コッチは だいぶ前にできてたのだが
ちょっと着心地悪いのでボタンとか 直さねばならん
私は普段着のオーバーコートがないので
寒いから編んだのだが
うっかりこれも着ておばさんちに行くと
あげるまでいいねいいねと ねだられそうで
予防線のためにおばさん用に ↓のセーター編んだともいえるのだ
絵だと 無対象の抽象画って描けないけど
セーター編んでいると そのあたり いろいろ心が自由になっていい
だから やめられないね
ゴーギャンの下勉強して
ゴーギャンが 写実を離れようとして どういう風に考えたか
たどるのは面白かった
これはゴーギャンが絵を習い始めて 5,6年ごろの裸婦習作
描いた絵をたどってみると
物のとらえ方が 多方面から (こういう風な自然主義的な写実とか
線で とか 面で とか 色でとか)すごいもんだな
と改めて 天才だこの人
これたぶん 私の裸婦処女作 絵を習い始めて2年目くらい
この背後にかかってるのが
絵を習い始めて7年目くらいだよ
たぶん そう考えると 進歩ののろさに がっくり
この写真の嬢やの旦那が この間見てきた金唐紙の作者だ
この嬢やは陶芸家になった
話 もとに
ゴーギャンの時代は 抽象化 というのは
本当にまだ新しい概念だったわけで
世界のとらえ方が どんどん広がって行った
その重要なポイントに ゴーギャンもいた ということが面白い
そして 新しい概念を探るときに
プリミティヴな美術 って 大事な石 っていうのは
まだよくわからないけれど
ゴーギャンのタヒチとか
ピカソのアフリカ芸術とか タマヨのアメリカ原住民の美術とか
ね こういうのの関係の普遍性ってないか?
ま
あまり関係ないけど
セーター おばさんに編んであげたつもりのは
ともかく めちゃくちゃに模様を作ったらどうなるかなあと思ったんだけど
なにやってんだ?わたし?
なんて思いながら編んだけど 面白いじゃないよねえ
と思うのは自分だけかもだけど