遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

2013-07-29 12:03:14

2013-07-29 12:03:14 | 絵画

Img_8988

トライアスロン選手描くための

下地作りこれで終わりにすることにした

15号のパネル二枚水張りした

今日はおばさんを温泉に連れて行く

夜は 頑張って剣道場に行き

小さい剣士をスケッチしに行く

でも行けるかな?

夜は お尻は痛くなってるだろうからなあ

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日本画はなぜ世界的には認められないのか

2013-07-29 12:00:29 | 教育

平山郁夫の遺族の脱税騒動を巡って

外国が助けの手を伸べる ってないな

日本で評価が高くても世界的には・・・という話を耳にした

耳にしただけだからホントかウソかわかんないけど

私の親ぐらいの世代まで

お絵描きと言えばお手本を真似して描くみたいな

そういう絵画の修行の歴史みたいなのってあって

そういう没個性的な制作物と受け取られているのかもしれない

そう考えると海外で評価の高いのは

はみ出し者の絵が多いのかもしれない

西洋と東洋 お互いに刺激を受け取りたいのか・・

北斎などもそうだ非常に個性的に見えるし

確かに個性的だけど

元絵のある絵も結構あるし

北斎自身あの有名な漫画はお手本として描いて出版したのよね

弟子たちにお手本を提供する という教育手法って

ごく当たり前 という 長い歴史があるんだろう

中華思想とも関係深いかも

お手本をなぞって描くって

そういうこと権威主義と結びつくと なんか硬直して

形式化して生き生きとしたものが無くなる

って 図式的に思っていたけれど

違うな

お手本としてなぞって描く側の問題でもあるしな

と 思った ともかく北斎は粋でかっこいい

それは 崋山の持っていた叡智とは別の種類のものだな

と思って

いろいろ 人は いろいろだなあ とワクワクする

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富士山

2013-07-29 07:50:49 | 日本の本

崋山の本を読んで

北斎の魅力について認識を新たにした

で北斎のことを色々検索して出てくるのが富士山じゃない?

富士山つながりで

秀吉のと伝えられる陣羽織のデザインに行き当った

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ホホ

お洒落!

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儒教的

2013-07-29 00:56:10 | 日本の本

やっと渡辺崋山読み終わった

本を読まない長い期間のあとで本を読み始めたら

いろいろ考えるのが面白くてたまらない

崋山が最後自決してしまうのだけれど

これは結局忠と孝のために自刃に追い込まれたということのようだけれど

それで納得いくんだ!?

崋山もお母さんもドナルド・キーンもそうなのか?

Img475

これは崋山が自決する前の年に描いた

崋山のお母さん

この時お母さんは私と同じ年だ

ドナルド・キーンは

この絵に優しさとか母親らしさとか一切感じられない

と書いている

????
それは思い込みだろうと私は思うよ

よくよく見て見れば

この母の眼差しはどうよ

ドナルド・キーンには見えないのだろうか?

渡辺崋山のリアリズムというけれど

この母の絵は大いにデフォルメされた絵だけれど

母という人の佇まいを見事に表現しているし

優しさ母親らしさをわたしは読み取るがな

武士の母として物置で自刃して果てたわが子が

首を付いたのを見て女みたいな!と嘆いたが身を起こしたら

立派に腹を切っていたので流石わが子と言った

とあるけれどね

わたしにはそういう武士の母とか母への孝養のために

自刃

なんて 本当に変な道徳律だと思うけれど

意外とごく最近までそういうものの考え方が残ってたかもしれない

崋山の時代は

そういう儒教を知らない西洋人は高邁な孔子の教えを知らないから

野蛮人

そう思ってたと書いてあって

仰天した

そっかごく最近まで西洋人は野蛮人って日本人は思ってたのね

鬼畜米英って言ったんだものね

わたしには儒教的なものの考え方

わけわかんない と思ってはいるけれど

実は 深く潜んでいるものはあるかもしれない

この忠孝最優先という考え方は

武蔵の父母はそういう感じ

武蔵の父は昔乳母流れと武蔵は言うのだが乳母だった人の養子になった

(乳母には子がなくて武蔵の父は一人っ子として育った)

で この父はその育ての父母への孝養がまず第一

というものの考え方だったようで

武蔵の母もそれにしたがって舅姑に傅いた という話なのだ

昔の親子って変なのと思った

わたしはかなり野蛮人だ

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