メール ありがとうございました
パウロは 12使徒ではないのですね
今 ビザンチンにとても興味があるところなのです
ややこしいことをこのブログに書くと
わけわかんない と
お友だちの不興を買うので
美術専門のブログも書いているのです
地震以来 この所さっぱりだけれど
そこに ちょっとビザンティンのことを書きました
http://yuukoubo.blog.ocn.ne.jp/art/2011/08/post_5da9.html
私の世界の歴史の知識は高校生由来だけなので
ビザンティン帝国があった(実際は帝国はこの名前ではないそうだけれど)
1453年にトルコに滅ぼされた
事しか知らない
ルネサンスについては
中世という文化的暗黒時代のあと
教会支配を飛び出して 中世のブルジョワジーが力をつけて
それが支えになって 文芸復興が行われた
と思っていたの
直前の押し付けてくる時代をはねのけるのに
その前の時代から パワーをくみ取る
という風に 復興 というのも考えていた
日本も似ている
鎌倉時代は それまでの貴族に変わって 武士が権力を握ってくるのを背景に
鎌倉時代の文化が 花開いた
運慶などは伝統的仏師でいながら
新しいパワーは 古代(天平時代など)からくみ取っているし
和歌の世界も この時代 万葉集が学ばれている
歴史はそういう風に進むなあ
と
単純化して考え
類型化して考え
分かった風に思っていたけれど
ビザンティン!これが 西ヨーロッパの中世と言われる時代に
そこに 何がっあったんだろう
これが
最大の関心事なのです
日本の歴史を考えるときは
時代とともにあった 宗教が孫時代の何とどう関係するか
考えることができるけれど
(わかりはしないけれど)
西洋の場合
キリスト教がわからないというのが
こりゃ 困難だなあと 思うところです
ダンテの時代 ミケランジェロの時代 そして 東ヨーロッパでは
キリスト教がどういう風に人の心にあったのか
それが美術作品いどういう風に反映しているのか
興味津々 なのです
パウロについても
名前しか知らなかったけれど
この
神の光で打ちのめされたとき回心が起きる
というのは
後々のいろいろな芸術作品に 意味あるつながりがあるのか!
とびっくりしているところ。
光 というのが何の象徴か って
ミケランジェロのパウロの回心は この絵を見て
いろいろ思うことがあったのです。
ダビデの像も ミケランジェロのダビデ像
息をのむ美しさ
それで十分だけれど
でもこれは
ダビデが何をして キッと振り向いたのか
旧約聖書 その部分までまだ読み進んでいません
それにこれが作られたときのイタリアの状況も知りたいのです
和子さんがローマ史のお勉強をなさったと聞いて
いろいろ教われそうですね
私はダンテが(フィレンツエじゃだめ?)
政治的にどういう派閥にいたのか(これは分かっている)
どういう主張だったのか
ミケランジェロも
かなり政治的にも活動したみたいで
どういう主張の人だったのか
メジチ家との関係も細かく知りたいのです
どうぞ また よろしくお願いします
では また