岩手県陸前高田市の景勝地「高田松原」の松で作った薪(まき)を、京都の伝統行事「五山送り火」の大文字で燃やす計画が中止になった。放射能汚染を心配する声が京都市などに寄せられたためという。
この薪からは放射性物質は検出されなかったのだけれど
結局 大文字保存会の方たちが
現地に行って 迎え火として炊くという展開になりました
http://www.asahi.com/national/update/0806/OSK201108060131.html
http://huji.hinamaturi.lolipop.jp/
保存会の方たちの工夫でこういう展開になって
よかった
放射能が怖いと心配する人(茨城に住む身からすると これは心配し過ぎとは思うけれど)
の不安を 抑えてまで 送り火を焚くことはない
そんなことは鎮魂にならない
と思いますものね
住んでいるところによって
思うことはずいぶん違うものだな
と思います
それは
仕方のないことだ
保存会の方たちは 陸前高田に行って そちらの方たちと一緒に
迎え火を焚いてくださる
やがてお盆が来るけれど
この時期 日本人は無くなった方を偲んで
色々な行事をします
8月は 皆師を巡る行事だと 不思議がられるそうですが
私は死んだあと亡くなった人の霊魂が里帰りするとは思わないけれど
生きている人が
この時期 亡くなった人を思うというのは
ごく自然なことだと思うのです
8月6日や9日に 日本人は黙とうをささげますが
生きている人は これまで生きてきた人を胸に刻んで
生きているのですから そういうことを
魂と言っても霊魂と言ってもいい
そういう風に思います
実は
日本の宗教行事も
私はあまりなじみなく育ったので
田舎では いっぱい知らない行事や
人々の思いが理解できないことがあります
子供のころは 宗教的なものには嫌悪感があって 苦手でしたけれどね
今は
そんなことを言っていられません
読み進めると
マリア様が キリストを生んだ時から 受難の定めを知っていて
辛い顔で キリストを抱いている
それを見て
当時の人は何を考え
何を思いめぐらせたか 考えているのです
ところで
アイリスって
マリア様の花で
それは
この葉が キリストを刺した刃と同じ形だから
とは
知らなかった
そのようなわが子を失う悲しみのマリアの話を聞いて
何を思うのか
そもそもなぜ絵を描いたのか
これは
宗教に居ついて考えないと
わからないと 今頃気づいたのです