、「アカキ」「よこ山」、『絵入 好色一代男 八』十八丁ウ左には 「アカキ」「重」押印。

2019-11-29 | 井原西鶴
 

 
 先日、西鶴と馬琴の作品を購入。
 九月に東京の神保町に行ってからというもの、和本を手にとって読んでみたい気持ちが大きくなったからだ。

 手元に届いた『絵入 好色一代男』は、天和二壬戌年で大阪刷りのものであった。
 

 
 私は、目を疑った。
 『絵入 好色一代男 一』の一丁オ には、

      アカキ

      よこ山
 の印が押されているではないか。

「アカキ」文庫の和本といえば、阪大や早稲田でも所蔵されていると、家族に聞いたことがある。
 夫に伝えると、『絵入 好色一代男 八』裏表紙裏(十八丁ウ 左頁)を開けてくれ、すぐさま、『日本古典文学大系』「西鶴集 上」の妥当頁を開けてくれた。

 
『絵入 好色一代男 八』は

      アカキ

      重

という印が押されていること。
[重]は横山 重氏のことで、古浄瑠璃や西鶴などをたくさん集められ、ことごとく集めた本に[アカキ]と云う印を押し、最後の巻に[重]の印を押され、赤木文庫として収集されていたこと。
 古書店・古本屋に行かれる時は大金を持っていたれ、迷った時はとりあえずお金に糸目もつけずに買われたことで有名だったこと。
『好色一代男』の解説などにも携わっておられる有名な方であることなどを、学生に教えるように丁寧に話してくれた。

 実は、滝沢馬琴が読みたかったので、二種類は贅沢だと思い断念しようと思っていたが、夫に伝えると、『絵入 好色一代男』は読みたいのであれば是非とも購入しておきなさいと後押しされ、手に入れることができた書であった。
 夫は、予想が当たったとにんまり笑っていたが、私は、『絵入 好色一代男』の目次を読み、好きな箇所を読んでは、爆笑に近いお下品な笑いをこらえきれず、読み進めていた^^

 ま!そんな嬉しい出来事がございましたのさ^^
       すこーんすこーん 米団子

 

 横山 重(よこやま しげる、1896年1月22日- 1980年10月8日)は、中世国文学者。
 長野県東筑摩郡片丘村北内田(現松本市)出身。
 1922年慶應義塾大学文学部卒業、1924年同予科教員、1942年退任、以後在野で活動。
 島木赤彦に師事して「万葉集」を研究。
 のち琉球史料、室町時代物語、古浄瑠璃へと研究をひろげて多数の校本を刊行した。
 大岡山書店と関係が深くほぼ専属出版社の趣があった。
 1933年から42年まで『三田文学』に「書物捜索」を連載、戦後は1953年から1961年『新文明』に連載継続。
 いずれも編集長は和木清三郎。
 1940年三田文学賞受賞。

著書
『書物捜索』(鈴木棠三・貴志正造・森川昭編集委員)角川書店 1978-1979
『横山重自伝』原秋津 1994[3]

『古事記』慶応義塾出版局 1927
『伴信友家集』弥富破摩雄共編 大岡山書店 1932
『中島広足全集』弥富破摩雄共編 大岡山書店 1933
『神道集』安居院 大岡山書店 1934
『物語草子目録』巨橋頼三共編 大岡山書店 1937
『説経節正本集』藤原弘共編 大岡山書店 1936-1937
『琉球史料叢書』全5巻 伊波普猷、東恩納寛惇共編 名取書店 1940-1942
『室町時代物語集』全3巻 太田武夫共編 大岡山書店 1937-1942
『住吉物語集 本文篇』大岡山書店 1943
『室町時代小説集』昭南書房 1943
『古浄瑠璃集』第1-3冊 古典文庫 1953-1956
『きのふはけふの物語』古典文庫(近世文芸資料) 1954
井原西鶴『好色一代男』岩波文庫 1955
『室町時代物語』第1-5 太田武夫、松本隆信共編 古典文庫 1954-1961
宗祇『新撰菟玖波集』野口英一と校訂 風間書房 1958
『説経浄瑠璃集』第1-2 古典文庫 1958-1959
『加賀掾段物集』古典文庫(近世文芸資料) 1958
井原西鶴『好色二代男』1958 (岩波文庫)
『初期仮名草子集』森武之助共編 古典文庫(近世文芸資料) 1959
井原西鶴『好色一代女』1960 (岩波文庫)
『古浄瑠璃集』第4-7冊 信多純一共編 古典文庫 1961-1971
『神道物語集』古典文庫 1961
『室町時代物語集』第1-5 太田武夫共編 井上書房 1962
井原西鶴『本朝二十不孝』小野晋と校訂 1963 (岩波文庫)
『室町時代物語』第6-7 古典文庫 1964-1966
『古浄瑠璃正本集』第1-10冊 角川書店 1964-1982
井原西鶴『武家義理物語』前田金五郎と校注 1966 (岩波文庫)
井原西鶴『武道伝来記』前田金五郎と校注 1967 (岩波文庫)
『説経正本集』第1-3 角川書店 1968
『竹林抄古註』角川書店(貴重古典籍叢刊) 1969
良定『琉球神道記』角川書店 1970
宗祇『新撰菟玖波集』金子金治郎共編 角川書店(貴重古典籍叢刊) 1970
『物語艸子目録』巨橋頼三共編 角川書店 1971
『心敬作品集』角川書店 1972 (貴重古典籍叢刊) 1972
『室町時代物語大成』全13巻 松本隆信共編 角川書店 1973-1985
『じやうるり』信多純一共編 大学堂書店 1982.1
『果園文庫蔵書目録』臨川書店 1992

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乱鳥徒然  これ、何だと思いますか?^^と言いつつ、静かすぎる夜を過ごしています。そう…静かすぎる時を過ごしています。

2019-11-29 | 乱鳥徒然 Rancho's room.



 乱鳥徒然  これ、何だと思いますか?^^と言いつつ、静かすぎる夜を過ごしています。そう…静かすぎる時を過ごしています。




 これ
 
 何だと思いますか?^^


 実は一昨日に用意した、ワンコのももちゃんのお食事です。

 中身は茹でたキャベツと、かなりお安い牛のステーキの焼いたのと、チキンのレバーです。

 あらかじめ冷凍しておけば、ペットショップは普段のお食事でも受け付けて下さいますそうで、ワンコのお泊まり用に調理師カチンカチンに冷凍しておきました。

 容器は、紙コップの口部分を六当分に切れ目を、三箇所は切ってしまい三箇所発のが出た状態にしました^^

 高さ半分くらいまで入れてラップを大きめに敷いて、入れます。

 ラップに、キャベツを敷き、上には肉とレバーを半々に入れ、汁気がこぼれないようにラップの口を閉じました^^

 最後に、紙コップのツノの部分を内側に折り込んで、ふた状態にします。

 メンディングテープの端に箇所を大きめに織り込んでおき、くっつかない部分を作って、紙コップのふたが開かないようにします。

 ジップロックジップロックに入れ、できるだけ急速冷凍し、完成です。



 上の手作り冷凍食品と万一のためにドッグフード、そして普段は食べさせてないジャーキーをもたせて、いざ!ペットホテルへ!でございまする。


 明日の夕刻には、連れて行きます><


      サミシィ〜〜〜><

 そう、私、とっても寂しいのです。

 だからこれまで、ここしばらく、旅行を断念していたのです。



 ワンコと雖も、家族なのです。

 連れて行きたい! 

 どこかに行きたい気持ちは大きいのですが、今は寂しさの方が大きい、静かすぎる夜を過ごしています。

 そう…静かすぎる時を過ごしています。
 
 


 
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乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 22  「俳諧」を探るために、「歌仙」について

2019-11-28 | ことのは
 

 

 

 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 22  「俳諧」を探るために、「歌仙」について

 


 「歌仙」とは 



 歌仙とは    (ブリタニカ国際大百科事典)

 (1) すぐれた歌人を選び,その名や歌をあげたもの。
   またすぐれた歌人。
  『古今集』序に柿本人麻呂と山部赤人を「和歌の仙 (ひじり) 」と記しているのが最初の用例である。
   代表的なものは,遍昭,在原業平ら6人の六歌仙と,人麻呂,紀貫之ら 36人の三十六歌仙。
   これにならって,六歌仙は和歌六人党,新歌仙など,三十六歌仙は後六々撰,中古三十六歌仙など,近世にいたるまで多くの歌仙が選ばれた。
  『百人一首』などもこれに準じるものであろう。 (→歌仙絵 )  

(2) 連歌,俳諧で,36句続けて詠む形式。
 俳諧では松尾芭蕉以後,代表的な形式となった。

 俳諧(はいかい)とは、主に江戸時代に栄えた日本文学の形式、
 また、その作品のこと。誹諧とも表記する。
 正しくは俳諧の連歌あるいは俳諧連歌と呼び、正統の連歌から分岐して、遊戯性を高めた集団文芸であり、発句や連句といった形式の総称である。


 
 

 歌仙とは   (百科事典マイペディア)

すぐれた歌人の意。六歌仙,三十六歌仙の類。また,それにちなんで,連歌・俳諧の一体をいう。これは連句の一形式で,5・7・5の長句と7・7の短句を交互に36句連ねたもの。最初の3句を発句(ほつく)・脇・第三,最後の1句を挙句(あげく)とよび,以上が起承転結の役を果たす。その他の句は平句(ひらく)とよばれ,連句の諸形式は平句の数の多少によって生じる。歌仙の形式と名称は,和歌の三十六歌仙名を各句によみこんだ物名連句に由来するか。 

 1 すぐれた歌人。「歌聖」に次ぐ人ともいう。六歌仙や三十六歌仙が有名。
 2 連歌・俳諧の形式の一つ。
  長句と短句を交互に36句続けたもの。

  2枚の懐紙の第1紙の表に6句、裏に12句、第2紙の表に12句、裏に6句を書きつけた。
  和歌の三十六歌仙にちなんだ名称で、蕉風(しょうふう)確立以後、連句形式の主流となる。


 

 歌仙とは   (世界大百科事典 第2版)

 すぐれた歌人の意。六歌仙,三十六歌仙の類。
 また,それにちなんで連歌・俳諧の一体をいう。
 
 これは連句の一形式で,5・7・5の長句と7・7の短句を交互に36句連ねたもの。
 
 最初の3句を発句(ほつく)・脇・第三,最後の1句を挙句(あげく)とよび,以上が起承転結の役を果たす。

 その他の句は平句(ひらく)とよばれ,連句の諸形式は平句の数の多少によって生じる。

 歌仙の形式と名称は,和歌の三十六歌仙名を各句によみこんだ物名連句に由来するか。


 すぐれた歌人の意。

 六歌仙,三十六歌仙の類。

 また,それにちなんで,連歌・俳諧の一体をいう。

 これは連句の一形式で,5・7・5の長句と7・7の短句を交互に36句連ねたもの。

 最初の3句を発句(ほつく)・脇・第三,最後の1句を挙句(あげく)とよび,以上が起承転結の役を果たす。

 その他の句は平句(ひらく)とよばれ,連句の諸形式は平句の数の多少によって生じる。

 歌仙の形式と名称は,和歌の三十六歌仙名を各句によみこんだ物名連句に由来するか。

 

 歌仙とは   (大辞林 第三版の解説)

 ① 和歌に優れた人。 「三十六-」

 ② 連歌・俳諧で、長句と短句を交互に三六句連ねたもの。
  懐紙二枚を折って用い、一折目(初折)の表に六句、裏に一二句、二折目(名残の折)の表に一二句、裏に六句書く。


  芭蕉以降盛んに行われた。 → 百韻

 

 歌仙とは   (精選版 日本国語大辞典)

[1] 〘名〙
① (中国、唐の詩人李白を「詩仙」と称するところから) 和歌にすぐれた人。のちにはある時代の傑出した歌人をいう。
 また単に、歌人の意でも用いる。
 「古今集‐序」で紀貫之の選んだ六人の歌人、一条天皇の御代に藤原公任の選んだ三十六人の歌人を後にそれぞれ六歌仙、三十六歌仙といったものが知られている。
 ※明衡往来(11C中か)上末「彼左金吾藤少将等。歌仙也伶人也」
 
(和歌の三十六歌仙に由来する) 連歌、連句の形式の一つ。
 二枚の懐紙を用い、初表(しょおもて)六句、初裏一二句、名残表(なごりのおもて)一二句、名残裏六句と、以上三六句続ける。
 蕉門俳諧確立後、百韻形式に代わって主流となった。
 また、一八句で終わるものは半歌仙という。歌仙俳諧。


 ※俳諧・笈の小文(1687)「すきものとぶらひ来りて、歌仙あるは一折(ひとをり)など度々に及(およぶ)」

 ③ 仕舞などで三六番演ずること。

[2] 狂言。和泉流・鷺流。奉納した絵馬から抜け出した、六歌仙の月見の宴で、遍昭(へんじょう)と、小町との仲をうらやむ他の人々とが争うが、夜明けとともに元の絵馬に収まる。

 

 
 



   『役者手鑑 全』1 表紙・表紙裏 安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

 https://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/8004913231b9f7916a7e5586e667ca07『役者手鑑 全』2 最終頁 安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

 https://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/3781ea7dbbe73aa9b0e6a110bf6c85ea『役者手鑑 全』3 序文一オ・ウ 八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

  『役者手鑑 全』4 連名句順 二オ 安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

    『役者手鑑 全』5 立役者之名家 安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

  『役者手鑑 全』6  三升 万歳の 来つつなれにし 鶴太夫 三オ 安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

    『役者手鑑 全』7 「連名句順」の「吾妻富士仰蓮花」(右下)と「三升」から始まる「万歳の 来つつなれにし 鶴太夫」を再考したい。
 
  『役者手鑑 全』8  鶴つがひ 長閑にあゆむ 田面かな  市江  東京書舗 本石町十軒店 伏見屋善蔵 稀書複製版 米山堂

  『役者手鑑 全』9  夕くれを おしむ乳母有り いかのほり 路志う 東京書舗 本石町十軒店 伏見屋善蔵 稀書複製版 米山堂

     役者手鑑 全』9 『役者手鑑 全』10 風巾の尾の風の長きためしも君の代や/青柳の強さや風の吹き次第/目辺りに埃もたたず梅の花(3句)

  『役者手鑑 全』11 里渡   高砂や 松葉に枝を 梅の花   安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

  『役者手鑑 全』12  蒲公英ハしはし旅僧のしとねかな 杉暁   安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

  『役者手鑑 全』13  舞台から雪間へ かたの蝶ひとつ  巨撰   安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

  『役者手鑑 全』14  納子   沖中に 舟 乗捨る 汐 干かれ  安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

  
 『役者手鑑 全』15  半ふん 有之 せうじ に くらき わかは哉  里江  安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画


  『役者手鑑 全』16  つり草の  置ところなし 蓮見時  連車   安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画 




 『役者手鑑 全』を楽しむに当たって  「連句」について
 『役者手鑑 全』を楽しむに当たって  「俳諧」について
 『役者手鑑 全』を楽しむに当たって  「俳諧」を探るために、「歌仙」について



  東京大学所蔵 役者手鑑 / 花吸菴編 全22頁  安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画




  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 1 「引歌」と「本歌取り」
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 2 「影印」と「印影」、「影印本」(景印本、影印)と「覆刻本」
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 3  丈(じょう )と 丈(たけ)
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 4 「草紙」と「草子」と「双紙」と「冊子」
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 5 「清元」と「常磐津」と「長唄」と「義太夫」
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 6 「千秋楽」と「千穐楽」と「千穐樂」
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 7  「文化功労者」と「文化勲章」 
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 8 「気功」と「気」の違い、及び「気功」と「気」の中国と日本の違い 
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 9 「忖度」江戸時代すでに言葉の変化が認められた事を『玉あられ』(本居宣長著)で再確認した。
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 10  弥生(日本に置ける3月)、暮の春、建辰月、月宿、夢見月
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 11  東大寺 修二会(お水取り)について再度確認しておきたい。
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 12  一旦停止の位置は如何様であろうとも、停止線手前で止まるべし
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 13 「全集とは」                       
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 14 「釈文」と「書き下し文」と「訓読文」、「しゃく‐ぶん【釈文】」と「しゃく‐もん【釈文】」の違い
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 15 「Pythagoras ピタゴラス(ピュタゴラス)」 「万物は数なり」について
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 16  「Dennis Vincent Brutus ブルータス」について
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 17  風流踊(ふりゅうおどり)または風流(ふりゅう)
 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 18  相手が悶々としない時間を「折り返し」と言うのだということがわかりスッキリした。
 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 19  合巻とは (そして、合本、合冊とは)
 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 20  『役者手鑑 全』を楽しむに当たって  「連句」について
 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 21 『役者手鑑 全』を楽しむに当たって  「俳諧」について
 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 22 『役者手鑑 全』を楽しむに当たって  「俳諧」を探るために、「歌仙」について


 
 
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乱鳥徒然 人生楽しめる時に思い切り自分の興味あることで遊びたいよ!と痛感する今日この頃でございまする。ハイ!!

2019-11-27 | 乱鳥徒然 Rancho's room.

 あら!ま!

 気がつけば、十一月も二十七日を終わろうとしているのね。

 今日の大掃除は念入りに洗面所を磨いたので、ピッカピカ^^v

 一日一箇所を目標に、お掃除小掃除大掃除。

 その日の気分で掃除していると、空気の循環が良くなるお家になり、今日も健康でいられるかしらんと朝日を眺め、夕刻には雨戸を閉めるのが日課の私。

 真冬でも一階にいれば、二階。二階にいれば一階を窓全開にしたりしているので、家中の空気が綺麗な気がします^^


 あ!!!

 今日図書館に行くのを忘れたわ^^;;

 期限は明後日だよ。

 月末に旅行で日本を発つので、それまでに、絶対返さなければ!!!

 旅行の予定があるので、今読んでいる『役者手鑑 全』を途中で中断したんだけど、本当、俳諧とか連句とか、難しいわ^^

 そして今までのイメージを覆すように面白いことに気がついたのね。

 なので文字はすご〜〜〜〜〜く短いのに、頭の中がカランカランと音を立て、乱鳥の妄想劇場みたいになって、時間たっぷり楽しめるのね。

 本当、。目からウロコの俳諧だわ!^^


 今月もスポーツジムに多く通ったよ^^v

 今日で十八回。

 家事と読書とスポーツジムで目一杯で、どこにも行けず、映画もテレビも見られず^^

 ドラマは先日書いたのと同じく、『俺の話は長い』と『ドクターX』のみ。

 わ!私の場合、二本も見ることができてるんだからいいじゃん!って感じなんだけど、テレビで映画、テレビで舞台を見てなくって、時間がなくってちょい!悲しい^^vかもね


 この四日間はジムで筋トレ三昧、有酸素運動四枚?うん???。

 おまけに、スタジオを四日で四種類。

 旅行前に風邪をひくのは良くないので、プールやジャグジーバスは断念^^v

 お調理を作って遊び、本を読んで楽しみ、ジムで思い切り汗を流し、毎日これだけ遊べてたら、私本望でございまするわ。

 人生楽しめる時に思い切り自分の興味あることで遊びたいよ!と痛感する今日この頃でございまする。ハイ!!


 
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 『初期俳諧集』より「犬子集(えのこしゅう) 一」 序の部分    岩波新日本古典文学大系 69

2019-11-27 | 俳諧、連句(『役者手鑑』などを含む)
 写真は春日大社 影向のまつの木肌



 『初期俳諧集』より「犬子集(えのこしゅう) 一」 序の部分    岩波新日本古典文学大系 69



「犬子集」(えのこしゅう)とは      (ブリタニカ国際大百科事典)
 江戸時代前期の俳諧撰集。松江重頼編。
 寛永 10 (1633) 年刊。
  17巻5冊。貞門俳諧最初の公刊撰集。
 山崎宗鑑,荒木田守武以後の発句 1530,付句 1000,それに「上古誹諧」と題して『菟玖波 (つくば) 集』など古連歌集から抄出した俳諧約 130句を添えてある。


「犬子集」(えのこしゅう)とは      (世界大百科事典)
 俳諧撰集。松江重頼(しげより)編。
 1633年(寛永10)刊。
 江戸初期の俳諧の隆盛に対応し,天文年間(1532‐55)以降の作品を集めた撰集。
 書名は《犬筑波(いぬつくば)集》の子になぞらえたもの。
 読人不知と178人の作者の発句(ほつく)1654句,付句(つけく)1000組を,5冊17巻に収める。
 主な作者は貞徳,重頼,親重(立圃(りゆうほ)),徳元,慶友ら。作風は縁語・掛詞による〈見立て〉や故事・古典の立入(たちいれ)が主である。



『初期俳諧集』より「犬子集(えのこしゅう) 一」 一部抜粋(書き写す)

 夫(それ)俳諧は昔より人のもてあそぶ事世世にあまねし。されども盛んにをこる事は、中比伊勢国山田の神官(じんくわん)に荒木田守武、又山城国山崎に宗鑑(そうかん)とて、此道の好士(こうし)侍り。かかる時よりぞ、事新たまりけるとなん。されば独吟に線区をつらね、そうかんは『犬筑波』をしるして、世世の型溝となしける。……
  (岩波新日本古典文学大系 69   3頁7頁)


 夫(それ)俳諧は昔より人のもてあそぶ事世世にあまねし。されども盛んにをこる事は、中比伊勢国山田の神官(じんくわん)に荒木田守武、又山城国山崎に宗鑑(そうかん)とて、此道の好士(こうし)侍り。かかる時よりぞ、事新たまりけるとなん。されば独吟に線区をつらね、そうかんは『犬筑波』をしるして、世世の型溝となしける。…… から始まる「犬子集(えのこしゅう) 一」は中頃には次のように記されているので、一部写しておきたい。


『守武句集』・『大筑波集』右(左)之良本をのぞき、其後の発句、付句其様宜しく聞こえるを、みづから書集め在古老之披見に入、用捨の詞をくはへ、そぞろに比一週(いつシふ)となし、是を「犬子集」と号(なづけ)侍る。

 上のように書かれている。

 最後のまとめとしてましたのように書かれているので、書き写しておきたい。

 誠 此道に心をよする事切なるによりて、今行末の人口、ことには神慮のとがめをも恐れざるに似たり。されども和光同塵は本(もと)より結縁(けちえん)の初とかや。市からば是非をもゆるし給うべし。……………………足引の山鳥のしだりおの、ながながしく書き続ける。



     『初期俳諧集』より「犬子集(えのこしゅう) 一」 序の部分  終わり






 


 


 
 
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『役者手鑑 全』を楽しむに当たって家族が『日本古典文学大辞典 第六巻』、

2019-11-27 | 乱鳥徒然 Rancho's room.
 上の写真の皮本の文字は、トンパ文字


 




『役者手鑑 全』を楽しむに当たって多くの疑問が生じたことは、つい先ほど書いた。


 『役者手鑑 全』を楽しむに当たって  「連句」について

 『役者手鑑 全』を楽しむに当たって  「俳諧」について


 疑問はさらに広く深く具体的になってきたので、家族に問うと、先日出してくれた『日本古典文学大辞典 第六巻』以外に、kakko系の「初期俳諧集」と「初期俳諧集」を手渡してくれた。

 双紙和本がとみたいと思っていたのに、こんなに俳諧に関心を持てしまうとは想像だにせず、である。



 写真は、中国 雲南省にて
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
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乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 21  『役者手鑑 全』を楽しむに当たって  「俳諧」について

2019-11-26 | ことのは
 

 

 


 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 21
『役者手鑑 全』を楽しむに当たって  「俳諧」について

 

『役者手鑑 全』を楽しむに当たって 「連句」に続けて「俳諧」について調べてみることにした。

 辞書で引けばいいのだが、今回も、とりあえず 苦しいときのウィキペディア頼み。


「俳諧」とは  (Wikipedia)


 俳諧(はいかい)とは、主に江戸時代に栄えた日本文学の形式、
 また、その作品のこと。誹諧とも表記する。
 正しくは俳諧の連歌あるいは俳諧連歌と呼び、正統の連歌から分岐して、遊戯性を高めた集団文芸であり、発句や連句といった形式の総称である。

 

 概要
 松尾芭蕉の登場により冒頭の発句の独立性が高まり、発句のみを鑑賞する事も多く行われるようになり、明治時代に成立した俳句の源流となる。
 時に作者個人の創作たる発句を完全に独立させた近代文芸の俳句と同一視される。
 専門的に俳諧に携わるひとを「俳諧師」と呼ぶ。
  江戸期においては専業のいわゆる「業俳」が俳諧師と呼ばれていた。
 本業があって趣味として俳諧を楽しむ人は「遊俳」と呼ばれ、遊俳は俳諧師とは呼ばれない。

 

 歴史
「俳諧」には、「滑稽」「戯れ」「機知」「諧謔(かいぎゃく)」等の意味が含まれる。
 平安時代前期に編纂された『古今和歌集』に集められた滑稽な和歌は「誹諧歌」と呼ばれていた。

 室町時代には、戦塵の傍ら武家が集した連歌会や出陣前に神社で執り行った法楽の連歌等に差異するように、和歌の連歌の表現を滑稽・洒脱にして、より気軽に楽しめるようにした文芸が「俳諧連歌」もしくは「俳諧の連歌」と呼ばれて一般に好まれた。

 当初は、連歌の傍流といった兆しであったが、しかし、室町後期には、山崎宗鑑が俳諧連歌集の祖となる『犬筑波集(俳諧之連歌抄)』を編纂し、また、宗鑑と並び俳諧の祖と評される荒木田守武が『俳諧独吟百韻』等の俳諧集を編んだ。

 俳諧連歌は江戸時代に入ると松永貞徳によって大成された。

 貞徳の一門による俳諧連歌は「貞門派」と呼ばれ一時代を築き、堅苦しい正統の連歌をしのぐ程の人気を誇った。
 しかしやがて貞徳らによるそれまでの「古風」に対して新しい表現「新風」が現れて貞門の地位を奪った。

 新風は「談林派」と呼ばれ、連歌師でもあった西山宗因を筆頭に、浮世草子を成立させた井原西鶴らが参画していた。

 談林派が十年ほどの短い最盛期を終えると、その後には松尾芭蕉があらわれ、「蕉風」と呼ばれる作風を示した。

 貞門派の「詞付」、談林派の「心付」に対して、蕉風は「匂付」と評された。


 芭蕉没後しばらくは付け句の技巧を競う川柳を中心に雑俳が栄えたが、中興の祖である与謝蕪村らによってふたたび活気を取り戻した。

 江戸時代末期には小林一茶の活躍が見られた。

 江戸時代を通じて俳諧は連句形式が主流であり、発句のみを鑑賞することがあっても変わらなかった。

 しかし明治時代になると、正岡子規によって、従来の座の文芸たる俳諧連歌から発句を独立させた個人の文芸として、近代の俳句が確立された。

 俳句の成立以降は、伝統的な座の文芸たる連歌の俳諧を近代文芸として行うとき、俳句とは区別するためこれを連句と呼ぶようになった。

 

 形式

 もともとは連歌として詠まれたものだが、発句のみを独立した表現とすることもある。

 のちに連句のための発句を「立句」、単独のものを「地発句」と区別して呼ぶようになった。

 また、連句としての前後のつながりを含めて作品であること、複数人で続けて句を詠みあうという表現の性格から作り手と受け手が同一空間にいることといった特色があるため、本来連歌としての俳諧は、近代以降の俳句と評価の視点が異なる。



 

 

 


   『役者手鑑 全』1 表紙・表紙裏 安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

 https://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/8004913231b9f7916a7e5586e667ca07『役者手鑑 全』2 最終頁 安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

 https://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/3781ea7dbbe73aa9b0e6a110bf6c85ea『役者手鑑 全』3 序文一オ・ウ 八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

  『役者手鑑 全』4 連名句順 二オ 安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

    『役者手鑑 全』5 立役者之名家 安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

  『役者手鑑 全』6  三升 万歳の 来つつなれにし 鶴太夫 三オ 安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

    『役者手鑑 全』7 「連名句順」の「吾妻富士仰蓮花」(右下)と「三升」から始まる「万歳の 来つつなれにし 鶴太夫」を再考したい。
 
  『役者手鑑 全』8  鶴つがひ 長閑にあゆむ 田面かな  市江  東京書舗 本石町十軒店 伏見屋善蔵 稀書複製版 米山堂

  『役者手鑑 全』9  夕くれを おしむ乳母有り いかのほり 路志う 東京書舗 本石町十軒店 伏見屋善蔵 稀書複製版 米山堂

     役者手鑑 全』9 『役者手鑑 全』10 風巾の尾の風の長きためしも君の代や/青柳の強さや風の吹き次第/目辺りに埃もたたず梅の花(3句)

  『役者手鑑 全』11 里渡   高砂や 松葉に枝を 梅の花   安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

  『役者手鑑 全』12  蒲公英ハしはし旅僧のしとねかな 杉暁   安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

  『役者手鑑 全』13  舞台から雪間へ かたの蝶ひとつ  巨撰   安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

  『役者手鑑 全』14  納子   沖中に 舟 乗捨る 汐 干かれ  安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

  
 『役者手鑑 全』15  半ふん 有之 せうじ に くらき わかは哉  里江  安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画


  『役者手鑑 全』16  つり草の  置ところなし 蓮見時  連車   安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画 




 『役者手鑑 全』を楽しむに当たって  「連句」について

 『役者手鑑 全』を楽しむに当たって  「俳諧」について



  東京大学所蔵 役者手鑑 / 花吸菴編 全22頁  安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画




  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 1 「引歌」と「本歌取り」
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 2 「影印」と「印影」、「影印本」(景印本、影印)と「覆刻本」
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 3  丈(じょう )と 丈(たけ)
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 4 「草紙」と「草子」と「双紙」と「冊子」
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 5 「清元」と「常磐津」と「長唄」と「義太夫」
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 6 「千秋楽」と「千穐楽」と「千穐樂」
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 7  「文化功労者」と「文化勲章」 
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 8 「気功」と「気」の違い、及び「気功」と「気」の中国と日本の違い 
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 9 「忖度」江戸時代すでに言葉の変化が認められた事を『玉あられ』(本居宣長著)で再確認した。
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 10  弥生(日本に置ける3月)、暮の春、建辰月、月宿、夢見月
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 11  東大寺 修二会(お水取り)について再度確認しておきたい。
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 12  一旦停止の位置は如何様であろうとも、停止線手前で止まるべし
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 13 「全集とは」                       
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 14 「釈文」と「書き下し文」と「訓読文」、「しゃく‐ぶん【釈文】」と「しゃく‐もん【釈文】」の違い
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 15 「Pythagoras ピタゴラス(ピュタゴラス)」 「万物は数なり」について
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 16  「Dennis Vincent Brutus ブルータス」について
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 17  風流踊(ふりゅうおどり)または風流(ふりゅう)
 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 18  相手が悶々としない時間を「折り返し」と言うのだということがわかりスッキリした。
 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 19  合巻とは (そして、合本、合冊とは)

 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 20  『役者手鑑 全』を楽しむに当たって  「連句」について

 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 21  『役者手鑑 全』を楽しむに当たって  「俳諧」について


 
 
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乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 20   『役者手鑑 全』を楽しむに当たって  「連句」について

2019-11-26 | ことのは
 写真は 大神神社(三輪神社) 能楽『三輪』







『役者手鑑 全』を楽しむに当たって  「連句」について

 

『役者手鑑 全』を思い切り身勝手に楽しみながら、ほぼほぼ半分が読めたように思う。

 ここにきて、『役者手鑑 全』を楽しむに当たって、家族に俳諧や連句や、あれやこれやとは何ぞやと質問ぜめに合わせると、夫書斎より一冊の辞書を手渡す。

 その重さ、ローストポークに例えるなら、おおよそ1,5個分はあろうかと思う。

『日本古典文学大辞典 第六巻』の「連句」の頁を広げ、重ねて、
「『岩波新古典文学大系』「初期俳諧集」には具体例が載ってるからね^^」
と、多少面倒臭そうであった。

「連句」の決まり事など全く知りもしない私は『日本古典文学大辞典 第六巻』の「連句」を読み、
『こりゃ、大学の授業の一コマかふたコマ分歯あるね。』
と笑うと、夫、軽く聞き流す。

『日本古典文学大辞典』は1ページに4段。
 ページ数にしておおよそ2,5ページ、合計約10段也。

 容量かましてよかですか!?とばかりに、乱鳥「連句」のウィキだのみ。

 枕詞のごとく、「とりあえず、ウィキペディア」とばかりに、記録してみた。

 

 

 連句とは      (Wikipedia)

 連句(れんく)とは、歴史的には、俳諧の連歌のことであった。
 連歌に対して俳諧という趣旨の精神とその内容、また俗語をも使用する形式で、それが、連歌の形式を踏襲した為に「俳諧の連歌」と称せられた。

 連歌とは複数の吟者が吟ずる短句で、前句に後句を付け合いし続ける形式の文芸をいう。
 付け合いする句々は独立性のあるものが原則である。
 しかもその隣接二句が調和することが特徴である。
 座の文芸の所以である。


 俳諧は江戸時代、松尾芭蕉を始め多くの秀吟者を輩出し、庶民にも親近するため、連歌より好まれ、文芸の主流を為した。
 のちに、川柳と発句(のち俳句)の、一句形式の分離と流行を誕生せしめたので、狭義には俳諧より一句形式を除いたものは連句と呼称される。
 この用語を、明治37年に連歌や俳句と区別するため高浜虚子が提唱してから定着したとする説もあるが、「連句」の名称はしかし随分以前から巷間あった。

 形としては連歌の様式を踏襲して、五七五の句の後に七七の句を、さらに五七五・・・と交互に付けていき、三十六句(歌仙)、五十句(五十韻)、百句(百韻)等よりならしめ、総数の違いで数十種に別して名称がある。

 


 連句の様式、式目
 総数の違いと、それを数ブロックに分ける数と量の違いにより、伝統的な連句の形式には、それぞれの名称があり、よく作られるものは、歌仙(36句)と半歌仙(18句)であるが、総数のみいう形式とは別に様式という場合、作する方法や句の取捨する規範など(式目と称するもの)まで含めていうことが出来る。
 ただしこうした伝統的連句は、いずれも殆ど様式(式目)に大きな区別はない。
 主なる式目は、春夏秋冬の季の句数で、春秋三句以上連ねること、夏冬句は一、二句なこと、各ブロックに月の句ないし花の句を配り置くこと、前句の前(これを打越という)と同趣意や用語を禁じたり嫌ったりすること、遠くに詠んだ句であってもそれはきつく忌避される(輪廻という)。
 その他心得的なものは一通りでない。

 


 伝統的連句
 正岡子規にはじまる近代俳句の隆盛のなかで、連句に注目した早い時期のものとして、寺田寅彦の随筆があげられる。
 また、幸田露伴は、芭蕉七部集の評釈を行い、芭蕉の歌仙の構造を明らかにした。

 こうした戦前の業績をうけて、現代の作家、詩人たちによる連句の試みが、1960年代後半からはじまった。
 その中心になったのが、大岡信、丸谷才一、安東次男、石川淳たちによる歌仙の興行であった。歌仙を巻いて、その後で付け合いの雰囲気や意図について解説対談を行うという形式によって、連句の可能性が追求された。大岡は、〈連詩〉という概念をここから発展させて、外国語での詩作の可能性も追求している。
 石川・安東・丸谷は亡くなったが、大岡、岡野弘彦を中心に雑誌『すばる』や『図書』誌上を中心に連句興行が続けられている。

 

 

 


   『役者手鑑 全』1 表紙・表紙裏 安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

 https://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/8004913231b9f7916a7e5586e667ca07『役者手鑑 全』2 最終頁 安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

 https://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/3781ea7dbbe73aa9b0e6a110bf6c85ea『役者手鑑 全』3 序文一オ・ウ 八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

  『役者手鑑 全』4 連名句順 二オ 安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

    『役者手鑑 全』5 立役者之名家 安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

  『役者手鑑 全』6  三升 万歳の 来つつなれにし 鶴太夫 三オ 安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

    『役者手鑑 全』7 「連名句順」の「吾妻富士仰蓮花」(右下)と「三升」から始まる「万歳の 来つつなれにし 鶴太夫」を再考したい。
 
  『役者手鑑 全』8  鶴つがひ 長閑にあゆむ 田面かな  市江  東京書舗 本石町十軒店 伏見屋善蔵 稀書複製版 米山堂

  『役者手鑑 全』9  夕くれを おしむ乳母有り いかのほり 路志う 東京書舗 本石町十軒店 伏見屋善蔵 稀書複製版 米山堂

     役者手鑑 全』9 『役者手鑑 全』10 風巾の尾の風の長きためしも君の代や/青柳の強さや風の吹き次第/目辺りに埃もたたず梅の花(3句)

  『役者手鑑 全』11 里渡   高砂や 松葉に枝を 梅の花   安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

  『役者手鑑 全』12  蒲公英ハしはし旅僧のしとねかな 杉暁   安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

  『役者手鑑 全』13  舞台から雪間へ かたの蝶ひとつ  巨撰   安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

  『役者手鑑 全』14  納子   沖中に 舟 乗捨る 汐 干かれ  安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

  
 『役者手鑑 全』15  半ふん 有之 せうじ に くらき わかは哉  里江  安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画


  『役者手鑑 全』16  つり草の  置ところなし 蓮見時  連車   安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画 



 『役者手鑑 全』を楽しむに当たって  「連句」について


  東京大学所蔵 役者手鑑 / 花吸菴編 全22頁  安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画



  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 1 「引歌」と「本歌取り」
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 2 「影印」と「印影」、「影印本」(景印本、影印)と「覆刻本」
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 3  丈(じょう )と 丈(たけ)
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 4 「草紙」と「草子」と「双紙」と「冊子」
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 5 「清元」と「常磐津」と「長唄」と「義太夫」
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 6 「千秋楽」と「千穐楽」と「千穐樂」
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 7  「文化功労者」と「文化勲章」 
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 8 「気功」と「気」の違い、及び「気功」と「気」の中国と日本の違い 
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 9 「忖度」江戸時代すでに言葉の変化が認められた事を『玉あられ』(本居宣長著)で再確認した。
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 10  弥生(日本に置ける3月)、暮の春、建辰月、月宿、夢見月
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 11  東大寺 修二会(お水取り)について再度確認しておきたい。
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 12  一旦停止の位置は如何様であろうとも、停止線手前で止まるべし
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 13 「全集とは」                       
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 14 「釈文」と「書き下し文」と「訓読文」、「しゃく‐ぶん【釈文】」と「しゃく‐もん【釈文】」の違い
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 15 「Pythagoras ピタゴラス(ピュタゴラス)」 「万物は数なり」について
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 16  「Dennis Vincent Brutus ブルータス」について
  乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 17  風流踊(ふりゅうおどり)または風流(ふりゅう)
 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 18  相手が悶々としない時間を「折り返し」と言うのだということがわかりスッキリした。
 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 19  合巻とは (そして、合本、合冊とは)

 乱鳥の今更人に聞けない言葉の混乱 20  『役者手鑑 全』を楽しむに当たって  「連句」について



 
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 『役者手鑑 全』16  つり草の  置ところなし 蓮見時  連車   安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

2019-11-26 | 俳諧、連句(『役者手鑑』などを含む)


 『役者手鑑 全』16  つり草の  置ところなし 蓮見時  連車   安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画
 


 

 
  半ふん 
   有之 
  せうじ 
    に 
   くらき
    わかは哉
         里江

   = 半分之(これ)有り
     障子に暗き 若葉哉(かな)
                 里江 
 を受けて

 

   つり草の  
  置ところなし 
     蓮見時  
         連車

   = 釣り草の 置く所無し 蓮見時






 
 連名句順  澤村定五郎  連車
  


 


 乗捨る 
  汐 
  干かれ
 から

  ↓

 半ふん 
   有之 
  せうじ 
    に 
   くらき
    わかは哉

  ↓

 つり草の  
  置ところなし 
     蓮見時 


 つり草 = 釣った草(女性)
       そして、植物の「つり忍」をも思い浮かべます。
      「つり忍」は確かシダ科でしたが、冬に枯れても、毎年はを出します。
       おまけに、「つり忍」は小芝居でもたびたの披露される演目です。

 置ところなし の言葉で、女性が気の毒なようではありますが、少し笑ってしまう。
 これは、連句の面白いところなのでしょうかと感じます。

 そして
 蓮見時 で (女性を)置ところなし をさらに強調しているように思います。

 はすの見頃は、朝。遅くとも、午前中です。
 日が昇り、照り始めると、はすの花は水面下に隠れてしまいますもの^^

 これを考えると、女性の方からさっていったとも受け取れます。


 皆さんはどのように受け取られますか^^
 え?
     乱鳥(Rancho)さん、ちょいと、下世話ですよ!
 って。
 これまた、失礼いたしました。


 古典や連句ってこういうのも多いので、お許しを^^v

       






 


   『役者手鑑 全』1 表紙・表紙裏 安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

 https://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/8004913231b9f7916a7e5586e667ca07『役者手鑑 全』2 最終頁 安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

 https://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/3781ea7dbbe73aa9b0e6a110bf6c85ea『役者手鑑 全』3 序文一オ・ウ 八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

  『役者手鑑 全』4 連名句順 二オ 安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

    『役者手鑑 全』5 立役者之名家 安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

  『役者手鑑 全』6  三升 万歳の 来つつなれにし 鶴太夫 三オ 安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

    『役者手鑑 全』7 「連名句順」の「吾妻富士仰蓮花」(右下)と「三升」から始まる「万歳の 来つつなれにし 鶴太夫」を再考したい。
 
  『役者手鑑 全』8  鶴つがひ 長閑にあゆむ 田面かな  市江  東京書舗 本石町十軒店 伏見屋善蔵 稀書複製版 米山堂

  『役者手鑑 全』9  夕くれを おしむ乳母有り いかのほり 路志う 東京書舗 本石町十軒店 伏見屋善蔵 稀書複製版 米山堂

     役者手鑑 全』9 『役者手鑑 全』10 風巾の尾の風の長きためしも君の代や/青柳の強さや風の吹き次第/目辺りに埃もたたず梅の花(3句)

  『役者手鑑 全』11 里渡   高砂や 松葉に枝を 梅の花   安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

  『役者手鑑 全』12  蒲公英ハしはし旅僧のしとねかな 杉暁   安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

  『役者手鑑 全』13  舞台から雪間へ かたの蝶ひとつ  巨撰   安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

  『役者手鑑 全』14  納子   沖中に 舟 乗捨る 汐 干かれ  安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画

  
 『役者手鑑 全』15  半ふん 有之 せうじ に くらき わかは哉  里江  安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画


  『役者手鑑 全』16  つり草の  置ところなし 蓮見時  連車   安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画 






  東京大学所蔵 役者手鑑 / 花吸菴編 全22頁  安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画




 

 
 『役者手鑑 全』 表紙裏
 
 
 安永八年巳亥正月 花吸庵蔵 花吸庵編 磯田湖竜斎画   東京書舗 本石町十軒店 伏見屋善蔵  最終頁
  
 
 
 序文 一オ
 

 
 
 序文 一ウ
 

 
 
 連名句順  二オ
 
 
 立役之名家 市川團十郎 三升

 
 『役者手鑑 全』5  三升 万歳の 来つつなれにし 鶴太夫

 
 『役者手鑑 全』8  鶴つがひ 長閑にあゆむ 田面(たのも)かな  市江

 
 『役者手鑑 全』9  夕くれを おしむ乳母(うば)有り いかのほり 路志う

 
 『役者手鑑 全』9  風巾の尾の 風の長きためしも 君の代や  きをん
                     
 
 『役者手鑑 全』9 青柳の つよさや風の 吹き次第  濱瀬

 
 『役者手鑑 全』10 目あたりに ほこりもたたす 梅の花  三朝

 
 『役者手鑑 全』11 里渡   高砂や 松葉に枝を 梅の花   

 
 『役者手鑑 全』12  蒲公英ハしはし旅僧のしとねかな 杉暁  

 
 『役者手鑑 全』13  舞台から雪間へ かたの蝶ひとつ  巨撰 

 
 『役者手鑑 全』14  納子   沖中に 舟 乗捨る 汐 干かれ  

  
 『役者手鑑 全』15  半ふん 有之 せうじ に くらき わかは哉  里江 

 
 『役者手鑑 全』16  つり草の  置ところなし 蓮見時  連車 

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