遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

鬼がいないので

2011-08-06 20:28:22 | ただの記事

昨日の疲れが出たか

体が動かないけれど

少しは片付けた

心を入れ替えたので

ほんの一か所でもやれば変わる

というのがわかったから

冷蔵庫の野菜室掃除

すごく汚かった

パッキンをきれいにしないと効率が悪いというのをテレビが言っていたので

こまごまと 念入りに 引き出しは取り出して

ともかく

打ち明けられないくらいに汚かった

実はそういうの掃除するの好きなのよ

一点集中主義

 

後 地震で 子供たちのお古の机は壊れた

組んであるものがばらけた

武蔵が 分厚い机の天板を乗せてくれた

ムクの一枚板なので 超重いが

乗せただけ 一枚板の宿命で反っている

これが地震で落ちてきたら

怪我する

前回は机は合板で材料は軽かった

プリンターが重かった

で この天板を壁に固定した

つぎ アルバムが入っているところを整理初めて

おお

38年前の今日 旅先から家へ出した絵葉書が出てきた 消印が8月6日だ

19730806

38年経っても 絵が変わらない

進歩ないなあ

Img553

文字も相変わらずだが

この文字は若い

私は母が

年と共に文字が下手になって

無残だなあ

と思ったが

私も 無残だ

Img552
上の2点は思い出した

京都 奈良で仕事の後土曜日日曜日暇ができたけれど

土曜日に宿は取れないから

船で眠ろう と 船に乗って 高知に行ったんだ

で一日遊んで

月曜日からの京都の研究会に出たんだ

順番は逆だったかもしれない

旅先から親に絵葉書を書いて送るなんて

結構殊勝な娘だったのだな

Img554

上は電車の中から描いたような気がする

↓の場所はどこだか覚えていないけれど

描いていたときの感覚に覚えがある



Img555

傷んで汚い画面だけれど

そのうち無くなっちゃうから

ここに記念に保存

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アーサーランサム全集

2011-08-06 15:37:46 | 外国の本

なんだか首筋が痛くて 片付けられない

はい

いいわけです

Chinnenn090606

男鹿人さんのところで

大きな帆船を見て

ヨット談義を思い出した

法事でマリンスポーツに堪能な若い女性が

従姉の旦那と話していて

ヨットや空手はおじちゃん仕込み

という話になって

「私も一人乗りのディンギなら操縦できたことがあるよ」

といったら 仰天された

スポーツはダメだし関心ないしヨットやる風には見られなかったらしい

 

 

でもヨットは好きよ

だいたい

ヨット リアカー キャンプ みな私には

同じ種族の魅力だ

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私とご同輩ぐらいのお友達は この本 子供の時は出ていなかったよな

ヨットで 冒険する話  無人島でキャンプしたり

小学生高学年から 絶対お勧めの物語です

わが家には7冊だけ残っている

数多 本を捨てたがこれは捨てない

寝たきりになったらまた読む

ワクワク

私は大人になってから熱中して読んだけれど

件の従妹の旦那もこの本は知っていた が  気は合わない

ヨットというと 思い浮かべると 軟派な話ばかりで

周りの女たちが顰蹙 なのにわからない

女だろうが子供だろうが

風を間切って 風上に船を進める快感なんか

ヒャッホー  だよ

全く!

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「ビザンティンの聖堂美術」益田 朋幸

2011-08-06 06:56:38 | 日本の本

福島行の読書はこれ

電車に乗ると本が読めるからうれしい とは言いながら

大分寝たけど

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ダンテの「神曲」を読み始めて

気になるのは 中学か高校で習ったのは

ダンテって ルネサンスの魁みたいに習った

それってなんだ?

ダンテの前 キリスト教者は どんなふうに考えていたんだ?

ということが気になった

ビザンティン美術なんかについても

何も勉強したことがない

何も知らないなあ

と思っていたが気にもなっていた

なんか

子供のころは

中世は文化的に暗黒時代で

ルネサンスは文芸復興って 教会が文化の開花を抑えていたのを

市民階級が力を得て 解放したようなイメージだった

その時ギリシャの昔からいっぱい栄養をもらった

 

そういう風に

パターン化して理解していたというか させられてこなかった?

 

 

これって 偏ったものの見方なんじゃないか?

とは思うものの 何も知らないし

で 手にしたこの本 面白かった

 

さんざんキュビズムのことを考えて

あの頃ルネサンス以来の線遠近法から飛び出していった

新しい動き

それは前の時代の否定

と考えたけれど

ハハハ

ビザンチン美術に それもあった

ギリシャとルネサンスから印象派までは

視覚的リアリズムの時代というような説が展開されてあった

(視覚的リアリズムとは書いてない この語は 美術教育用語だ)

 

 

昨日の高校生の作品を見て

高校生って 物語性が大事な年頃なのかな

と思った

 

子供たちは

村上隆みたいな美術の影響もうけ

ゲームやアニメの世界になれていて

物語的に 物を紡ぐ

 

 

 

ビザンティンの美術は 文字を知らない人々に視覚を通して語る

伝道書なのね

 

 

 

 

時代はめぐる感じだ

 

そのなかで 神は不可知だという話が出てきた

父なる神が不可知で 肉体化してキリストが現れ 精霊 とこの三者が一体のもの

それが三位一体ということだって

 

分かったようなわからないような

 

でも神が不可知というのが気に入った

 

「神曲」でひどく違和感を感じたのが

地獄煉獄 なんか勝手にダンテの価値観を押し付けられているようで

ダンテ様は偉大かもしれないけれど

ちょっと 手前味噌なやつだなあ  という印象が抜けない

もう一回こういうものと ビザンティン美術ルネサンス美術見直してみたい

でも また重い本を借りてこないといけないのが嫌だ

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昨日福島で思ったこと

2011-08-06 06:23:36 | ただの記事

観察力が弱いので

何もわからなかったが

それでも

福島に行ってよかった

 

高校の総文祭 ツイッター上ではだいぶ問題になっていたけれど

全国から若者が集まって お宿もいっぱい埋まって

にぎわったか?どうかもわからないけれど

黒いおそろいを着た長野のグループが皆同じマスクをしているのを見て

ほかのも ポチポチとマスクをしているのを見て

親御さんは

まだセシウムは漂っているという報道もあったし

さぞ心配なさったのだろうと思った

それでも

群れになっている若者を見て

そうだよな

老いも若きも一緒に暮らせる町や村でなくてはいけないなと

改めて感じた

 

私は福島の子供たち せめて夏休みは空気のきれいなところで

キャンプとかできたらいいのにと思った

子供には汚染の少ない食べ物がいくようにと

思っていたが

ある若者が そういう考え方は嫌いだ

じいちゃんばあちゃんにも安全なものを食べさせたいよ

と書いていた

そもそも 老いと若きが一緒に暮らせない

都会に集中しすぎる

それがおかしいよな

だいたい原発立地に選ばれたところは

過疎で大変だった

美しいところが 過疎で大変って 変だよね

わが住む地域も 若者は少ない 仕事がない

若者は住みにくい

ある程度人口がないと ある種のお商売は成り立たない

それでどんどん過疎化が進む

それ 考えてみれば異常だ

東京で電気いっぱい使ったんだから 原発の廃棄物

そっちで引き受けろよ

という説もある

もっともな話だ

集積した汚泥は もう原発が一基あるか?というぐらい

東京でたまるぞ という話もある

原発って差別の集積だな

 

 

福島に行ったら 桃売っていた

桃の名産地なのね

売れないということもなく高値で取引されているそうだ

福島に住んでいれば どこ産?なんて言わず

出回っているものは 検査されているもの大丈夫と

食べる人は多いだろうし

でも子供には外国産や西のものを食べさせるという人もいるかもしれない

 

茨城に住んでいると

ご近所産  自家産 気にせず食べる

福島茨城は農産物 作るな!  と吼えている人もいるけれど

人殺し呼ばわりまでするけれどさあ

県民になってみ?

 

ア そうか

県民になっても外国に逃げるか?

それはそれで個人の自由だ

 

あるツイッターで 放射脳(変換間違え  放射能は感染しません 放射脳は感染するかも 私のブログ 感染していると敬遠されている)

 は感染すると言い出した人がいて

別の人が かなり頭にきて  ありえません!

って怒っていた

 

私もわが県に来た福島の人に放射線測定器を当てた写真を見て

かなり頭にきた

そんなものを出すから 福島の人がひどい目に合う

と思ったけれど

 

除染されずに輸出しようとした車から放射線が測定されて

放射化した!と騒いだ人が居たんだ

そう簡単に放射化はしない

放射性物質いっぱいくっつけたままの車だっただけのようだけれど

 

 

総文祭が中止になったら

みんなは安心だったかもしれない

あと二日あるけれど

無事に全日程が元気にできるのがいいなと思った

 

高校生たちは

実際に福島にきて

事前のいろいろ ここであった交流から多分たくさんのことを考えたに違いない

合唱の曲目のなかにも被災地への思いを歌ったものがかなりあった

ここでの体験を持ってまた全国に帰っていくのだな

と思うとリスクを浴びた以上の成果があった気もする

私自身 福島が危ないなら それは日本人みんなが危ないんだから

分かち合っていいと思う それは強制しちゃいけないけれど

総文祭を開催しちゃったのは 結局強制したことになるけれど

 

難しいね

 

福島産の桃

お土産に買ってはこなかった

やっぱり福島産の桃って 実際問題としては喜ばれない

皮ごとは食べないほうがいいと聞いて

皮ごと食べられる桃のほうがいいと思う

これが本音だ

でも 福島に住んでいれば やっぱり桃は福島でなくちゃね

といって

皮をむいて食べるだろうな

 

わが 茨城の梨  雹で売り物として収穫できなくなった

というので

武蔵は東京に送るのはあきらめた

梨は皮をむいて食べるな

雹で傷んだのは自家用に買って頂く

分かち合わなければ  食糧不足になるんじゃない?

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