遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

青山杉雨の眼と書

2012-09-06 17:11:58 | 展覧会情報

今日はおばさんを院展に連れて行く日だった

車椅子はあるがかずに限りがある

予約はできない

障害者用の駐車スペースは数少ないので障害者優先ですというので

おばさんは手帳を持っていないから

諦めるかな

と思ったが

近くまで車で入るのを許してもらおうと

電話をしておいた

 

搬入口から侵入したら

係りのおじさんたちは

電話を受けてくれた人から連絡がちゃんと行っていて

障害者用のスペースに車は置かせてもらえたし

車いすも持ってきてくれた

牛久の時も車いすは借りたが

パンクしていたのよ 今回は上等だった

トイレに入れたり

なんだらして 院展の入り口で私はおばさんを武蔵に任せて

花てぼさんに聞いて 先日横目で見ながら通り過ぎた

↓ 見たくて 大急ぎで博物館に行った

Img041

面白かった!

私の学のない眼には

現代アートにしか見えない

素晴らしかった

http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1472

Img040

ところが四分の三くらい見たところで

携帯が鳴った

もう待ち合わせのレストランのところに来ているよ

というのだ

携帯が鳴って 顰蹙を買った

監視員の人に叱られて追い出された

全く 武蔵とおばさんは 1時間も見てられないのかよ!

と思うが

しょうがない

レストランは大混雑

昼をだいぶ過ぎれば空くだろうと思ったのが浅はかだった

マウリッツハイス美術館展がますます大混雑だったので

レストランだってちょっとやそっとでは入れないわけよ。

無事食事もできて

帰りが大変だった

あの言問橋あたりの道路はややこしくて

私はナビれません

ここで右 というと いつの間にか右折禁止だし

ぐるぐる回る羽目になる

結局帰りは加平から高速に乗った

守谷で一服して帰るあたりから

雷が鳴りだした

水海道を行くころ

雷はバリバリドスドス 地響きを立て

空はビカビカ光って

シュパッ 稲妻が地に走るのが見える

一瞬すごい突風で 車が浮き上がった

やだ竜巻が来たらどうしよう!?

と思っちゃった

20120906151831


この写真の後

滝つぼのなかかと言うような

激しい雨

ぎゃ~~~

しかし いくらか涼しくなったかも

 

 

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東大話法・同調圧力・ムラ構造

2012-09-06 05:44:06 | 原発

今回の原発事故で

こういう視点でものを考えるというのを学んだ気がする

それで

私自身が同調圧力をかけて

人を支配下の置こうとしたことがあったのだろうか?

と振り返ってみるけれど

権力を握ったことがないせいか

あるいは手前味噌だからか

よくわからない

Pさんのところで

ステンドグラスのお仲間とのやり取りで

皆さんと違うことをやってしまうPさんを巡って

展覧会で起きた出来事は典型的だし

よくあるくだらない話で

そうやって KYだったりするせいで

微妙な空気が流れたとおっしゃる

出る杭だったから打たれちゃった・・・

私も周りと意見が合わないせいで

和を壊して

顰蹙を買った覚えならいっぱいある

 

ところで

水俣病にしろイタイイタイ病にしろ足尾銅山鉱毒事件にしろ

歴史上毒を振りまいた企業がらみの事件は

隠蔽隠蔽の歴史だったし

いまだに 水俣病や原爆被害についても

裁判も繰り返され

被災者に寄り添って活動なさっている医師のご苦労に頭が下がることが多い

40年前くらいまでの

東京の公害のひどかったこと

隅田川の臭かったこと 空気のひどかったこと

武蔵の

去年のぜんそく発作で2回気絶したとき

私は放射能のせいだと思ったが

武蔵は サツマイモの農薬散布がきっかけだったと思うというんだが

農薬散布(米のか?)って このあたりは

空中散布するんだそうだ

その時間帯外には出られない 洗濯物は干せないそうで

そんな野蛮ことをやっている地区は

もうあまりないそうなんだが

ここは 野蛮なのだ

ええ!?? そんなこと私知らなかったよ

と この春も騒いだが

当日 私は東京に出かけていて またまた知らぬ間に

その危険日 意識なくやり過ごしてしまった

武蔵のぜんそく自体 アレルギー体質もあったのかもしれないが

大人になってからの発症で

空気の悪い文京区で働いていて 公害のせいなのだよ

ここに来る前に住んでいた家に本置き部屋を作ってくれた人は

その工事の後 あっという間に中皮腫にかかって亡くなってしまった

建築にかかわっていたし 解体工事などの時にアスベストを吸い込んでいたせいだという

 

水俣病の歴史に詳しくはないのだけれど

企業はつべこべ言って責任逃れをする

毒のある魚を食べないようにする手立ては永年取られなかった

原因は確定できないと逃げる

こういう経過を見ると

今回の原発事故もそっくり同じ風に見える

事故から一年半

いまだに核燃料も使用済み核燃料も

日本には山盛りあって 安全に保管できないでいる

地震が来るという報道はされるのに

なんで 原発にある核燃料プールのことを報道しないのだ?

ラジオを聴いていたら 福島のアンテナショップの話が出ていて

お安いですし 新鮮に見えたので購入しましたなどとやっていて

被災地復興支援ンに一役買って うれしいという風情の

東京の人の声が放送されていた

日本全国 福島 食べて応援と言う気配なの?

水俣病の時も 魚のせいじゃないのよ 汚染物質も大したことはないし

それが原因とは言われてないのだから

漁業者も気の毒に

お魚買って 食べて応援しましょう

と言っているようなものではないか?

今は安全確認されているから

お魚大丈夫だそうだけれどね

福島の農産物も放射能は検出されませんでした

と言う報道もあるけれど

この間見たお米の検査 短時間で 

外から計器を当てて測っているのを見て

私 全然信用できない 

水俣病がいつ始まったか その時点を特定するのは大変そうだけれど

名前の由来の水俣での確認が1956年だとすると

原因物質が特定できたのが12年後だった

その間 企業側に立った御用学者ってのが

ここでも活躍したようで

ここまで 相似形か?と思うほどだ

 

この原発事故 12年後は 世界史的に見てどうなることだろうか

私はもう生きてはいないだろうけれど

もしかすると生きているかも・・

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