遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

あちゃあ おばさんまた転んだ!

2012-05-14 18:39:34 | ただの記事

先に安心してね

結果 怪我はなかったからね。

温泉で私が受付をしているうちに一人でトコトコ

歩いて行ったおばさんコテンと前のめりに転んじゃった

大急ぎで駆け寄ったが

なかなか起きられない

屈強な若者が抱き起こそうとするんだが

力任せに抱き上げるんだもん

それじゃどこか折れちゃうよ!

おばさんは自力で起きようともがいているし

それを柔らかく補助するように力を貸さなきゃあ

あああ 強い若者はダメだなあ

善意なんだけれどね

 

ともかく無事 起き上がれた

またおばさんが

せいにした

「左手で杖をついたから転んだ!」

おばさんは体が右に傾いている

で 右手に杖をつく癖がある

Img_0623

こういう感じね

武蔵が 悪い方に杖をもたないで反対側に持てばと助言するのが

負担らしい

(骨折したのは右だ)

今日は久し振りの温泉だからね

手をつないで行こうね

ずっと手を引いて移動するようにしたが

帰り

また私が受付を済ませる間目を離すことになるので

私が不安なのだ

おばさんは「ちゃんとつかまって歩くから」と言って

右手に杖

左手はバーにつかまって歩いていたよ

職員の人も

「おばあちゃん大丈夫ですかあ?」と

心配していた

ところで いつも20分歩くおばさん

今日は25分歩いた! よしよし

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 ヤッホー おばさん復活

2012-05-14 15:50:12 | ただの記事

今日はおばさん温泉行く気満々

よかった 復活だよ

私としては 内心 おばさんが動けなくなったとき

というのの覚悟は出来ているんだ

そうなったら

おばさんが骨折で入院していた時のように

おばさんを描きまくる

 

実は義母の入院中も 延々とお義母さんを書きまくっていたが

義姉は 不謹慎な行為だと思ってたようで

怒っていたようだった

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家族の絆

2012-05-14 15:45:41 | ただの記事

記念日がないというのも

普通の家と違うかもしれないが

食事もだいぶ違う

食事が団欒だったことはほとんどないし

家族の団欒というのもない

本当に ずっと個食

子供が子供の頃はおばあちゃんがいて

おばあちゃんと子供たちは食べていたし

家族というのは子供だけで

お父さんというのは存在感がなかった

 

実際問題としてそれで問題はなんにもない

大事なのは 家族がそれぞれ自由だということで

思い返してみると

私育った家は父が専制君主の飲んだくれだったから

専制君主のいない

無政府状態の我が家は 私の天国だった!

ということをすっかりうっかりしていた

これがいいのだった!

誕生日  母の日 父の日なんかくそくらえだ

訂正 子供が小さかった頃の夏休みのキャンプ生活

あれは 団欒だあ

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母の日?

2012-05-14 11:39:41 | ただの記事

我が家には記念日がない

というのをどこかに書きましたが

母の日もありません

とはいえ

私はおばさんに花模様のスモックを着せて

絵を描きたいので漁っているのですが気に入ったのがなく

横浜に行った時 元町で・・・と思ったけれど時間がなく

おばさんに 間に合わせるの嫌だから待っててね

と言ったら 「いらねえ お金で持ってろ 無駄遣いすんじゃねえ」って

怒られた

ま そういうふうでおばさんもプレゼントとか

そう言う流儀はない人なんだが

私としては おばさんを描くという私の目論見があるので

ぴったりのを見つける気ではいる

息子は全然  娘は電話をくれる

記念日は電話をくれる

可愛い声を聴かせるのが一番嬉しいというのをよく知っているからだ

息子の方は 電話は頻繁にかかってくる

用がいろいろあるんだ

今も広島から絵が帰ってきたがそういう受け取りとかね

だから息子の声は聞いているが

娘は顔も見せないし声も聞かせてはくれないのでね

恋煩いで死にそうよ!

それでも娘のことが気になって彼女のツイッターを見に行って

丸一日何もつぶやかないと

気になって気になって

「おい 元気か?」とメールすると

「うん 山に行ってた」とか返事が来て ほっとする

という

希薄な家族関係です

考えてみると私が当然のことと思って結婚当初

武蔵の母に誕生日プレゼントしたら

生まれて初めてもらったと言っていた

終戦前に武蔵の父はなくなって

(兵隊さんじゃない都内で別の任務についていた)

田舎に疎開していた義母は

筆舌に尽くしがたい苦労の末女手一つで

遺された5人の子供を育てた

誕生日だの母の日だの 入り込む余地もないのだろうな

うちのおばさんの子供時代も 裏のおじさんたちは両親がなくなり

この家で一緒に育った

ところがおじいさんは農作業は女任せで

自分ばかり本を読んだり俳句を作ったり絵を描いたり

生活について責任感のかけらもなかったみたい

おばあちゃんは実家にコメ等もらいに行くというような暮らしだったようだ

これまた 誕生日だの母の日だの縁のない暮らしだったのね

生活ぶりや行事などが 全国津々浦々行きわたるようになったのは

情報のせいかも知れないと思う

ふむ

色々考えると

私は得難い環境に入り込んだともいえる

ともかくおじさん(おばさんやお姑さんの長兄)の風変りぶり

書いたことがあるけれど

身近に出会って 藁ぶき屋根も体験して

すごくラッキーだったな こりゃ

Omimai

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揺れなかったよ

2012-05-14 08:59:23 | 地震

ビャンビャン緊急地震速報がなった

けれど揺れない

福島だとか言ったけど嘘

千葉だった

ナツさんちや息子のところは少し揺れたようだ

寝坊した人起こされたね きっと

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