分析的キュビズムは形を解体するってよく書いてあるが
それは違うだろうと思うけれど
上の絵なんか
バイオリンとブドウがわかるから
ここにバイオリンがありますとか葡萄がありますとか
そういう見方になるんだろうなあ
昨日のミロの会に KINU洋画会や彩友会の人を誘ったけれど
ダメだった
ああいうのはちょっと とか やっぱり何が描いてあるかわからないと
興味ないとか
そういう感じだった
然し
昨日のミロの講座も そういうところ
何が描いてあるとかなんだとか そういう風に絵を描いてた人たちだった
大塚先生の説明は
幼児の意味づけ期と結びつけた説明をなさって
子供にはなかなか還れない
そういう風におっしゃっていたけれど
子供の美術教育上の発達段階と
美術の歴史と対応するものは確かにあるけれど
ミロはあまり理屈っぽくないから ルネサンス以降の世界観の破壊
なんて意識はなかったように思うけれど
意味づけ期に退行しようという話じゃないよな
と思った
そしてやっぱり これはネズミに見えるとか
細胞核だとか そういう何を描いたかという話になっていってた
来年度何をやるのかお聞きしたらまだ決まってない
とおっしゃり
学芸員は忙しいのでかわいそうかもと 言ってた
講義を担当した学芸員は講義のあとは一切顔を出さないでさっさと帰ってしまったから
実はその仕事は嫌だったのかもしれない
大塚先生のご自分はパワハラだったかも
って
仰ったのはその辺かもしれない
わたしはキュビズム
ピカソ デュシャン ドローネ とやればいいと思うけれど
一般的ではないし客が来なさそうだから
そんなのパスだ
大塚先生は
それよりピカソなら
青の時代バラ色の時代
キュビズム
古典主義
とおっしゃったが ピカソも一般的ではないのだよな 多分
客はあまり来ないかも
後期印象派とか
セザンヌ ゴッホ ゴーギャン
それは興味を惹くかもだな
多分これで行くだろう
この三人の理解もわたしは浅はかだから
これがいいわ
さて 上の絵
ピカソのだけれど
分析的キュビズムは形態を分解したってよく言うけれど
違うだろうと思う
よく 学期が描かれているのは 象徴的ではないかという気もする
音楽的に 響き合う形を 取り出して
繰り返しとか 同じ方向の線とか
そういうもので探っている絵だと私は思うのだけど
武道もしばしば出てくる
彩友会のYさんの絵にも出てくるなあ