遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

茅の輪くぐり

2013-07-28 17:23:01 | ただの記事

私の育った町は菅原神社だったので

茅の輪くぐりというものはなかったので

(って湯島天神にはそういう行事やってるなあ)

知らなかったけど

大宝律令では宮中の年中行事として大祓の行事が決められたのだそうだ

茅の輪くぐりは身の穢れを払うのだそうで

神社からは形代の紙が配られるのでそれに名前と年齢を書いて

その茅の輪にぶら下げてくる

そうすればみんな穢れが払われることになるんだそうだ

くぐり方にもマナーがあるようだ

のマークのようにくぐるんだって

ともかく子供のころは神様というのが嫌いだったから

何しろ わからないことだらけだ

Img_8985


こういうのよ

ま 行ってきたからいいや

お稲荷さんのお使いもいいよと言ってくれた

Img_8984

今日から
穢れ無き老女の暮らしが始まり

せっせと穢れをためて

また祓ってもらいに行きますわ

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雲描き始めたら面白いわねえ

2013-07-28 17:05:22 | 絵画

Img_8986

ハハハ

空描くのは 嵌るな

皆もはまってるんだろうなあ

ああ 嵐とか 雷とか 雨とかも描きたいわ

今日はお尻がもう痛いのでこれで中断

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これから雲描く

2013-07-28 13:29:13 | 絵画

空の課題は多分

大塚先生は

広大な空間を意識して描かせたかったんじゃないかと思った

わたしは勝手に変えてしまったけれど

だから広大な空間というのをバックに

トライアスロン選手バイクに乗るを描こうと思って

まず 青空だけで描こうと思ったが

ダメだ 職人技がない

職人かも  というのは取消

Img_8990

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肖像と言えば

2013-07-28 08:17:00 | 美術史

Ll_c0006292

この一休像は鑑賞の授業でよく取り上げられる

けれど

わたしはそういう授業をやったことがないので

不勉強でした

然し

この像はそりゃあまあこういう人か!一休さん!?と

中学生には青天のへきれきの肖像画だわな

わたしは日本の肖像画の一級の一休像だと思ってきたが

なんてことはない

この賛はなんて書いてあるのか

このえは誰が描いたのか

全然知りませんでした

やっとわかった

Ikkyuu_3
華叟宗曇というのは一休さんの師匠

松源というのは臨済禅の中国の坊さん

このお人を通して入ってきた

禅宗を松源流というんだとさ

狂雲というのはいっきゅさんが自分のことを

そういっている

というわけで

すごい自負心に満ちた自画自賛だわね

書いたのは

この賛墨斎

絵もという本もあるけれど

国立博物館では違うだろうと言っている

わたしにすれば

名前なんかどうでもいいのだ

墨渓が描いたという説が今は有力のようだ

 

 

 

 

もう一つ絵ではないが肖像で傑作と思うのは

G009_chogen

東大寺再建に尽力した俊乗房重源上人の像

大仏殿から二月堂の方へ登っていく途中に

俊乗堂というお堂があっていつも開いてない

この中にいるんだろうなあといつも物欲しげに

鼻くっつけて覗くのだけれど

御開帳に会ったのは一回きりだけれど

まあ ホント 迫力でした

慶派の作と言われてます

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崋山の肖像画

2013-07-28 05:25:32 | 日本美術

崋山は絵描きでありたかったし

当時の肖像画に関しては

自分が第一人者であるという自負もあったという

当時崋山のような肖像画はなかったことは確かだ

蘭学に触れて西洋にはこれまでの日本の絵の描き方を違うものの見方がある

という刺激も突き動かしたのだと思うけれど

教科書によくあるように

日本画の手法による衣服の表現と顔に

西洋画の影響から陰影をつけ立体感を表現したのが斬新だった

というのは表現方法の話で

ファイル:A portrait of Ichikawa Beian 市河米庵像.jpg

これは市河 米庵という書家の像

これにも草稿がいくつもあるけれど

そっちのほうが生々しくリアルだなあと思うけれど

本画として仕上げたほうが なんというか

見てくれはいいかも

それは 儒教の教えで絵は徳を表さねばいかんからだ

という解説もあったけれど

わたしはこれが泉石の肖像画と同じ年の

天保8年に描きあがっている

対価を得るための絵だったのではないかという気もする

それでもそのリアルな表現は

当時はこういうのなかったよなあと思う

人間観雑の鋭さは

自負する通り無敵の力量だったとわたしは思う

師の谷文晁はどういう肖像画を書いていたか

ファイル:A portrait of Kimura Kenkado by Tani Buncho.jpg

木村蒹葭堂像

こういう肖像画

対象を描いてもいるし

描いている人のものの考え方を描いているともいえるわけで

(だから自画像でもある)

この二つを見ると

とても興味深い

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